その日、メイファンは女王陛下直々の呼び出しで謁見の間を訪れていた。
正直、何の呼び出しなのかがわからないでおり、そこに待っていた女王補佐官のディアに話し掛ける。
「いったい、此度は何の招事にございましょうや。」
いかに最年長とはいえ、何かあったのなら自分では無く、光の守護聖・ジュリアスの所へ呼び出しがかかるはずである。
「私にもよくわかりませんの。陛下が是非にと」
その時、奥から声が聞こえる。
「よいのです。ディア、あなたは下がっていなさい。メイファン、ご苦労である」
女王だった。
昨日即位したばかりとは思えない、威厳に満ちた声である。
ディアは少し戸惑ったが、女王の言う通り、その場を一礼して辞した。
その足音が遠ざかるのを待って、彼女が姿を表す。
顔を覆っていたベールを取り、その光を映さない春の緑の瞳を露わにし、
そして、静かに一礼をした。
メイファンは驚かずにいられない。
即位したてとは言え、彼女は女王である。
その彼女が自分に頭を下げたのだ。
人払いをしてあるとはわかっていても、慌てて辺りを見、そして言う。
「どうか、かんばせをお上げ下され。陛下。臣下にそのようなことをしては天に示しが付きませぬ」
かつてアンジェリークと呼ばれていた女王は微笑み、言う。
「わかっています。ですから、人払いをいたしましたの。どうしても、お礼が言いたかったんですわ。メイファン様に」
一昨日の夜。夢の力によって叶えられた儚い、恋人との逢瀬の礼を、である。
夢の守護聖は、しずかに首をふり、言う。
逆に、残酷なことをしたのかもしれないのだ。自分は。と、そう思いながら。
「礼など、言ってくださいますな。どうしても人事とは思えませなんだ。年寄りのおせっかいと思し召せ」
年寄り、という言葉に、女王はくすり、と笑う。
確かに、生きた時間を考えれば、年寄りもいいところなのだが。
「実はお呼びたてした理由、それだけではありませんの。私、お友達に、頼まれごとをされたのですわ」
彼女の言葉を、怪訝に思い、メイファンは尋ねる。
「お友達、と申されたか?」
誰の事をいっているのであろう。守護聖の誰かや、ディアのことであれば、わざわざこんな言い方はしまい。
アンジェリークはええ。とまた笑みを零す。
「名前は知りませんの。でも、とっても、お強くて、快活で、豪胆で、元気な方。そして、美しい方ですわ」
目には見えなくとも、美しさはわかる。というのだろう。
「頼まれた、というか、感じましたの」
そう言って、一封の手紙を取り出す。
「女王の、私室においてありましたわ。手にとって、感じました。これは、あなたに宛てて書かれたものと」
その手紙に、宛名は書いてないように見えた。
メイファンは受け取りながら、何故わかったのか、と聞きそうになる。
そして、手紙からたちこめる香に気付く。
―― 白檀
それはいつも、自分が好んで使っている香であった。
梨華!
心に、熱いものが込み上げるような気がした。
そして彼は、静かに口を開き、目の前の、ひとりの女性に尋ねる。
「『春心莫共花争発 一寸相思一寸灰』
(春心 花と共に発くを争うこと莫れ
一寸の相思一寸の灰)
と申しましてな、恋は花と競ってまで咲かせてはならぬそうです。一寸の恋の焔はいつか燃え尽き
、一寸の灰を残すのみ、と。しかし、私はそうは想えませなんだ」
アンジェリークもそれに頷く。
「ひとを愛せば、何かが己の内に残りますわ。たとえそれが一寸の灰だとしても。それはその恋の証なのです。きっと」
その言葉にメイファンは嬉しそうに、そうですな、と言い、その場を辞した。

館に戻り、手紙をひらく。
白檀の香が、一層夢見るように部屋のなかに広がった。
そこには確かに、愛しいひとの流れるような筆跡で、一編の漢詩がしたためられている。
穏やかにそれを読むメイファン。
そして、思った。
恋は、まだ終わってなどいない。と。
梨華。
この先も、ずっと、私は君を思うであろう。
そなたが、私を思うていてくれるのと、同じように。
庭の梨は、もう花も散り終わり、いつしかやさしい色をした若葉が空に向かってそよいでいた。
これは、いつもと変わらない、穏やかな聖地の1日の、1頁の出来事である。

相見時難別亦難―――相見るときは難く別るるも亦た難し
東風無力百花残―――東風力無く百花残(くず)る
春蚕到死糸方尽―――春蚕死に到って糸方に尽き
蝋炬成灰涙始乾―――蝋炬灰となって涙始めて乾く
(『春心莫共花争発〜』ともに無題・李商隠)
あなたに自由に逢うことは許されず だから一層別れは辛く想う
春の風は力を無くし咲いていた花も散ってしまった
けれど蚕は死に到るまで糸を紡ぎ
蝋燭は燃え尽きてはじめて涙が乾くもの
同じように私の想いは―――あなたを愛する気持ちは、命尽きるまで変わりはしない
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