桜闇夜話 ―― (後日談)

鎮花(はなしづめ)



神鳥の聖地。春も過ぎつつある、とある日。
高くある日は穏やかに、風にゆれる若葉は微かに次の季節 ―― 風薫る初夏の気配。
佐保姫の桜も既に葉桜。僅かに残った花がやわらかな葉の合間からときおり思い出したように花弁を零すのみ。

男がひとり古木のもとへ訪れて、姿無き影に語りかける。
「あちらで …… ひと暴れ …… したようだな」
「暴れ、などと人聞きの悪いことをいいやる」
笑いを含んだ声はすれども、女の姿は見えない。
気にせず男は言う。
「…… 大騒ぎ、のようだ」
「それもよかろう。宇宙を統べるものが ―― 恋の花を咲かせてはならぬという道理もなかろ。新たな理(ことわり)の宇宙なら尚のこと」

ふわり、と。
あたたかくやさしく、清々しい風が通り抜ける。
さわさわと葉がそよぎ、萌黄に染まった木漏れ日が地に揺れた。

「昔」
「……?」
「それを望んだ夢守(ゆめもり)がおった。時と応える者が異なれば ―― 違う解もあるやも、と言うて。約束を果たしたまで」
「…… そうか ……」
「そうじゃとも。かつて其方(そち)では ―― 果たせなかった故に」

ふ、と。男は僅かに苦い笑を漏らす。
だが、そこに既に痛みの影は見えない。

「だが、後悔はしていないようよの。またそれもひとつの解なのであろ。ましてやその先に実りの季節があるのであれば。人に教えらるることがまだあるとは。故にやめられぬ」
佐保姫の微笑みで在るかのごとく、ふたたび若葉がそよぎ、名残の花弁が幾片(いくひら)か舞った。
「サテ。流石に眠うなった。次はまた幾百年の後か ―― もう、会うこともなかろうかの」
「おそらくは」
「左様か。では、さらばぞ」
男は無言で空を見上げ、風に飛ばされたはなびらが、青い空へと吸い込まれていくのをみおくると。
静かに目を閉じゆっくりと一礼をした。

◇◆◇◆◇


「よほどこの桜がお気に入りなんですね」
微笑んで語りかけてきたアンジェリークにクラヴィスも笑みで応じる。
「桜も終わった、と思ってな」
彼女はいたずらっぽく彼を見上げると。
「終わってませんよ」
「……?」
アンジェリークは胸一杯に若葉の香を吸い込むかのように深呼吸をする。
「花は散ったかもしれないですけれど。桜にとっては葉が茂り、実るこれからの季節こそが、いよいよ盛りなんですから、終わってなんかいません」
「そう、か」
くすくすと笑ってから、アンジェリークは、さてと、と言う。
「休憩はおしまい。戻ってください、ちょっとした騒ぎになってるんです」
騒ぎ、といいながらも彼女の表情は明るい。
「聖獣の女王が ―― 伴侶を得るとでも発表したか」
アンジェリークは目を見開いて。知っていたんですか、と呟く。
くつくつ笑うクラヴィスに、一旦彼女も微笑んだものの、ふと、目をそらし小さく言った。
「クラヴィス様は ―― 」
そこで口をつぐむ。
―― 後悔はしていないのか、と。
飲み込んだ言葉のかわりに、黙って、そよぐ桜の葉を見上げた。
彼はただ穏やかに笑んで
「ゆくぞ」
と、彼女を促した。
しばしの間の後、普段の笑顔にもどって彼女は言う。
「忙しくなりますよ!エトワールも正式に聖天使として聖地に留まることがきまったんですって。うふっ、もしかしたら、結婚式が二つも続くかもしれないし。何を着よっかな?」
歩きながらクラヴィスを覗き込むアンジェリークに彼は言う。
「三つ、かもしれぬ」
「ええ?」
怪訝な顔をする彼女の顎に手をかけ口づける。

「おまえが望むなら、な」

ふたりの傍らを通り抜ける柔らかな風は。
まるで春の女神の微笑みの如く。







◇◆◇◆◇


■続きをお読みになる前に。
2005年桜企画で連載した時はのこの物語はここで完結していました。
しかし。佐保姫の語った「夢守」との約束を知りたい方は、続きをどうぞ。
なお、天球儀内の某シリーズとは当然「パラレル」な展開であることをご了承ください。
(この話はティムコレ、あちらはヴィクコレですから)

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