眠り姫

最終話)眠れる姫を起こすのは





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一端話が進んでしまえば、その後は早かった。
当人たちよりもむしろ周囲の盛り上がりを原動力に、典範の改正とほぼ同時に二組の恋人たちの婚約が相整ってしまったのだ。
なお、すぐさま婚姻とまではいかなかったのは花嫁がせめて十八になるまで ―― 聖地においてどのように判断するかは甚だ不明 ―― と、神鳥側で頑として譲らなかった人物が居るからである。
ロザリアは何かの機会に、聖獣の方ではこの年齢制約についてどのような様子か、とレオナードに尋ねた。

「あぁ?そもそも、アレだ。花婿の方が最年少だからなぁ。まあ、折りをみておいおい、ってところじゃねぇか?テキトーだ、テキトー」

既に役目は終わったとばかり彼は欠伸をしながらそう答えた。
きっかけとなる道筋はつけてやったのだから後は野となれ山となれ、といったところなのだろう。

とにもかくにもお祭り騒ぎなら任せておけと、神鳥からは夢の守護聖、聖獣からは炎の守護聖が企画役を買って出て、婚約祝いの祝賀会が両聖地合同で行われた。
祝賀会当日。
その会場の、少し人の輪から外れたところに、飲み物を片手にロザリアは祝福されている二組の恋人たちを眺めやった。

聖獣の方は、風の守護聖あたりに天然な何かを言われ赤くなって慌てている。
神鳥の方は、闇の守護聖あたりのいつもの調子に真っ赤になって怒っている。

微笑ましい、その光景。
ロザリアは静かな笑みを零し、グラスをテーブルに置くとひとり夜の露台へと足を向ける。
僅かとはいえ飲んだ酒に火照る頬に夜風が心地よい。
ふう、と一息ついたため息と同時に、手すりに捕まり空を振り仰げば晧々とした明月。
しばらく彼女はそのまま月を眺めていた。
心の中に溢れてくる気持ちはあった。しかし、それを言葉にして己で認識してしまうのはひどく野暮な気がした。

そのとき、後ろからかけられた声。
振り向かずとも、誰だなのかはすぐにわかる。

「がんばったな」
いつもよりも強気な微笑を作って、ロザリアはレオナードに向き直った。
「慣れない仕事をしてがんばったのは貴方のほうではなくて?」
わざと違う意味に捉えて共謀者ををねぎらうつもりで言ったのだが、あっさりと返される。
「そういう、意味じゃねぇよ」
「……」
こみ上げるものがあって、彼女は思わず顔を背けた。
我慢していたと言う自覚は無かったが、些細なきっかけで溢れてくる気持ちを、やはり彼女は我慢していたのかもしれなかった。

―― ジュリアスのことが好きだった。そう、好きだった。

そう思って、その言葉が既に過去形であることに気付き、そのことを何故か一層切なく感じる。
何かが変わっていく。
まるでこの月明かりに照らされて、いままで心に湛えていた想いが別の何かに―― 美しい結晶のようなものに ―― 変化しているかのようだった。
そしてその変化はきっと己自身だけのものではないのだろう。
時が流れることを諦めてしまったかのようなこの聖地の中で、けれども少しずつ何かが変わってゆく。
自分の中でも、自分の周りでも。
すくなくとも、女王候補のあの頃には、もう戻れない。

―― ああ、そう。懐かしい、あの頃。

少し前までは、あの頃を『懐かしい』と感じるには鮮やか過ぎると、そう考えていた彼女であったはずなのに。 不思議なもので、懐かしいと感じてしまえばしまったで、ぽっかりと寂しさのようなものが生まれ、また少し涙が零れそうになった。
それを堪えたまま黙っているロザリアに、レオナードはやはり黙ってそこにいた。彼女はその沈黙を少し重く感じ、目をあわさずに言う。

「泣くなとか、泣けとか、何かいうものではなくて?」
「言って欲しいか」
「結構ですわ」
我ながら、矛盾しているとロザリアは思ったが彼は特に気にした風も無かった。
「泣きたきゃ、泣きゃいいし、泣くことをあんたの矜持がゆるさねぇってんだったら泣かなきゃいいさ。好きにしな。居て欲しけりゃここに居るし、ジャマなら向うへ行くさ」
「べつに、邪魔ではなくてよ」

もう一度、彼女はレオナードに背を向け手すりに捕まると、ふう、と一息をつく。
変わってゆくもの、変わらないもの。
陳腐な言葉だが、これが大人になるということなのだろう。
生きてゆくこの先、きっとこんなふうな道の、分岐点のようなものが沢山あり、自分はその一つ一つを歩み、時折振り向いては懐かしいと思い、けれどもきっとその思いはその時の、そして未来の自分の大切な糧となる。
けれども、ふと。
彼女は不安を感じる。

これまでの自分は、女王となるべく育てられ、女王候補となって。
試験に敗れたとはいえ補佐官となって。
こうあるべき道をきたと、そう思い生きて来た。
でも、と、ロザリアは思う。

―― そのままの「わたくし」って?

かつてレオナードが言った。
『俺は、俺しかもってねえ』
ならば、家柄も、立場も、肩書きも。すべてとりはらったロザリアという人間はいったいどんな人間なのか。
この先の道を、歩き選択してゆく自分とは、いったいどんな自分なのか。

―― からっぽ?もしかして、からっぽ?

いきなり、星一つ無い真夜中の道に放り出されたような感覚が彼女を襲った。目指すべき道標を見失ってしまったような心細さ。
耐えられなくなり、思わず振り向き彼女は訊ねた。

「つまらないことを、訊いてもよろしくて?」
「おうよ」
「家柄も、立場も、肩書きも。すべてとりはらって、わたくしでしかないわたくしという存在は、いったい ―― 」

途中まで言い、彼女は言葉を詰まらせた。
自分でも漠然としたその不安を、目の前の男にわかるように説明するのはひどく難しいことのように思えたのだ。
けれどレオナードはロザリアのあたまをぽんぽん、と、まるで子供をあやすように叩いた。
普段なら非礼として感じたかもしれないその所作に、彼女は何故かひどく安心する。

「おめえはまだ、眠り姫だな」
「眠り姫?」

怪訝そうな顔をする彼女の反応を、彼は予測していたのかもしれない、にやりと笑う。
「まだ全部目がさめてねぇだけだ、中身がからっぽなわけじゃねぇ。安心しろ。目覚めを司る光の守護聖サマが優しく起こしてやるから」
「眠り姫を起こす王子様にしては、品がありませんわね」
「アホ抜かせ。白馬に乗った王子様なんぞ待ってるあいだは大人にはなれねえし、本当の恋愛もできねぇよ」
この時少しだけ、彼の表情が真剣になった。
「―― それとも、誇りを司るやつの方が、まだ忘れらんねえか」
幸せそうなふたりの姿を脳裏に浮かべ、彼女は穏やかに微笑み迷わず答えた。
「いいえ」
「なら俺に、チャンスはあるか?」
「ええ」
何故かこちらにも迷わず答えたロザリアに、どちらかといえばレオナードの方が困惑した様子でもある。
「…… なら、俺に、惚れたか?」
「――」
答えを焦らすように今度は黙った彼女に、レオナードは続けた。
「俺は、惚れた。お前に惚れた。お前はどうだ?もう一度、聞くぜ ―― 俺に、惚れたか?」
つい先日までなら、ご冗談を、と即答したロザリアである。しかし、彼女は答えないまま、レオナードをみつめた。
予想外の反応だったのか、彼は僅かに動揺している。
「あれ、『ご冗談を』っていわねえのか」
その反応に彼女は思わず吹き出して、声をたてて笑う。自分にこんな笑い方ができるのだと、ロザリアははじめて知った。

「ええ、惚れたわ。惚れちゃったわ。まったく、強引なんだから。知っていて?わたくしの嫌いなタイプの男性は、乱暴で品のない男性ですのよ」

これ以上にない返答を受けて、さっきの動揺は何処へやら。レオナードは自信満々な笑みを浮かべる。
「へえ。好きなタイプの間違いじゃネエのか」
「いいえ、嫌いなタイプ。でも、そうね。だから人生って楽しいんだわ ―― 何が起こるかわからない」
彼女は背の高い、彼を見上げてその鋭い瞳をみつめた。
嬉しそうな表情で、彼はそっと彼女の頬に大きな手を添える。

「ああ、そうさ。先の見える人生なんざあ面白くねエよ。でも見えなくったって怖がる必要はねえ。俺が、いつだって側にいてやる。ずっとな」

はじまりの口づけを交わす二人を照らす月の影。
眠り姫は、今ようやっとめざめたばかり。



―― 了

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