眠り姫

5) 共謀





◇◆◇◆◇

その日、ロザリアは聖獣の聖地の宮殿へある目的をもって訪れていた。長い回廊を歩いていると向うから来る聖獣の闇の守護聖の姿に出会う。
向うもロザリアの姿に気付き、珍しい客人とばかり微笑んで挨拶してくる。
「ごきげんよう、レディ。今日はこの聖獣の聖地へどのような御用ですか?」
ロザリアは優雅に挨拶を返し玲瓏な微笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、フランシス。こちらの首座の守護聖様に少々相談があって来たのですわ。執務室にいらっしゃるかしら?」
フランシスはちょっと困ったように眉を寄せつつも、微笑みは消さないままに密やかな声で応じた。
「…… さあ。あの男は執務室にいることのほうが少ないので ……」
「あら、そう? いないとしたら、行き場所に心当たりはおあり?」
「そう …… ですね。宮殿の階段裏ですとか、王立研究院の階段裏ですとか、ときには自宅の階段裏などに、よく出没すると、聞き及んでいますが」
「か、階段、裏、ですの?」
何故(なにゆえ)を以って階段裏なのか。少々唖然とした彼女を他所に、別になにひとつ問題もありませんとばかりに
「ええ、レディ」
と、にっこり。
その微笑に、神鳥とはまた違った風合いの闇と光との溝を垣間見た気もしたがロザリアはあえて気付かないふりをし、心の中で苦笑するに留めた。
「とりあえず、執務室へ行ってみることにしますわ。ありがとう、フランシス」
「どう、いたしまして」
そのまま会話を終わらせようとして、彼女はふと先日のことを思いだす。
先日のクラヴィスとジュリアスの喧嘩の引き金にされてしまったフランシス。補佐官として詫びの一言も言っておいたほうがよかろうと考えたのだ。
「ああ、それと。この間は気まずい思いをさせてしまったのではなくて?ごめんなさいね」
フランシスはまたもにこりと微笑む。
「…… レディ、どうかお気になさらず。むしろ、光と闇の仲が悪くとも、宇宙はつつがなく廻るのだと …… わかっただけでも私には価値がありました …… v」
解釈によっては ―― 或いは、そのままの解釈でも ―― 笑顔という表情には似合わぬ毒を含んだその物言い。ロザリアは幾分呆れて、彼の穏やかな表情を眺めた。そして少し真剣な面持ちになり、神鳥の二人は確かに仲が悪いかもしれないがそこには強い絆とも信頼とも呼べるつながりがあるのだと。そう諭そうとしたのだが、それより早くフランシスは片手でそっと彼女の言葉を制し首を振る。

「仰りたいことはわかります、レディ …… 。けれども今の私とあの男に、そこまで求めるのは無理と言うもの …… 。時が解決すると言うのならば、まあ、待つ気は無くもないですが ……」

ロザリアは肩を落としてひとつ、息を吐く。
外部のものが口出してどうこうできる類のものではないのだろう。ここは傍観するのが得策か、と頭ではわかっていながら、つい口を滑らせた。

「でもこちらの首座殿は、当初思ったほど悪い方ではないようよ。そうね、時が解決するのであれば、わたくしもそれに期待することにしましょう」

ロザリアから、意外なレオナード評を聞いたフランシスは、少しだけ目を丸くしてから僅かに笑んだ。その笑みは、どうやらこれまでとは違い何の含みも無い笑顔のように彼女には見えた。
「レディがそう仰るのなら、私も …… 時に期待することにしましょう」

◇◆◇◆◇

フランシスに別れを告げて、たどり着いた聖獣の光の守護聖の執務室。
扉を叩くと中から「ああ」とも「おお」ともつかぬ返事があったのでどうやら、その部屋の主は在室中のようだ。
重い扉をおして入った部屋は、あろうことかほんのりと空気に酒のにおいが混じっている。彼女はやれやれと軽く天井を仰いだが、それだけの反応で済んだことに内心驚きもする。ここ数日で自分で思う以上にこの男に慣れてしまったのかもしれない。
正面の机に行儀悪く足を乗せてだらりと椅子にもたれている男は、だが流石に今は酔っ払ってはいないようだった。
「おお?神鳥の補佐官様がわざわざコッチになんの用よ。この間の研修とやらに補修でもあんのか」
意外な来客を、レオナードは心持ち嬉しそうな表情で迎え入れる。
テキトウに座れや、と椅子を勧められたが彼女はやんわりと断り立ったまま口火を切った。
「あなたに、頼みたいことがあるのですわ」
「―― はあん?よくわかんねぇけど、わざわざあんたがこうして来て頼みごとたぁ、オモシロそうじゃねぇか。話、聞かせろよ」
レオナードは机の上から足を下ろし、身を乗り出した。

「女王が婚姻を結ぶことが可能になるように典範を改正したいの。
―― 協力、していただけて?」

その後、ロザリアの語る一連の計画の流れを聞いて、レオナードはなるほどなぁ、と感心したように呟いたがふと思案顔になる。
「しかし、そんなに上手くいくか?少なくともあの頭の固いガキは立場だ伝統だぁくだらねぇ事にこだわってうんとはいわねぇような気がするぜ?」
それは、ロザリアも思っていた。だが神鳥でもそれは同じ。あの頭の固い首座の守護聖(・・・・・・・・・・) がうんと言うとは思えない。だからこそ、先にこちらで事を運ぶ必要があるのだ。
彼女はさらりと言ってのける。
「無視すればよろしいわ。首座(・・)の守護聖と残り7名プラス補佐官の賛成があれば、たかだか一人の反対くらいどうってことはなくてよ。だからこそ、はじめに申し上げたでしょう?あなたに頼みがあるって ―― 首座である、あなたにね」
「…… 綺麗な顔してやり手だな」
「お褒めに預かり光栄だわ」
レオナードはにやりと笑って彼女を見、ロザリアは嫣然と微笑み彼を見た。
そして頷きあって、ここに無事ふたりの共謀が成立したことを確認すると、彼女はではごきげんよう、と身をひるがえしレオナードの執務室を後にした。

神鳥の聖地へと戻る道すがら。ひとり歩きながらロザリアは考える。
もうこれで、後には引けなくなった、と。
この計画を思いついたきっかけは、当然先日のフェリシアでのレオナードの言葉だ。

『女王だからとか、守護聖だからとか、そんなんで諦めちまう根性がくだらねえっていってんの』

ロザリアは考えてもみなかったのだ。彼等が今のまま ―― 女王と、守護聖という立場のままで、幸せになれる可能性があるなどと。だからこそ、自分が女王になったなら彼等は何の障害も無く結ばれることができたのに、とそう思っていた。
しかし、レオナードの言葉でその結論は己の視界の狭さ故と気付かされたのだ。
そして。
あの男に「くだらない」といわれた時に、心底どきりとした本当の理由は、自分の偽善を見抜かれたと、そう思ったからに他ならない。
幸せになって欲しいという気持ちは真実だった。しかし『もしも』などというありえない仮定をして親友を思いやっているふりをしたところで心の何処かでジュリアスがこちらを向いてくれることを期待しているのであれば、それは偽善でしかない。

―― どちらも本当の気持ちですもの、仕方がありませんわ。それが本当のわたくし。

試験に勝つためと言う見返りを求めて育成したフェリシアに、けれどもそれだけではなく無償の愛情を抱いていたのと同じように。
人は矛盾した心を同時に持てる生き物なのだということ。ただそれだけ。ただそだけであることを、ようやっとあの破天荒な男によって気付かされた。
だからこそ卑怯にだけはならないように、今は己の意思によって行動するべきだと決めたのだ。
『もしも』などという仮定ではない二人が幸せになることができる方法を、レオナードとの会話の中で見つけたのならそれを実行するべきだと。
それが偽善であっても、なんであっても、いい。
矛盾した気持ちを抱えていることが真実であるのなら、それは、あの二人の未来を祝福したい気持ちもまた真実なのだから。
そして、これまで気付くことの無かった新しい可能性を推し進めることで。自分の殻をやぶってみたくなった、というのもまた ―― ひとつの真実。

◇◆◇◆◇

数日後。ロザリアは今度は神鳥の首座の守護聖の元へと向った。
手にはこの日のために用意した二枚の書類。
扉を叩き、中からの応答の後に部屋に入れば、きちんと机に向って執務をこなすジュリアスの姿。
深く鋭い蒼い瞳をこちらに向けて、何か問題でもあったのか、と。
恐らくは心持ち緊張した面持ちのロザリアをみてそう思ったのだろう、そう問い掛けてきた。
彼女は、いいえ、と首を振る。
この首座の守護聖に、事前の説明はしていなかった。そこでいきなり典範を改正したいと持ちかけると、その具体的な内容を聞く前に、ジュリアスはひどく不審そうな顔をした。
ひとつ、息を吸い込み、彼女はあえて淡々と典範の改正案を説明してゆく。
話が進むに連れ、彼の視線がまるで圧力を持っているようだと彼女は感じたが、それに負けぬように書類を持たぬほうの手を強く握りしめた。
ロザリアの説明をすべて聞き終えると彼は冷静な表情のまま ―― 心中は穏やかでは無かったにせよ ―― 毅然と言った。

「ばかな。前例がない」

予想通りの答えに、ロザリアは待ってましたとばかり答えた。
「あら、在りますわ。というか、これからできるのですけれど」
そしてぴらりと一枚の書類を見せる。
紙には聖獣の透かしがあり、その内容は女王の婚姻を認める典範改正案である。
書類の署名欄には水を除いた八人の守護聖のサインと補佐官のサイン。

何故か(・・・)水の守護聖が頑強に是といわなかったようですけれど、他の守護聖達が承認している上に、首座の守護聖が既に承認のサインをしていますから、あとは向うの陛下に奏上するだけ。すぐに成立しますわね」

何故か、などと言いながら大体の理由は彼女とてわかっている。
この改正が他ならない彼と聖獣の女王を思いやって周囲が推し進めている事柄とわかっているからこそ、己の我侭如きで大きな改革を起こさせてしまうわけにはいかないとでも、生真面目なあの青年は考えているのだろう。そして、今彼女の目の前にいる神鳥の首座の考えとて、似たようなものに違いない。
けれどもそんな本音をそれこそ彼が言えるはずもなく、『前例がない』あたりを理由に反対するのは予め予測済みである。

「さ、前例は在りましてよ。神鳥の首座の守護聖様?」

勝ち誇ったように微笑むロザリアを前に。
ジュリアスはむう、ともぬう、ともつかぬ呻きを零した。

◇◆◇◆◇

ずいぶんと長い沈黙が続いたが、先に口を開いたのはジュリアスの方だった。
「何故、そなたは」
ジュリアスがすべてを言い切る前に、彼女は答えた。
「幸せになって欲しいと、思うのですわ。アンジェにも、そしてあなたにも。同僚として、そう、望んでいるのです」
心を過ぎる痛みが無いといったらそれは嘘だ。けれどもきっと、この彼がロザリアの中にある痛みに気付くことはありえまい。

―― それで、いい。

彼女はそう思った。その想いは何故か、苦味を伴いつつも清々しい。
それに、幸せになって欲しいと言った言葉は偽り無き気持ちでもあり、更にはそう思っているのは彼女だけではないこともロザリアは知っていた。
手にしていたもう一枚の書類をジュリアスの前に差し出す。
紙には神鳥の透かし。
女王の婚姻を認める典範改正案と、その下に記された九名 ―― 八人の守護生達と、ロザリア ―― の名前。
ジュリアスは、その筆頭に記された名前を見て呟いた。

―― クラヴィス

おそらくは彼にとっては失言であったろうその呟きに、ロザリアはあえて反応する。
「わたくしにはどういう意味かはわからないのですけれど、伝言がありますの」
「?」
「ジュリアス、あなたがこの聖獣の書類を見せてもまだ迷うようなら、伝えろと。
―― クラヴィスから」
冷静を装っていたジュリアスの表情が僅かに動く。

「『時代が違えば違う結末もあろう ―― 過去は忘れろ』とだけ。この書類のサインはね、ジュリアス。流石に皆はじめは躊躇っていたわ。けれどもクラヴィスだけは、何一つ躊躇うことなく、一番最初に署名しましたの。余計なことかもしれませんけれど、伝えておきますわね」

ジュリアスは、ふい、とロザリアから顔をそむけ横を向いた。
その表情は険しかったが、それはただ単にその奥に隠された本当の素顔を見られたくないだけなのだろうと、彼女は感じた。
それとも。
言い換えたなら、拗ねた子供のような反応、とも表現できるかもしれない。

「あの男の考えていることは ―― 私にはさっぱりわからぬ」

ほんとうは、わかっているのでしょう?と。
言いそうになった言葉を飲み込んで、彼女はくすりと笑った。
「わたくしも、アンジェの考えていることはさっぱりわからないと思うことがよくありますわ。
それでも」
眉間にしわを寄せたままの首座の守護聖に向い満面の笑みを浮かべる。

「あのコは私の親友です」

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ひとりごと
あー、やっぱ、お約束ということで…→クラヴィスの過去に遠慮するジュリアス