眠り姫

4) 天使が育てた大陸:後編





◇◆◇◆◇

ロザリアは、その女王候補時代の己の姿をしばらく黙って眺めていた。
先ほどまで胸をしめていた僅かな後悔が、再び湧き上がってくるのを感じた。自分はこのように描いて貰えるに相応しい存在であったかに自信を持てなかったのだ。しかし隣にいる男には余計なことを察せられるのが嫌で表情には出さぬままもう一度、なつかしい、とだけ呟いた。
ところがレオナードはあっさりと彼女に向って言う。
「悔しかったりは、しねえのか」
「…… いいえ」
「微妙な間があったな」
この男の、こういった無粋なところが苦手だと、そう感じた。先ほどは己の間違いを正面切って正されてそれはありがたいと素直に思った。けれどもこれはもっと私的な部分だ。普通ならこんなふうにあけすけに、聞いたりはしてこないだろう。さして触れられたくないと思っているわけではなかったが、あえて触れてくる人間も少ない。
僅かに眉を寄せてロザリアは、それでもその後レオナードに向き直る。
「―― 嫌な、方。余計なところで、鋭いのね。
でも、試験について悔しくないと言うのは、本当でしてよ。だって、あのコには敵わないって。心から思ってましたもの。そして、誰よりもあのコが相応しいって、私だってわかってた」
「あのコ?」
レオナードは己の顎をげしげしと撫でながら、不審そうな顔で問い返してきた。
「―― 陛下のことよ。アンジェリーク。私の、大切な親友」
言いながらロザリアはまた何か落ち着かない気持ちになり、視線を彼から逸らし明るい光りに溢れた窓の外へと移した。
その彼女の耳に、レオナードの声だけが聞こえる。

「へえ。ジュリアスの野郎が惚れてるのが、その親友さんでもか」

怒りで顔が熱くなるのを感じた。彼女は振り向きレオナードを見据える。
その先で、にやにやと揶揄するような表情で言っているに違いないと思っていた彼の表情は、しかし至極真面目な表情で、彼女は勢いを削がれて肩を落とす。

「本当に ―― 嫌な方」

力なくそう言いながらも、何故か彼に対し、嫌悪を感じずにいる自分に、彼女は気づいてもいた。
しばらくの沈黙のあと、ロザリアは自分から口を開いた。
「でも、そうよ、それでも悔しくはなかった」
誰よりも真っ直ぐでひたむきな親友が彼女の中に思い浮かぶ。

―― そしてだからこそ、彼もあのコに惹かれたんだわ。私ではなく。

「ああ、けれども」
思わず呟いてから、流石にこんなことまで自分から話す必要はないとロザリアは口をつぐむ。 しかし。
「なんだぁ?言ってみ。特別出血大サービス。今なら愚痴でも弱音でももれなく聞いてやるぜ」
お気楽に軽く促されて彼女は思わず本音を漏らした。

「私が女王になれたなら。あのふたりは幸せになれたのにって、思うときはありますわ」

ところがそう言ったロザリアに、レオナードはさも面白く無さそうにふん、と鼻を鳴らした。
「ああん?くだらねえな」
一方彼女は言うつもりもなかった言葉を言わされた挙句、馬鹿にされたのではたまらないとばかり、再びかっとなる。
「あなたに言われる筋合いはなくってよ。第一、言えというから ―― 」
早口で食ってかかると、レオナードは慌てたように、そういうんじゃねぇよ、と否定した。
じゃあ、どういうつもりなのかと詰め寄られ、いささか困惑した表情で彼は頭を掻く。
「あーあ、怒んなって。そうじゃなくてよ。あんたの気持ちがくだらねえとか言ってんじゃなくて、女王だからとか、守護聖だからとか、そんなんで諦めちまう根性がくだらねえっていってんの、俺様は。
まあ、あの頭の硬さじゃあしかたねえだろうけどな」
予想外のレオナードの言葉の内容に、何かしら反論を言おうと待ち構えていた彼女はその口を一端閉じる。 まじまじと彼をみつめるロザリアに、レオナードは更に困惑を深めた。

「何、黙っちまってんだよ」
「いいえ、感心していましたの。そういう、考え方もあるんですわね。わたくし、思いつきもしなかった」
「惚れたか?」
「ご冗談を」
「はっ、ツレねえな」

すぐに調子にのって軽口を叩くレオナードをロザリアはさらりとかわす。
彼も彼で、さっきまでの困惑顔は何処へやら、いつもの不敵な表情に戻っていた。しかし、その後今度は少し真面目な顔でロザリアに向かい訊ねる。
「―― でもよ、納得いってねえってのは、本当だ。なんで女王が伴侶をもっちゃいけねえなんて決まりがあんだ?
っていうか、聖地典範読んだがんなこた何処にも書いてねえ。暗黙の了解ってだけだ。 ましてや相手が守護聖なら任期期間でありあさえすれば寿命の違いだってねえ。 身分違いってったって、女王は世襲じゃあるまいし、世継ぎ云々の理由があるわけじゃねエからアレは観念的なものだな。 こうやって現実をみればなんの障害もねえんだ ―― もちろん、片方の退任後の問題はあるがな」
「貴方、どうしてそんなことを ―― ?」
聖地典範を読んだというのがロザリアには意外だった。
そもそも普通に任務を遂行している分には聖地典範の知識など必要ない。拝命の際渡されて、読まずに放置しているひととて少なくないというのが現実だ。
それなのに通常の執務でさえ、ろくにこなしている様子の無い彼が、わざわざそれを読んだという。
更には寿命のことや退任後の問題まで考えていると言うのは。
「不思議か。別にそちらの光の守護聖様がどうこうってわけじゃねえさ。 ただ、こっちはこっちで ―― ひとりで悶々と頭悩ましてるガキがいるんでな。 解決策を考えていたところだ」
『ひとりで悶々と頭悩ましてるガキ』
その人物に、ロザリアも心当たりがないでもなかった。しかし、だとしてもそうやって同僚のことを気にかけて調べ物をしているというのが更に意外だ。
このレオナードという男は、ひどく今までの己の評価とはかけ離れている人物なのかもしれない、と彼女は思った。
「驚いた。きちんと、首座としての役目も果たしていらっしゃるのね」
言ったロザリアに、彼は照れたのかなんなのか、別に首座とかそんなんが理由じゃねえよ、と言いながら頭をげしげしと掻いた。
それから、にやりと笑って唐突に言う。

「惚れたか?」
「ご冗談を」
「ま、おいおい惚れるさ」

少し見直したと思えば結局この調子である。流石に呆れながらも、しかし彼女は肩をすくめ、笑顔をこぼす。
「いったい、その自信はどこから出てくるのかしら」
「俺は、俺しかもってねえからな」
不敵に言った彼の言葉の意味を、彼女はすぐには理解できなかった。
僅かに首をかしげた彼女に、レオナードは口の端を上げて笑んで、ふい、と窓の側へと寄った。
外には先ほどの、遊んでいる子供たちの姿。

「家柄とか、立場とか、肩書きとか。そんなもんはしらねえってことよ」

静かに語られる言葉。
ロザリアはただ黙って、窓際に立つ彼の広い背中を眺めていた。
当然、ロザリアからは彼の表情は見えない。けれどもレオナードは一見強面のその人相をめいっぱい優しく崩して、遊ぶ子等を眺めているのではないか、彼女はそんな気がしてならなかった。
「何も失うものさえない、全くのゼロからはじめて、汚ネエ場所から這い上がって生きてきたんだ。 頼りになるのは自分だけ。いまさら守護聖サマだなんていう御大層な肩書き頂いたってどうしょうもねえわな。
その分、ずーっと枷背負ってた元王サマだとか、小さい頃から守護聖に定められてた大貴族サマだとか。あとは ―― 」
彼は向き直り、ロザリアを見た。
「女王となるべくして育てられたお嬢サマみてえに、くそ真面目に考えすぎて重荷に悩んじまうことも少ねぇわけ」

「言って、くれるわね」
片方の眉を吊り上げてロザリアは応じたが、そのときの心情は苦笑に近いものだった。
己のことを揶揄されたのに不思議と腹は立たない。恐らくは、彼の指摘があまりにもっともだと、彼女自身納得させられてしまったのだろう。
これまでの自分を間違っていたとも思わぬし恥じるつもりも無い。けれど、それとはまったく別の、彼が言ったような生き方が存在しており、それはどちらが正しいとか、優れているといったものではないのだ。
彼の言う生き方は。
自分とは異なるけれども、誇り高いと、彼女はそう感じた。
「ああ、でもあれだ。大層な肩書きもらったってしかたねぇって言っても ―― 役目を軽く見てるつもりはねえよ。拝命したからには俺にだって守護聖としての望みはあるんだ」
「…… 聞かせて、もらえるかしら」
ロザリアは、本心からこの男の考えを聞いてみたいと感じていた。今までの己の価値観を覆すような彼の言葉が、彼女にとってはひどく驚きに満ちていて新鮮だった。

「俺は孤児院育ちだからな。ああいうガキが少しでも減るように。いや、たとえいたとしても奴等がまっすぐマトモな人生歩けるようなそんな世界が欲しい。少なくとも偏見で挫折するようなことはないように。そのために俺の力が役に立つんなら、ありがてえと、そう思わぁな。
―― 柄じゃねえな。意外か」

少し照れたような風情の大男の様子に少し微笑ましいものを感じながら、ロザリアは首を一回横に振ってから、思い直して頷いた。
「そうですわね。内容ではなく、わたくしに話してくれたことが意外ですわ」
レオナードは飾られている、女王候補時代のロザリアの絵を見やってから、ロザリアをみつめ、ふ、と。
こんな表情ができるのかと思うほどに優しい表情で笑んだ。

「言葉にするのは苦手だ。でもな、このフェリシアをみてたら、心底そう思ったわけよ。
俺が育った孤児院な『天使の家』っていう名だった。天使なんかいねぇと思ってたけどよ。きちんといたんだな」

先ほど怒りで熱く感じた彼女の頬が、別の理由で熱くなる。
そして彼女は気付いた。
試験に勝つために、この大陸を育てていたと後悔していた自分。
けれども、そんな理屈など、どうだって良かったのだ。
この大陸を、愛しいと。
心から愛しいと思っていた。
結果、今こうしてこの地に暮らす民の笑顔がある。
先ほど本当の自分には相応しくないと感じた神殿に掲げられた己の絵は、フェリシアの人々から見た彼女への感謝の想いが形となったものだ。かつて捧げた愛情の片鱗をうけっとって、彼らが描いてくれた己の姿。自分が知らなかったその一面を彼らはみていてくれたのかもしれない。
それで、十分ではないか。
―― 何を、後悔する必要があるものか。
気付かせてくれた目の前の男に対し、彼女は素直に感謝の言葉を口にしていた。

「ありがとう」
「惚れたか?」

にやりとわらって、ウインクする。いつもの、彼の表情だ。
ロザリアはご冗談を、と言おうとしてすこし考えた。

「―― 見直したわ。少しだけね」

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