眠り姫

3) 天使が育てた大陸:前編





それから、幾許かの日々が流れた後のこと。

「なんでたまの休みに、こんなところに来なくちゃいけねぇんだぁ?」

レオナードの『こんなところに』という言葉に、ぴくりと眉をあげたものの、その言葉を『こんな男とこの場所に』におきかえたなら自分も全く同感だとロザリアは考えた。
今日は日の曜日。
そしてこの場所は、かつて己が育てた大陸、フェリシア。
今は親友の手のよって導かれ、美しく栄えるこの大陸を我が子を見るような想いで眺めやった次に、隣の男には冷たい視線を投げかけた。

「自業自得ですわ。それよりも、あなたのせいで休日を返上しなくてはならなくなったわたくしの身にもなっていただけて?」

レオナードは悪びれもせずにやりと笑う。
「俺としては別嬪のあんたと一緒で、まァ、ワリにあわねぇこともねぇかなって思ったところだったんだがなぁ?」
そんな軽口をさらりと無視して、ロザリアは歩き出す。
「無駄口叩いてないで、ついてきて頂戴。案内するわ」

◇◆◇◆◇

前任の守護聖という存在がいない聖獣の九人の守護聖達のために、神鳥の聖地の面々の好意により研修のようなものが行われたのは、一昨日の金の曜日のこと。ところが、その日集まった九人いるはずの聖獣の守護聖達は何故か、八名。
真申し訳ない、と苦渋に満ちた表情で、実質的な聖獣の守護聖達の取りまとめ役である地の守護聖が頭を下げた。
その場にいなかった九人目は、当然というべきかどうか、首座の守護聖レオナードである。
実名は二日酔いという名の体調不良により、本日ここに来ることができなかったのだ。

「そなたが謝る必要は無い」

神鳥の堂々たる首座の守護聖はヴィクトールに向かいそう言ったが、この場にいないレオナードに対し怒り心頭であることは誰の目にも明らかだった。
普段より、どうみても自覚の足りない聖獣の光の守護聖に対し、この機会に存分に首座たる心構えを説こうとてぐすね引いて待っていただけに、その怒りも大きい。
しかも、同じサクリアを持った守護聖同志で色々な事柄を教えようとなった時、ひとり手の空いてしまったジュリアスに対し。

「…… 手持ち無沙汰のようだな」

と一言呟いて、クラヴィスがフランシスの担当をジュリアスに押し付けたからたまらない。

「クラヴィスっ!」
「…… 常々、光と闇は陛下の両翼であれ、首座と変わらぬと、おまえが言っているのではないか。なら、この聖獣の闇の守護聖に首座たる心構えでも説けばよかろう ……」
「それはそなたの為すべきことであろう、クラヴィス!」
「…… ほう?私にそれができる、と? …… ずいぶん、見込まれたものだ」

くつくつ笑うクラヴィスに、怒りここに極まれりといった風情のジュリアス。
おろおろし出すルヴァを横目に、オリヴィエが
「ヤカンのっけたら、お湯沸きそうだねぇ」
などと茶々を入れるものだからたまらない。
慌てて間に入るリュミエールとオスカー。
その様子を見て。

「炎の守護聖の役割に、光と闇のフォローも含まれてたら、かんべんやなあ。俺にできるやろか?」
「同感です。リュミエール様のようには、とても私には …… 」

そんな会話を交わす、聖獣の炎と水の守護聖の姿があった。

◇◆◇◆◇


ロザリアは大陸の北端にあるフェリシアの神殿に向いながら、そんな一昨日の出来事を思い出していた。そしてその騒ぎの原因となったレオナードの方へ向き直り、睨みつける。

「来週、ジュリアスがあなたのために時間を割くと言っているわ。先日のこと、きちんと謝ることね」

レオナードは間違いなくありがた迷惑といった風情で、顔をしかめる。
「真面目だねぇ。今日だって、ここに同行できなかったのは、お仕事だからだってぇ?ご苦労サマサマ、ってか。まあ、俺としちゃぁ、煩い小言が無い上に、あんたと二人ってんであり難い限りだがよ」
怒りで頬を染めて、ロザリアは反論しそうになる。

―― そうよ、ジュリアスは真面目。そして、とても不器用。

それこそが、彼の良いところでもある。それを、このように揶揄されて、黙ってはいたくなかった。
けれども、何もこの男に、彼の良いところを力説せずともいいではないか、と思い直す。
ふいと、彼から視線をそらすと黙ったままロザリアは歩調を速めた。
一方、怒って反論するだろうと予想していたレオナードは、肩透かしを食らった様子で、鼻の頭を人差し指で二、三掻いた後、あとは黙ってロザリアのあとに続いた。

◇◆◇◆◇

たどり着いた神殿で、ロザリアは一昨日と同じように、展示された様々な歴史資料を解説しながらサクリアの役割と大陸の発展について説明していった。
淡々と言葉を紡ぐその一方、先日八人の聖獣の守護聖達相手に説明した時も感じたことだが、僅かなひっかかりが彼女の心に生まれている。
この大陸の成り立ちを語ることは、いわば彼女自身の女王試験の過程を語ることに他ならなかった。

この大陸を愛していたし、その気持ちに偽りは無かったはずだ。
けれども。

『あなたはこの大陸をどのような想いで導いたのか』

もしも、彼らの中の誰かにそう問われたなら、自分はどう答えたらいいのだろうかと、彼女は考えていたのだ。

―― 強いて言うなら、安定して、繁栄した世界とでも表現すべき、か。

何故ならそれが試験に勝つための最善の道程であり、それこそが生まれたときから女王となるべくして育てられた自分が、為すべきことだと考えていたから。
でも、今ならわかる。
それは、間違ってはいないが、おそらくは正しくも無かったのだと。
事実、女王となったのは彼女の友人であり、彼女ではない。
もちろんロザリアはそのことを悔しいと思っているわけではなかった。
ただこの大陸に対して、かつて試験の勝ち負けなどという目的で接したことがひどく申し訳なくもあり、悔しくもあり。今ふたたび育成する機会が与えられたなら、今度はこの大陸に感じる愛しいという想いのみを注いで育成するだろうと感じたのだ。
けれども、『申し訳ない』などと感じることは逆に過去や今をフェリシアに精一杯生きる人々に対しての侮辱でしかないのだろう。

―― ジュリアスは。そんなわたくしのことなどお見通しだったのかもしれない。

試験中、幾度となく『何がそなたの育成に足りぬのか良く考えてみよ』そう言われた。
完璧だったと思っていた己の育成をそのように言われ落ち込んだが、今になってようやくその答えが見えた気がしたのだ。

―― 今更気づいても、もう遅い。

そんなもやもやとした思いを、妙に鋭く見抜くようなこの男に見透かされるのが嫌で、彼女は心持ち早口で語ってゆく。
レオナードは意外に大人しく、その話に耳を傾けていたようであったが、ふと窓の外の何かに気をとられたように足を止める。
ロザリアは、講義に飽きて何か別の興味の対象をみつけたのかと、彼の視線を追う。
そこには、神殿の裏庭で遊ぶ子供たちの姿があった。
彼女ははじめ不審に思ったが、すぐに先日セレスティアで出会ったときの風船の一件を思い出し、存外彼は子供がすきなのかもしれぬと考え直した。

「孤児院が、あるのか」

ロザリアは頷いた。事実、この神殿は、親を無くした子供たちが暮らす孤児院も兼ねている。
「あるわ。残念ながら、どんなに平和な世界だったとしても ―― 病や事故や災害が皆無なわけではないの」
そう言ってから、続けた言葉は、ずいぶん自虐的だと彼女は思った。

「幻滅、したかしら?」

言ってから何故そんな言葉を言ってしまったのか、彼女にはわからなかった。

「しねぇよ。感心してた」
「―― え?」
「あいつらの、表情みてみろ。卑屈なところがどこにもねぇ。あのなあ、言わせて貰うが、孤児院があって幻滅したか、って聞いたのは、何か?孤児院があっちゃいけねぇのか?親のいない子供がいることは悪いことなのかぁ?違げぇだろ、もしもそこに悪があるのなら、そういうことに対する ―― 偏見じゃぁねぇのかよ」

厳しい、意見だった。だが、黙って軽蔑するような眼差しをむけられるよりはその厳しさを受け止める方が彼女にとっては救いでもある。
「―― そうね、先ほどの言葉は失言でした。ごめんなさい。それと、ありがとう」
しばらく恥じ入ったように下を向いていたが己の過ちを認めて毅然と正面を向きそう言った彼女に対し、レオナードは頭をがしがし掻きながら
「いや、その、なんだぁ、あれだ、べつに ……」
と意味のないことを呟いた。
そして気まずさを隠すように、彼は大股で、広い部屋の奥に飾られている絵の前へと立つ。
普通の神殿なら、その位置には通常、女王像が飾られているべき場所だ。だが、そこにあったのは、女王候補時代の、ロザリアの肖像画だった。
今の彼女よりも少女らしさを残した、けれどもすべてを包み込むような眼差しが聖母のようでも在るその姿。
あたたかく広げられた両腕は、きっとこの大陸そのものをいだくためにあるに違いない。
この絵は彼女を描いたものだが、彼女そのものではない、とロザリアは思った。
フェリシアの人々の感謝が込められたいわば偶像のようなもの。
本当の己の姿はきっと、こんなに美しくも優しくも無いのだと。
けれども感心するように見上げていたレオナードが言う。
「ふうん、お前もここでは天使様ってか」
ロザリアはただ、微笑んだ。
「まるで、わたくしではないみたい。でも懐かしい、ですわ」

◇◆◇◆◇



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『あなたはこの大陸をどのような想いで導いたのか』そう訊ねる人物がいるとしたら、それは間違いなくティムカだ(笑)
というか、そういうシーンを書こうとして行き詰まり、結局削除してしまった。…… だって、なんだかティムロザみたいになっちゃったんだもん……<「故国に還る日」引きずり中