眠り姫

2) 出会い




休日のセレスティアは、行き交う人々で活気に溢れていた。
その人ごみにまぎれて重い紙袋をかかえながら、ロザリアは少し買いすぎてしまっただろうかと小さく溜息をつく。
次の土の曜日に開かれるお茶会のために、息抜きも兼ねて自分で買出しにきたまではいいものの、予想外の大きさに膨れ上がってしまった荷物に手を焼いているのだ。
とはいっても持てぬ重さでもない。
抱えた紙袋に少々視界の悪さを覚えつつも、やはり人を呼ぶほどでもなかろうと歩き出したそのときに、彼女はある人物の姿を見つけた。

豪奢な金の髪を太陽の光りに輝かせて。
まっすぐに歩く、その姿。

考える前に体が動いた。彼女は反射的に物影に隠れてしまったのだ。
そして隠れてから考えが至り苦笑する。

―― 何故、隠れたりしたのかしら。わたくしは。

見る限り、誰か連れがいる様子もなかったのに。
そこでロザリアは、ふたたび己に対して苦笑した。

―― 『誰か』だなんて。

そもそも彼が『誰か』とこっそり逢引をするはずもなく(そうであったなら逆に彼女としては安堵できると言うものだが)だから、今自分がこうして隠れる必要などどこにも無い。
同僚してごく自然にごきげんよう、とでも挨拶をすればいいことなのだ。
彼とて日々の息抜きとして時間のできた休日に、催されている絵画展でも見にきたついで、このあたりを散策しているというあたりが正解だろう。
紳士的な彼のことだ。
何か急ぎの用事でもなければ、彼女のこの状態をみて荷物を運ぶのに手を貸してくれるくらいのことはするだろうに。
それがわかっていながら思わず身を隠した理由とは、他でも無い。
結局は自分の気持ちの折り合いの問題なのだと、ロザリアは感じた。
あくまでも執務の上で、無機的な接触をしている分にはそれでいい。
けれども、プライベートな休日に偶然出会って会話でもして。
そこでかつて惹かれた、普段の厳しさの中から垣間見る、彼のふとした優しさにでも触れてしまったなら未練が深まるだけだ。

それだけなら、まだいい、と彼女は視線を落した。
落とした視線に触れた、歩道に敷かれたあかるい色合いのタイル細工の幾何学模様を、意味もなく目でなぞる。
その視界の隅を、かけてゆく子供等の足が掠めていった。

ひとつの、誘惑がロザリアの心にある。
想い合いながらも彼と自由に会うことのできない親友。
けれど対照的に、自分はいつだって、彼に近づくことができる。
近づき、ゆっくりと時間をかけたなら、心をこちらに向かせることも可能なのではないか。
心の奥でそんな囁きが聞こえるのだ。
本当はそんなに簡単に彼等の絆が崩れ去ると思っているわけではない。
だから、行動に移したところで実際にはありえないことなのかもしれないが、その誘惑に負ける自分というものを、彼女は決して許せなかった。
それとも、行動に移した挙句結局はこちらを向かせることのできない悔しさを味わいたくないだけかもしれぬ、と、心に浮かんだ自虐的な推論を持て余し、彼女は視線を上げた。
その視線の先。

先ほど傍らをかけていった子供たちが、広場の中心にいる露店の商人から風船を貰っていた。
その中のひとりが、お約束のように風船から手を離してしまい、紅い風船がふわふわと青い空へと上っていきそうになる。
既に自分からは届かない高さへと昇ってしまった風船に、少年が半べそをかく。
そこへ。

「なくんじゃねぇの、このガキんちょ」

そう言って、現れた長身の男性がひょいと伸びをして風船を掴み、少年へと手渡した。
「おっちゃんありがとう!」
「おにーさんと言いいやがれ、クソガキ!」
走り去る子供たちをそう罵った柄の悪い男は、それでも口の端に笑みを浮かべて彼らを見送る。
その男に、当然ロザリアは見覚えがあった。
聖獣の、首座の守護聖。
初めてその男に会ったとき、同じ力を司りながらどうしてこうも違うものかと、嫌悪と言った悪感情をいだく以前にあきれ果てた。
そして、その時から彼女の彼に対する評価は変わっていない。
あまりかかわりあいたくないという思いで、視線を逸らそうとしたそのとき、レオナードの鋭い瞳が彼女を捉えた。
それから口の端を上げてにやりと笑む。
その様子はひどく鄙野であり、どこか獣が獲物を見つけたかのような印象を与えて、その視線に曝されたことをロザリアはひどく不快に感じた。

「なに、隠れてんだぁ?」
そう言って、彼は片手を尻のポケットにいれたまま、向うからロザリアに近づいてくる。
「隠れてなど、いませんわ」
嫌悪感を表面に出すこともなく、かといって微笑を見せることもなく彼女は応じた。
男の、息が少々酒臭い。
昼間から飲んでいたのか、それとも、昨夜飲み明かしてこれから向うの聖地へ戻ると言うのが正解か。
そんなことを考えるロザリアに気づいているのかいないのか、彼は彼女の持っている大量な荷物に目をやった。

「大層なお買い物だねぇ、お姫様。もってさし上げましょうか、ってかぁ」
「あら、紳士的なところもありますのね。以外でしたわ」

言いながらも、荷物を任せる気はなく、彼女は差し出された手を無視した。
無視しながらも、先ほど、簡単に風船を掴んだ手。身長と同じで、ひどく大きな手だと、心の隅で考えてもいた。

「知らなかったのか、俺様は女にゃ優しいんだよ。別嬪なら尚更だ」
「貴方もご存じなくて?品のない男性が大嫌いですの。わたくし」

彼女がそっけなく帰る方向へと歩き出すと、レオナードは懲りずに軽口を叩きながらその横について来た。

「へえ、それは食わず嫌いっていうんじゃねぇの?どうよ、喜んで味見させてやるぜ」
「結構ですわ」

流石にロザリアは明らかな嫌悪の表情を浮かべて見せたが、レオナードのほうは動じていない様子だった。

「はっ、連れねぇな。ま、追々慣れてくるさ」
「ご冗談を」
「そう言うなって。ほらよ、荷物かせ。アッチの聖地まで送ってきゃいいんだろ?」

言うや否や彼は彼女の抱えていた荷物をひょいと持ち上げてすたすたと先を歩いてゆく。
荷物をとられてはついていかぬ訳にも行かず、ロザリアはしぶしぶとレオナードのあとを追いかけた。
しかし、彼の歩調は早く、というか、一見悠々と歩いているのだが、その身長ゆえに一歩が大きく、ロザリアは小走りにかけて彼に追いつくのが精一杯だ。

「少しは歩調をあわせてくださらない?追いつくのがやっとだわ」
「へぇ、隣を歩きたいのか、お姫様」

にやにやと笑う彼に、ロザリアはむきになって言った。

「なっ!そんなこと仰るなら歩調などあわせて下さらなくって結構ですわ!」

それでも、豪快な笑い声のあと。
彼の歩調が、彼女の踵の高い靴でも十分に追いつく速さへと変わったのにロザリアとて気づかなかったわけではないのだが。

―― 紳士的なところもありますのね。以外でしたわ。

先ほど皮肉を込めて言ったのと同じ言葉を、今度は正直な気持ちで、けれども当人には聞こえぬよう呟いた。

◇◆◇◆◇

神鳥の聖地へ到着し、レオナードは補佐官に与えられた屋敷の調理場へと荷物を置いた。

「―― 助かったわ。お茶を一緒に如何?」

あまり気が進まないという気持ちも無きにしも非ずだったか、それでもこのまま返しては非礼にあたるだろうし、実際の感謝の気持ちもあって彼女はそう声をかけた。
だがレオナードは片手をひらひらと振って、遠慮しとくわ、と言った。

「お上品に茶ぁ飲むのは性にあわねぇよ。酒なら別だが」

まぁっ、とまた呆れ果てものも言えぬ状態のロザリアに、ひとしきり豪快に笑って見せてから、ふ、と彼は笑みを消す。
そして言った。

「さっき、隠れてたのは俺からか。それとも ―― こっちの首座の守護聖サマからか?」

答えに窮したロザリアの様子をみて、彼はまたひらひらと手を振った。

「余計なこと聞いたな。わりぃ。じゃ、これで」

そして、またポケットに手を突っ込んで姿勢悪く去ってゆく男の後姿を見送りながら。
妙な鋭さを持った彼に、答えに窮したことで逆に答えを与えてしまったであろうことを彼女は自覚していた。

◇◆◇◆◇



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