続・「家の明かり」
オンブラ・マイ・フ
〜なつかしき木陰よ〜




Ombra mai fu
vegetabile
cara de amabile
soave piu
さざめく木陰よ
これほどまでに愛しく清らに
優しいものを
私は知らない
やわらかな、午後の日差しに、湖の水面がしずかに煌いている。
その湖の湖畔にひっそりと大樹がやさしくその枝をひろげ、涼やかな木陰をつくっていた。
その傍らに、ひとりの青年がたたずんでいる。 まばゆいまでの煌く黄金の髪、強い意志を宿した蒼穹の瞳。
けれど、かつての彼を知る人は、気付くかも知れない。
彼をとりまく気配が―――かつての近寄りがたい荘厳なそれが、どこか、穏やかな、やさしいものに変わっていることに。
まるで、みつめることも叶わぬ灼熱の太陽が、かさなりあう木々の葉を通って淡い緑をうつし込み、やさしい木漏れ日となるように。

「アンジェリークは、まだ、来ていないか」
まちあわせの大樹の下でジュリアスは、そう、ひとりごちた。
女王補佐官となった彼女は、まだ日も浅く、少し、仕事に手間取っているのだろう。
それでも、彼女はがんばっている。

どんなときも、笑顔を絶やさず、陛下を支えている。
愛しい人の、その笑顔を想うだけで、心がほんのりと、あたたかい気持ちになり、自然と笑みが零れた。

恋人同士のふたりの関係は、すでに聖地の人々の知る所である。
ただ、まだ、正式に結婚と言う形をとって共に暮らしている訳でもなく、だからといって人目を避けている訳でもないのだが、彼らのふたりきりの時間は、こうして森の湖で過ごすことが多かった。
もっとも他の守護聖たちはとっくにそのことに気付いていて、某炎の守護聖などは、その時間帯にうっかり宮殿の女官などを連れ込んで鉢合せしないよう、細心の注意をはらっている。
……らしい。
同僚達にばれていないと思っているのはジュリアスだけで、アンジェリークなどは茶飲みついでにあっけらかんと言う。
「ほら、あの方、いかにも照れ屋さんでしょう?気付かないフリ、しててくださいな。皆様。ね?」
それに応じて、短い黒髪の少年――任についたばかりの新しい闇の守護聖が言った。
「て、照れ屋さん、なんですか?でも、色々、親切に指導していただいて……
ほんとに、ほんとうに感謝しているんです。」
彼が聖地に来た時、前任の闇の守護聖はすでにこの地にいなかった。必然的にジュリアスがこの少年に色々と教えることになる。

夢の守護聖がきゃらきゃら笑いながら、言う。
「あんたたち、仲良くやってちょうだいねぇ〜。あ、あんまり、仲良くても、いままでの固定観念があって不気味だけどさあ。ねえ?」
会話をふられた水の守護聖がハープをつま弾きながらやさしく微笑む。
「……あの方々は、けして仲が悪かったわけではないと思うのです。きっと。そうお思いになりませんか?」
炎の守護聖は、黙って苦笑した。
そんな仲間達の様子に、そして地の守護聖はお茶をすすりながら、おっとりと言う。
「あー、そうですね。そうだと、思いますよ。私も。」
「喉元過ぎれば……ってやつじゃねえの?」
鋼の守護聖が椅子に片膝をたてて行儀悪くすわりながら、悪態をつく。
けれど、人の心に敏感なこの少年は気付いているのだ。
突然訪れた別れ。
聖地の誰もがが皆、寂しいと思っている。
いつも傍で付き慕っていた水の守護聖はもちろんのこと、年少の自分達、おちゃらけてる夢の守護聖、黙ってる炎の守護聖、理解し合える同僚だった地の守護聖。
そして。
そして、誰よりも長い時を共に過ごしたであろう光の守護聖も。
でもよ……。
緑の守護聖より幼い黒髪の少年を見て、彼はは言葉にできない、悲しみや、寂しさ以外のやさしい何かを感じている。
それはたぶん、この別れが新しい出会いと(つい)になっているということ。
そして、どんな場所にいてもそれは同じで、星の廻りの中にあるための(ことわり)だということ。
それらを、理解し、うけいれつつあるときの……不思議な感情なのだ。


ここの景色はかわらぬな。
ジュリアスはひとり思う。
湖の大樹は、昔から、やはり生い茂り、訪れるひとにやさしい木陰を提供していた。
大樹の幹にもたれかかり、風に波をゆらりゆらりたてながら煌く水面をみつめるうちに、いつしか浅いまどろみが彼を訪れていた。


6才ほどの少年がいる。
黄金の髪、蒼穹の瞳
これは、私か?
そして、もう一人、同じ年頃の少年。
黒髪に、紫水晶の瞳……

どうやらふたりは、湖の大樹に登ろうとしているらしい。
しかし、いくら挑戦してみても、幼い少年達が登るのに、木は大きすぎたようだ。

「まだ、我らの身長ではのぼれまい」
負けん気の強そうな金の髪の少年が悔しそうに言う。
「そう?じゃあ、大きくなったら、また、ためしてみよう……」
おだやかに笑う、黒髪の少年

「では、約束だな」 「うん、約束」

――――約束――――

ふたりは、そういって微笑みあうと、大樹の幹にもたれかかる。
風に波をゆらりゆらりたてながら煌く水面をみつめるうちに、いつしか浅いまどろみが彼らを訪れた。

ス……
ジュリアス……

私を呼ぶ、いとしく、やさしい声。
聖地の森の守主、湖の大樹よ。
呼びかけるのはそなたか?
幼き日からずっと、そなたは私を見てきたのだな。
そして。
あの者のことも。
今、あの者は、この聖地の外で、いったい何をしているのだろう……。
不思議なものだ。
今になって、私はあの者を理解しはじめている。
だが、側に居れば……また、小言を言ってしまうのだろうな。
そしてあの者も変わらずに――


「ジュリアス様!」
夢とも現とも判らないでいた声が、ふいに、はっきりと聞こえた。


Ombra mai fu
vegetabile
cara de amabile
soave piu


    さざめく木陰よ
これほどまでに愛しく清らに
優しいものを
私は知らない


「アンジェリーク……」
大樹の声、か。確かに彼女の与える優しさは、この大樹にも似ている……。
ジュリアスは、ふと、笑みをこぼす。
「何をお笑いになってるんですか?こんなところで、うたた寝て、風邪をおひきにでもなったら……」
「そうだな、職務に差し障りがあるな」
アンジェリークは、じわりと瞳を潤ませてジュリアスをめねつける。
「そうじゃなくて、私が、心配するでしょう?職務でなく『私の為に』気をつけてくださいっ!」
わかった、と、苦笑して、ジュリアスは天使の髪をやさしくなぜる。
「約束に、おくれてしまって、ごめんなさい」
謝るアンジェリーク。
「いや、そなたは、必ず来るとわかっていたからな。」

だから、待っていた。
あの遠い日……この目の前の少女と同じ名の少女を待っていたクラヴィスのように。

ジュリアスは、ふいに、まじめな顔になる。
「そなたを待つ間、夢を見ていた。古い、夢だ。あれと、ふたり、この大樹の木陰で遊んだ時の……」
そうですか。と、アンジェリークはちいさく応じて想う。
このひとが言う『あれ』は、一人しかいない……。
「夢の中で我らは、まだ幼く、いずれ背が伸びたらその時にこそこの木に、登ろうと、そう約束をしていた」
背は、伸びすぎるほど伸びたのだがな。ふたりとも。
そう考えると、ふいに可笑しさと……ことばにできない痛みにも似た感情がこみあげる。
「楽しい、夢だったのですね」
ジュリアスの気持ちを察したようにアンジェリークは言った。

好きとか、嫌いとか。
友情とか、愛情とか。
憎しみとか、悲しみとか。

私の知っている言葉では表せないなにかが、ふたりのあいだに有って、それと気付く前に訪れた永遠の別れ。 それに、この人はひどく戸惑い、傷ついている。
でも。
と、アンジェリークは思う。
その約束は果たされなかったからこそ、この先も永久にふたりを繋げるやさしい絆となるのだと。

「楽しい、夢か。そうだな」
この場所のあの者との想い出は、他にももう一つ有ると言うのに。
なぜ、あんなにも古い事をわざわざ思い出したものか。
今、この上ない幸せの上にある自分。
けれど、あの懐かしい日々もまた、けして戻ることのない、別の幸せの形であった。
やはり、大樹よ、そなたが私に夢をみせたのだな。

「クラヴィスは、どうしているであろうな」

彼は、ようやくその名を口にする。
試験終了直前にアンジェリークと想いを伝え合い、女王と同僚に、決意を伝えに行ったあのとき。
こうも、すんなりとふたりの想いが受け入れられるとは思ってもいなかった。
後に、クラヴィスのあらかじめの根回しがあったことを彼は知ったのだが。

礼を言う暇も与えずに、突然、聖地を去りおってっ!あの男はっっ!!

ふいに胸にあふれる、別れへの悲しみとしか思えない感情を、怒りにすりかえる。

「私、思うんです。クラヴィス様は、きっと聖地の外で、先の女王陛下……アンジェリーク様と再会なさったんじゃないか、って」
ジュリアスが目をみひらいてとなりの天使をみる。
「アンジェリーク、そなた……?」
彼女は、何故、知っているのだろう?
私がかつて、この手で、この場所で、打ち砕いた、あの悲しい恋のことを。

「なんとなく、そうかな、って。以前、月のない夜に飛空都市の森の湖でひとりたたずむあの方を見た時から」
言いながら、彼女は大樹の幹に触れる。
「私に気付いて、とても、驚いた様子で……そして、次の瞬間、とても辛そうな顔をなさいました」
きっと、御自分では、気付いていらっしゃらなかったのでしょうね……
まるで、流れ出る血を抑えながら痛みに耐えているような、そんな表情……
「その時、思ったんです。
―――ああ、この方も、辛い恋をしたことがあるんだ、って」
ジュリアスは、つい気になり尋ねる。
「このかた『も』?」
愛しい人のその反応に、なんとも、微笑ましい気持ちになって、新米女王補佐官は答える。
「ええ。だって、私も、恋をしていましたから」
アンジェリークはジュリアスをみあげた。
『女王候補として許されない、恋を。』
瞳が言う。
『そう、あなたに…』

いつのまにか傾き始めていた太陽。
群青に推移しつつある空を映して微かに煌く水面。
夕映えに伸びたふたりの長い影が、そっと、ひとつに重なる。
森の大樹が、風にざわめく

遠くはなれたどこかにいる、かつての少年も、このざわめきを聞いているかもしれない。
その腕に、再びめぐりあった愛しい人をいだいているかもしれない。
大樹はざわめく。
まるで、ふたつの恋に、やさしく、微笑むかのように……
Ombra mai fu
vegetabile
cara de amabile
soave piu
Ombra mai fu
Ombra mai fu
……


           

(ヘンデルのラルゴ/オペラ『セルセ』〜Ombra mai fu〜より)
 

〜Fin



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