鼻と靴底と手袋と(4)

◇◆◇◆◇

【4】手袋の中の暗闇(3)


白亜宮の惑星の宇宙ステーションに自家用船で下り立つと、既に迎えのエアカーが回されていた。次期国王からの直々のお招きだったわけだから当然なのかも知れないが、ずいぶんな賓客扱いである。
せっかく風光明媚と名高い惑星に来たのだ、本当ならば自分の足であちこち見回ってみたいと思っていた。が、流石に王宮からの迎えを断るのは失礼に当たるだろう。私はおとなしく車に乗り込んだ。
行き先は星都の南東、海を望む位置に立つ、離宮らしい。
宿泊場所が用意されているのはあらかじめ聞いていたが、御用達のホテルがあるのだろとばかり思っていた。まさか宮殿に部屋が用意されるとは。
移動途中に見た風景は素晴らしいものだった。 海を見たことがないわけではないが、これほどに青く輝く南国の海をじかに見るのは初めてである。
車から降りて、裸足であの海に飛び込みたい。浮き具に乗って、ゆらゆらと波に揺られてみたい。思わず座席から腰を浮かせて子供のように興奮しそうになるのを押さえるのは、なかなか苦労した。
それでも私の表情の変化に、使わされた案内の者は気付いたのだろう。故国を愛するゆえの誇らしげな笑顔で、美しい海でしょう、そう言った。
私は落ち着きをはらった大人の態度を装い頷いて、
「我が社のリゾート事業の候補地として、いままさにチェックを入れたところですよ。はは」
などと、気取ってみたりした。

◇◆◇◆◇

ちいさな声で歌う声がする。
―― 聞いた事のない、曲だな。
窓辺の椅子に腰掛けていた伯母は、申し訳なさそうに私の方を見た。
―― うるさくしてしまったかしら?
私は首を振る。ここのところ、気分優れずにあまり本も読みすすめてはいなかった。
今も、軽い頭痛のするこめかみをいじりながら、ぼんやりと外の風景を見ていたところなのだ。
季節の変わり目に、たまたま体調を崩しただけなのだろうとは思う。けれども比喩的な意味での頭痛の種なら山積だ。
父の友人から連絡を貰った後、積極的に事業の内容を確認するようになっていた。
むろん、自分が素人なのは自覚している。それでも明らかにおかしい金の流れを見つけ、黙っておいておくわけにはいかない。
だが、そんな自分を親族達はきっと疎んじているのだろう。
そう思うと自分の家に戻る計画も無意識のうちに延ばし延ばしにしてしまう。
けれどもいつかは戦わなければいけない。一歩前にでるための強さが、欲しい。
―― かまわないよ。なんていう歌?
目の端に、いつもの硝子張りの温室。
きらりと赤く光ったのは、太陽の反射か。
―― 曲名は知らないのよ。でも、母が良く歌っていた。母の故郷の、白蓮峰という星の歌。

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離宮に到着し、客室に案内される。
王族が使う内宮殿とは内苑を挟んで対称形に作られた外宮殿。その外宮殿の一角、海をすぐに望める一階の部屋である。
後で絶対あの海で遊んでやろう、と、車の中で果たせなかった野望を心に秘めつつ、私は部屋をぐるりと見渡した。
豪奢なものにはそれなりになじみがある。が、やはり金だけかけて作った新しいリゾートホテルとは違う重厚さ溢れる室内。今後『王室風ラグジュアリープラン』などと言う企画の参考にでもならないだろうかと、思わず見て回ってしまう。
なんだかんだ言って、私も根っからの商売人らしい。
そのようにして室内をふらふらしていると、この国のそれなりに重役についているであろう、初老の男が訊ねてきた。彼は、名をアージと名乗った。王室に古くから使える側近、といったところのようだ。
一通りの挨拶、祝辞、謝辞の後に、彼は申し訳なさそうに言う。
「カムラン殿下は、直々にお会いして話せないのを申し訳ないと仰せでした」
「もったいないお言葉です。お忙しいのは重々承知、お気になさらぬようにと、お伝えください」
ぎりぎりの日程で来たのは、私の都合でもあったのだ。 食事の問題もあったが、それ以外にも。本当なら、明日まで主星に留まりたかったが、それでは即位式に間に合わない。
どのみち彼とても即位式を翌日に控えて、私に対面している時間はあるまい。
「それどころか、このように宮殿内に部屋まで用意していただきかえって恐縮です」
「いえいえ、ティムカ様のご在位中にも、こうやってよくお友達が見えたものです」
言いながら、彼がひどく懐かしむような表情をした。
そのこと自体は、仕方のないことなのかもしれぬし、私自身、遠くへ行った友人を思い似たような表情をすることもあるかもしれない。
だがこの時、私の中に言いようのない不安が生まれた。
「カムラン様は…… いえ、あの失踪事件の際、いったい何があったのでしょうか。随分、落ち着かれたような気がします。セティンバー殿、あなたが何か、話してくださったのですか」
「いいえ、得には、何も」
私は短く切り上げた。
不審に思った様子もなく、彼は礼をして部屋から出て行った。
明るい日に燦めく海を、籐で編んだ椅子に座り眺めながら。客の前で先代国王の時代を懐かしそうに話す側近の姿について考える。
この国の、小さなひび割れ。
例えば歴史ある建築物の古く太い柱に入った亀裂は、長い月日を思わせてかえってその風格を増す時がある。が、時に柱そのものを崩壊させるきっかけともなるだろう。
たった今私が垣間見た『それ』は、いずれどうなる可能性を秘めているのか。
軽く首を振って、気持ちを無理矢理切り替えた。現時点では想像の上をいくわけもなく、わかったところで私には何も出来ぬことだ。今はただ、少年の現在を祝福するとしよう。

◇◆◇◆◇

即位式は盛大かつ荘厳に執り行われた。
白亜の王侯貴族、主星域惑星連合政府の要職の面々、その他連合に属さない独立した星々の首脳、あるいは王族。そういった錚々たる顔ぶれの中で、私は流石に後ろの方の席で渦中の少年を見守っていた。
何かしくじりはしないだろうか、などというまるで親のような私の心配をよそに、彼は堂々と式に挑んでいる。
神官と王以外は入ることの出来ない神殿で、禊ぎと啓示とを受けて再び我らの前に姿を現した後、少年の父である先々代の国王が王冠を彼の頭に載せたときは、思わず感動で胸が震えたものだ。
その後、白亜の民の忠誠と心と命とに例えられる剣と玉と鏡が王に引き継がれ、即位の御宣言(みことのり)が下された。
一通りの儀式が済み、玉座へと登った彼の前で祝辞の紹介がされる。大臣が参列者の名を読み上げた。
だいたいは仕事がらみで付き合いがあって名を知る惑星であったが、それ意外にも、あまり他国とは交流しないような惑星からの参列者があるようなのは流石としか言いようがない。
遠く辺境にあるという龍族の惑星、そして白蓮峰の惑星からも。
今日まさにこの日、この惑星の名を聞くというのはいかなる因縁だろう。
だが、そういえば確か白蓮峰は長らくあった内乱を超えて、前年新たな王が立ち、従来の閉鎖的な国策をがらりと変えたのだったか。
大々的な外資系企業の受け入れも行い、経済的にも変化があったはずだ。
ごく個人的な事情で、あまり良い印象の無かった星だが、外資系企業受け入れの情報が流れた後、わざわざチャールズが連絡を寄越してきたことがある。

―― めずらしい。セティンバーは入札に参加しとらへんのな。
彼の方から連絡してくることの方が、よほど珍しいことだと言うのに。
自分と白蓮峰の些細な因縁を知られたくなくて、私はわざと彼が嫌がるような物言いをする。
―― たまたま、気が向かなかっただけだよ、チャールズ。
   それとも僕が参加していないと、そんなに寂しいのか。仕方ないな。
―― ちゃ、ちゃうで!ちゃうで!そんなんやないで!
―― 相変わらず素直じゃないな、チャールズ。
―― うっわ、このガキなに言いくさる。気色悪るうてたまらん。
―― まあいい。これまで鎖国していたような前時代的な国に手を出そうとは思わないだけだ。
―― あんな、色々問題あったけど、もうヘンなこと起きひん、クリーンな国やで。
   国継いだ姫さんも別嬪やし。

確か、そんなことを言っていた。そうか、美人なのか。この件については単純に男としての興味がある。首をこっそり伸ばし、それらしい人影を探してみた。そして、愕然とする。
いや、白蓮峰の女王とやらが何処にいるかはさっぱりわからなかったのだが、丁度自分とは広間を挟んだ反対側、やはり同じような後ろの席に座るその人を見つけてしまったのだ。
マ、マーガレット!
思わず小声で口にしてしまい、慌てて首を引っ込める。
私がセティンバー財閥の代表者という立場ならば、あちらはきっとウォン財閥代表者なのだろう。ここにいること自体は決して不思議ではない。だが。
少年のいたずらっぽい笑みを思い出していた。
―― かえって地雷になるかもしれないから。その時は、恨まないでね。うふふ
これがその"贈り物"あるいは"地雷"というわけか。

私はちょっとだけ、泣きたい気持ちになった。
色んな意味で。

◇◆◇◆◇

おそらく白亜宮では即位式後の盛大な晩餐会が開かれている頃だろう。一方 私は離宮に戻り、こちらで開かれている主星様式の少しだけ気軽な祝賀パーティに出席していた。
新国王は時間があればこちらにも顔を出してくれる予定になってはいるが、この場ではゆっくりと話す事も出来ないだろう。ならば、早々と切り上げるべきか、否か。私は頭を悩ませている。
悩む理由はもちろん、マーガレット。
この広い会場のどこかに、きっと彼女もいる。
その一方で実は今日一日、私は食事を取る機会を逸していた。この場でもちろん食事は提供されているが、それを食べることは私には出来ない。 思い起こせば昨日も慌ただしさの中で軽く一食取っただけである。常夏の気候の国で、水すら取らずにこれ以上いるのは流石に辛い。
さっさと部屋に戻って、食事をして寝てしまおう。
しかし踵を返したろこで、後ろ髪引かれるような思いがして、立ち止まる。
せっかく少年が用意してくれた機会である。無駄にするのも申し訳ないし、惜しい気がする。
だがしかし、マーガレットに会っていったい何を話せばいいと言うのだ。やはり部屋へ戻ろう。
いやいや、だがだがしかし。話さず帰ったら次に会えるのはいったいいつだ?
踵を返したり戻ったり、うろうろ、うだうだと考えていたとき。
「みつけた、マコやん」
…… 見つけられてしまった。
今この宇宙で、私をマコやんと呼ぶ人物は二人しかいない。そのうち一人は今、宮殿で晩餐会の真っ最中である。それ以前にそもそもかけられた声が女性だ。
私は一瞬のうちに、平静を装って振り返る。ついでに少しばかり格好をつけて、はらりと前髪をかきあげてみたり。
「やあ、マーガレット・ウォン、君も来ていたとはね」
まっすぐ正面に目に入った彼女は、素晴らしく美しかった。昼間の正装よりもさらに華やかなドレス姿。大きく空いた胸元と、綺麗にまとめた髪と、耳とに、揃いの真珠の飾りを付けている。
今日はしっかりと上げ底の靴を履いているため、私とハイヒールの彼女の身長差は、およそ8cm。15cmには届かないが、まずまずといったところではないだろうか。
ここは、綺麗だ、くらい言っても許されるだろうか?何かいい言い回しはないだろうか?凄まじい勢いで頭の中を駆けめぐるものがあったが、結局口に出来たのは
「その、よく似合ってる。ドレスも、真珠も」
という中途半端なものだった。
彼女は噴出して、
「あなたもそういう台詞言うようになったのね」
などという。それから彼女はすこしだけ首をかしげて、私の顔を見ていた。と、ふっと力を抜くように肩を下げて、微笑む。
「案外元気そうで、安心したわ」
「ああ」
どうやら、この会話を以て、私たちの十年ぶりの再会の仕切り直しは、終了したようだ。
どちらからともなく、近くにある腰掛けまで移動する。途中給仕に飲み物を勧められ、マーガレットはワインと軽食を取り、私は受け取らず断った。空腹を通り越して、若干気分が悪いが仕方がない。
私は恐る恐る、先日のことを怒っていないのかと聞いてみる。やぶ蛇にならないよう、祈りながら。彼女は片方の眉を上げてふふん、と意味ありげに鼻を鳴らした。
「実はね、この国の王子様から、あ、もう王様よね。その彼から直々に連絡貰っちゃったわ」
なんと、少年は私が彼を助けた経緯を自ら説明したのだという。
「もう怒ってないわ。でも誤解させるような物言いしたあなたにも責任在るんだから、謝る気もないけどね」
怒っていないだけで、十分だった。
「立派な即位式だったわね」
感慨深げに彼女は言った。説明のなかに、もしかしたら、少年の兄の話も含まれていたのかも知れない。本来国家機密だろうが、考えてみればマーガレットも少年と同じ立場の"遺族"なのだ。
「ああ、そうだな」
「七歳、か」
小さな呟きからは、今後のウォンとしての商売のしやすさなどではなく、彼女らしい優しさで、幼い新王を気にかけているだろうことが伝わってきた。
「ま、跡継ぎの総領息子が突然いなくなったのは、ウチも一緒だけれどね」
チャールズには弟もいる。当然彼がチャールズの後を継いだのだろう。
「弟くんは元気か」
「ええ。まあ」
曖昧な言い方に、おそらくは兄の不在による家業の引き継ぎで、大なり小なりの悶着があったろう事が想像できた。
少し顔を曇らせた私に気付いたのだろう。マーガレットは笑顔を見せる。
「でも、あの子もいい年の大人だからね。色々思い悩むこともあるだろうけど、きっと大丈夫よ」
他人事の気軽さから出た言葉ではなく、家族への深い愛情と信頼の上での言葉だろう。嫉妬に似た羨ましさを感じながらも、変わらぬ彼女と彼女の家族の暖かさが、嬉しかった。
「私ももうじき卒業だし。せっかく長々と経済学やってきたんだもの、弟のサポートには丁度良いわ、きっと」
「そうか、君は経済学を学んでいたんだな」
マーガレットはワインを口に運び、頷いた。
「元々ね、数学が好きだったの。だから数学を専攻しようと思ったんだけど、当時のボーイフレンドに"数学?そんな役に立たない学問なんかやるのかい?"とか言われて頭きてね。数学の知識が必要でなおかつ役に立つ経済選んでやったのよ」
ボーイフレンドという言葉に心が痛んだ。無論、嫉妬もあったろうが、それ以上に。
自分が部屋の中で過ごした十年の間、彼女は彼女の人生を歩み、彼女なりの新しい人間関係を築いてきたのだという事実をひどく重く感じたのだ。 同い年の私達。けれども、年齢以上に、身長以上に。我々の間に横たわる落差は大きいのではないのか。
「その彼氏のために、経済に変えたということか?」
「違うわよ、そいつとはその場でゲンコで殴って別れたわよ」
平手打ちなら何度か食らったが、次はゲンコにならないよう、気をつけようと思った。
マーガレットは今思い出しても頭に来る、とばかりワインを空けて二杯目を手に取る。
「経済にしたのはね、家業の役に立つかなって、思ったのよ。得に以前は兄貴も、頭で理解してても家業を継ぐの潔く納得できてないふしもあったしね」
そう、だったのか。
チャールズの思い悩むような姿は見たことがなかったから、意外にも思えたが、そういった内側を容易に見せぬとろもある意味彼らしい。
「でも、なんだろう。三年前かな、その迷いが吹っ切れたような次期があって。だから、私も遠慮無く院に進んで、未だ学生をやってるってわけ。その兄貴が居なくなるとは流石に思ってなかったけど、もうじき卒業だから弟のこと手伝うわ。ふふ、私ね、ほんまに数字とかグラフとか好きなんよ」
最後の方、少しだけ商業惑星弁になったことをほほえましく思いつつ、彼女の潔さがひどく愛おしかった。彼女に限らず、ウォン家の人々に共通するのかも知れないが、限られた道行きの中で、彼らは最大限にその旅路を楽しむ術を見いだそうとする。
マーガレットの頬は、酒のせいだろうか、ほんのりと上気していてとても美しい。少し暑さを感じたらしく、ぱたぱたと手で仰いで(せっかく持っている優雅な扇は彼女にとって飾りのようだ)、私を見た。
「マコやん、手袋までぎっちり着込んで、暑くないの?」
私は曖昧に頷いた。正直に言ってしまうなら、暑い。少し、眩暈がするほどに。
「それにあなた、さっきから何も口にしてないわよね。調子でも悪いの?なんだか、顔色が」
「いや、単に偏食が激しいんだ」
彼女が怪訝な顔をしたのがわかった。
昔からのつきあいだ。幾度も彼女の家族の焼き肉パーティだのお好み焼きパーティだのに参加したことがある。
その際に、得に好き嫌いもなく食べていた自分を知る彼女なら、当然だった。
何か言い訳をしようとしても、うまく頭が回らない。胸のあたりに、不快感も感じる。
でもだめだ。彼女には話せない。彼女にだけは。
「すまないが、先に失礼す ―― 」
勢いよく立ち上がった時に強い眩暈が襲った。
天井と床が逆転し、彼女が私の名を呼ぶ声が、遠く聞こえた。


ああ、まとわりつくような、甘い、花の香りがする。

◇◆◇◆◇

寝台に寝かされた自分を、伯母が私を心配そうに見ている。腕には点滴の針が刺さっていた。
もうずっと、長いこと床についたままだ。

―― 伯母様、僕、いったい何の病気だろう?
―― 大丈夫、きっとすぐ良くなるわ。
―― うん、そうだね。迷惑かけて、ごめんなさい。
―― 迷惑だなんて。ずっと、この家にいていいのよ

「ずっと、この家に」

ひどい眩暈で回転する天井。重く動かない体を抱えて、反対に妙に冴えた精神の端が、この屋敷を包むゆがみを曖昧ながらも確実に捉えていた。
甘い香りがした。あの白い花のにおい。まとわりついて、逃れられない。
涙が浮かび目の端から零れて枕を濡らしたが、自分ではぬぐうことすら出来ない。
じわりと心を蝕んでゆく恐怖の先で、僕は幾度手紙を出しても返事の来ない友人の名を思った。

―― 助けて、チャールズ。

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即位の儀式、どうしたもんかと悩んだ末によりにもよって、三種の神器。
2009/03/20 佳月