鏡の中の故郷
(5)



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国王だったティムカが、ただのティムカであった時間はほんのわずかの間にすぎず、肩書きの無い自分を惜しむ間もなく、彼は新米の守護聖となった。
チャールズ ―― チャーリーは聖地入りしたばかりのティムカを見つけると、軽く片手をあげて歩み寄る。
「やあ、ティムカちゃん、また会うたな。おっと、これからはティムカって呼ぶことになるんやて。なんや、みんな新米同志やから敬称無くして呼び捨てでいくらしいで。ティムカちゃんもチャーリさんでのうて、チャーリーって呼んでや。最年長のヴィクトールだってヴィクトールや。ヴィクトールさんでもヴィクトール様でもないんやで。なんや、畏れ多いなぁ。あー、でも首座は全然恐れ多くないから大丈夫や。ソッコで呼び捨てしたくなる折り紙つきや」
矢継ぎ早に言うだけ言っておどけてみせた。
聖地で再開した友人達は皆、こんな風に相変わらずだ。
その相変わらずさが、なんとなく自分もここでやっていけるのではないかという勇気を与えてくれた。
顔見知りの5名以外の守護聖達は、仲良くなれそうな者もいれば、仲良くやっていこうと思えばできそうな者も、そして仲良くやろうと思っても無駄そうな者もいる。なるほど、これがチャーリーに『全然恐れ多くない』と言わしめる所以か、とティムカは納得した。

着任早々、守護聖が九人そろったことにより ―― ティムカの拝命は一番最後だったのだ ―― 最後にして最大の試練が発生した。
石版の精霊が行方不明となり、捜索の結果、宇宙のとある領域でサクリアの精霊の結合体にとらわれているのがわかったのだ。
エトワールの任務の最大の相棒であった彼を失い、エンジュの不安や悲しみはいかばかりか。
ティムカは自分のできることであれば、何でも彼女の力になりたいと思っていたが、故郷を去る日のやり取り以降、職務に関係すること以外で親しく話す切欠を作れずにいる彼には難しい事だった。
ましてや、ここには彼女を同じように支えてやりたいと思う人間が、他に八人。あるいはそれ以上、いる。
今更自分に何ができよう。
結局、嫌な役割を押し付けたことを謝罪する機会を伺う間もなく、エトワールはひたむきに試練を乗り越え、無事危機は去っていった。

こんな風に、めまぐるしく展開してゆく日々が徐々に落ち着きつつあった、ある日のことだ。
書類を届けようとエルンストの執務室を尋ねる途中、正殿の階段前を通りかかった。そこでティムカは階段裏で居眠りをしている首座の守護聖を見つけたのだ。
彼の破天荒ぶりはこれまでの経験で十分承知していたから別段驚きはしなかったが、その不真面目な態度に自然と表情が厳しくならざるをえない。
なるべく平静を装いながら、ティムカはレオナードに声を掛ける。
「執務時間中ですよ、レオナード。今あなたがやるべきことはここでの昼寝ではないはずです」
さして深い眠りだったわけではないのだろう。目を開けたレオナードがじろりとティムカの方を見上げた。
「うっせえな。オレ様が大丈夫だと判断してここに居んだよ、ごちゃごちゃ言うな」
そういわれて、そうですか、と言えるわけも無い。
「ですが、あなたがするべきは」
「だから、うるせえっつうの。おいティムカ、お前にちょっと聞いてみてえんだが、お前にとって、やりたいことって何だ。やるべきこと、じゃねえぞ。やりたいことだ」
「そんなのは ――」
決まっている、筈だった。これまでの十六年間、ティムカにとってやるべきことが即ちやりたいことだったのだから。
けれども今、やりたいことは何かと問われ、言葉に詰まる自分がいる。
言葉を継げずにいるティムカを見やり、レオナードは面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らすと再び目を閉じた。もう、彼に声を掛ける勇気は無かった。おとなしくその場を去り、ティムカは当初の目的であるエルンストの執務室へと向かった。

◇◆◇◆◇


書類を渡し、必要事項を伝えて部屋を出る段になって、エルンストが言う。
「エトワールの試練が完了し、この宇宙もだいぶ落ち着いてきましたね。今頂いたデータがそう言っています」
そしてこう付け加える。
「私もやっと、皆を呼び捨てにすることに馴れてきましたよ。ティムカ」
ティムカは苦笑して応じた。
「私などは、まだ気を抜くと忘れてしまいそうで。エルンスト。ほら、呼んだ後にどうしても『さん』をつけたくてもぞもぞしてしまいます」
エルンストは何かを思い出したかのように軽く笑う。
「あなただけではないようですから、大丈夫。メルも時々、さん付けで私を呼んでは、慌てて言い直しています。過去三年間の付き合いを振り返れば、それも悪いことではないのでしょう」
三年前、女王試験の際に召集されて神鳥の聖地で出会った人々。その中のエルンストは、眼鏡の奥の硬質な目の鋭さが当時の自分に近づきがたい印象を与えていた。けれども次第に知れた人柄やエルンストと早々に打ち解けたメルの影響もあって、今や信頼のおける大切な仲間だ。
ましてや首座が執務中に昼寝をするような環境であれば、やるべきことをやるのは当然、という認識を持つヴィクトールや彼のような大人がいるのは頼もしい。
「エルンストは、変わりませんね」
エルンストはそうでしょうか、と少しだけ考えてから頷いた。
「そうかもしれませんね。今も昔も、この宇宙に対して捧げる情熱は、変わっていないつもりです」
「やるべきことが、やりたいこと、という感じですか?」
「ああ、そういわれれば」
エルンストは笑みを浮かべた。
「そうかもしれませんね」

◇◆◇◆◇


エルンストの執務室を辞し、扉を後ろ手で閉めてから、寄りかかる。幾つかの言葉が、ティムカの中に浮かんで消えた。
レオナードの言葉、エルンストの言葉。そして、母の言葉。
『心を傾けられる夢をみつけなさい』
自分にとって、夢とはなんであるのか。これまで、王という器に沿うように、己の(かたち)を変えるような生き方をしてきた。ならば、これからは守護聖という器に沿うように、己を変えていくべきなのだと思っていたが。
―― ああ、まただ。
ティムカは自分が、また『べき』という言葉を使っていることに気がついた。だからこれはきっと、夢でもやりたいことでもない。
今まで自分のたどり着きたい場所は遙か高みにあり、道のりは険しく長くとも、まっすぐに伸びた階段の先にあった。しかし、半ばまで登っていたその階段から転落し、今は霧の立ち込める広い広い草原の真ん中にいる。
道に迷っているのは知っている。けれども、目的地がどこなのかすら、自分は知らない。

俯いたまま、動けずにどれだけそこにいただろう。すぐそばの扉が開く音がして、顔を向けると同時に、顔を出したメルと視線があった。
彼はちょうどよかった、と笑顔を見せた。
「お茶にでも誘おうかと思ってたところなんだ。時間はある?ティムカ」
休憩の時間には少しばかり早かったが、ここでそれを言うのはあまりに無粋というものだ。ありがたく招待を受けることにした。
暖かいミルクティを淹れてもらい、一息ついたところで、メルが聞いてきた。
「さっき、何か考え事してたみたいだけど、エルンストさんと何かあったの?」
ティムカともエルンストとも親しくしているメルからすれば、この心配は当然だろう。ティムカは首を振って否定した。
それにしても。ティムカは少しだけ微笑んだ。本当だ、こうして時折うっかりさん付けをしてしまうのだろう。
「違うのです。エルンストと話した他愛も無い話から、心を傾けられる夢、とはどんなものなのか考えてしまって。メルだったら、どう思いますか?あっ、その、メルが夢の守護聖だからこんなことを聞くわけではなくて」
メルはきょとん、としてからすぐに破顔した。
「わかってるよ。友達として、聞いてくれたんでしょう?」
そうだなあ、とメルは思案顔になる。
「僕の場合は、早く大人になりたいって思ってたな。女の子に間違えられてばかりいたから。早く背も伸びて、大人の男になりたいって。今、背は十分伸びたけど、中身はあまり成長できなくて。だから、これからは中身も大人になれるよう、頑張ろうって思っているところ。なんだか、夢って言うより目標かな」
僅かな思案をしただけで、こうして語れる友人がうらやましく思える。ティムカは俯いて、そうですか、とだけ言った。
そんな彼の様子をまじまじと見てから、メルが言いにくそうに口を開いた。
「ねえ、ティムカ、また変なこと聞くようだけどエンジュと喧嘩でもしてるの?」
何故今、その名が出てくるのか。ちくり、また胸が痛む。喧嘩という表現は相応しくはないが、微妙な仲違いが発生しているのは事実だった。しかしティムカは問いには答えず、友人に問い返した。
「何故、そう思うのですか?占いで、そう出てましたか?」
「まさか。勝手に占ったりしないよ」
ぶんぶんと首を振って否定するメルを見て、ならば傍から見て瞭然なまでに自分達の関係は悪化しているのだろうかと、ため息をついた。
「なんだか色々思うことがありすぎて、それこそ占いでもして見て貰ったほうがいいのでしょうか」
メルは落ち着いた表情をして、ティムカを諭す。
「もっと自由になってみていいと思うよ。ティムカは占いの結果すら、その通りにしようとしてしまいそう。だから今、僕はあなたの占いはしない」
こう告げた彼は、先ほど言っていた心身ともに成長したいという夢を、十分にかなえつつあるのだと、ティムカは羨ましく思った。

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