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車窓の外にに流れてゆく風景を見ていた。
列車は幾つかのトンネルをくぐり、山間(やまあい)を走っている。季節は春。
新たな生命を息吹く若い緑と、木々を透かす太陽の光の、その色が目と心に少しまぶしくて、思わず目を細めると列車は最後のトンネルに入った。
長く暗いトンネルの中、硝子に映る自分の姿の向うの闇をみつめながら、このトンネルを抜けたらきっと目の前に広がるだろう風景を私は想った。
麦の穂のゆれる豊かな平野。
遥か遠方に緩やかな曲線を描く優しい山々が連なり、そこから流れる雪どけ水が大地を潤し平野を拓く大河となる。
愛しき故郷。
私が生まれて幼い日々を過ごした大切な場所。
でもそれは、遥か昔の話であり、私の記憶の中での話だ。
もうあの風景を見ることはできないかもしれないという不安と、もしかしたらあの頃の面影を残しているかもしれないという期待がが入り混じる中、突然視界が白く光った。
トンネルを抜けたのだ。
すこしずつ目が慣れて広がる光景に私は息を呑む。
思い描いたままの風景が、そこにあった。
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親友のディアから嬉しい手紙を貰ったのは、ほんの二週間前の話だ。
去年の秋に再会した古い知り合いと、この春に結婚するのだと、式には必ず来て、とそうあった。
そうか、そういうこともあるのかと、私は素直に嬉しく思う。
長い時を過ごしたあの場所にいた頃には、たぶん二人の間に恋はなかっただろうけれど、思わぬ偶然が恋を育んで、未来に繋がっていく。
それはとても、素敵なこと。
―― そういうことも、あるのね。
私は友人の笑顔と、彼女の伴侶となる男性の姿を思い出した。
彼はあいかわらず、お酒が好きなのかしら?
昔女王候補だった頃に友人とふたり、勧められるままお酒を飲んで、二日酔いになって誰かさんに怒られたのは、今ではもう、笑い話。
きっと、ふたりは幸せになるだろう。
それを喜びながら、心のどこかで何かが引っかかっている。
―― 羨ましい、のかな。
嫉妬、と言ってしまうほどに苦いものでも暗いものでもなかったけれど、大切な人を見つけた彼女を、羨ましいと感じているのは事実なようだった。
そしてそう思う自分を、ちょっと情けなくも思う。
―― 少し、疲れたのかもしれない。
外界に降りて、主星の星都で暮らすようになって数年がすぎていた。
はたから見れば、まだ人生をやり直すに十分に若い年齢だけれど、人よりも長い時間を生きた私は、心が少し年寄り臭くなっていやしないだろうか。
目的も、目標もなく、単調な日々に身を沈めて、自分から積極的に他人と関わろうとしていない自分に気付いてしまったのは、いつごろだったろう。
こんなんじゃ、だめ。
不意に泣きそうになって、手紙から顔をあげて目を閉じる。
そのとき唐突に、故郷の風景を思い出した。
広がる豊かな大地。
収穫を待つ穂の上を渡る風。ひるがえる麦がまるで海原のようで。
遊びつかれて、日の暮れかけた家路を急ぐときに見るその光景は少しだけ寂しいけれど、ふと前を見れば必ずある、家の明かり。
門をくぐって扉をあければ、お帰りといってくれる人たちがいて、私はあたたかな気持ちになってこうこたえる。
―― ただいま。
もう、遥か昔に失ってしまったものだけれど。
なんだか、無性にあの場所へ行って、懐かしい香りのする風に吹かれてみたくなった。
帰りに彼女の結婚式に寄れば、ちょうどいい。
そう考えて、いままで休みもせずに働いて、たまりにたまっていた有給休暇を使い果たし、私は故郷の星へと向った。
◇◆◇◆◇
列車は鉄橋にさしかかっていた。
平野を流れる大河、澄んだ水、釣りをする少年、川原に憩う恋人たち。
この風景は、人が変わっても、時がすぎても、変わらないものなのだと、そう思った。
かわらない風景も在るのだ。
その事実に、胸が締め付けられるように痛んだ。
泣きたいくらいに懐かしい風景。
優しい場所。
父も母も、もういない。
私が生まれ育った家ももうきっとない。
だから、私を迎えてくれる家の明かりもない。
でも。
その地に生きる人は変わっても、あの頃とかわらぬ山並が、きらめく大河の流れが、風にゆれる穂がこうして私を迎えてくれる。
こうしてここに変わらぬ風景があるのは、去っていった人たちから受け継がれたその土地への思いがあるからであり、地を耕し河を守り山の恵みに感謝を捧げて、この風景を愛し守ってくれた人たちがいるからなのだろう。そして。
―― ああ、そうか。
私は気付く。
遠い所で、この場所を含めた世界を導く人たち。
彼らの存在もまた、この風景を守ってくれているもののひとつだということを。
それなら、私自身も。
―― この風景を、私も、少し、誇りに思ってもいい?
思わずそう問いかけてから、いったいそれを、私は誰にしたのか誰の面影を想ったのか、わかっているのに気付かないふりをする。
ふたたび、胸が痛んだ。
この痛みは、本当にこの風景が与える懐かしさのせいだけ?
今度はまちがいなく自分に問いかける。
ここは、私が本当に帰りたかった場所?
私が帰りたいのは。
本当に帰りたいのは。
場所じゃない。
あの時。
あなたと、共に時間を過ごし、心を通わせた、あのわずかな時間。
あの頃に帰りたい。
もう二度とかえれない。
後悔はしていないと思いながらも、帰りたいと願う気持ちも止められない。
この結末を知りながら、この痛みを知りながら、たとえあの頃へ帰れたとしても、私はきっと同じ選択をする。
でもだからこそ。
あの時のあの瞬間へ帰って、あなたの腕の中で、永遠に時を止めてしまいたい。
涙が、あふれた。
こんなことではいけない。
でも、これでもいいのかもしれない。
人である身に永遠などありはしない。
完璧などありえない。
こんなふうに、失った恋を想い出して落ち込む時だってある。
寂しくて、人恋しくなる時だってある。
そう、これでいい。
涙を流すちょっと情けない私ごと、この優しい風景が、きっと抱きしめてくれるだろうから。
そうしたら、私は少しだけ元気になって、また明日に向って歩き出せる気がした。
一面の麦畑の中に小さな集落が見えてくる。
微かな点だった駅が少しずつ大きくなり、列車がホームに滑り込み、ゆっくりと速度を落とした。
小さな荷物を一つだけ持って、私は扉が開くのを待った。
屋根さえない、ささやかな停車場。
見覚えのある白い花が、風にゆれている。
圧力が抜けるような音と共に車両の扉が開き、外の懐かしい香りの空気が私を包んだ。
帰ってきたんだ、この場所に。
わけもなくどきどきして、目を閉じて深呼吸をしてから、ようやく、足を踏み出す。
そして、ホームに降り立って私は。
私は、その場から一歩も動けなくなってしまった。
涙がまたあふれでる。
「待っていた」
たった一言。
故郷よりも懐かしい声であなたはそう言った。
あいかわらず、無口で無愛想。
でも、きっと、少しだけ、笑顔。
昔、私だけに見せてくれた、あの笑顔。
その顔をもっと良くみつめたいのに、涙のせいで、視界がぼやけた。

(天司さん画。画像クリックで絵のページへ)
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長い指が、頬をなぜて涙を拭う感触がする。
どうして、と言おうとして言葉にならず、くちびるだけが動いたと思う。
「外界へ降りた後おまえを探していたら、ディアから連絡をもらった」
話したいことは、沢山ある。
謝らなきゃいけないこともある。
あの頃のこと、それからのこと。あなたのことだって、沢山、沢山聞きたい。
でもやっぱり言葉にはならなくて。
あなたが、黙って私を抱きしめてくれた。
それでやっと、一言だけ私は言葉を紡ぐことができる。
「ただいま」
あなたの優しくて深い声が応える。
「よく帰った」
あなたの胸に、体をあずけ、私はもう一度言った。
―― ただいま。
ああ、そうか。
やっと、わかった。
ここが私が帰りたかった場所。
いつでも、どんなときでも。
寂しさも、切なさも抱えたまま、たった一言で心にあたたかな明かりを灯してくれるような。
たとえ遠くへいっても、最後は必ずたどりつく。
この腕の中こそが、私にとって。
いつか、帰るところ。
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CD『エトワール VIOLET』の中の「世界でたったひとつの場所」と、「聖地でお茶会」さんの100のお題の中の「駅で」という絵からこの作品が生まれました。
この場を借りてお礼申し上げます>りんさん、司さん
そして田中クラヴィス様に愛をこめてvvv
さて、
何気にカティスの「秋愁の雨」と同じ軸で展開しています。
やはり、何が何でもクラヴィスを幸せにしないと気がすまないらしい。
しかし、クラ×前女王創作がけっこう増えてきたなあ。
「家の明かり」シリーズ、「ルヴァ探偵」シリーズ、まあ、「月さえも」もいちおう。(笑)
2004/11/18 佳月拝