祈り遥か

「青い羽の行方」の続編、ティムカサイド(&リュミエールバージョン)です。


神鳥の聖地。水の守護聖の執務室の外にあるテラスには、若葉の香りを含んだ風がさわやかに吹いている。
そこに訪れて、
「お招きに預かり。ありがとうございます」
礼儀正しく言った青年がひとり。
彼を招いたリュミエールは微笑んで座るよう促す。
客 ―― ティムカはにこりと人懐っこく笑って応じた。
ハーブティーを用意するリュミエールの様子をみやりながら、ティムカが問いかける。
「職務で外界へでていると伺っていました。いつ、戻られたのですか?」
透きとおった器に注がれた淡い色合いのお茶を差し出しながら、彼は答えた。
「今朝早くに戻ったのですよ」
「今朝?あの、お疲れでは、ないんですか?」
急に申し訳なさそうな表情をするティムカに微笑み言う。
「ふふ、心配ありません」
確かに、執務と言う意味でならば今日参内(さんだい)する必要はなかったのだが、思うところがあって彼は今こうしているのだ。
まだ戸惑い気味に彼をみつめている年若き ―― 広いであろうふたつの宇宙の中で唯一同じ力を持ち合わせた ―― 同輩に優しい笑顔を向ける。
「美しい海のある星へ行ってきましたよ。わたくしの故郷も海のある場所でしたから、あの星へ行くのを、実はいつも楽しみにしているのです」
「故郷の海 ―― 」
些細な言葉に反応した彼には気づかないふりをして、優雅な仕草でお茶を一口含んだ。
ティムカもまた、思わず零した己の言葉を悔いるように別の問いをする。
「いつも、ということは過去にも幾度か?」
リュミエールは静かに頷いた。
季節が雨季と乾季とにわかれるその惑星では、水を制することこそが国を、ひいては民を制することにつながる。
雨季には荒れ狂い氾濫する河から、乾季には大地にひびさえ入れる旱魃から。
民を、農地を守ることこそが国を守ることであり、(いにしえ)より王達は治水に多くの力を注いだ。
堤を造り河をなだめ、堀を掘って日照りに備える。
そうやって初めて民は安らぎ国は富んだ。
おのずと、水を神聖視する風潮も生まれる。水の安寧こそが国の安寧でもあるのだ。
近代になり文明が発達して、水による大きな災害が減った今でもその心は惑星の民の中に息づいている。
だから。
「ええ、二十年おきに行われる祭りがあるのです。その中の儀式のひとつに、可能である範囲で代々水の守護聖が立ち会うことが慣例になっていて」
ここまで語った時点で、ティムカの表情に現れたあきらかな変化を彼は見て取る。
驚きの中で微かに唇がまさか、という言葉を紡いでいた。
リュミエールは微笑をたたえたまま。
「以前行った時には神殿で …… 父君に内緒でこっそりお城を抜け出した幼い王太子殿下にお会いしましたね。そういえば」
目の前の青年は明らかに動揺して、その浅黒い肌にもわかるほど顔を赤らめる。
「お、覚えていらっしゃったんですか。昔、女王試験の折り、お会いした時に何も仰らないのでてっきり ―― 」
ゆっくりと、リュミエールは首を振る。
「覚えていましたとも、もちろん。けれど、あの時話題に上げては、あなたは今以上に恐縮するのではと思って黙っていたのですよ。それに、誰にも内緒にしておくと約束しましたしね?」
「今話題にする、ということはその約束はもう、時効、ですか?」
「ふふ、そうですね」
しばしの間和やかな笑い声が零れた後に、ティムカがふと目を伏せた。
「でも、ということは、やはり ―― 」
白亜の惑星へいったのですね、と続くであろう言葉を飲み込んだ青年に、リュミエールは僅かに憂いを帯びた表情をしてから、いつもの微笑をたたえて話しかける。
「美しい星でした。そう、昔と変わらずに。…… 今、あなたに、話すべきことではないのかもしれません。けれど、ひとつ頼まれごとをされたのです。ですから」

リュミエールは、彼が今なお去ってきた故郷のことを思いひどく憂いているのを知っていた。
尤も、故郷を離れて不安や寂しさを抱えるのは聖地にある者なら同じこと。もっと広く考えれば聖地に限らず、訳あって生まれ育った場所を遠く離れ生きるものであれば、郷愁など誰しもが経験すると言っても過言ではない。
とはいえ、それまでの生き方のすべてであったような場所から引き裂かれたのであれば『誰しも』という言葉で切り捨ててしまうにはあまりに惨いとリュミエールは感じている。

「頼まれごと ……」
不思議そうに問い返すティムカにリュミエールは頷いた。
「ええ。儀式の時、当然のことながら国王陛下にお会いしました」
「 …… !」
動揺を伝えるかのごとく、卓上の茶に波紋が広がる。
まっすぐにこちらを見る黒真珠の瞳に、彼はやはり同じ瞳の色をした、かの国の王の姿を重ねていた。
来賓のリュミエールを見て、僅かな失望と自嘲、そして安堵の表情を浮かべた若き王。
彼とてそのひと(・・・・)が異なる宇宙へ赴いたことは百も承知だったろう。
けれども『水の守護聖』と聞いていれば、想像せずにいれるはずもないのだ。
かつてはその美しい惑星で過ぎる日々を、共に過ごしたであろう彼の兄の姿を。
「白亜の王は、わたくしに、こうお尋ねになった」
「 ―― 」
溢れでる感情を抑えるような瞳で、彼はこちらを見ている。
リュミエールはその視線を真摯に受けて言葉を続けた。

「『答えることが禁忌であれば黙って頂いて結構だが、ひとつだけ伺ってよいだろうか。もうひとつあると聞く宇宙の聖地との交流は ―― 有りや、無きや』」

あえて、リュミエールはかの国の王の言葉をそのままなぞる。
目の前の青年は、おそらくこの言葉を聞くことで、ある事実を実感するだろう。
そう、国王は既に幼い子供ではなく立派な青年となっているという事実を。
「特に答えていけないという理由もありませんから。わたくしは言いました。ありますよ、とね」
目の前の青年の瞳が不安げに揺れた。
よく似た面差し。
けれどもその性格ゆえか、ずいぶん受ける印象は違うものだと、リュミエールは改めて思う。
「すると、あるものを渡されたのです。『久しぶりにやんちゃをした。また太師に叱られるな』と。ぺろりと舌を出して肩をすくめて」
彼は思い出してくすくすと笑う。
「それまでその威風たるや、堂々とした国王だったのですけれど。その瞬間、彼の本当の歳を思い出しましたよ」
困惑した表情で先達を見やる青年は、おそらく記憶の中の幼く良い子だった弟と、今しがた語られた王の姿が一致せずにいるのだろう。
ひどく戸惑ってこう聞いた。
「ええと、やんちゃ、とはいったい」
「王宮の鳥を…… ご当人曰く『とっ捕まえて、尾を引っこ抜いた』と」
益々困惑を深めた様子のティムカに、リュミエールは一冊の絵本を渡す。
「あなたに渡すよう頼まれたのは、この本です」


◇◆◇◆◇


訪れた先の惑星でのことだ。
はっきりとした性格の違いゆえか、言葉を幾つか交わせば全く印象の異なる若き友人の弟を前に、それでも一瞬であれそっくりだと彼に思わせたひとつの原因があった。
それは、国王の頭布に飾られた青い羽。
あの時。
聖獣の宇宙との交流がある、という返答はうけたものの、だからといってどう言葉を続けるべきか困っている風情の若い国王の姿を見ながら、そのことにリュミエールは気付いたのだ。
だから、彼はこう言った。
―― かつて、その羽飾りをわたくしに見せてくれた十三歳の少年がいました。故郷にいる弟からもらったのだとそれはたいそう嬉しそうに、誇らしげに。
―― いきなり、何を ……
戸惑うように言うその姿に、リュミエールは強く凛とした王としての顔の向うにある、少年の彼を垣間見た。
―― 三年後、とある事情で再会した時も、彼は同じように身につけていて。ああ、相変わらず家族思いな優しい少年だと …… わたくしは思ったものです。
―― …… それで?
苦笑まじりに促したその態度を見れば、ただリュミエールが意味もなく思い出話をはじめたのではないことぐらい、彼にはわかっていた様子である。
―― なのに、その後。縁あって同じ使命を負う者同士となりましたが …… 。その時から羽を身につけるのをやめてしまったのです。どうしたのでしょうかと、気になってはいたのです。そう、些細なことなのかもしれません。ですけれど、彼の気持ちを思うと心安く尋ねてはいけないような気も、していたのですよ。その答えを、今日思いかけず知ることができました。
―― 同じ、ものか。
―― ええ、間違いなく。
王は僅かに笑んで、溜息をついた。
―― …… 『心安く尋ねてはいけない』と。少なくとも貴殿(きでん)はそう感じたわけですか。『彼』に対して。
言うや否や、彼はリュミエールの返答を聞かず身をひるがえす。
それから思い出したように顔だけ振り向き、まるで悪戯を思いついた子供のような笑顔で言った。
―― 十分ほど、待っていていただけるだろうか?すぐ、戻る。

言葉どおり、十分ほどでふたたび姿を現した王は軽く息切れしていた。
頬に、顎に、さらには手の甲に。
幾つかの引っかき傷のような怪我までこさえている。
そして、その傷だらけの手で差し出された一冊の本。
頁のなかばに栞のように挟まれた青い羽が顔を覗かせていた。
―― 思いのほか手間取った。これを、未だ後ろ髪引かれて前を見切れぬ貴殿の後輩殿に渡していただけるか。守護聖様につかいっ走りをさせるようで甚だ心苦しいが、許されよ。
心苦しいなどといいつつ、本心はさほどでもないような風情で彼はにやりと口の端をあげた。
リュミエールは心から笑んでその願いを受けた。
だが、どうしても気になり尋ねてみる。
―― 怪我を、しているようですが ……
―― なるほど、水の守護聖ともなると流石お優しい。だがご心配召されるな。さした傷ではない。
―― ああ …… あの、まさかとは思いますが、この羽根はもしかして。
―― おそらくはそのまさか、だ。王宮の鳥をとっ捕まえて、尾を引っこ抜いた。何、今も元気に飛び回ってるから奴もさして痛手を受けたわけではあるまい。お互い様だ。
悪びれず言って、しみるのであろう頬の傷を指でなぞった。
思わずふきだしてしまったリュミエールを前に、冗談めかして彼は言う。
―― 私に、品位の教官は到底無理だな。
―― それは。
笑っていいものやら、フォローしていいものやら曖昧な表情で戸惑っているリュミエールをよそに国王は、快活に笑った。
―― ああだが、久しぶりにやんちゃをした。また太師に叱られるかな。あの方の説教はためになることはなるが長くてかなわん。
リュミエールはそれなら心得たとばかりに、ふふ、と笑って。
―― よろしければ、わたくしのほうからも太師殿にひとこと口添えを。あまりお叱りにならないでください、と。
この時、王はふと顔をあげてたおやかな水の守護聖をまじまじとみやり、しばしのあとにこう言った。
―― さっきから思っていたが、貴殿は少しだけ。
―― はい、なんでしょう?
ふわりとした微笑を浮かべて首をかしげたリュミエールに、若き少年王は僅かに照れた風情で言った。

―― 兄に、似ている。

◇◆◇◆◇


そんなやりとりを、語る必要はないのだろうと。
目の前で本を開き、羽の栞の挟まれた頁になにやら記された言葉を読んでいるティムカを見て彼は思っている。
絵本を躊躇いがちに受け取った時の憂いを帯びた表情は、青年からすでに消えていた。
穏やかに彼を見ていたリュミエールに視線を向けて、彼もまた穏やかに微笑む。
そして黙ってその頁をリュミエールにひらいて見せた。
そこには、堂々と、力強く勢いのある筆跡で数行の言葉が綴られている。


我が親愛なる兄上。
貴方が幸せであることを疑わないので。
今更これを渡すのも意味が無いのかもしれない。
けれども、貴方から羽根をもらったままでは正直居心地が悪い。
いつまでも、貴方の後ろを追っていた私ではないから。

だから新しいこの羽根を。
これからこの国を、幸せに導いてゆく決心の証として。

―― カムラン


「叱咤、されてしまいました」
ティムカは己の未熟さを恥じるような苦笑を含みつつも、それでも嬉しそうに言った。
『貴方が幸せであることを疑わない』というその文面から、『叱咤』という意図を感じ取ったのであれば、やはりもう何も言い添える必要はないのだと、リュミエールは改めて思う。

いつまでも残してきた国を、幼い弟を。
気にして後ろ髪を引かれたままでいる兄に対する、これは弟からの叱咤なのだと。

それをきちんと分かり合える絆が彼等の間には今なお存在する。
そして、あの文を綴った若き王はおそらく、そこに自分自身への叱咤をも含めているのだろう。
人である限り、重き責を負う限り、迷いが無い訳でもない、苦しみが無い訳でもない。
それでも。

―― 心配は要らない。だからあなたはあなたのゆくべき道をゆけ。

手紙はそう語っている。
そして、遠く離れた場所で。
各々に前を見据えて歩き出す彼等がいる。
その想いは祈りとなり遥かな場所へと。

ティムカは晴れ晴れとした表情で、本を置きひとつ息を深く吐くと手にした羽と同じ色の青い空を遠く見上げた。
ただ黙って微笑むリュミエール。
テラスを通り過ぎる風にぱらぱらと、本がめくれて色鮮やかな惑星の風景が流れては消える。
その中の一頁にふと目を止めてリュミエールは長い指で本がめくれるのを押さえた。
そこに描かれた、青い海。
白い砂浜に打ち寄せる透きとおった水のその輝き。

「美しい、海ですね」
ティムカは憂いを含まぬ表情でええ、と頷く。
「わたくしの故郷も、やはりこのような海が広がっていました」
「リュミエール様の、故郷」
呟いてから青年は笑みを浮かべて続ける。
「よろしければ、お話しをお聞かせ願えますか?」
その言葉を嬉しく受け止めてリュミエールも頷く。

「ええ、もちろん。お話ししますよ ―― 」

常盤の葉を渡る風の音が。
(ざざ)とふたりの耳に、遠い潮騒のように聞こえていた。

―― 終



◇◆◇◆◇


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兄弟の「筆跡」の違いなんぞ気付いていただけたでしょうか。

少なくとも「青い羽の行方」を読んでないと、「このカムラン生意気!」といわれそうな内容でございます。けれども、お読みいただいた方にはあの手紙を書くに至った、彼(カムラン)の心のうちを、きっとご理解いただけることと信じて(笑)
(「彼が手にした青い鳥」を読むともっとよくわかるかと。<宣伝)

この話、リュミエール視点三人称で書いてみました。
はじめはティムカ視点三人称だったのですけど、せっかくだから(<?)、と思い。
ティムカはSP2時代、ゲーム内でのリュミに対するコメントで「なんだか父様に似ているんです」のようなことを言い、ファザコン大炸裂させておりました。(ちなみに、エトワでは、ヴィクトールに父親の面影を重ねている。ヴィクは彼の父と同い年なのだ)
そのせいか私の中で、「リュミに懐くティムカ」という構図がずっとあったのです。
虚無の本棚のシリーズではそれが如実にでており、勝手に「リュミドリーム」などと名づけました(笑)
さて、そこで。
先日入手したCD「シャングリラ」のなかのドラマ。
うおおおお!実在してます!実在してます!「リュミに懐くティムカ」がそこに!!!(笑)

狂喜乱舞して、もともと書く予定だったティムカとユーイの友情シリアスモノをすっとばし、こちらを先に書いてしましました。ははは…。
かれら二人は対等と言うよりは、どこか師弟のような。
他のキャラでいうと、ルヴァとゼフェルに近いような関係(ずいぶん穏やかではありますが)のイメージでいます。

さらに、ティムカが小さいおり、白亜を執務で尋ねたリュミエールと出会っている、というエピソード。
これは別の創作でいずれ詳しく書けるのではないかと思います。
(といっても、ルヴァ探偵シリーズではないのですが^^;;<相変わらずの設定混在癖)
いやね、ティムカが「水の守護聖」って違和感があったんですよ。
彼の故郷は緑濃き熱帯のイメージがあったので緑か、あとは暑そうだから炎とか。<単純
でも、まあ、CDの歌とか聞いてると「海」の惑星だからかな、程度に考えてたんです。 ところが、以前アンコール・ワット遺跡についてちょっと知る機会があって。
あの遺跡と治水の関係、ってのは前から知ってはいたんですが、「厳しい雨季と乾季の土地。水を制するものが王として国を制する」っていう考えまでは至ってなかったんですね。
で、それに気付いてああ!それだ!って(笑)
(SP2で、白亜の気候について「雨季と乾季がある」とティムカは語っている)

ま、「赤い花、白い花」同様、この辺は天球儀オリジナル妄想設定と言うことで。
軽く笑ってやってください。 …あとがき、長っ!

2005/05/05 佳月拝