青い羽根の行方

■公式設定ではティムカが守護聖拝命した時、弟のカムランは六歳。
この物語はそれから外界で十余年たった頃のお話です。


カムランは机に片肘をつき、その手に顎をのせるという姿勢で部屋の中を眺めやる。
議会は紛糾していた。
議題は十数年前 ―― 現国王カムランが三歳の頃である ―― に見つかったこの惑星の希少鉱物の鉱床について。
見つかった当時もその開発の方針について国内で意見が割れた。だが、当時の国王はこの惑星の美しい自然を壊すことを望まず、開発は最小限の範囲に留めるよう方針を定めたのだ。
今ふたたびそのことが取りざたされたのは、他惑星にどうにか存在していた同じ希少鉱物の鉱床がついに底を尽き、その値が高騰し、より広範囲の採掘が惑星外からも望まれていることに起因している。
結論は既に決まっている、とカムランは考えていた。
国の自然を犠牲にして一時の繁栄を手にしたところで、鉱床が尽きたらそのとき残るのは荒れた土地だけ。そこで過ちに気づいても、既に打つ術はないのだ。
ましてや、今、セティンバー財閥が所有する惑星におなじ鉱物が埋蔵している可能性が高いという情報がある。
基本的に惑星の個人・企業所有は許されていないが、人の住めぬ星であれば例外だ。
企業は鉱物資源その他を見込んで惑星を所有することが多かった。もちろん、必ずしも望む鉱物が埋蔵しているとは限らない。
だが。
―― セティンバーは当たりを引いたな。
埋蔵量の予測値も、まだ内々の情報だが掌中に収めている。
事実であれば、今採掘範囲を拡大したところですぐに鉱物の価値は下がり、結果残されるのはやはり荒れた土地と職を失った人々の他はない。
だから結論は決まっているのだ。
ただ問題は、それでも開発推進の賛成派がいるということ。

先の王ならば。
カムランは僅かに眉をひそめる。
その穏やかな笑顔のうちに、いつしか人を惹きつけてしまう力を持った先の王なら、丁寧に意図を説き、時間をかけて円満にことを収めただろう。
だが己は違う。
できるできないの問題ではない。

―― 自分は兄上と同じではない。

カムランは立ち上がる。
会議室内の目が、一斉に彼を見た。それらの目を強い瞳で見据えて言い放つ。
「開発の拡大は長期的に見て利がない。採掘地域拡大の案は却下だ」
陛下、と幾つかの声があがった。
だが彼はそれを無視し、身をひるがえして扉へ向う。
部屋を出る前に足を止め、ふたたび強い口調で言い切った。

「勅命だ。反論は許さない」

◇◆◇◆◇

王宮の廊下にでると幾人かの付き人たちが低く頭を垂れる。
その中を彼はやや早足で己の自室のある内殿へと向った。

先ほどの強引な決議で、反発が生まれるであろうことは理解していた。だが、それを乗り越え進む決意と覚悟とを、彼はすでに心に抱いている。
臣下の中で反対派、賛成派で分かれて亀裂がはいるよりは、自分が強引に結論を出すことで反発の対象をすべて己に向け、それを追々(ぎょ)した方が傷が少なくて済む、と考えた結果でもある。
だが、もっと穏やかな方法もあっただろうに。そう思わなくもない。そして敢えてそうしなかったのは、 兄と同じようにはしたくないという思いが強くカムランの中に存在しているからだということも、彼はしっかりと自覚していた。
いつからだったか。はっきりとそう感じるようになったのは。
幼い頃はただ、兄のようになりたくて、彼の後を追いかけたくて、ひたすらに良い子であろうとしたこともあった。
だが、気付いてしまったのだ。いくら自分が頑張ったところで、兄のような王を目指せば目指すほど、誰もが己の後ろに兄王の影を見る。
だから今は、頭布もつけぬ、髪も伸ばさぬ、王としての正装も、儀式意外はしたことがない。
しきたりを破れば、己の目指した王になれるなどと、愚かなことを思っているわけではもちろんないが。
いずれにしろ、今のこれが自分だ。誰の影でもない。
しかし流石に先ほどの朝議の件に関しては、あとで太師 (註:王の教育、助言役) あたりから小言をくらうだろうと、カムランは軽く苦笑した。
自室の前まできたとき、陛下と呼び止められ彼は古株の女官の方へ向き直る。
「どうした」
問うた彼に女官は礼を取って、太師から伝言だと言う。
「午後に謁見をお望みです。それと、幾つかの書物に目を通しておくようにと」
渡された本の一覧を見て、彼は首をかしげる。
意図がつかめない。そして、そこに挙がっている本は確か。
その疑問に答えるかの如く、女官は続けた。
「本はすべて……先王陛下のお部屋に、揃っているとのことです」

◇◆◇◆◇

その部屋に足を踏み入れたのは、いったい何年ぶりだったろうかとカムランは考える。
兄がいなくなった(・・・・・・)後に入った記憶はないので、おそらくは十年以上。けれどもこうしてみると、今にもそこから兄が自分の名を呼びながら顔を出すのではと思うほどにこの部屋は変わっていない。
もちろん、主はいなくとも毎日手入れされているのであろう。
明るい日差しと花と緑に溢れる庭を望む大きな窓は曇りひとつなく、品はあるけれども決して豪奢過ぎない調度品は鈍い光沢を見せている。
そのなかで目を引くのはその部屋で一番大きな家具、といっていいのか。それは既に部屋の一部と化している、一面の壁を覆っている本棚であった。
この国の史記、歴史、経済学から他国の言語、宇宙学、帝王学まであらゆる本がそこに分類されきちんと並んでいる。 幼い頃は気にも止めなかったが、今にしてみればその量に驚かずにいられない。
―― こんなに沢山。
自分も同程度の本は読みこなしはしたが、自室にそろえて常に身の回りに置くほどのことはしていない。
それに兄が読んでいた本といえば、自分に読み聞かせてくれた童話ぐらいしか記憶にはなかった。
それでも試しに、兄が必至になって何かを学んでいる姿を、彼は記憶の中から探してはみたが、思い当たらず、それはきっと、こうして自室で人知れず学んだ結果なのだろうとそう思い、カムランは我知らず溜息をついた。
そうしてしばしはそこで書架を眺めていたが、気を取り直して彼は言われた本を探し出す。
リストにある本は三冊。二冊まではすぐに見つかったが最後の一冊が見つからぬ。
本の題名は『砂鏡』。この国の歴史で言うと近世を舞台にした物語集である。
『砂鏡』とは、単純に考えれば、波打ち際、海に洗われ濡れて、滑らかに光る鏡のような砂浜のことだ。

空をとかしたような海の青、そこから打ち寄せる白い波頭と、次第に翡翠の緑へとうつろう水の色。
白い砂浜は輝く太陽に反射して、波が去った後の砂の上は滑らかに、覗き込めば己の顔を映すほど。
この国の、最も美しい風景なかのひとつが、その二文字の中に込められている。

だがそれだけではない。
その本は一見子供向けの物語集といっても良いが、『鏡』とは『物を映す』の意味から、よく史書の名に用いられる。それにその編纂者の名を思えば、その本はただの童話などではなく、そこに含められた寓意は代々のこの国の為政者に向けられたものであることは想像に難くなかった。
編纂者の名はふたつ。タリサムとラグラン。
この国のものならば、知らぬものはいない。
三百年ほど前に、一時は危うかったこの国を建て直し、繁栄に導いた若き王とそれを支えた賢者の名前だ。
国史によれば、タリサムが王位についたのは六才の時。己と同じだと、カムランは考える。
かの王のように、後に賢王と呼ばれるようになることができるだろうかと、そう思ってから彼はその考えを否定した。
意味がない。
賢王と呼ばれたくて良い国政を敷くのでは意味がない。
力を尽くして国を治めて。その結果民が幸せになったなら、自ずと後の世の民が呼ぶのだ。かの王は良い王だった、賢王だったと。
己の兄が、いまなお国民(くにたみ)から慕われているのと同じように。

また想いが。
兄へ至ってしまったと、カムランは苦笑する。そして本を探すのを諦め行儀悪く寄りかかった文机の上。
彼は見つけた。まるで昨夜読まれて、そのままそこに置き忘れられてしまったような一冊の本を。
『砂鏡』
こんなところに、と小さく呟いて彼はそれを手にとった。滑らかな皮の表紙を指でなぞってかぱらぱらとめくろうとして、何かが挟んであることに気付く。
栞?そう思い、頁を開いてそれがしおりでないことを知った。
それは、青い鳥の羽根だったのだ。
かつて自分が兄にあげた幸せを呼ぶという青い羽。
唐突に記憶がよみがえる。
そうか、この本は、いつも寝る前物語を読み聞かせてくれていた兄が、ここを去る前夜に自分に読んでくれた本ではなかったか。
そして。
『今日はここまで。次に読むときわかるよう、この青い羽根を栞にしてはさんでおきましょうね』
いつものようにそう言った。
次などないことを、兄も自分もわかっていたのに。

カムランはその羽根を手に取る。
兄の声と同時に幼い頃の自分の声が聞こえた。

『兄様、これをあげる!』
『ああ、綺麗な羽根ですね。ありがとう、カムラン』
『この羽根をもってると、幸せになれるんだって』
『そんな大切なものを、もらってしまっていいのですか?』
『いいの、兄様はここの王様になるから。王様が幸せなら、きっと皆が幸せになるから、いいの!』

カムランは呟く。
「兄様は、ここの王様になるから、か」
けれども、そのときの羽根が今こうしてここにあるということは。

忘れて、行った?

思わずそう考えて、そしてその考えに悲しくなった自分を彼は嗤った。
何を感傷的なことを考えているのか。
幼いころに自分があげたこの羽根を、兄が忘れていったからといって何を今更悲しむ必要がある。
自嘲気味に考える己の理性と思考とは裏腹に、心を締め付ける思いが溢れる。
そのとき彼はさらに気付いた。
羽根の挟んであった頁に記された、本とは別の文字。
かの人の人柄そのものに、丁寧で優しい、その懐かしい筆跡。


弟へ。
王が幸せなら民が幸せになると。
そう言って、私にくれたこの羽根は、ならばカムラン。今はあなたに託すのが相応しいのでしょう。
いつか来るその時に、あなたがこれを見つけてくれることを。
そして、
あなたの幸せと、この国の幸せを信じて。

―― ティムカ


耐え切れず。
彼は呟いた。

「―― 兄様(にいさま)

結局は自覚せざるを得ない。
反発は、ただの反動だ。
慕い、望んで、愛情を捧げて。けれども、いくら注いでも望んでも、彼はもうここにはいない。
返ってくる事のない愛情は、いつしか憎しみと変わらぬ感情へと凝ってゆく。
結局は、すべてが裏返しだったのだ。兄であったらこうしたであろうと思うことを、ことごとく行わずにきたのも結局は、兄を慕うが故に。
そしてその結果、自分は何がほしかったのかといえば、簡単なこと。

―― 誰よりも、あなたに認めて欲しかったのだ。もう、会うこともない、たった一人の兄弟に。

そうと認めてしまえば、感情と共に涙が溢れ出す。
あのひとに、ずっとこの国に居て欲しかった。本当は。けれども望んでも叶わず、かといって己がその振る舞いを真似て身代わりとなるのは彼に対する冒涜のような気さえしていた。先の王を懐かしむ人がいるうちは、この国が、あの優しかった人を忘れていないという証。
そして敢てその中で、己らしく国を導けたなら。自分は彼を裏切ることなく、己の役割を果たしたことになりはしないか、と。
溢れ出す涙をそのままに、ふと彼は想った。兄は、こうして涙を流すことがあったのだろうか。
記憶の中の兄は、何処までも理想に近く、己からは遠い。
でも考えてみれば、彼もまた、十六歳の少年でしかなかったはずなのだ。
理想像としてみるあまり、そして反発するあまり、その本来の姿を、己は忘れてしまうところだったと、彼はふたたび兄を思い浮かべる。
思い出す姿は、いつだって、穏やかな微笑をたたえた姿。
ときおり悲しげな表情をしたかと思っても、自分がそばにいることに気付けばすぐにそれは笑顔へとかわった。
人知れず、本を読み学んだ彼であれば、やはり弱い姿もまた人知れず、己ひとりのときだけ晒したのであろうか。

―― ああ、兄上。あなたは。
―― こうして涙を流すことがあったのでしょうか。
―― もしかしたら、今尚。
―― それは許されぬことだと、思ってはいませんか。

あの日。
兄と共に過ごした最後の日の自分を思い出す。
涙を止めることはできなかった。泣いてはならぬと知っていながら、流れる涙を止められなかった。
そんな自分を、兄は少し困ったような笑顔で、優しく抱きしめてくれた。
だから、自分は言ったのだ。
『行ってらっしゃい』
と。
行かないでと、本当は言いたかった。
僕をおいて行かないで兄様、と。どれだけ叫びたかったか。
けれども、そう言うことで、兄をここへ留めることができると思うほど、もう幼くもなかったのだ。
きっと、彼を困らせることになるだけ。だから結局、行ってらっしゃいと。
もしも、あの時、ありったけの思いを込めて、行ってはいやだと我侭を言ったなら、兄はいったいどんな反応をしただろうか。
自分が我侭を言って、困らせてやれば。
―― 兄上、あなたは。あの別れに堂々と涙を流すことができたのかもしれない。
もう過ぎた話だ。いまさらどうすることもできない。
ただ兄が、あなたの幸せとこの国の幸せを信じて、と書いてくれたように。自分もまた彼の幸せを信じるしかないのだろう。
そして遠い場所で、新たな出会いがあって。王という立場を捨てたその場所でなら、素直に弱さを見せれる友を得ることだってできるに違いない。
涙をぬぐい、窓の外の青い空を眺める。
緑濃き、熱帯の木々の葉を一陣の風がゆらしてゆく。
今、己は彼とは時の流れの異なる場所に在って、もしかしたら既に彼の歳に追いついたかもしれない。
もしも今、彼に会うことが叶うなら。自分は彼と対等に語ることができるだろうか。
彼がかつて抱えた苦しみを、故国に対する思いを、聞かせてもらうことができるだろうか。
そして、己が望む未来の姿を、それまでへの道程の在り方を、彼はかつてのような表情で聞いてくれるだろうか。
強引過ぎると自分を諭すだろうか、それとも ―― 共に悩んでくれるだろうか。

ただの空想に過ぎないことはわかっていた。この願いはきっと叶わない。
だからいつか、遠い、遠い未来に。魂の行き着く先で会うことがあったなら、その時にでも心ゆくまで語ればいい。
でもその前にひとつだけ。

―― きっと、帰ってきてきてください、この国へ。私があなたから受け継ぎ、守ってゆくこの国へ。

いつか彼が帰ったそのときも。
この国の空と海と大地と緑とが、変わらず彼を迎えてくれるよう、それを守ろうとカムランは固く誓う。

扉が叩かれ、先ほどの女官が入ってくる。
「陛下、太師が謁見の許可を、と」
「ああ、わかっている。朝議の件に関してお説教だろうな」
口ではそう言ったものの、太師はカムランがここで何を見つけ、何を思うかを承知で、わざとこの本を探させたに違いないと苦笑する。
素直に認めるのは悔しいとは思いつつ、結局は降参せざるをえないのだろうと諦めた。
そしてふと思いつき、女官に命じる。
「頭布を」
「お召しになるのですか?」
怪訝な顔で聞き返されたが、今まで儀式の時意外身につけようとしなかった衣装だから、驚かれてもしかたあるまいと彼は苦笑して続けた。
「それと」
カムランは先ほどの羽根を彼女に渡す。
古株の女官はああ、それは。と懐かしそうに微笑んだ。

「―― この青い羽根を頭布の飾りにしてくれ」


―― 終



◇◆◇◆◇


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◇ 「彩雲の本棚」へ ◇


エトワールで、SP2〜トロワで身につけていた、弟からもらった羽根を身につけていないことがひどく気にかかっていました。
結果私の妄想から生まれた物語です。
あと、エトワールREDのCDのなかの語りで、弟に童話を読み聞かせ、青い羽根を栞にするシーンがあったので、それも参考になってます。白亜埋蔵の稀少鉱石と、ティムカによる採掘の禁止令も、公式。セティンバー財閥(公式におけるチャーリーの幼馴染みの会社)の件は、趣味による捏造です。

途中出てくる「太師」というのは国王の助言役のようなものです。
公式設定でいくならきっとイシュトが該当となるでしょう。
でも、ね。 某探偵シリーズをお読みの方は、是非ニヤリとしてくださいませv
というより、完全にこれはあのシリーズの「外伝」として書いたフシもございます。

あとティムカが頭につけてた帽子みたいなの。「頭布」と表現してみました。あれ、なんなんでしょうかねえ?


2005/03/21 佳月拝