家の明かり

(最終章(だそく))〜地に光るもの〜


エリューシオンのレクーサの岬で、ふたりはしばし天をみつめていた。
その凛と煌いて天空を廻る星々の下、身を切るような冷たい風も、凍りつく大気も、いまのふたりには気にならない。
ただ、隣にいる大切な人のぬくもりさえ微かにでも感じることができたなら、そこは暖かい暖炉の炎のゆらめく我が家と同じことだった。
とはいえ、己の吐き出した吐息のあまりの白さにジュリアスはアンジェリークの肩を抱き寄せる。
「先程、ここへ来た時、そなたの言っていた事をはじめて理解したように思えた」
その言葉の意味を尋ねるかのように、微かに首をかしげ、それでも愛らしく微笑みながらアンジェリークはジュリアスをみる。
「冬の星空がもたらす痛みにも似た感覚は、……深い感情の疼きだと、言っていただろう。
その事だ。そして、こうも思った。この痛みは、そなたを想い、眠れぬ夜の心の痛みにも似ている、と」
アンジェリークは少し、頬を染め、天を見上げた。
「同じ事を、想っていて下さったんですね。その話をした時、私も同じような事を考えていました」
星屑をみつめたまま、ゆっくりと、静かに言葉を紡いでゆく。
その様子はどこか、少女をいつもより大人に見せていた。
「この痛みは、恋に似ていると。
天に煌く星の輝きも、寮までの道をふたりで歩くその時も、どれほど願っても永遠にとどめることはできないから
だから、心が疼くのだと……」

その言葉にジュリアスは心が震えるような錯覚に陥る。
そしてアンジェリークを抱き寄せて、その唇にくちづけた。
愛しい人と、同じ想いを共有する事、それがこれほどまでに心満たされることだったとは。
私は、全く知りはしなかった……

しばしの抱擁の後
腕の中の少女のぬくもりにも、天の星の輝きにも、多少の名残惜しさはあるが、彼はいつもの光の守護聖に戻り口を開く。
「では、そろそろ戻らねばな。王立研究員の者たちも、心配していよう」
「はい。でも……」
やはり名残惜しそうな少女の様子にジュリアスはつい、優しい笑みをこぼし、こう言ってしまった。

「そうか、そうだな、もう少し、星を見ているとするか」

◇◆◇◆◇


アンジェリークがその存在を思い出した岬の傍の森にある家は、エリューシオンの民が、夏には材木の切り出しの、冬には狩りの途中の寄り場として利用しているものであった。
さすがの寒さにそこへ身を寄せたのだが、それでも飛空都市へ帰らなかった理由
それは、試験も終わろうとしているこの時に、女王候補を我が身ひとつのものにしようとしている訳で、帰ればそれなりの試練が待ち構えているのは必至であるが故、しばしこの甘やかな時間を留め置きたいという気持ちが心のどこかにあったからなのであろう。

「あ、みて下さい、天窓があるんですよ。ほら」
火の入った暖炉で少しずつ暖まる部屋の中でアンジェリークが斜め上方を指差す。
その先には、どこか神殿の宗教画の額縁を思わせる繊細なレリーフの施された窓枠に、透明なガラスのはまった天窓が、煌く星々に向かって口を開けている。
そして、そこから零れ落ちてくる銀色の粒。
建物の構造上、暖房効率上から考えれば必要の無いこの天窓は、それでも季節に移ろう天空の表情を愛でたいという、エリューシオンの人々の想いなのだろう。
さらにつきつめて考えれば彼らの天への想いは、この地をやさしく、あたたかく導いた彼らの天使への。
――この傍らにいるアンジェリークへの感謝の気持ちなのだろうな。
ジュリアスは微かな痛みを心に感じながら、自分に背を向ける格好で窓を見上げている少女をみつめる。

私は、エリューシオンから、いや、この宇宙から、天使を奪おうとしている。

そんな事を考えているジュリアスの気持ちが伝わったわけではないのだろうが、アンジェリークが背をむけたまま、小さくつぶやく。
「私は、エリューシオンの皆を、裏切ろうとしているのでしょうか?」
どんな災害にもめげず、自分を信じ、「天使様」と慕ってくれていた大陸の人々。
それなのに、自分は、女王よりも、宇宙よりも大切な人をみつけてしまった。
「彼らを裏切る事になっても、自分の心は裏切れないなんて、つくづく人間って、我侭にできているんですね……」
その言葉は、自嘲を含んでいるようでいて、決してそうでない、強い決心に裏付けされていた。
ジュリアスはそんな少女を後ろから、きつく、きつく抱き締める。
「そなたは、私が守る。なにも案ずるな。」
そう言ったジュリアスの言葉もまた、強い決心の上のものであった。
この腕の中にいる少女は、どんなことがあっても失うわけにはいかない。
たとえ、どんな犠牲をはらったとしても。
アンジェリークが小さく頷き、自分にまわされた、彫刻のように整った長い指の手の上に、小さな白い手を重ねた。

「……ずっと。……こうやって、抱きしめていて……」

そのささやきに、少女への愛しさがこみあげる。
そなたを、あいしている。
けっして、はなしはしない。

想いは煌く星の音よりもかすかな囁きにかわり、アンジェリークの耳元へ届き金の髪を僅かにゆらす。
それから、髪へ、耳元へ、首筋へ、我知らず落としていた幾つものくちずけ。
アンジェリークは逃げようとはしなかった。
背をむけたまま静かに、その身に落とされるぬくもりに身をあずけている。
そして、それは、ブラウスのボタンにそっと手がかけられた時にもかわることはなかった。
次第に露わになっていく少女の肌。
背中のあたりにくちづけを感じたあと、ふっと遠ざかったぬくもりにアンジェリークは少し不安になった。 「……?」
恥ずかしさをこらえて振り向こうとした少女の目を、ジュリアスが手で覆い、耳元でささやく。
「……そのままで」

かすかに衣擦れの音が聞こえた。

ふたたび抱きしめられたとき、アンジェリークは重なり合う肌の感触にその身を震わせた。
恐ろしいわけではない、不安なわけでもない。
ただ、直にふれあう愛しい人のぬくもりに、想いが溢れて心も、体も震わせるのである。
肩にかかった、自分よりも長いく、さらに輝く黄金の髪の一房を愛しげにその手で触れ
「ジュリアス……さま……」
そう、愛しい名を呼んだ。

その呼び掛けに応えるかのように再び肩や腕に落とされるくちづけと、激しさを増す愛撫。
彫刻のような指が、乳房の先ににかかったとき、耐えかねたように少女は仰け反った。
顎に手をかけ、今度は激しく接吻する。
深く、激しく繰り返される接吻に次第に少女も求めるように反応を返す。
甘やかな感覚の渦にまきこまれ、つい力がぬけて、しゃがみ込みそうになる彼女を腕でささえてジュリアスはそれを許さない。
愛撫の手が、次第に下肢へとなぞってゆく。
ついに甘い声をもらす少女を、愛撫しながら今度はそっと、防寒のために用意していた毛布の上に横たえ、唇ではひとつ、ひとつ、まるで星を数えるかのごと、白い胸元に跡をのこす。
与えられた感覚にひとすじの涙を流してアンジェリークはふたたび、さらに切なく名をよぶ。
「……ジュリアス……さ……ま……」
そしてジュリアスは自分もそっと名をささやき、ゆっくりと身を重ねていった。


手に入れる事のできない切なさに、心が疼いたあの夜と違い、いま、このかいなに天使をいだきながら、何故、 何故、いまも、切なさに心が疼くのか?
腕に抱き、愛しいと想えば、愛しいと想うほど、さらに切なさが増して、私を苦しめる。
アンジェリーク
そなたは、近くにあるようでいて、けっして手の届かぬあの星のようだ。
だが、きっと、私はいつまでも追い求めるだろう。
この腕の中の私の天使を……。



「辛くはないか?」
自分をうけいれつつも、痛みに細い悲鳴をあげていた少女に尋ねる。
ふたりよりそって、毛布にくるまりながら、アンジェリークは大丈夫です。とちいさく答えた。

東の空がかすかに白み始め、いずれ彩やかな夜明けと共に星の光はかき消されるだろう。
それでも、この少女は私の傍らにいる。
そう思い、ジュリアスは絡めていた指先にすこし力を入れる。
無言でジュリアスを見上げて微笑み、アンジェリークもその手に力を入れた。
そろそろ、飛空都市に戻らなければならない。
けれど、不思議とふたりに昨夜のような不安はなかった。
たとえ、どんな結果が待っていてとしても、この想いはかわらない。
そんな心が、指先のぬくもりと一緒に伝わった。

ジュリアスは思う。
何かを失うことになるかもしれない、けれど、いつか、辿り着くところは同じだ。
この愛しい人のいる所こそ、私の帰るべき故郷なのだから。

静かに、太陽が姿を見せはじめる。夕刻には再び鮮烈な姿で沈みゆくであろう太陽。
でも、今は、そう、これから始まる新しい一日の夜明けなのだ。

◇◆◇◆◇


飛空都市へ戻り、聖地へ承諾を受けに赴いた彼らを待ちうけていたものは、温かい、同僚達の祝福だった。
そして、ロザリアの即位の儀も終わり、しばし忙しい日々が続き、一息ついた頃のことである。
改めて礼を言うため、「おそらく、こうなるであろうからな……」と、予め根回しをしていてくれた闇の守護聖を訪ねると、彼はその日の明け方、人知れず聖地を去った後だった。

――彼がこの聖地に訪れた時と同じく、それはあまりにも突然訪れた別れであった。


さて、蛇足かもしれないが、エリューシオンはこの後もフェリシアと共に順調に発展を続けることになる。
そして、他の惑星から訪れた旅行者は、エリューシオンの民からこんな話を聞くことだろう。

「エリューシオンがいつだって幸せなのは、
この地をお導きくださった天使様が幸せだからさ。
この大陸はね、帰るべき故郷をもたない人たちにも、懐かしいと感じられる、
そんな家の明かりのような大陸なんだよ」
と。

そして、その家の明かりのような大陸で。
長き時を生きた故に、帰るべき故郷を持たぬ、とある男女が再会することになる。
しかしこれは、また、別の物語である。

〜fin.

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