家の明かり

(1)〜天に輝くもの〜


星々は金色に瞬き、降るように光を注ぎながら音も無く天空を廻っている。
この世界に息づく生命達は、すべて穏やかな眠りについていそうな、そんな静かな、静かな夜だった。
飛空都市の女王候補生寮へ続く道を、ふたつの影が歩いている。

「すっかり、晩くなってしまったなようだな」
光の守護聖ジュリアスが、少し申しわけなさそうに隣の少女に語り掛ける。

日の曜日の朝、憧れ続けていた光の守護聖に遠乗りに誘われ、彼女は少なからず驚いたものだ。
女王試験が始まって、かなりの時が立つ。しかしその間、ジュリアスのアンジェリークに対する態度は光の守護聖として、女王候補に対するそれ以外の何物でもなかったのだから。
自分の恋心を伝える術もなく、ただそのひとの目に入りたい一心で女王候補として恥ずかしくないよう、 日々努力してきた。
いま、エリューシオンは美しく発展し、もう一人の女王候補ロザリアの導くフェリシアに優るとも劣らない。
今日の遠乗りは、そんな中での出来事だったのである。

「ええ、でも、今日は本当に楽しかったです。…この飛空都市にあんなに美しいところがあったなんて」
金の髪の少女・アンジェリークは、昼間の感動の冷めやらぬ様子で瞳をきらきらさせながら答えた。
背後に愛しいひとの温もりを感じつつ、優美な白い馬の背に乗り連れられた場所は、一面に広がる花の野であった。
時を忘れ花と戯れる少女。
それをみつめる優しい、蒼穹の瞳。
どれほど、時が過ぎたのか。
遊びつかれていつのまにか眠ってしまっていた少女は、名を呼ばれ、はっと目覚める。
そのひとが無言のまま指差すその先は、 飛空都市の縁へと沈みゆく太陽だった。
鮮やかに、あでやかに、一日の終末を抱え太陽は落ちていく。どこまでも鮮烈で激しくそして。
どこか、寂しい。
眩しい光に目を細めながらも、逸らせないその輝きに、隣に立つひとをなぜか、アンジェリークは思い浮かべた。

「それならば、良い。あの風景を一度、そなたに見せたかったのだ。試験が終われば、 ここへは二度と来るまいからな。」
そう、試験の終わりはそう遠い将来の話ではないことは誰の目にも明らかだった。
そしてこのままいけば、僅差であれアンジェリークが女王となるであろうことも。
言葉を口にしながら、彼はその彫像のように美しい顔を僅かに苦痛で歪めたが、少女がそれに気付くことはなかった。

天を見上げながらアンジェリークが言う
「きれいなお月様ですね。星も、あんなに輝いて」
先程の激しい太陽の名残など、どこにもない。そして朝になればこの静かな夜の気配なぞ、同じくかき消されてしまうのだ。
それが当たり前なのに、不思議に感じる。
それが光と闇、一対と言われる所以。
けして、相交わることのない存在。

「ここは、いつも暖かくて、一年中春みたいですね。聖地も、同じ様なんですか?」
「ああ、そうだな。陛下のお力で常に穏やかな気候に保たれている」
「そうなんですか。じゃあ、やはり四季はないんですね」
すこし、遠くを見るような目をしてアンジェリークは続ける。
「今日の夜空も綺麗ですけど、私、冬の夜空が大好きなんです」

凍てついた乾燥した空気。身も切るような冷たい風。
だけど、空を見上げると、葉を落とした木々の枝の間から、銀色の星がまるでカラカラと音を立てて落ちて来そうな、そんな夜。

「ひとりぼっちで、寒くって、息も白くて、手がかじかんで……。
冴々と澄んだ月がまるで猫の爪みたいに鋭くて、見てるだけで悲しいような気分になるんです。
でも、よくよく考えてみるとそれは、『悲しい』じゃなくて、すごく、すごく、深い感情の疼きだって思って」

本当に美しいものを見た時に人が感じる痛みにも似た心の疼き、それは、この、恋心にも似ている。
永遠にこのときを留めておきたくて、でも、それが叶わぬ事を知っているから。
だから心が疼く。

「そんなふうに考えながら歩いてると、遠くに、お家の明かりが見えてくるんです。ほら、あんな風に」
遠くに寮から漏れて、見える明かりを指差す。
「それを見た瞬間、涙が出るほどほっとして……。
さっきとは全然違う気持で、また、心が疼くんです。
あの家にはいったら、ちゃんと『おかえりなさい』って、いってくれるひとがいるんだなあ。
なんて、思ってしまって。あ…ごめんなさい、私変な事、はなしちゃいましたね……」
黙ったまま聞いていたジュリアスに言う。
「いや、そのようなことはない。私も、そう、遥か遠い昔、そのように思った事があったかもしれない」
まだ、家族といた幼い日々に。
「そなたは、家へ帰りたいのか?」
ホームシックを思わせる女王候補の言葉に少し不安になり尋ねてみる。
少女は首を振り、屈託なく笑う。
「いいえ。あ、いえ、帰りたくない訳ではないですけど、ホームシックとか、そういうのじゃありません」
ただ、先程ジュリアスが見せてくれた鮮烈な夕日が、彼にとって、アンジェリークに見せたい風景だったとしたら、彼女にとって、その風景こそジュリアスに見せたいものだったからである。

そうするうちにふたりは寮へと到着した。
門の前でアンジェリークと別れ、帰路についた青年を、その輝く髪が宵闇に紛れ見えなくなるまで少女はずっとみつめていた。


◇ 「(2)〜遠い記憶」へ ◇
◇ 「家の明かり」目次へ ◇
◇ 「彩雲の本棚」へ ◇