星に願いを

3.理由



◇◆◇◆◇

ムカっ腹立てたまま、それでも公務時間内は執務室に座っておいた。
時間になり次第セレスティアで飲んで、遊んで。私邸に帰る時はすでに星空だ。
聖地の空は嫌味みたいに清んでいやがって、星もずいぶんとはっきり見える。
こんな星空は、常春のこの場所であっても、故郷の冬の。
あの日の空を思い出させた。

実家の小さな町工場は、長引く不景気で立ち回らなくなり、後には借金だけが残った。
ある日、外で遊んできなさいと父親が言う。
呼びに行くまで戻ってはいけない、と。
部屋の奥では母親が、古くなった、でも一足しかない父の余所行きの革靴を磨いていた。
弟四人と妹をぞろぞろ連れてしばらくは遊んだものの、日は暮れ、寒さで凍えてくる。
乾燥した冬の町。夜空にはやけにくっきりと星が瞬いて。
寒さに耐え切れず家に戻れば。
親は、く ―― 。

思わず頭を強く振った。
わざわざ思い出すようなことじゃない。
今となっては『逃げた』彼らを責める気にもならなかった。
俺と弟、妹を人買いに売らなかっただけまともな親だ。
妹とは孤児院に入れられるときに、離れ離れになった。

無事に生きてりゃ今頃は ―― エンジュと同じ年頃、か。

ふいに、名の浮かんだ少女の姿が目に飛び込んできた。
気のせいかと思ったが、どうやら実体らしい。
私邸への道は、花に囲まれたなだらかな坂を登った先にあるが、その坂の中腹。 少女は空を仰いでいた。
つられて空を見上げるとキラリ流れ落ちる星がある。彼女は急いで手を組んで、何かを呟き祈っているようだ。
少しだけ、意外に思う。
思い立ったら即決定即実行、肝が据わりすぎていて無敵艦隊状態の彼女が、一体何を星に願うのか。
そもそも、流れ星が願いをかなえるなどという迷信を、信じているとは思えない。
もっとも昼間の水の守護聖の例もある。こんなもんだと思い込んでいるだけで、それはその人の側面に過ぎないことなど珍しくもないのだ。
「星は、願いをかなえてくれるか?」
歩み寄り、俺はそう声を掛けた。特に驚いた風もなく彼女はこちらを向くと、肩をすくめそしてきっぱりと言った。

「いいえ、まさか。祈ったところで星は願いや夢を叶えてはくれません。叶えるのはいつだって、自分自身です」

その答えは、ひどく俺の趣味に合う。では、それなら何故。
「じゃあ、何で祈ってンのよ、エンジュちゃん?」
「内緒です」
「愛しいあの人に思いを伝える勇気をくれ、とかじゃねぇのか?」
彼女は不満そうに片方の眉を上げた。
「その必要はなくなりました。残念ながら」
さらりとかわせばいいものを、彼女は馬鹿正直にそんなことを言うものだから、つい突っ込みを入れたくなる。
「あん? なんだ、フラれたのか」
彼女は更に不満そうに片方の眉を上げる。
「振られたんじゃないです、諦めたんです」
同じことだと思ったが、こだわりがあるらしいので俺は黙っておいた。
「金の髪の美しい補佐官様が恋人じゃ。お似合いですもの」
「金の髪の補佐官? ってこたぁ …… 意外な趣味だな」
俺の脳裏には、妙に軽い口調の元気モンな補佐官と、眼鏡をかけた生真面目で人付き合いが苦手そうな男の顔が浮かぶ。
「鋼の奴がねぇ」
するとエンジュは何故か眉をひそめ、しばらく何かを探るように俺のことを見た。
「…… まあ、いいや。その通りです、彼です。ちょっとだけお兄ちゃんに似ていたの。だから人の趣味にケチつけないでください」
お兄ちゃん、だって? 彼女がブラコンであるのをはじめて知った。
だが、ついさっきまで自身が己の妹と彼女を重ね合わせていたところだ。
彼女にも兄がいるという事が、そしてその兄を慕っているということが何故か少しだけ嬉しかった。
「それに、ともかく諦めたんですから」
「なんだ『私には敵わないワ』とかいって諦めるってか?」
だとしたら、らしくない。仮に俺の知る彼女の姿がほんの一部だとしても、だ。だからからかうような口調で少し挑発してみたが、彼女は淡々としている。
「何勝手に話つくってるんですか。そんなこと言うわけないじゃないですか。そもそも敵わないと思ったわけでもなし」
「ん?ってこたあ、反対に『わたしの方がふさわしいのにっ!』って思ってるクチか?」
いやしかし、それも、やっぱりらしくない。
やれやれ、と言った風に彼女は肩をすくめ、多少の怒りのこもった目つきでこちらを見据えた。

「だから、勝手に話を作らないでくださいってば。
『敵わない』と思うことと『自分の方がふさわしい』と思うことの二択でなければいけない訳じゃないでしょう?
前者は卑屈、後者は傲慢。私はどちらにもなりたくないです。
実際は、敵わないなぁって、思ってしまいそうだけれど、そこをぐっと堪えて言わずにいることに意味があるんです。言ってしまったら、自分の未来の可能性まで否定してしまうみたいじゃないですか。
そもそも、敵うとか敵わないとか、比べられることではないでしょう。
私は、私らしくありたいですから」

一気にそこまで言って、彼女はふう、と一息ついた。
「…… 卑屈と傲慢なんて、何私に語らせてるんですか。レオナード様の管轄ですよ」
「俺、の? 管轄?」
「光のサクリアの力ですよ。多くてもだめ、少なくてもだめ。バランスが大切なんです」

卑屈と傲慢?

周りがなんとかしてくれるなんて考えるのは ―― 卑屈。
人間を"救える"って考えるのは ―― 傲慢。
光のサクリア。バランス。

昼間の出来事から、いや、守護聖というものになってから此の方、ずっと引っかかっていた何か。
その何かが、見えた気がした。しかし、明確な形になるまえに、それは掻き消えてしまう。
「どうかしましたか?」
「なんでもねぇ。くしゃみが出そうででなかっただけだ。しかしなるほどな。じゃあ、お姫様ン中では、俺の力が程よく調和してるってことか」
彼女は複雑そうに、いやむしろ嫌そうに、か。眉をひそめた。
「…… "俺の力"って言われると、なんだか微妙ですけれど …… まあ、そんな感じです」
「相変わらずツレねえなぁ。 それにしても、何でこんなところで星みてンのよ。それとも、俺を待ってたか?」
この丘が、一番星を見やすいんだとかなんだとか、そんな理由だろうとは思っていた。だから、からかったつもりだったのだが、意外な返答が返ってきた。
「ええ、待ってました。レオナード様を。まあ、もうしばらく待って来なかったら、酔い潰れ・どっかで野宿・二日酔いパターンだろうから諦めて帰ろうとは思ってたんですが」
「おっ、なによ、なによ。ついに俺様に惚れてることを自覚して、健気に告白でもしに来たか」
「アホ言わないでください。説教しに待ってたんです」
「説教だぁあ?」
さすがに意表をつかれて、素っ頓狂な声をあげてしまった。しかし、何をだ。昼寝の件のことか。
「会議で随分と大人気ない真似をなさったとか」
「なんだ、あの坊やが泣きついて告げ口でもしたか」
「ティムカ様はそんなことする方じゃありません。フランシス様が状況を教えてくださったんです」
「うっわ、あの野郎陰険な真似を」
「何が陰険ですか。ただ私の任務の延長で会議結果を伺っただけです」
「何でフランシスのヤローなわけよ」
「お忘れですか、あなたが首座で、いなければ両翼の片割れである闇の守護聖のところに行くのは当たり前でしょう。 」
とてつもない勢いで言い合って、最後はなるほど、そういやそうかと納得させられる。
つい、いつもまとめ役のヴィクトールを頼りにしがちだが、首座という意味では光が首座で、その次といえば対となる力を担う、闇の守護聖が来るわけか。
それにしても、あいつが両翼の片割れなどと言われると薄ら寒い心持ちになる。
あいつだって、同じだろう。
「レオナード様の執務室に伺ったのは、執務時間を過ぎてからでしたから、そのことについてはとやかく言うつもりはありませんが」
「じゃあ、何に対してとやかく言いたいわけよ?お姫様」
「昼間の件に関しては、居場所を明らかにしなかったレオナード様に非があります。それを逆恨みというべきか、逆ギレというべきか、他の方に八つ当たりするなんて」
そこで、彼女は一回言葉を切った。今までの怒りを含んだ表情から、すこしだけ、なぜか悲しそうな顔になる。

「―― レオナード様らしく、ありません」

らしくない、か。彼女の中の俺というのは、いったいどんな像を結んでいるのだろうか。それがどうあれ俺自身、彼女に俺の『彼女らしさ』押し付けて当てはめて、考えていたことだから、おあいこなのだろう。
彼女の話は続いている。
「それに、ひとつ間違えば大惨事だったのは事実なんですよ。星々の民が日々懸命に生きているんですから ―― 」

懸命に? 生きて? だからこそ。

「―― なあ、お前」
思わず彼女の言葉を、俺は途中で遮った。
昼間と同じ、心の中に言葉にしづらい感情が渦巻いて、本当は怒鳴りそうになった。

俺たちは一体何だ。サクリアって一体何だよ。何様だよ?
人の人生左右できるほど、お偉いモンなのかよ?
俺たちは。俺たちは、神じゃない。人間じゃぁねえのか?

だがここで感情的になれば、それは昼間と同じことを繰り返すだけだ。ガキじゃあるめえし。俺は一旦言葉を切って呼吸を整える。エンジュも冷静な態度で聞き返してきた。
「はい、なんでしょう」
彼女は真っ直ぐこちらを見ている。
その瞳はいつだって真摯だ。だから、おれもできるだけ、誠実に語るよう、心がけてみる。

「俺にはわかんねぇんだ。
いや、民がどうのとか、懸命に生きているってのはわかんだ。わかるんだか、だからこそ上から見下すようにお慈悲でサクリアとやらをめぐんでやるってえように思えてならねえんだよ …… あー、わかりにくいよな。自分でもよくわからねえよ。ただ、こう、聖地だなんて雲の上みたいな場所でな、飢えもせずににぬくぬくいてよ。それで、地上の奴らのこと云々ってどうかと思うわけよ? だからって仕事サボっていい口実にはなんねえのはわかってるんだけどよ。納得いかねぇで言われたまンま仕事するのも、民とやらに対して ―― 誠実じゃ、ねえんじゃねえか」

彼女はゆっくりと頷いてから、何かを思い出すように星空を見上げる。
「全くわからないわけではないです。そうですね、例えば私が闘病生活をしていたとして。治る分には自力だろうとサクリアのおかげだろうと関係ないですけれど、反対にサクリアが足りないという理由で、どんなに頑張っても治らないというのでは、ちょっとむかつきますね。自分の範疇外のところで人生きめられてるようで」
「だろ?」
「でも、サクリアで病気は治りません。鋼の力で医学が発達したりすれば別ですが。女王陛下といえども、魔法のように病は癒せない。 ―― でも流れ星を」
彼女は、何かを言いかけた。だが「いえ、なんでもないです」そう切り上げて、俺のほうに向かい言った。
「貴方の中で、何かが引っかかっているんですね? 私はその疑問に即答はできません。ただ、そう、少し話しませんか。話すうち貴方の中で、何かがまとまるかもしれないから」
彼女はまるで子供を安心させるかのような笑顔を作った。
長い立ち話に疲れたのか、「座りましょう」と言って道脇の舗装煉瓦にひょいと腰かけ、俺にも隣に座るよう促す。
何かを話せといわれたところで。
上手く言葉にできないと言っているのだから、すぐに話すべきものが見つかるわけでもなかった。
でも黙って星を見上げれば、否応無しに浮かび上がる記憶がある。
目を逸らそうとしても、結局、俺がひっかかていることの根本には『それ』があるのだろう。
全てをさらけ出すことはしたくなかった。だが、少しだけ話してもいいかという気になったのだ。

「お前さ、首吊り自殺の死体って見たことあるか」

流石に彼女は目を見開いて、首を横に振った。
「ガキのころに未曾有の不景気がやってきてな。借金で回らなくなった首をそのまま吊っちまう奴なんざ珍しくなかったわけよ」

寒さに耐え切れず帰った家。
きれい好きな母がいつも綺麗にしていた床に、窓枠の形をした青い影がくっきりうかぶ。
そして、その中に、ぶら下がる両親の体。

「磨かれた靴が足元にきれいに揃えられててな」

さっきまで母が磨いていた靴。
星影にあわく光りさえして。
転がった椅子と妙にアンバランスで。

「知り合いの方、ですか……?」
「だたの、近所の奴さ」

俺は短く嘘をついた。
エンジュの視線が少しだけ揺らいだ。
いつも真っ直ぐにこちらを見据える彼女の、心の揺らぎをそのまま伝えるかのようだ。

「靴、磨かれたままだったんですか。床も?」
「ああ」

まるで死出の旅の準備のように。
俺はあの時そう感じた。だから、エンジュも同じことを思ったのだろう、そう理解した。
彼女は眉を寄せ、何故か不思議そうな顔をした。
俺は話を続ける。
「俺ら守護聖がな、マジメに仕事しなかったら大惨事になるって、そう云ったろう。多くの人が死ぬことになるってな。
…… じゃあさ、俺たちがマジメに仕事するかどうかで、あいつらが首くくるかどうかまで決まっちまうのか、って思ったわけよ。 反対にどんなに頑張っても、あいつら自身に自分を救う術がそもそもなかったとでもいうのかってな。
だから、ついな。
あのいかにも育ちが良さげで苦労も知らなさそうな坊やがよ、訳知り顔に『民のため』なんてほざくもんだからアタマに来たのさ。お前の言うとおりあれは八つ当たりだな。ちったあ悪かったと思ってるさ」
「謝るのは私ではなく、ご当人にしてくださいね?」
彼女がそこで少しだけ笑みをこぼす。けれどもすぐに沈黙が降りた。彼女がふと首を上げて空を見上げる。
そこに一筋の流れ星。
「思うんです。レオナード様は本当は答えを知っているんじゃないかって。知っているんだけれども、自分が知っていることを知らないんです」
俺が、答えを知っている、だって?
詳しく聞きたいと思ったが、彼女はそれ以上そのことについては何も言わなかった。
「それにしてもレオナード様、また『苦労も知らない』って仰いましたね。以前言ったようにそんなのは表からじゃなにもわからないんですよ。レオナード様が『苦労を知らない坊や』って言った方についても、ですけどね」
その時彼女は少し目を上目遣いにして、少しだけ、ほんの少しだけ悪戯っぽく笑ったように俺には見えた。

「…… 私の口から言うのはどうかとも思うのですけれど。彼は父君の病状が思わしくなくて、十四歳で ―― お父さんのかわりに働き始めたらしいんです。こういってしまえば苦労がなかったわけない、ことは想像に難くないですよね?」
それはあまりに意外な生い立ちだった。
そういえば、昼間あいつは、学校に通ったことが無いと、そう言っていなかったか。
「あいつ ―― 親、いねぇのか」
「いいえ、まだご存命ではあったはずだけれど。覚悟はしているみたなことは、仰ってました。だから余計、守護聖の話は迷ったでしょうに。弟さんもまだ小さかったし」
「…… ちいせえ弟までいんのか」
俺は病気の父を抱えて、母と弟のために働く少年の姿を想像していた。
そして、その時、彼女がおかしそうに口元を押さえているのを見た気がしたが、気のせいだろうと思うことにした。
なぜなら彼女は直ぐに真剣な表情になったからだ。
「レオナード様に何かの引っ掛かりがあるように、それぞれ想いはあるんですよ。だから、世間知らずの坊やとか、そういう言葉でオシマイにしてしまうようなことは ―― しないでください」
「ああ、わかったよ、お姫様」
素直にうなずくと彼女は満足そうに「よし、説教終わり!」と立ち上がる。
そろそろ帰ります、と言いながら彼女は思い出したように。
「そういえば。『大変だったでしょう』とか『可愛そうに』とか言われるの嫌いだ、って以前仰っていましたよね?」
「あん? あ、ああ。そうだが」
「だったら、私がティムカ様の生い立ちを少し話したからといって、それで彼に対する態度を変えるのは、自己矛盾してるって、気づいてます? まあ、例えばの話ですが」
やられた。そう思った。
確かに、十代で親の変わりに働き始めただのと聞かされて、言葉は悪いが同情に近い気持ちが頭をもたげていたのだ。だが、確かに言われたとおりそれは自己矛盾だ。
「人を判断するのは、生い立ちなんかじゃなく、その人そのものを見てするべきですよね。ま、今後あの方の生い立ちで別の情報仕入れても、今の私の言葉思い出してくださいな」
「なんだよ、お前、嘘ついたのか」
エンジュは音が聞こえそうなほど激しく首を振った。
「やだなぁ。嘘はついてません。多少話していないことはありますが」
「おい、話してないことっていったい ―― 」
俺の質問を無視して、彼女は軽やかに身を翻す。
「今日は遅くなっちゃった。それじゃ、レオナード様おやすみなさい!」

その場に俺を残し、彼女は星空の下、坂道を駆けて行った。

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