星に願いを

1.プロローグ



「苦労は買ってでもしろって、じいちゃんが言ってたぞ」

先日何の拍子だったかしらねぇが、ユーイの奴がそんな台詞を吐いていた。
言いたい事がわからないわけじゃねぇが、正直なところは「冗談じゃねぇ」。
そう思う。
そんなのは俺に言わせれば、食うに困ったことのないやつが言う綺麗ごとだ。
苦労なんてのはしないに越したこたぁねえに決まってるじゃねえか。

反面、苦労なんかしたこたねぇ奴が訳知り顔で「大変だったでしょう」とか「可愛そうに」とか言う。
そういうのも、虫唾が走るほど嫌いだ。
己の経験したことのない苦しみや痛みなど、所詮は他人事だ。
そして、他人である限り似ていることはあっても、同じ苦しみを持つことなどありえない。
だから本当の意味で理解することなどできるはずがない。
だが、わかったフリをしたり、同情するフリをしたりして、無駄な軋轢を生まないようにして人間は生きているのだ。
世の中なんざ、そういうもんだと思っていた。
そして、今もその考えは変わっていない。

で、同情したがる奴に限ってこう言うと、怒るか泣くかするワケで。
それで一層、嫌気がさすことになるって寸法だ。

ただ、そんな中ただ一人だけ、違う反応をした奴がいる。
怒っているわけでもない、泣きそうなわけでもない。
ただ淡々と、エンジュと名乗った女はこう言った。

「レオナードさん、気持ちはわからなくないんですが、その理屈には残念ながら問題があるみたいなんですけど。
苦労なんかしたこたねぇ奴が、と言うけれど、じゃあ、貴方は相手の何をもって苦労を知らないというんでしょう?
自分の苦労を吹聴して回るカッコ悪い人なんか、ほんの一部ですよ。
誰かしらそれぞれの悲しみやら苦しみやらを見えぬところに抱えて生きているんでしょうに。
それを『苦労をしたことない奴』とか『幸せな奴』なんて言うことは、あなたが嫌う、訳知り顔で『可愛そうに』と言うことと大差無いんじゃないですか?
まあ、だとしてもあなたの言う、本当の意味で理解することなどできない、ってのは事実かもしれませんけれどね。
あなたが理解されていないというのと同じように、あなたも他人を理解なんかできない。
でもそれに、何かしらの無力感を感じるなら、それは。
それは。
理解されたいと願っているって事じゃないんですか?
理解したいと願っているって事じゃないですか?
人間は一人ひとりの、そう、所詮は他人です。
でもそこに、たとえ絵空事でも何らかの絆を生もうとする。
それが、生きてるって事じゃないですか?」

昼なのに、薄暗い地下のバー。
ヤニで汚れた汚い壁の、上の隅。
気休め程度についた明り取りの細い窓から入る光が、室内の舞い上がる埃で筋になっている。

カウンター越し、印象的な赤い瞳がこちらを見据えていた。
話の流れやきっかけはとうに忘れたのに、こうやってなぜか言葉は残らず覚えている。
今思えばの話だが、俺がそいつに惚れたのはもしからその時だったのかもしれない。

そして、俺は守護聖になることを承諾した。

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