故国へ還る日

9) 過去からの伝言




扉の開くときに生じる風圧で、部屋の中の空気が動いた。

「ロザリア、下がって!」

気づいた彼が叫び、私を背にかばうように片腕を広げて前へと立ちはだかった。
けれども次の瞬間、彼の緊張が解けたように腕が下がり、肩の力が抜ける。
それは彼の体の横から顔を出して、扉のところに立っている人物を確認した私も同じことだった。
だって、そこに立っていたのは、先ほど博物館で私たちの目の前をかけていった、目じりに黥を施したふたりの幼い子供。
兄と、妹であろうか。
よく、面差しが似ている。

予想外の闖入者に驚いたのは、彼らも同じだったようだ。
しばらくは呆然としていたが、兄らしい少年が言った。

「ど、どうしてここのかぎをあけられたの」

不審者に対する警戒心よりは、驚きの方が勝っているようだ。いや、膨らませた頬を見る限りでは、勝っているのは悔しさか。
「じいさまと、父さまと、ぼくしかあけられないのに」
「そうなの。ずるいの。にいさまには開けられるのに私にはできないのよ」
そう言った妹であろう少女は、兄の少年よりもさらに悔しそうに頬を膨らませた。
「どうして、あけられたの?」
ふたりの幼い子供に詰め寄られ
「ええと、それは …… 」
と、馬鹿正直に答えに窮する彼。苦笑して、私は子供たちに言った。
「秘密。そうね、これだけは教えてあげてよ。魔法をつかったのですわ」
「魔法?」
ひどく疑わしげに少年は私たちをみていたが、少女の方は彼女なりに納得した様子だった。
少女は兄の袖を引っ張って、変な魔法をかけられてしまう前に帰ろう、と言い出す。
半べそモードに突入した妹に困り果てて、彼はしぶしぶ踵を返す。
去り際
「ぼくたちのひみつの遊びばしょだから、あんまりちらかさないでよね。それと、つくえのひきだしの秘密の言葉、もしも魔法でとけたらあとでこっそりおしえて」
そう言って。
去ってゆく子供たちの小さな足音。
扉が、ゆっくりと閉じる。

「秘密の隠し場所の答えが、わかったわね?」
嬉々として顔を覗き込んで言うと、彼も頷く。
「机の、引出しですね」

窓際の机にに寄り幾つかある引出しの中、彼はほんの少しだけ迷ってから上から二番目の引出しを何故か最初に開けた。
そこには、部屋の入り口にあったプレートに似た金属板がはめ込まれており、引出しの中のものが取り出せないようになっている。
彼は、もう一度己の血をそこのプレートに染み込ませた。
それにしても。
黙々と作業をしている後姿を見ながら、考える。
彼は気がついているのだろうか。何故、先ほどの子供らがここを遊び場として利用できていたのかという『謎』の答えに。

かちり。

入り口と同じように、何かの鍵が外れる音がする。同時に、部屋の明かりが消えた。
突如、部屋の中心辺りに浮かび上がる、映像。
彼が、息を飲む声が聞こえた。

◇◆◇◆◇

『陛 …… じゃない、ティムカ様、お元気でしょうか。お久しぶりです。サーリアです。
陛下、イシュト。
これで、大丈夫だと思います。録画されています』
イシュト。サーリア。
その名前には聞き覚えがある。
それはかつて、くちづけ小道で迷っていた彼を探しに来てくれた、彼の年上の幼馴染達だ。
彼の思い出話の中、幾度も登場しており、なんだかはじめてあった気がしない。
夫は、声も出せぬまま、映像を凝視している。さらに、人影が現れる。
彼が、かすれる声を搾り出した。

―― カムラン ……

『本当に大丈夫なのか。サーリア。イシュトならともかくおまえが機械類に強いなど、想像もつかなかったぞ』

『イシュトならともかく、って、信用してください、陛下。
講習まで受けにいったのですから、セティンバー社開発の、血液でのDNA認証システムも完璧です。
…… 公休扱いに、ちゃんとしてくださいね。お願いしますよ、陛下』

『忘れないことを祈っておけ。あと、こいつの身代わりの藍方石の件も大丈夫か?それと青い鋼玉石(コランダム)も一緒にだ』

『ええ、そちらも確保できましたから、ご安心を』

『ご苦労だった』
映像の中の、彼によく似た面差しの青年。
歳の頃も、今の彼と同じくらいだろうか。けれど、外見はひどく似ているのに、その印象は全く違う。
髪を短くし、服装もいささかカジュアルすぎる。それだけではなく、 誰に対しても柔らかな物腰の彼とは対照的に尊大とも評せるようなその態度。けれども何故か、その様子に悪感情がわかない。夫の、あのにこりという笑顔が、すべての人を惹きつけて彼の力になりたいと思わせるように、この青年もまた、そのどこかやんちゃで憎めない笑みが、人を強く惹きつける。

それにしても、映像の中でカムラン王が『こいつ』と言った石は、王冠にはめられていた藍方石ではないのか。
彼は子供の拳ほどの青い石を、まるでボールを扱うように手の上で弄んでいる。
それに。
―― 身代わり、ですって?

『ところで陛下、お願いですから、その藍方石をその辺の石ころみたいに扱うのはやめてくださいませんか。
ダイヤモンドと違って硬度は低いはずです。落したら割れます。
心臓に悪いです。私の近衛軍将軍職の一生分の俸禄を使ったって百分の一も弁償できません』

『何もおまえが弁償する必要もなかろう。変な奴だな。
ところでそれは、俸禄をあげろと言う意味か?』

『あ、いえ、そんなつもりでは。げふげふ。
…… 本題にいきましょう、本題。
このシステムなんですが、陛下のY染色体をベースにしてありますから今後陛下の、父系で考えた場合の直系子孫も認証を通ります。でもパスワードも設けるのでその辺は問題ないはずですよね?』

『わかった。
認証システムとパスワードを同時にひらけるのははおそらく兄上しかいないから問題ない。先日儀式にみえた神鳥の水の守護聖様が直々にヒントを教えてくださった』

『さあ、陛下もサーリアも。雑談はそのへんにしておきましょう』
もうひとつの人影が姿を現した。
怜悧な印象の青年。彼が、イシュトという人物なのだろう。革命王カムランの幼い頃からの教育係で、後に国太師と呼ばれた人物。
気心が知れた風の三人の、映像の中の会話は続いている。
それはあまりに生き生きとして、この会話がなされた時から数百の時が流れているなどどうして信じられるだろう。
私たちはこのとき間違いなく、遥かな時間を飛び越えて懐かしい人たちとの会話を共に楽しんでいた。

『イシュト、そんなこといってないでおまえも何かメッセージのこせ』

『私は遠慮しておきます。というか、この後しっかり、若君にメッセージを残す役割分担になっている』

『待て、今の映像を残しておくつもりか?聞いていない。消せ。命令だ。消せ』

『はいはい、わかりました。ちゃんとあとで消すことにします』
そういいつつ、映像の中のサーリアという人物は、こちらを向き悪戯っぽく笑いながら片目をつぶった。 彼はきっとわざと、この映像を消さなかったのだ。

◇◆◇◆◇

サーリア将軍がスイッチを入れるような仕草をした後、一端映像が消え、机の引出しの中のパネルが一部自動的に上がる。
現れた入力端末と、立体ディスプレイに表示される文字。

『あなたが手に入れた、幸せの青い鳥の名を』

私は、眉をひそめるばかりだった。かつてのわたくしの守護聖は、いったいこの国の王に何を教えたと言うのか。
なのに、彼は迷わずある単語を入力する。

―― ロザリア

驚いて彼を見ると、照れたような表情の笑顔がかえる。
そしてふたたび、映像が現れた。
国太師イシュトが一人、部屋の中心にたってこちらに向かい笑みを浮かべている。

『若君、お久しぶりです。ご健勝でいらっしゃいますでしょうか。
どこから話すべきか迷います。
ただ、先に申し上げる。
あなたは、何一つ、憂う必要はないのだと』
彼は黙って、映像を凝視していた。

『聡明な若君のことです。ここにたどり着いた時点で、きっと謎の答えには気づいていると思うのですが、まあ答え合わせにお付き合いください。

私たちは、この後数十年をかけて王制の廃止と共和制への移行を行うことに決めました。
理由は幾つかあります。
まず、一つ目は。
十八年前この国で起きた災厄。
突然の国王の崩御が理由です。何を指すか、おわかりかと思います。多くは、言いませんが。
…… あの時のように、突如柱が失われることで民が混乱する事態をもう、カムラン陛下は招きたくないと仰る。
それに、あなたの後を継いだ彼は、非常に聡明な人物ですが、今後必ずしも聡明な人物だけが王になるとは限らない。
王制である限り、その危険をいつだって孕んでいるわけです。

ふたつ目、それは若君、あなたの意思でもあった。
この本を、みつけました』
青年は一冊の本をかざす。
きっと、以前夫が話していた、共和制移行の原案をまとめた書物なのだろう。
私は夫のそばに寄り添い、僅かに震えているその手をそっと握った。

『非常に理にかなった政策です。今後、これを参考にさせてもらうことも多いでしょう。
ただ、言っておきます。
カムラン様は、この書物をみたからではなく、自分自身でティムカ様と同じこの答えを導いたのです。

みっつめ、これが最後です。
これは、陛下の我侭でもあるのです。
カムラン様は、何よりもティムカ様が帰る場所を作りたかったのです。
このまま、王制が続いては若君がこの国に帰り難いのでは、と。
そう、なぜならあなたはまごう事なき王家の血筋を引く人間。
その目じりに在る黥を見れば、だれもがそれに気付いてしまう。
自分の子孫に遠慮して、帰れないようなことがあったら、と。
陛下はそれを気にしているのです。 ですから、表向き正式な婚姻をしない、と、仰っている。
表向き、ですが』
繋がれていた手に、力がこもる。
―― ティムカ様が帰る場所を作りたかった
ああ、そうか。だからこそ、カムラン王は共和制へ移行した後に、わざわざ黥を施す風習を行うことを民全体に許可したのだ。
胸が詰まった。

そして、表向き、と強調する彼。 細かな説明はされていなかったが、理解した。
彼はちゃんと得る事ができたのだ。
あたたかな、『家族』を。
そうでなければ謎が解けないではないか。
隠し通路の存在をしっており、この部屋の扉を開けることのできる血をもつ先ほどの子供たちの『謎』。
彼らは ――
同じことに気付いたのだろう、隣で彼がそっと目頭を抑える。
そして、みつめている私に気付いて涙目のまま優しく微笑んだ。

そのとき、映像の中に、誰かの腕が差し出され、その指先が一枚の紙を映像の中の青年に手渡す。
腕につけた宝飾品からして、その腕はきっとカムラン王のものなのだろうと推測できた。
『これも、私が?
ご自分で仰ればよろしいのに。照れていらっしゃるんですか』

『(照れてなどおらぬ!)』
画面の外から、再度カムラン王のものと思しき声が聞こえた。
先ほどとは違って、自分は映像に写る気はないらしい。
青年は苦笑してそちらを見やってからこちらをみて、そして手にした紙に綴られているであろう言葉を読み上げる。

『カムラン様から伝言です。
あの方はどうやら、照れくさくて自分で言うのが嫌のようです』

『(だから、照れてなどおらぬと言っている!太師!)』

『だそうです。読み上げます。
”いかに慎重に物事を運んだとしても、この政策が実施されれば混乱があるだろうことは承知している。
だが、私は信じてもいるのだ。
この国の民と、そしてこの国という狭い世界ではなく、もっと広い広い視野で宇宙を見たときに、 それを安寧へと導く ―― 鳳仙の名を戴く尊い方が。
その方が、きっとこの国をも見守ってくださるであろうことを。
兄上、あなたが。
愛したであろう人だからこそ、私はそれを疑わない。
いつかふたりで。
帰ってきてください。白亜の星へ。
そして、私が目指した理想である世界をどうかみてやって欲しい。
あなたなら、気づいてくれるはずだ。
共和制となるであろう未来、日々を生きる民こそが。
神々の宝石と称えられたこの星の輝きを王冠として戴く、この国の真にして永遠の王であることを。

だから、あなたがここへ帰り、この地で生きる民となった時、ふたたびあなたはこの国の王となる。
私はそのときこそ。
かつてあなたから引き継いだ王冠を

―― あなたへと返すことができるのだ”』
すべての答えがそこにあった。
もう如何にしてもとめようもなく、とめる気も無い涙があふれ出て、目の前の映像がじんわりと滲んでぼやけた。
ただやさしい声だけが、耳に届く。
『…… 疑わないでください。
少々素直でないところは有りますが、カムラン様は、いつだって兄君を愛していましたよ。
若君が、カムラン様を愛したように』

『(太師、余計なことを言うな!それに素直でないとはなんだ、素直でないとは)』

『(陛下!後生ですから藍方石持ったまま暴れないでください!)』

『以上です。御身のお幸せを、お祈りしております』
映像は、そこで終わった。

◇◆◇◆◇

訪れた静寂の中。
部屋の遮光カーテンが自動的に開き、広い窓を通して夕暮れと宵闇のあいまの青い世界が部屋の中まで広がる。
机の引出しの中でかちりとかすかな音がして、今まで蓋のようになっていた金属板がすべて開く。
そこには、伏せられた写真立てがふたつ。
そして、部屋の中の青い影をひとところに凝縮したような宝石がただ静かに。
青く、淡く、光を放っていた。

◇◆◇◆◇


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