故国へ還る日

7) 隠し通路




館内の人々がほとんどいなくなるのを見計らい、彼は出口へ向うふりをして。
回廊の途中から、後苑と呼ばれる外宮殿と内宮殿の合間にある広い庭へと入り込む。
私はその後を小走りに追った。
幾つかの回廊と、白亜の名のもととなった白壁に囲まれた熱帯の庭。
色鮮やかな花がさきみだれ、南国の楽園に相応しい様相を呈している。
きっとずっと昔から、そしてこのあとも。
この姿は変わらないのだろう。

花々の間を抜け、植栽された芭蕉の奥、数体並んでいる石像の一体に彼は歩み寄った。

「だれも、来ていませんね?」

私は辺りを確認して頷いた。何を、しようとしているのか、怪訝に思いながらも黙って見守っていると。
「たしか、この辺を ……」
言って、石像の裏側の下の辺りを探している。そして、目的のものを見つけたらしくよし、と頷く。
一見、他の敷石と見分けのつかなかった個所の石が外れて、取っ手が現れる。
彼が引き上げるとやはり、いままで見分けがつかなかった敷石部分が持ち上がり、地下への階段が現れたのだ。
さらさらと、砂が零れて。
薄暗い階段の奥へと落ちてゆく。
外の空気とは湿度も温度も違う風が、ひんやりと吹きぬけた。

「昔と変わってなくてよかった」
ほっとした声で言う彼。
「これって。もしかして …… 隠し通路、ですの?」
「まあ、一応城なので、万が一のことに備えて設置してあるんです」
『一応』の用法が間違ってるように思ったが、それは触れずにおいた。
「万が一って ―― 」
恐る恐る訊いた私に、彼はあっさりと答える。

「戦禍、でしょうね。やはり」

要は。
敵に城を攻められた場合も国王が逃れることができるように、幾つかの隠し通路が用意されている、ということなのだ。
なんだか、改めて『王』というものがどういうものだったのかを知らされた気がした。
もちろん、わたくし自身とて『王』と名のつく座に在ったのだが、戦禍などという生々しいものとは程遠く ――
いや、一度は危険な目にもあったのか。
己が作る結界ゆえに、そういった自衛対策がいまいち甘かったあの場所で、いとも簡単に敵の侵略を許してしまった苦い過去を思い出した。
あのあと、多少の強化は行ったものの、こんなものまでは作ってはいない。作る、べきだったのだろうか?今からでも、後輩に進言してみようか?
頭が少し混乱して、そんなことを考え始める私のことを、きっと彼はお見通しだったのだろう。
くすくすと笑ってこう言った。

「大丈夫ですよ。建国当時ならいざ知らず。私の知る限りでは、やんちゃな王家の子供たちとその友人の抜け道以外に使われたためしはありません。聖地に設置する必要性を考えるなら、やはりそちらの用途ですかね?」

それは。
確かに需要がありそうだったが、何かの拍子に守護聖たちに見つかって、彼らが嬉々としてこっそり利用しているさまが鮮明に想像できて。
やはり、後輩への進言はやめておこうと思った。

◇◆◇◆◇

「暗いから、気をつけて」
差し出された彼の手をとって、恐る恐る階段を下りる。明るい外から見たときは、ぱっくりと深い闇が口を開けているように見えたが、実際降りてしまえばさして、深さは無い事がわかる。
右手でライトを持ち、左手で私の手を引きながら、彼は通路を歩いてゆく。
地下通路などというと、もっと蜘蛛の巣満載のおどろおどろしいイメージがあったが、そっけない石造りではあるものの、さして汚れている印象はない。
はじめのうちは、記憶をよみがえらせるように足を止めることもあったが、しばらく歩くうちはっきりと思い出してきたのだろう、足取りが早くなる。
しかし、ふと、彼が足を止めた。

「おかしいな」
「どうかして?」
「今でも、ある程度人が利用している形跡があります。土ぼこりがさしてたまっていない」
「内宮殿は、公開はされていないけれど手入れはされていると言っていたわ。この通路も、ちゃんと知られているのではないかしら」

やはり、彼もおなじことを感じたのかと思ったが、先ほど自分で自分を納得させた楽観的な意見を披露してみる。
まだ少し不安そうな表情はしていたものの、彼は頷いた。
「かもしれませんね。出口が封じられていないといいんですが。危険はないと思いますが ―― 念のため、私から離れないようにしてください」
頷き、私は彼の手を少し強く握った。大丈夫、この手があれば、恐くない。

決してそれを誇るようなことはしないけれど、幼い頃から身につけるよう教育された結果、彼が武芸一般のそれなりの使い手であることを私は知っていた。
今でも時折型を演じているし、聖地にいる頃も、聖獣の地の守護聖あたりの相手をさせられていた。神鳥では十代の仲間たちが見物する中、風の守護聖と打ち合っているのを見かけたことがある。
いつだったか何の気無しに神鳥の炎の守護聖とは、手合わせしたことがあるのかと、訊ねた。
彼はその時、己の心に迷いがあるうちは強さを司る彼と剣を合わせる資格をもたない、そう言った。
別方面から、その話を耳にしたらしい炎の守護聖は苦笑しながら、遠慮や負け惜しみでなくああ言えてしまう彼の心はある意味強さをも内包しているのだが、と、幾分手合わせの機会が失われたことを残念そうに語っていた。
それを、彼は知っているのだろうか。
そして、今なら十分に資格を得たと感じるが、彼自身はそのことに気がついているのだろうか?

その後しばらくは会話もなく。黙って進む、私たちの足音が通路の中に反響していた。
恐くはない、と思いつつも、ライトが作る己の影に不気味さを感じて私は彼と話す話題を探す。
そういえば、根本的なことを聞き忘れているではないか。

「いまさらですけれど …… 何処へ、向っているのか教えていただけて?」

彼はああ、と苦笑した。

「すみません、説明を忘れていましたね。内宮のひとつである碧璃宮という建物です。その中に【青玉の間】と呼ばれた部屋があります」
「青玉の間 …… 」
「そう、王冠の石と同じ名です。あの石がなんらかのメッセージを含むものであったなら、その部屋に彼が自ら家族を得ることを諦めてまで王制を廃した理由を示す何かがあるかもしれない」

そう、か。
先ほどの絵からカムラン王の家族への愛情を垣間見ることはできたけれど、これだけでは、彼の知りたい答えを満たさないのだ。

「その部屋は、なにに使われていた部屋、ですの?」
「 ―― 私の私室です。九月生まれの私の誕生石にちなんでそう呼ばれていました」

それは、確かに何かがありそうだ。見上げた私に微笑んで、彼も頷いた。
ついでに聞いてしまおうと、私は王冠の件を話題に上らせる。
「それと、王冠の藍方石の寄付の件なのだけど、あなたはどう思って?」
こちらにも、明快な回答が返って来た。

「間違いない、と言っていいと思います。
推測はついていたんです。というか、桁外れな量の寄付が匿名であった、という話を以前聖地で聞いたとき、一番最初に私は、王冠の石を思い出しました」

そう、だったのか。まさかそんな昔に話がさかのぼるとは思っていなかった。
当時、聖獣の宇宙での地質調査結果では、藍方石のめぼしい採掘地は発見されていなかった。
既に王立研究員でもあるまいに、相変わらずそういうことが好きで首を突っ込んでいる向うの鋼の守護聖がする結果報告を。
期待していただけにずいぶん残念な気持ちで聞いた記憶があるのを思い出す。
「あの頃、まとまった量を採取できる採掘地を保有していたのはセティンバー社だけです。新たに得ることができないのだから、寄付された石は、セティンバー社を除けば既存のもの、ということになるわけで、その所持者は限られてきます。
ただ、寄付された時点で既にそれはミルキー・ウェイで必要なサイズにカットされていたから、確信は持てなかったんですよ。
でも ―― 先ほどの話を聞いて、間違いないと」
「当時採掘地を保有しているのがセティンバー社だけ、だなんてよく知っていたわね?」
藍方石の需要が高まって、また白亜に採掘の手が伸びるのを内心、不安に思っていて情報を収集してたとでもいうのだろうか。
だか、私の予測を遥かに超えた返答が返って来た。

「ミルキー・ウェイの大規模敷設計画の前の話ですが、セティンバー保有の惑星に鉱脈が見つかったと、同僚が泣いてよろこんでいたので …… 記憶にこびりついてしまって」
「…… 泣い、て?」
「ええ」
ここで彼は当時のことを思い出したのだろう、ひどく楽しそうにくすりと笑った。

「『マコやん、運の悪い男やと思っとったけど、これで挽回やな〜、嬉しゅうて涙がとまらへんわ〜』と、男泣きに泣いて。丁度白亜のほうでも採掘禁止の決定が降りたところだったので、私にまでお礼を言ってきました。『これで、藍方石を新規にあつかえるんは、セティンバーだけや。ホントは弟はんに礼言うべきなのはわかっとんけど黙ってられへん』だったかな。で、『せや、オリヴィエ様にも教えとこ。宝石好きなあの方のことや、きっと贔屓にしてくれるでー』って、その後は部屋を飛び出していきました。
…… ああ、彼の口真似は難しいです」

たまらず私も、くすくすと笑ってしまう。
だって、彼にとってはかつての自分の会社のライバル社だったはずなのに。けれど、いかにも彼らしいといえば彼らしい。
「いいわねえ、聖獣は。水と炎が円満で」
過去のこととはいえ思わず言った私に、肩をすくめて。
「光と闇は、伝統の如く相性が悪かったですがね」

ひとしきり、ふたりで声をたてて笑った後、私はもうひとつ、質問をする。
本当は、これを聞きたかったのだ。

「 王冠の石を寄付されたこと …… 怒ったりは、していないの?」

なんだか、恐る恐るといった風情になってしまったが、 彼は、もしかして心配してくれていたんですか、と嬉しそうだった。

「いいえ。反対です。ひどく、誇らしい。弟は、あの石をもっとも有効な方法で活用したのですから」

にっこりと笑って私のほうを見る。
ああ、この笑顔だ。
少しつり気味の目が優しい弧を描いて、どこかひとなつっこく、人を惹きつけてやまない笑顔。
昔と変わらない。
そしてこの笑顔をずいぶん久しぶりに見た気もする。

「あなたの、その笑顔、わたくし好きよ」
「えっ?ええと。何を、いきなり」

少し慌てている彼の様子がとても愛おしかった。
そういえば、昨日の夜は、久々に彼の声を聞いて会話したとも思ったのだ。
おそらくは、あらゆることを慮るあまり、彼は彼で私に本心を打ち明けられず、そして私もその彼の言葉の裏を思うばかりにすれ違って。そんな事実が私の耳に、彼の声が遠く聞こえていたことが原因だったのだろう。

「久しぶりにその笑顔を見た気がしているの。昨日バルコニーで話したときはね、あなたの声を聞いたのが久しぶりだと、何故かそんなことを思ったわ」
「そう、なんですか?」
「ええ」
深く頷いた私をみて、彼は何ごとかを考えている様子だった。
そして。
「じゃあ、また聞こえなくなってしまうと困るからいまのうちに言っておこうかな」
「何ですの?」

後から考えれば、その口調で気づくべきだったのかもしれないけれど。
何かまだ重要な話が残っているのかと、僅かに緊張して向き直った私に彼はいきなりくちづけをして。

「愛してます」

耳元で囁いてから悪戯っぽく、彼は笑った。
しかも、ちゃんと、聞こえましたか? などと。
私はなんだか耳が熱くなって、もうっ、と彼をねめつけるのが精一杯だった。

◇◆◇◆◇


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ひとりごと。
うわーー、どうしちゃったよ、私!「さして甘くない」とか宣言しておいてゲロ甘かよ!
彼が武芸にある程度秀でてるのは半分妄想だが、半分公式設定。(by トロワ)
今回、微妙に読者サービス(笑) うーん、オスカーが中途半端でごめん、Pさん(笑)