故国へ還る日

8) 血脈




「もう少しで出口です」

彼は言いながら、突き当りを右に曲がって、そこで何かに気づき足を止める。
流石に今回は、私もおかしいと思った。何故なら、そこには光が差し込んでいるのだ。そう、出口が、開いている。
私たちは顔を見合わせた。
誰かが、この通路をつい最近使ってあの場所から内殿へと入り込んだのだ。
いや、そう決め付けるのは早急すぎるかもしれない。

「手入れの一環で、通気を良くしているだけかも …… 」

語尾が小さく途切れて、自分でも自分の言葉を信じていないのがよくわかった。
彼は階段の側でかがんで何かを調べているようだった。
そして、何かを拾い上げ私に見せた。

「使いかけの蝋燭です。先がまだ熱い。少なくもと ―― 手入れや掃除目的では、ないようですね」
「引き返した方が、いいのかしら?」
彼は真剣なまなざしを出口へと向けた。
あの外に、もしかしたらずっと捜し求めていた答えがあるのかもしれないのだ。
彼の答えを待たずに、私は言った。

「私は、恐くないわ」

そう、あなたがいれば、恐くない。
彼は決心したように強く頷く。

「私から、決して離れないようにしてください」

用心深く上った先の回廊は、人の気配は無くしんと静まりかえっていた。
日の長いこの季節、外はまだ十分に明るい。
不安はのこるものの、ここは目的を優先するべき、と、私たちは青玉の間へと向った。

◇◆◇◆◇

たどり着いた青玉の間の重厚な木の扉の前。
つくりは古い伝統にのっとったままだが、セキュリティシステムは現代のものなのだろう。扉の横にパネルがついておりそこにカードか何かを触れないと鍵が開かないようになっているようだ。
ここまできて足止めだろうかと、彼を見やると、彼はパネルの下を凝視している。
そして。

「すみません、ヘアピンかブローチか、先の尖ったものを貸していただけますか?」

まさか、この近代的なシステムを前に、鍵穴にヘアピンをいれて鍵をあけるつもりなのだろうか。
というか、そもそも、鍵穴が、無い。
戸惑いながらもブローチを外して手渡すと、彼はおもむろにブローチの針の先で己の人差し指を突き刺した。

小さな傷から、ぷっくりと盛り上がる赤い、血液。

彼はしばらくじっとして、息を整えている様子だった。それから、血の溢れたその指を、プレートの一部を引き出して出てきた台の上に押し当てる。
ずいぶんと長く感じた数秒の後に。

かちり。

音がして、鍵が、開いた。
彼が重厚な扉を注意深く開けている間、先ほど彼が凝視していたパネルの下を私は覗き込んだ。
そこに、精巧な彫刻に似せて彫られている飾り文字。

『汝が血族の証を示せ』

◇◆◇◆◇

高鳴る心臓の音を抑えてその部屋へ足を踏みいれると、人が入ったのを察知してか自動的に明かりが灯る。
明かりの中で見る彼の部屋は、その主が、長いこと留守にしていたなど信じられぬ姿だった。
遮光カーテンで覆われているから、窓のそとこそ望むことはできなかったけれど。
品はあるけれども決して豪奢過ぎない調度品の数々が鈍い光沢を見せている。

彼が、小さく呟いた。

「ほとんど、あの頃の、ままです」

ずいぶんな時間が経っているだろうに。この国の人々は、ほんとうに、大切にこの場所を保ってくれたのだ。
部屋の内部にある書物が痛まないように、空調も完備されているようだ。
感慨深げに自分の部屋を見回している彼に、どうしても聞きたくなって質問攻めにしてしまう。

「どうして、あのパネルの下を確認したんですの?それに、あのパネル、血が鍵になってるだなんて、どうしてわかりましたの?それに、それならこの部屋は誰が手入れしているのかしら?」

彼は笑顔で、どの質問から答えましょうか、などという。
「鍵は、まあ、ただのカンといってしまえばそれまでですけれど。私が私であることを示せるものと言ったら、姿形か血くらいしか、思い浮かばなかったんですよ。カメラがついているようには見えなかったので、おそらくは、血だろうと。あと、手入れの件ですが、普通にセキュリティーカードを持っていれば出入りできるのだと思います。あの仕組みは明らかに、我々向けに用意された仕組みで。もっとも」
「え?」
「何かの、ヒントになっている可能性はありますが。それと、パネルの下の文字ですけれど」
そうだった、私はそれが一番先にしりたかったのに。

「先ほど話した、弟からの『ごめんなさい』と書かれたカード。丁度、あの辺りに差し込まれていたんです。だから、入り口の外で彼がなんらかのメッセージを私に残しているならあの場所だろうと思って、最初に確認しました」
顔をあわせずらかった兄へ、かつて弟が言葉を伝えるために使った手段。
それと同じ場所に残された、メッセージ。
ということは。
「この部屋の中に、彼があなたに伝えたかった何かがあるのは確か、ということですかしら?」
「ええ、扉がひらいたということは、間違いありません」

心臓が、早鐘を打ち始める。
いったい、何がこの部屋に隠されているのか。
いったい、この部屋の何処に?
流石にそこまでは見当がつかないらしく、彼は部屋の中を見回している。
私も何処か怪しい場所が無いか部屋の中を捜しまわろうとして、ふと思う。

「ねえ、わたくしも探し回ってしまって平気?」
「ええ、お願いします。でもなんで、ですか? 平気、とは」
「ほら、十六歳の男の子の部屋なんて隠しておきたいもの満載なのかしら、って思って。当時のまま、って言うんですもの」

彼は、しばらく記憶を掘り起こすように上目遣いに天井をみて、自信なさげに言った。
「多分、平気です。 …… 多分」

彼の反応にくすくすと笑って、見つかって困るのは栗色の髪も愛らしい、十三歳の頃の彼の初恋の君の写真とかかしら、などと考える。
この時、私はすっかり失念していた。
先ほどの、地下通路。
それを利用した侵入者がこの辺りにいるかもしれない可能性のことを。
そして、探しものに一生懸命になるばかり、部屋の外に近づいた小さな足音には全く気づかなかったのだ。

その時、私の背後で、閉まっていたはずの扉が、開いた。

◇◆◇◆◇


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ひとりごと。
「爪紅の花」の前半でティム→コレ であった事実に気づかない方も多かろうと、こんなところで補足してみる。