故国へ還る日

4) 神々の宝石でできた星




何かしら理屈をこねて白亜の惑星を訪ねることを拒否するかと思っていたが、彼は存外あっさりとこの旅行計画に同意した。
そして、いつかあなたと一緒に行こうと約束していましたよね。行って、観光してきましょう、と私へ微笑を向ける。

ああ、まただ。
どうして何の痛みも感じていないかのように振舞うのか。
故郷のことを、忘れたことなど無かったろうに、友に言われて初めて思い出したように何故振舞うのか。
ましてや、観光などと。
暗澹とした心を押し留めて、それでも、きっとこれは新しく始まる何かのきっかけになるのだと、自分に言い聞かせる。

「じゃ、これ、余ったからやる。こっちに戻ってきたからオレはもう使わないし。
絶対、行けよ!」

『ミルキー・ウェイ』の搭乗用カードを私たちに手渡し、
「無駄にすんなよな、物を粗末にするのは良くないとじいちゃんも言っていた」
と念を押してから。
数日の滞在の後、彼は細君と一緒に故郷の星へと帰っていった。

◇◆◇◆◇

ユーイが言っていたように『ミルキー・ウェイ』の不調はだいぶ深刻なようだった。
各地の拠点でことある毎に待たされて、白亜の惑星へとたどり着いたのは向うを出発してから十日ほどが過ぎていた。
宇宙船の方が早かったかもしれませんね、と。
黥を隠すためにかけられたサングラスの奥で、責任も無いのに申し訳無さそうな表情をする彼に、宇宙船は慣れてなくて苦手だからこれでよかったのだと、答えておいた。
それに、やはり友人の善意を無駄にはしたくない。
彼は『余った』などと言っていたけれど、渡されたのは使いかけではなく一度も使われていないカード。
ましてや、発効日が彼が家に訪ねて来た三日前となれば、我々に手渡すために購入したのだとしか思えない。
やはり相変わらず、小細工には向いていないようだ。

惑星に着いて、最初に向ったのは、一緒に行こうと約束していた『くちづけ小道』のある街だ。
最終的には、王宮のある首都へと彼を連れて行きたいのはやまやまだが、ここは無理強いせずにおこうと、行程は一任する。
まずはチェックインしたホテルで昼食を取りながら。
ガイドブックを購入しようと言った私に苦笑して、彼は意外に饒舌に故郷であるこの星についてを語ってくれた。

―― この星が豊かである理由は大きく分けて三つ挙げられます。
ひとつは、恵まれた気候による農産業。
この常に一定以上の気温を保ち雨量の多い気候が、作物を豊かに実らせ、二期作、三期作を可能にし、結果最低限飢える事の無い糧を民に供給します。

ふたつ目は、観光産業。
通常『白亜』と呼ばれるこの星ですがその美しさゆえに『神々の宝石でできた星』とも呼ばれています。
高い透明度を誇る海と、珊瑚礁、豊富な海産資源、そしてやはり熱帯の気候が、この惑星のほぼすべての地域を観光地として相応しい風光明媚な場所として存在させている。もちろん、これらを維持するための住民たちの努力も欠かせませんが。

みっつ目は、これは過去形かもしれませんが、鉱物産業。
『神々の宝石でできた星』の呼称は希少鉱物の鉱床を多さも指すのです。
中でも昔、タリサム王の時代に発見され、結果落ちていた国力を盛り返し、以降の繁栄の礎を整えることのできる資金を与えたのが、この街の鉱山、藍方石の鉱床でした。
藍方石は当時、今のような使われ方はしていませんでしたから宝石としての価値だけでしたが、それでも莫大な富をこの国にもたらしたのです。
元々、青い鳥を幸福の象徴とするなど、青という色を尊ぶ風潮がありましたが、藍方石の青はこの星の海と空の青さを閉じ込めた青と呼ばれ、この星の象徴となりました。
かつての王家に伝わる宝冠の中心にも、子供の拳ほどの大きな藍方石がはめられていましたよ。
そして、その石を産した街という意味を込めてこの街は『王冠にちりばめられた宝玉』と呼ばれることになったのです。

『はめられていましたよ』
何気ない一言だったのだろうが、この一言で。
このひとはかつてそれを手にしていた人物だったのだといまさらながらに思った。
彼は気づかず続ける。


さて、いま挙げた三つの産業ですが残念ながら、ふたつ目とみっつ目の産業は、本来相容れない。
そのことは、この街の歴史を見ればわかることです。
鉱山の街として栄えたこの場所は、町並みこそ当時のままですが、当時の海はこんなに青い色を湛えてはいなかった。
鉱山から排される汚水によって、海は灰色に濁っていたと聞いています。
けれども、石がもたらす富ゆえに、住民たちは海のことなど気にしなかった。
次々と採掘されつづける山。
結果、四半世紀を待たず鉱脈は尽きて、街に残されたのは過去の繁栄の残骸とも言える町並みと、濁った海だけでした。
それまでの繁栄から一転、衰退をはじめた街を救ったのが、ひとつの提案と人々の努力だったのです。

提案?
口を出した私に彼はにっこり笑って頷いた。


提案、というか既に予測されていたことだったのかもしれませんが、この街は当時から学問の街としても、有名だったのです。
時の国太師であった賢者ラグランが、鉱山開発と同時に大学を多く設置するよう、王に進言した。
さらに、鉱脈が尽きたと同時に学生たちに持ちかけたのです。
学費の幾許かを国がもつかわりに、町並みの保存と海の水質の回復研究と実作業ををボランティアで進めなさい、とね。
海がかつての色を取り戻すためには流石に長い時間を要しましたが、この町並みや往時の富を注いで建てられた絢爛な寺院等の建造物だけでも十分に観光資源として価値があった。ましてや海が美しい姿を取り戻した後ならなおのこと。
そして街は再生しました。
かつては産出される石ゆえに呼ばれた『王冠にちりばめられた宝玉』という呼称は、この美しい町並みと海を称える意味をこめて呼ばれるようになったのですよ。 ついでに、この街には大きな道路が無いでしょう?
主要交通網は地下に張り巡らされているんです。かつての、鉱山開発の技術を利用してね。

以降、この国で無謀な鉱山開発は行われなくなった。
いつかは尽きる鉱脈よりも、努力で保つことができる自然こそが、真に価値あるものなのだと、人々が知ったから。

私はひどく感心した。
ここまで見越して鉱山開発をすすめたのであれば、その国太師という人は、ずいぶんな切れ者だ。
言った私に、見越していたのだと、思いますよ。彼は言って微笑んだ。

◇◆◇◆◇

昼食後、私たちは早速『くちづけ小道』へと向う。
小高い丘に存在するこの街は傾斜が多い。
歩いているだけで汗ばむ肌に、海からの風が心地よかった。

空の青と、海の碧。
褐色の乾し煉瓦がつくる壁と、風情ある石畳。
その上に南国の強い日差しと影が作りだすくっきりとした対比。

かつて彼の口から語られたままの光景。
長い時間が経っているのに『そのまま』であることの奇跡。
いや、奇跡などと言ってしまってはここに暮らす人々へ申し訳ない。
これは、長年の努力の賜物なのだ。

風景を楽しみつつ、時折街の人に道を尋ねながら、私たちは目的の『くちづけ小道』へとたどり着いた。
こんなにせまい道だったのですね、と彼は笑う。
幼い頃にきたきりであれば、確かにそう感じるのかもしれない。
小道に面する家に住むご婦人であろうか、慣れたもので、笑いながら

―― 恋人かい?それとも夫婦かい?
―― どちらにしろ、そこでくちづけをするといいよ。

こんなことを言う。
少しだけ照れてから、向かい合う私達。
そのとき。
小さな子供たちが幾人か、嬌声をあげながら小道を走り抜け、中の一人が彼にぶつかった。

「ごめん、にーちゃん!」

少年は言いながら走り抜けてゆく。
彼は軽く体勢を崩しただけであったから、大丈夫ですよ、と少年に向けて笑顔をつくろうとした。
すると。

かしゃん。

彼の、笑顔が一瞬にして消えうせた。
サングラスが、落ちたのだ。
ひどく慌てる彼。先ほど声をかけてきたご婦人が足元に転がったサングラスを拾い上げ、彼に渡そうとその顔を覗き込む。

―― おや、あんた ――

言いかけたご婦人の脇をすり抜け、青ざめた顔のまま彼は小道の外へと走り出した。
私は慌てて彼女からサングラスを受け取り、礼を言うと彼の後を追う。

南の斜面。海を見渡せる小さな公園のような一画で、私は彼に追いついた。
海を黙ってみたまま。
潮風に結った髪を幾すじかなびかせて佇む彼の傍らに立つ私。
彼が視線を海に向けたまま小さく、すみません、とだけ言う。
私は首を振り、今日はもう戻りましょう、と、彼を促した。

◇◆◇◆◇

会話が少なめの夕食の後。私はひとり露台へ出て風に吹かれながら、太陽が沈んだ後の海をみていた。
まだ僅かに太陽の光の名残をとどめる中で、月が晧々と辺りを染め上げる。
白い砂浜は淡い蒼を帯びた銀色。
透きとおった水に月の光が溶け込んで、波がうねるたびに淡い光を放つ様は、まるで海そのものが。
―― 藍方石(アウイン)

藍方石(アウイン)の青です」

後ろから優しく抱きしめられて。私の思考を見透かすようにそう囁く彼の声がした。
私は黙って、彼の腕に身を任せる。
夕凪が終わり、陸から海へと走りはじめる風が私たちの周囲を包んだ。

わたくしからは、何も言わずにいた。
きっと、彼は。
いま私に何かを語ろうとしてくれている。よう、やっと。

「この街は、昼お話したように再生の街です。
街が ―― 生まれ変わることができるのなら。
私も生まれ変わることができるのでしょうか。いいえ、すべてを捨てて、生まれ変わる、べきなのでしょうか」

私は相変わらず黙ったまま、回された彼の手に己の手を重ねた。

「でも、その前に、調べたいことがあります。
かつてこの国で暮らしていたとき、私はこの街の成り立ちと、この国では珍しかった『自治』体制にひどく興味を持っていました。 そして、あることを思いついたのです。
原因は、自分自身の即位。
病弱だった父がついに倒れて、ある程度予測できたこととはいえ、僅か十三、四の子供がこの国の頂点へと立ったのです。
―― 民の不安はいかばかりだったかと」

私は思わず、振り向きそうになったが、強く抱きしめられ、それはかなわなかった。
しかし、この話はまるで。

「あのとき私は気づいた。平和であるように見えるこの国は、ひどく不安定なものの上に成り立っているのだと。 仮に王が賢君と呼ばれる人物でも、後継ぎが暗愚であれば譲位が行われた瞬間平和はいとも簡単に崩れ去る。
宇宙の女王を決定する時のように、相応しい人物が選ばれ試験が行われるわけではないのです。 だから考えました。
ならば、相応しい人物が選ばれるようにすればよい、とね」

「―― 共和制」

「そうです。私一代で成せることかどうかはわからなかった。 けれどもその構想を私は書物に書きとめていた。
即位の時に后を娶らなかったのも。このことが、ある程度根底にあったのです。もちろんあの時点で完全に決心していたわけでもありませんが」
婚姻しなかったのは、それだけが理由でないことを私は知っていたけれど、このことに関しては触れないでおこうと少し悪戯な笑みが零れた。
そう、わたくしにだって。
夫には触れられずに心の奥底にこっそりしまっておきたい苦い恋の想い出のひとつくらいはある。

「カムランが。弟が、私の残した書物の内容を知った上で改革を行ったのか、ただの偶然だったのか、それとも。
―― 単に己を苦しめたこの国の王という存在を消し去りたかったのか。
彼の真意はまだわからない。けれども、どちらにしろ。私は、彼から。
本来手に入れられるはずだった温かな家庭を得る機会を奪ったのではないかと ―― 」

やはり、そうだったのだ。
だからこそ、私たちの間に家族を設けることをも、躊躇っている。
振り向き、私はしっかりと彼を抱きしめた。
自分を責めないで、と。
言葉でいうのは簡単だが、言ったところで何が変わるわけでもなく、抱きしめることだけが私にできる唯一のことだった。

「調べて、答えが見つかったとして、それで何がどうなるのかいまの私には見当もつかない。杞憂であればいい。けれど調べた挙句やはり弟が心のどこかでこの国や己の血を厭うていたと思い知らされるだけかもしれない。 結果あなたに、あなたが望んでいた家族を得ることを諦めて欲しいと私は言ってしまうかもしれない。
それでも、私は ―― 」

少しだけ震えている、声。
それでも強く私を抱きしめ返す腕の力。
大丈夫、このひとは、真っ直ぐに歩んでいける。その隣にいつだって、私もいる。

「今まで、どうしてこうやって話してくれなかったの」
「 …… ある程度お見通しであることは、わかっていました。それでも、あなたに心配をかけたくなかった」
「かえって心配したわ」
顔をあげてねめつけると、困ったような表情をして、彼は白状した。
「 ―― 前言撤回します。心配をかけたくなかったのではないです。きっと、見られたくなかった。あなたに、自分の情けない部分を」
こんなふうに言われては、怒り顔も長持ちせず、苦笑するしかない。

「もう、見られてもよくなって?」
「昼に、堂々と醜態を晒してしまいました」
「 …… ばか 」

ひどく、愛おしさがこみ上げた。なのに彼はまだ不安そうな顔をして。

「嫌いに、なりませんか?」

などというので、もういちど、ばか、と言ってやった。
もう一度彼を抱きしめなおす。

「昔も言ったかもしれないけれど、あなたはもっと自分に自信をお持ちなさい。 そして、あなたを愛している私を。もっと、信じて頂戴」

でも、お互い様なのかもしれない。
私も失うかもしれないことを恐れて、ただ黙っているしかできなかった。
おまけに今でも。彼に言えぬ秘密を私は隠しているではないか。

―― 藍方石(アウイン)の青を、もう二度と眺めることができなくても、失いたくなかったのです。
―― 青い宝玉にも勝る、掌中の幸せの青い鳥を。

彼の呟く声が風に乗り、消える。
それから今度は真っ直ぐに私をみて、迷いのない笑みを浮かべた。

「明日は首都へ行きましょう。行って、一般開放されている旧王宮を訪ねましょう」

頷きながら、そういえばなぜだろう。
私はひどく久しぶりに、彼の声を聞いたような、そんな心持ちがしていた。

◇◆◇◆◇


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ひとりごと。
この街は実在の街がモデル。くちづけ小道も実在する(笑)
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