故国へ還る日

3) 一陣の風




この日。
それでも表面は変わらぬよう過ごしていた私たちの生活に一陣の風が吹いた。

◇◆◇◆◇

「こいつが、ヨメさん」

嬉しそうに細君を紹介するユーイの傍らで。
柳 桃花リュ・タオホアと名乗り、丁寧に一礼した女性は、黒曜の瞳と黒髪の美しいオリエンタルな顔立ちの女性だ。
勧めた椅子に、行儀悪くあぐらをかこうとした伴侶の膝をぴしゃりと叩く様子をみれば、普段の彼等の力関係が垣間見れて、ひどく微笑ましかった。
神鳥の宇宙の辺境の惑星の言葉で、紅の色も愛らしい花の意味を持つ彼女の名を素敵と褒めると、彼女は遠い昔一族から生まれた英雄の名からつけられたのだと言った。
意味もなく血を誇るのは愚かだけれど、今ある自分の礎となった祖を自分は大切に思っており、だからこの名を褒められて嬉しい、とも。
その気持ちは十分に共感できた。おそらくは、夫も同じだったろう。
しばらくは、お茶を飲みながら彼等の馴れ初めに花が咲く。
ひったくりと勘違いされて彼女に古武術で投げ飛ばされたのがきっかけだというのがなんともすごい。
何でも彼女は、こちらの宇宙へ来る覚悟を決めるまでは王立派遣軍の軍人だったそうだ。

「非番で街を歩いてたらひったくり、って叫ぶ声が聞こえて。同時に走る姿が見えたから、私すっかり彼が犯人だと」
「オレは犯人の後おっかけて走り出しただけだったのにさ。あんときのこと思い出すと、今でもあのときの傷が痛む気がするぞ」
「嘘おっしゃい」

犯人はどうなったのか、笑いながら訊ねる夫。
ふたりが声をあわせていった。

「もちろん、その後ふたりで」
「とっつかまえた」

なんだか、引ったくり犯にちょっぴり同情したくなるのは気のせいだろうか。
夫のほうを見やり表情をみるに、彼も同じ気持ちだったのかもしれない。

「本当は、葉書出してからすぐに来るつもりだったんだけど」

葉書、という言葉に、私は思わず動揺しそうになり、膝の上のてのひらを強く握った。

「こいつが身重だろ?影響を考えると宇宙船使えなくってさ、『ミルキーウェイ』使うしかなかったんだけど、最近保守のための運行停止がすごく多いんだ。 まあ、もうずいぶん古いはずだから仕方ないか」

確かに、無理もないだろう。
もちろん設置当時の機器が今でも稼動しているわけではない。基本の仕組みそのものは変わらなくても、経年劣化による破損を防ぐために部品も交換されているし、改良もされている。ただ、一点を除いては。
その一点とは『ミルキーウェイ』の核ともいえる個所に使われている希少な鉱石だ。

藍方石(アウイン)

深い深い海の青の色を湛えた美しい宝玉。
物質としてはさほど珍しくはないが、一定以上の大きさの結晶となるとみつかるのは非常に稀だし、内包物(インクルージョン)を含まない透明度の高いもの、となれば更に稀。
その希少性故に、宝石としてなら、同じ重さの良質のダイヤモンドを遥かに凌駕する価値をもつ。
産地は限られており、しかもほとんど発掘され尽くしているといっても過言ではない。初回設置時ですら、必要数の確保には膨大な苦労があり、結果的には多くの人の善意によって敷設はようやく完了したのだ。 こんな理由もあって『ミルキーウェイ』の軸となる藍方石は交換されずに今に至る。ましてや決して硬度の高い物質ではないから、 遥か昔に設置された石がそろそろ破損しはじめても不思議ではない。
ここにきての『ミルキーウェイ』の運行停止の多発はそういう理由なのだろう。
やはりおなじことを考えていたのだろうか。彼が小さく藍方石(アウイン)、と呟いた。そしてその声を聞いて思い出す。
白亜の惑星は確か。
藍方石の産地ではなかったか。
しかも、現在も採掘されずに残されているはずだ。
何故なら、かつての王が。
いや、王達(・・)が必要以上の採掘を禁じたからだ。
採掘によって得られる巨万の富よりも、大切なものを守るために。

禁じたのは、彼と。
そして、彼の弟。
かの国の、最後の王となった ―― カムラン。

客人を迎えてのテラスでの楽しい会話はまだ続いていたが、私はすっかり己の思考の中へと入り込んでしまう。
これまでも幾度となく考えていたこと。

そう、あの国の改革を行い王制を廃したのは、彼の実の弟なのだ。
長い時間の中で、故国の情勢が変化するのは仕方のないことではあるのだろう。
しかし実際のところ、かの国の共和制化は、彼が守護聖となってさした時間をおかず ―― とはいっても、数十年の後のことではあるが ―― 実施された。
王が自ら、王制を廃するということが、過去の歴史の中になかったわけではないが、かなり稀有であることは否めない。
最後の王であったカムランという人物の直接のひととなりを、夫の弟でありながら私はよくは知らない。
彼とて、六歳で生き別れた弟の、成人後の姿など、知りはしないだろう。
当時宇宙を統べる女王という立場であった私が手に入れることにできた情報から得られることは、彼は非常な賢君であり、民から慕われた王であったこと、生涯伴侶を娶らず、嫡子、庶子を問わず世継に該当する人物がいなかったこと、だから王制の廃止は民の不満ゆえに行われたことではなく、世継がいなかったことに起因する、という想像程度に留まる。

ただ、あの惑星の当時の歴史を丁寧に読み込んでいけば、かの王の政権の譲位があまりに周到に行われているように思える感が否めないのだ。
長く続いた歴史を、丸々覆すような大きな改革。
一見、世継がいなかったゆえにやむを得ず、突如行われたように見えて、非常に綿密に計画されたものではないのか。
カムラン王がまだ二十代であった頃に行われた大々的な法改正がそれを示唆している。
まるで、後に共和制に移行することがわかっていたかのような、その内容。
それは、基本の方針 ―― 主に、惑星の環境、自然を保護する内容だ ―― さえ違えなければ惑星内の各都市の自治を広く認める内容であった。
実際この法の制定こそが、賢君続きと言われた白亜の為政者たちが突如消えうせても民が安寧として暮らせる礎となったのである。
命じられることに慣れていた民は、自治が認められたことにより徐々に己で国を動かすことを知り、一人一人が意見を述べる権利と義務を持つ『王』であることを知ったのだ。
もうひとつ、カムランが王位にいる間に強化されたものがある。
それは教育制度の充実だ。
教育とは、悪く言えばある種の洗脳だ。
彼は、彼の意思を継ぐ子供たちを育て上げ、十分に国中へとその意思が浸透したのを見計らい、大政を譲位したのだ。
結果、彼が制定した法はさほど変更されることもなく、今に至り。
藍方石の鉱脈も乱掘されず、星の海は宝玉より美しい水を今も湛えている。

このように考えてしまえば、彼が妻を娶らず世継を残さなかったことすら、意図的に感ぜられてくる。
何が彼をこうまでさせたのか。
ここから先は、推測でしかない。しかし、きっかけはきっと最後の王カムランが六歳の時に突如かの国を襲った大きな災厄。

―― 当時の国王であり彼の兄であった人物の守護聖拝命。

守護聖となることは公には秘められる。
もし彼が、ごくありふれた十六歳の少年だったなら、通っていた高校では転校として扱われ、不自然さを残すことなくその身を消すことができたかも知れない。しかし、一国の王では容易にはいかないだろう。余分な憶測を呼ばないためには行方不明とするわけにも行かず、結局民にはこう伝えられたのだ。

国王の崩御

と。
慕われていた国王。
そうであればこそ、この巨大な柱の崩壊は民にどれだけの衝撃をあたえたか、想像に難くない。
だから改革を行ったカムラン王の真意とは、この時の喪失感を二度と再び民に味あわせぬための、己が生涯をかけた試みなのではなかったのか。
そして問題はこの先だ。私が気付いたこの仮説に、彼が。

―― 気付かぬはずがない。

彼の弟の真意を、彼はどのように理解しているのだろうか。
いやありていに言ってしまえば実際のカムラン王の意思など、この際私には関係ないのだ。
ただ、彼が。
彼が、弟の人生を狂わせてしまったのだと己を責めてはいないだろうか。
王という立場ではあっても、本来手に入れることのできたであろう温かな家庭を得る機会を奪ったと考えてはいないだろうか。
何よりも。
そんな状況に追い込んだ兄と、王という立場、王家という血を、弟は厭うたのではないかと、彼が感じていないだろうか。

私は激しい後悔に駆られる。
国王が譲位をする革命の日、それは決して宇宙単位でみても小さな出来事ではなかったから、女王である私の元へも同席の依頼が来ていた。
けれども忙しい日々の中で、結局譲位の儀には、補佐官であった友人が出席した。
どうして、わたくし自らで出席しなかったのだろう。
そして、かの国王の胸座でもひっつかんででも問いただせばよかったのだ。
何故、このような真似をしたのか、と。
このことをあなたの兄君が知ったら、どう思うか ―― どれほど苦しみ、己を責めるか、あなたはわかっているのか、と。

ばかばかしい。

わかっている。あの頃のわたくしに、そんな行動ができるはずはない。
かの王が行った行為は、国政という意味でも、宇宙の安定という意味でも、決して間違った選択ではなかったのだから。
だから『このような真似』などという言い草は私の感情でしかない。
逆にこんなことを考えている私を彼に知られたら、きっと苦笑ぐらいにとどまらず、軽蔑すらされそうな気がする。
そういう、ひとだ。
だからこそ、愛した。
愛したし、愛している。
なのに、私は。
彼の苦しみを知りながら、それを拭うどころか、分かち合うことすらできずにいるのだ。


「顔色がわるいみたいだぞ、大丈夫か?」

いきなり声をかけられて我にかえる。
心配そうな六つの目に向かい大丈夫ですわ、と慌てて微笑をかえしてから、空になりかけた皆のティーカップに気づきく。
「わたくし、お茶のおかわりを用意してきますわね」
手伝います、と腰をあげようとする身重の妻ををユーイが手でさえぎり、
「おまえは座ってろ。オレがいく」
と、私の後をついて室内へと続く。
黙々とお茶の準備をする私に。

「なあ、ロザリア様、怒ってるだろ。オレの出した葉書のこと」

そう言った。
手伝いなどさしてないし、あの状況で客人である彼が手伝うといって席を離れるのは不自然だ。 小細工が苦手な彼が、何か私に話したいのだろうことは容易に想像がついたので止めることをしなかったが。正直、開口一番躊躇いもせずに本題に触れてくるとは思っていなかった。
しかし、彼にとって私は未だに様付けの対象なのか。まあ、気分的に仕方のないことなのかもしれない。
「わたくしを怒らせるようなことをしたという自覚があるのなら、何故それをしたのかしら?」
振り向いて見た彼の表情は、ひどく真剣だった。

「オレが、気づかないとでも?
あいつが。
ティムカが故郷へ帰ろうとしないのがおかしいって、オレが気づかないとでも?」

お茶を入れていた手が震えて、陶器がぶつかり、かちゃりとわずかな音を立てる。

「―― あの絵葉書はわざと、だったと?」
彼は、頷いた。
「オレの故郷も海のそばだった。
オレはあの小さな町をいつか出て、広い世界をみてみたくってしかたなかったけれど、そんなオレでさえ、聖地を出た後あの場所を訪ねたし、これから帰ろうとしている。
なのに、守護聖になったばかりの頃、ことあるごとに故郷を懐かしんでともすれば落ち込み気味だったあいつが、神鳥の宇宙にすらもどらないでここにいるのが不思議でならない。
もちろん、理由があるんだろうとはおもう。
だが、あいつのことだ。
杞憂にしか過ぎないのに、うだうだと悩んでいる可能性の方が大きそうだと、こう考えた」
彼のまっすぐさと、気持ちのあたたかさに、思わず笑みが零れた。
「お見通しなのね」
「伊達に長い付き合いじゃないからな」
彼はそこで、真剣な表情を崩し、にやりと笑む。

「おまけにロザリア様の性格からして、へたにあいつの気持ちを先回りして理解してしまって、慮るあまり何も行動に移せなくなるんじゃないかってさ。
で、起爆剤を送った」

正直、驚いていた。

「あなたのこと、誤解してたかもしれないわ」
「しょうもないトラブルメーカだと思ってたろ。でもまあ、実際そんなもんだからかまわない」

ここまで言って、彼は、手を止めたままの私をみて、お茶、と言う。
話に夢中になって、そちらが疎かになっていた。慌てて私は作業に戻った。

「実際にいってみなきゃ見えてこないことだってきっとある。
オレがあの星へ行った限りでは、ティムカが帰ることを迷う理由なんて、微塵もないように思えた。
だから、さ、帰ってみろ。一回。
案ずるより産むが安しって、じいちゃんも言ってた」
「え?」
「オレはこっちの宇宙の人間だからさ、きっかけの風を与えることはできても、それは変化しか起こさない。 でもロザリア様はあっちの宇宙の人間だろ。きっと、それを勇気にかえることができるはずだ」

みやった私に自信満々に頷き、彼はこう続ける。

「大丈夫だ。騙されたと思って、帰ってみろ。オレが保障する」

見直したとはいえ、彼の保障は根拠が無さそうでなんだか心もとなかったけれど。少年の頃と変わらぬ快活な笑顔を浮かべる夫の旧友を、信じてみよう、そう考えた。 頷き返した私に、よっしゃ、と元気良く拳を握ったあと、彼はお茶の入ったカップを二つ手にして、先にテラスへと戻っていく。
そして、着席早々。

「ティムカ。おまえ、一度、白亜の惑星に帰れ」

と、前振りもなく本題をぶちまけた。
飲もうとしてたお茶が気管に入り込んだらしく、むせている夫にちょっぴり同情しつつ。
私は、もういちど信じてみようと考える。
なぜならいまの私には、ある二択の答えを出すまでの時間が、あまり残されていないから。


そして、物語が動き出す ―― 。


◇◆◇◆◇

◇ 「4) 神々の宝石でできた星」へ ◇
◇ 「故国へ還る日」目次へ ◇
◇ 「彩雲の本棚」へ ◇


ひとりごと。
ドシリアスでも登場するとギャグ風味になるユーイ。何故だ …… こんなはずでは。