故国へ還る日

1) くちづけ小道




それはまだ私たちが、互いに課せられた背負うもの故にそれぞれの宇宙の聖地と呼ばれる場所で生活をしていた頃のことだ。
こんなふうに言うと私たちの恋は秘められたまま、遠く別たれたまま、密かに育まれたように聞こえるかもしれないが、実際は全く違った。
そもそも、根拠のない風習が私は嫌いだ。何ごともかっちりとしたがる私がこのような意見なのは意外に思う人もいるかも知れないけれど、守らなければいけない風習やしきたりには、えてして理由があるものなのだ。
その理由のないしきたり、もっとはっきり言ってしまえば宇宙の女王が恋をしてはならぬ、伴侶を得てはならぬなどと、私にとっては千切って捨てて踏みつけてやりたいようなものでしかなかったのだ。

もちろん、女王の恋愛が物理的に不可能だった、ということだってあったろうとは思う。
過去にもそれが禁忌となった例がないわけではなく、私の三代前の女王の例が該当する。 (作者註:98年作の「静夜思君不見」参照)
彼女は在位中にとある男性と ―― 辺境の惑星を統べる王だった、というのが私にとってなんともこそばゆい話だ ―― めぐり逢い恋に落ちた。
けれども、それぞれに責ある立場。もとより異なる時間を生きるふたりの間に、幸せな恋が成り立つわけもなく、結果ふたりは引き裂かれ、そしてこのことが女王のサクリアの乱れを引き起こし、長く続いた宇宙を崩壊へと導くきっかけを作ってしまったのだ。
わたくしが即位した時に行われた宇宙の大移動の影には、こんな悲しい物語がが隠されていた、というわけだ。

アルカディアと呼ばれる場所で、かつて幼かった少年が驚くほどに大人びて私の前に現れた時、正直にいってしまえば、一番初めにこの物語が脳裏によぎった。
己が伝説の二の舞になるとまで感じていたわけではないけれど、それでも心惹かれる気持ちは淡いまま胸の奥に押し留めて、わたくしも女王としてできうる限りこの宇宙を安寧に導こうと心に決めた。何故なら、宇宙が幸せであるということは、彼が王として導く星もまた、安寧であるはずなのだから。
二度と会うこともありえまいと思っていた彼が、みたび私の前に現れた時、すでに彼は王という立場ではなかった。
そのことに対する彼の心の痛みを、推し量ることはできても分かち合うことはできない。
ただ言えることは、迷いながらも毅然と未来へ立ち向かおうとする彼の姿に、今度こそ間違いなく、そしてあっさりと。
私は、恋に落ちてしまったということ。
さあ、この場合。
運良く彼の心も私に向けられていたこの場合。
私たちを隔てるものは、いったい何であるのか?
もしも、彼が『私の』守護聖として神鳥の聖地へと赴いたのであれば、それはそれで障害というものが存在したのかもしれない。
忠誠を誓い、誓われるという間柄で他の感情を交えるのは、確かにあまり褒められたものではないから。
もっとも禁止するほどのことでもないのに、というのが正直なところではあるが、かつてそれが理由で聖地では実を結ばなかった恋があることを考えるに、この辺りを禁忌と感じるかどうかは人それぞれなのだろう。

いずれにしろ、彼が忠誠を誓うべきは私ではなく、聖獣の宇宙の女王だ。
彼がいる聖獣の宇宙の聖地とは、異なる宇宙ではあっても交流は頻繁にあり、星の小道を使えばそれはまさしくご近所さん。
勝手に出ることを許されていない聖地の外の主星よりも、近い場所なのだ。
守護聖であれば、体を流れる時間も同じで、どちらかが先に老いてしまうこともない。片方の退任後は、先に退任した方がアルカディアという時間の流れの異なる理想郷で伴侶を待てばいい。その間だって、逢瀬を重ねることはできるだろう。
なんの、障害もない。

結果、多くの人たちの協力と、ちょっとした偶然 ―― 言ってしまうなら、向うの宇宙の女王が、こちらの宇宙の、しかも首座の守護聖と恋仲だったと言う、私たちにとってはうってつけの説得材料 ―― から、私たちはあの頃既に、あたたかな祝福につつまれて公の伴侶として認められていたのだ。

掌中に収めることができた、これ以上にないほどに幸せな日々。
そんな中でのある夜のこと。
枕を交わした後の睦言の合間、彼が聞かせてくれた物語がある。
それは、彼の幼い頃の話。

◇◆◇◆◇


毎年夏に訪れるという、首都とは別の町と海のそばにある離宮。
折角の避暑のはずが、朝から夕刻まで詰め込まれた学問、礼儀作法、武芸習得、加えて、いつも相手をしてくれる優しい両親は生まれたばかりの弟にかかりきりで。 そんな毎日にちょっと嫌気がさして、宮殿を抜け出した、かの国のお世継ぎの王子様がひとり。

広い敷地の中を見つからぬように走り抜けて、勢いよく走ってたどり着いた近くの町は、かつては希少鉱石の鉱山として名を馳せ栄華を極めた町だった。
巨万の富を元にかたちづくられた、独特の様式美と素晴らしい町並みゆえに『王冠にちりばめられた宝玉』と称される美しい所。
鉱脈尽きた後は衰退の危機に晒されながらも、人々の努力によって町は守られ、今は観光産業を主に変わらぬ繁栄を続けている。
鉱山のそばという宿命ゆえに、一度は色を濁らせた海も、同じく人々の努力と思いによって碧く清く生まれ変わった。
いうなれば、そこは再生の町なのだ。

空の青と、海の碧。
褐色の乾し煉瓦がつくる壁と、風情ある石畳。
その上に南国の強い日差しと影が作りだすくっきりとした対比。
いにしえの面影をそのままどとめ、狭く入り組んだ路地に吹く風は暑くても、日陰に入ればひんやりと心地良く。
人々は暑さに負けず通りを行き交い、露店を広げた商人たちがあげる客寄せの口上がにぎやかに響く。

お城を抜け出した少年が、はじめて見る活気ある様子に心奪われ、ついつい町の奥へと入り込んでゆくのも仕方のないことだろう。

そんな、観光地として多くの人が訪れ、活気のある町で、中でも沢山の人々によって愛される一画があった。
そこはひとひとりが通るのがやっとの細い小道。
狭いことを除けば、さして特徴のないただの小道。
けれど、こう呼ばれているのだそうだ。

『くちづけ小道』

と。
由来はさだかではないけれど、路地の中に立って上を見上げれば、向かい合った家から突き出たバルコニーが触れ合うほどに近い。
左右から互いに身を乗り出せば、くちづけができてしまうほどに。
もしかしたら、向かい合った家で、かつてそんな風にして愛を育んだ恋人たちがいたのかもしれない。
とにもかくにも。
この路地で恋人たちがくちづけをしたなら、ふたりは一生幸せにあれると、言い伝えられている場所なのだ。

さて、楽しさのあまりあちらこちらを探検するうちに、うっかり帰り道がわからなくなってこの小道に迷い込んだ小さな王太子殿。 彼がそんな言い伝えを知るはずもなく、半分迷子状態の心細さで半べそでいたところを、小道の階段に腰掛けていた老人が話し掛ける。

―― 迷子かい?
―― どこからきたんだね。

離宮、ともいえず黙ったままの少年に、 老人は手にしたパイプからぷかぷかと煙を吐き出してから、まあいい、と微笑んだ。

―― 坊や、大きくなったら恋人を連れておいで。
―― そして、ここでくちづけを交わすんだ。
―― したらきっと幸せになれるから。
―― この小道の名前は『くちづけ小道』さ。 きっと、覚えておいで。

そこへ、買い物かごへを果物でいっぱいにした恰幅のいいおばさんが通りかかり、 老人の言葉を聞いて豪快に笑った。

―― じいさん、そりゃいい。
―― このちっさな坊やが将来幸せになるようなら。
―― 私らだって安泰さね。

目を点にした少年に、おばさんが笑って片目をつぶる。

―― 向うで『若君』って叫びながら誰かを探してる少年達がいたよ。
―― こんどっからお忍びの時は、その目の下の(げい)を隠さにゃぁね。
―― さあさ、あんまり心配かけるもんじゃない。帰っておやり。
―― まあ、私らにはわからない苦労もあるだろうから、
―― お城に飽いたら、時には遊びにおいで。
―― 特製のフルーツパイでもご馳走してあげるよ。
―― もちろん、あの少年たちも一緒にね。

一礼して小道を飛び出た『若君』をみつけて、駆け寄るふたりの年上の幼馴染。
後日ちょっぴり少なくしてもらった日々のお勉強の合間、彼らと連れ立って訪れた時におばさんが作ってくれたフルーツパイは、大きくて、所々焦げていて。
そして甘くて、すっぱくて、熱くて、あったかくて。
とても、美味しかったのだそうだ。

◇◆◇◆◇

レモンは抜いてもらったんです、とおどける彼。
本当ならば、あたたかく、ちょっぴり愉快な思い出話。私はそこで笑顔を返すべきだったのかもしれない。
なのに、何故。
あれほどまでに、胸が締め付けられるような想いがしたのか。
痛みといえば、痛みであり、けれども何処か甘い感覚でさえあるその気持ちは、ひとことで言うならノスタルジア。
彼の、琥珀色の遠い想い出。
もうかえることのない『時間』だからこそ、そして今遠く離れた場所であるからこそ、切ないほどに、心に迫る。
ともすれば、泣き出しそうな表情を、わたくしはしていたのかもしれない。
彼はただただ、優しく微笑んで。

―― いつか、行きましょう。あなたと、ふたりで。

そう囁やいた。
彼とくちづけを交わして。
いつか訪れる遠い未来に思いを馳せながら、ふたたび体をからめたあの日もまた、昔の話。

今、私たちは重責から解き放たれ、共に日々を幸せに暮らしている。
そう、この『聖獣』の宇宙で。
だから、あの日の約束はまだ。


まだ、果たされていないのだ。


◇◆◇◆◇

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ひとりごと。
三代前の女王の話は98年に書いた「静夜思君不見」という話の中で少しだけ出てくる。Sp2もさしてやりこんでいなかった当時、オリジナルでそんな設定作ってるということは、私がティムカ×女王という設定にはまるのは必然なのか。っていうか、王様がすきなんだってば。(開き直り) なお、思わせぶりな書き方をしてしまったが、この三代前の女王の件は別に重要な伏線ではない。(暴露)