ルヴァ教授の事件簿1

赤い花、白い花

(挿話)流浪の民 ―― 遥か(いにしえ)の物語



―― 第254代女王の御世


光満ちた聖地。
その日、夢の守護聖である彼は友人の地の守護聖の館を尋ねた。
勝手知ったる他人の家。
彼は直接その庭へと回り込み、いつもの通り本を読んでいる友人の姿を見つける。

「この期に及んでそのように本を読んでいるとは ―― 支度は済んだか」
その問いに、青年は本から目も上げずに答える。
「持っていけるものなど限られている。なら、少しでも本を頭に入れて持っていったほうがよいというものだ。これも支度のうちだ」
彼は、友人らしい言い草に苦笑する。

「そなたの後任のことは、心配はいらぬ。優しく聡い少年ぞ。少々おっとりしておるが、あれはあれで、なかなかに大物のような」
「心配などしてないね。ボケ入っているが、見所はある。それにダグラスの奴とうまくやってるようだ。彼にとっても、良い変化だな」

たしかに、歳も近い故にな、と彼も同意した。
今まで繊細すぎる性格が災いして、皆と馴染めていなかった鋼の守護聖が、新任の地の守護聖と仲良くしている姿を見かける。

「どちらかと言えば俺はおまえの方が心配だが」
意外な言葉に、彼は友人を見やる。
「私が?何故に」
「とぼけるな。このまま唯々諾々と日々を過ごすつもりか。つもりなんだろう、おまえのことだから」

彼は言葉もなく苦笑する。
友人の言っている意味は痛いほどわかる。
彼が、かつて心の奥に深く閉じ込めた思いを知っている友人だからこそ、 己の去り際に、痛いところを突いてでも自分を諭してくれていることを。
けれども、既になす術などない、と彼は思っている。
そして、こういうさだめもあるだろうと、思ってもいる。

「 世はすべてなすがまま。そういうさだめも在ろう 」

その言葉に、地の守護聖は、ひどく不満そうな顔で、本から目を上げた。
「おまえ、夢の守護聖がそういうこと言ってどうする。悟ってるというよりはあきらめだ。それは」
彼は再び苦笑せざるを得ない。
その表情を見やって、青年は続ける。

「『夢は叶うものではく叶えるもの』くらいのことは言え。俺が言うには少々臭いけれど、おまえなら素でいける」

友人の冗談に笑みを零しつつも、すぐに消して彼は頭(かぶり)を振る。
「我は獏ぞ ―― 人の苦き夢食らう獏。正直、己の夢を見る暇(いとま)もない」

いや、夢など見ぬようにしているのか、と彼は心で呟く。
それが叶わぬと知っているから。
私はそれをさだめであると、宿命であると、あきらめている。
彼の友人は、そんな思いをそれを見透かしたように言った。

「運命とか、さだめとか、そういう言葉でごまかすのはな、諦めと言う。俺は嫌いだね。 もっと人と人との繋がり ―― 縁を信じたらどうだ。何も禁忌を犯せと言っているわけではない。ただ、おまえの心の在り方を言っている」

そこまで言って、彼の表情を見やり、無駄だと思ったのか地の守護聖はため息をつく。
「相変わらず、頑固だな。だけどこれだけは言う。
ずいぶん以前、俺はおまえに、夢の力とは何か語れるかと聞いた。そして、俺は自分が地の力がなんであるかなどわからない、と言った」
彼は頷く。そのやりとりには記憶があったからだ。
「今だって、わからないね、そんなこと。でも、ひとつ昔話をさせてもらいたい。俺の母は白亜の人間だけれど、父が難民の出でね」
「難民?」
彼にとって、それははじめて聞く友人の出自であった。
べつにだからどうってこともなかったのだけど、ただ、と青年は続ける。

「百年の孤独とは、どんなものだと思う」

唐突な友人の問いに、彼は眉をひそめる。

「足をつける大地もなく、ただ宇宙空間を漂う毎日。それを百年。
俺の父は大地というものを知らずに育ったそうだ。祖父に至っては、宇宙船の中で生まれ、宇宙船の中で生涯を閉じた」

それは、どれほどの苦難か。
痛みを覚えて彼は思わず目を閉じたが、しかし、友人が今こうしてここにいるということは、その苦難を乗り越えた人々がいるということに気付く。
それを支えたのは、いったいどれほどの強い意志だったのだろうか。
見やった彼に友人は我が意を得たり、とばかり頷く。

「想像を絶する苦難だ。だが彼らは諦めなかった。いつかたどり着く美しい惑星を夢見て」
「―― 夢」
「そう、夢なんだ。美しい夢。その力があって、諦めずにすすんで、はじめて俺たちの一族は、大地を踏みしめることができた。
だから、おまえ、誰よりもおまえに、諦めを口になどして欲しくない。俺が許さない」

強く言い切り、青年はしばらく黙った。
己の父が、祖父が旅した遥かなる星の路を、彼は思い浮かべていたのかもしれない。



燃ゆる火を囲みつつ強く猛き男やすらふ
女立ちて忙しく酒を酌みて差しめぐる

歌い騒ぐその中に南の国恋ふるあり
悩み払う祈言を語り告ぐる嫗あり

愛し乙女舞ひ出でつ
松明赤く照り渡る

管弦の響き賑はしく 連れ立ちて舞ひ遊ぶ
既に歌ひ疲れてや 眠りを誘ふ夜の風

慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり

東空の白みては夜の姿かき失せぬ
ねぐら離れ鳥鳴けばいづこ行くか流浪の民
(「流浪の民」より)




「伝えるべきは伝えたな」
青年はぽつりと言って、再び本に目を戻す。
そんな姿になかば呆れつつ、彼は友人の心を嬉しくも思う。

「さて、そなたは去ったあとは何処へゆくつもりか」
「故郷の惑星へ。で、大人しく楽隠居だな。古本屋でも営むか。本を読みたい放題だな、ああ、これは名案だ」

自分には夢を云々言っておきながら、何が名案だ、と彼はまた呆れる。
「そなたほどの識者が世に出ず市井に紛れるというか。確かかの惑星は王制であったな」
「ふん。そうだな、多少やばいことになってるようだな。だが、それを許した王にも問題がある」
「されど民に罪はあるまい」

言った彼に、青年は、甘い、と皮肉な笑みを零し、
民にも、王にも罪はある、と呟いた。

「それは、国が傾くを放置した罪、というか?ならば賢と知を持ちながら、ただ市井に紛れんとするそなたとてその罪は同じではないのか?」

言われて青年は苦虫を噛み潰したような表情をした。
痛いところを、突かれたのだろう。

「わかったよ。見所のある王なら ―― 手伝ってやらないこともない。ただ、今のところ興味はないね」
「そのようなことを言うて、本当は仕えるに値する王であれば良いと願っておるのではないのか」
くつくつと、笑っう友人に、降参したかのように、今まで読んでいた本を閉じて彼のほうへ向きなおり言う。

「―― そうだな。故郷の地がいつまでも安寧であるような。その基礎を作れるような」

そして、友を見ていた視線を、美しい聖地の風景へと向けた。
二人は共に思う。
この聖地のような。
楽園のような国が、いつか。

「ならば、そなたに乞われて伝えた故郷の故事も役に立つであろうか。私は科挙のために暗記したのみ故に、王の器量もそれを支える名臣の器量もなかろうが」
「おまえはどう頑張っても、山の奥の売れないヘボ詩人どまりだ。宮仕えには向かない」
「言ってくれる」
「誉めてるつもりだ」

しばし二人で笑った後に、青年はそろそろ時間だな、と立ち上がる。

「そなたの夢が叶うよう、祈うておるよ」
言った彼に
「夢は叶うものではなく叶えるものだ」
そう青年は鋭く切り返す。

「そうであった」
「…… おまえも、な」

頷いた彼に、青年は皮肉っぽい笑みを零して手を差し出した。
その手を握り返し彼は友の門出と未来を祝福する。

「そなたの行く末に幸あれ。さらばぞ、我が朋 ―― ラグラン」



―― 了


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言い訳:前任地の守護聖は、当サイトにて1998年後半に初登場しております。
お暇な時にでも探してみてくださいね。
そして、その外見描写に、驚いてあげてください(笑)