ルヴァ探偵の回想録

爪紅(つまくれない)の花

(後日談)爪紅と初雪の関係


あのあと、アンジェが本当に黙ってたかどうかは、確認してないから俺はしらねえ。
ただ、その後の理想郷の俺達の報告が一件だけある。
温泉ツアーは実行されたけど、ルヴァの奴、決行日に風邪ひきやがってダウンした。
結局、ひとつの謎は残されたまま、俺たちは理想郷を後にしたわけだ。
あれから時間が経って。
アルカディアからも無事帰り、ずいぶん俺たちを取り巻く環境も変わった。
幾つかの事件があって、幾つかの出会いがあって、幾つかの別れがあって。
ルヴァを想い出し少し感傷的になりかけた俺を、アンジェの声が救う。

「鳳仙花の ―― 爪紅の花には言い伝えがあるのよ」
「言い伝え?」

摘み終えた花をテーブルへ置くと、俺はアンジェのいる室内へ入って聞き返した。

「そう、鳳仙花は夏に咲く花でしょう?その花で爪を赤く染めて、それが初雪がふるまで消えなかったら ―― 」

初雪が降るまで消えなかったら?
『簡単には消えたりしないのよ。そう、初雪が降る頃までもつくらいに!きっとね』
それは、アルカディアのガキが言ってたあれか。
残った謎もうひとつ、あったのか。
その答えは、どうやらアンジェが知っているらしい。
アンジェが答えを言いかけたそのとき。
執事が最初の来客を告げた。
「誰だよ、早すぎやしねえか」

手の離せないアンジェのかわりに迎えにでた俺に。
早く着きすぎて申し訳ありません、と聖獣の水の守護聖がぺこりと頭を下げた。
奴をテラスの席へと案内する。
テーブルの上に放置してあった、さっき俺が摘んだホウセンカの花に、奴も何か思い出すものがあったんだろう。
「その節はゼフェル様とアンジェリーク様、そして ―― ルヴァ様にも大変お世話になりました」
そう言った。その節ってのは、まあ、アルカディア、でのことだろうな。
「不思議です。頭ではわかっていても、こちらの聖地にくればルヴァ様にお会いできるような、そんな気がしてしまいます」
ティムカからいつもの笑みが消えて、少し寂しげな表情になる。
奴が守護聖となって聖獣の宇宙へきたとき、既にルヴァはここにはいなかったから。

「あいつは、何処にいたって、相変わらずぼけーと茶ぁ飲んでるぜ。きっと」

言った俺に、奴は今度は屈託のない人懐っこい笑みを浮かべた。
こういう表情をすると、十三歳の頃とあまり変わりねーように見える。
身長は妙に伸びやがったけれど。
―― ちくしょう。抜かされた (註:ぜっくん→171センチ、ティムティム→176センチ)

「あの方には多くのことを教えていただきました。けれども、結局ルヴァ様の『迦葉(かしょう)』は、ゼフェル様、あなたなのですね」

なんだか、以前にも聞いたことがある言葉だけれど。
そういや、その意味を俺は聞き忘れたまんまだった。
「それ、どういう意味だったんだ?俺、あんまり故事だのなんだのにはくわしくねーぞ」

奴は説明し始める。
『世尊拈華迦葉微笑』という言葉があるんだそうだ。
(作者註:「せそんのねんげ、かしょうのみしょう」世尊は釈迦の意。単に『拈華微笑』とも言う)
昔ティムカの故郷の星にいたお偉い賢者とやらが、言葉を尽くしていろんな教えを弟子に伝えたわけだけど。
中には言葉にはし尽くせない教えもあったわけで。
そんななか世尊とやらが華を拈ねった時に、その意図を汲めず首をひねる人々の中で、唯一迦葉が、微笑んだ。
世尊はそれを見て、言外の教えはすべて彼に伝わったと、そう言ったんだそうだ。

「別の言葉でいえば、『以心伝心』といったところです」

ちょっと照れて俺は奴から目をそらして頭をかいた。
そして思い出していた。 ホウセンカを拈る仕草をして俺を見たルヴァ。
俺はそのとき、そうか。
あいつの意図を理解して、ニヤリって。
さらに奴は言う。

「おふたりの間には良き、絆があるのですね。遠く離れていても変わらぬ絆が」

そういうクサイ台詞をさらりと言いやがるところが俺とはぜってー、あわねーんだけど、まあ、悪い気はしなかった。

「…… まあな。でも、オメーだって、今ならそういう離れててもかわんねーっての、わかんだろ」

守護聖となって故郷を離れることを強いられたのなら。
失うものと、得るものがあって。
変わってしまうものと、変わらぬものがある。
俺は、それを頭で理解するのにずいぶんかかって、そして心で理解するにはもっと時間がかかった。
条件や環境は違っても、基本的には奴もそれは同じだ。
それどころかコイツには。
手放したくないものが、いや、手放してはいけないと、幼い頃から教え込まれていたものがあったわけで。
この「いい子」の新米守護聖は、頭で理解すんのは早ええかもしんねーけど。
逆に、心で理解すんのはもっと時間がかかるのかもしれねえな。
そんなことを思った。
でも、それは焦ったって仕方ねえ。

テーブルに置きっぱなしだった鳳仙花のはなびらにティムカは黙って触れる。
角度によっては黒にも灰にも見える鈍い青の瞳。
その瞳を伏せて、一瞬痛みに耐えるようなカオをした後、すぐに笑顔に戻る。

「そう、遠く離れていても。父母の教えや友等を忘れることはありません。それに先達(せんだち)の教えも。きっと」

その表情をみて、たぶん、大丈夫なんだろうと思った。
乗り越えなければいけないものは、この先にあるかもしれねーけど。
だぶん、大丈夫だ。
ルヴァが俺に伝えてくれたことを、いつかコイツも誰かに教えられて知る時が来る。
いや、それとも、向うはみんな同期みてえなモンだから、一緒に答えを探すのかもしんねえ。
まあ、機会がありゃあ、俺だって力にならねえこともねえよ。

「実は、聖地に来る前、外界でルヴァ様にお会いしたのです」
唐突に奴が言った。
それは、意外だ。
「やはり、ゼフェル様の仰る通り、おっとりとお茶を飲んでおいででした。そして相変わらず、聡明でいらっしゃる。故国で起きた事件を解決していただいた上に、私はまた、私の仕掛けたトリックを見破られてしまいました」

トリック、だって?

「…… なにやらかしたんだよ、テメー」
その内容にはかなり興味をそそられる。そして、ルヴァがどんな活躍をしたのかも。
「ふふっ、お茶会がはじまったら、お話しますね。『流れ星の少女』(エトワール)にも関係あることですし。ああ、クリスさんにも、お会いしましたよ。『親友(ゼフェル)によろしく』と」
そっか、ルヴァに会ったのなら奴にも会う機会はあったろう。それとも、エトワール経由だろうか。
「元気だったか?」
「ええ」
「そっか、ならいい」

遠い場所で、変わらずにいる奴らを想い、ちょっと暖かな気持ちになったその時、奥からアンジェが出て来た。
ティムカは立ち上がって挨拶する。
「申し訳ありません。ずいぶん、早く着いてしまったようです。私に何かお手伝いできることはありませんか?」

げー。
やっぱり、このいい子ちゃん具合には、悪りぃけど俺には着いてけねえ。
しかも、一人称が『僕』から『私』にかわってやがるよ、こいつはよ。

「ごめんなさい。お客様に働かせちゃって。じゃあ、そのを花瓶に生けてもらっていいかしら。
もう、ゼフェルったら花摘んだはいいけどテーブルに投げておくんだもの」

ごめんなさい、といいつつ、ちゃっかり働かせるところが、アンジェだ。

「俺に花を生けれるわけねーだろ」
「その器用な手はなんのためについてるの?」
「うっせー」

くすくすと笑ってるティムカに花を任せて、俺たちは最終準備のためにテラスから室内に入る。
アンジェに言われるまま、皿にクッキーを並べながら聞いた。
「さっき、話が途中だったけど、そう、初雪が、なんだって?」
「ああ、爪紅の話ね?」
「おう」
アンジェは紅茶のカップを用意しながらこう言った。

「爪紅の色が、初雪が降るまで残ったら、恋が叶うっていう言い伝えがあるの。女王候補の頃、ロザリアが教えてくれたわ。そして初雪までなんて絶対無理っていってた」

やれやれ。
そりゃ、まあ、オトメチックで非論理的な話だ。
でも。
ロザリアが女王候補の頃気にしてた奴って、俺の勘違いでなければ、確か。

「…… 俺、そーいうのはさっぱりわかんねーけど……。もう、どう頑張ったってダメ、じゃねえか?結局迷信だろ」

「夢がない上に、鈍いわねえ」
「わるかったな」
「あのね、その恋は実らなくっても、次の恋が実るかもしれないでしょ?」

そういうもんか。
話しながらつまんだスパイスクッキーが美味かったので、もういっこ、と伸ばした手をアンジェがピシャリとたたく。
「ってえ、なんだよ、いきなり」
「そのクッキー、ロザリアお手製なんだから。ゼフェルが全部食べちゃダメ」
「なんだよ、スパイスクッキーなんて俺用みたいなもんじゃねーか」
「だから、鈍いわねえ」
「…… さっきからなんだよ、鈍い、鈍いって。わっかんねえなぁ」
アンジェが呆れたように肩をすくめる。

「順序だてて、ゆっくり考えて。たいていの『謎』というものは、そうすれば謎ではなくなってしまうもの、でしょ?」

その台詞をだされてしまっては、俺も降参するのは悔しいわけで。
俺は考えてみる。
ロザリアお手製のスパイスクッキー。
辛いものが好物なのは、俺。
そして、気付いた。

―― もう一人、いるじゃねえか。

お国柄、俺でさえ辟易する激辛モノを平気で食う奴。
そこで、早めに到着して、客なのに手伝わされてるお人よし。
今日のお茶会のメンツに、普段あまり交流のないあいつの名前があったのを不思議には思ってたけど。

なんだ、そういうことか。
アンジェの奴、こっちも仕組みやがったな。

俺が答えに行き着いたのがわかったように、アンジェが笑む。
「さあ、お皿を運びましょう、もうじき他のお客様方も到着するわ!」

皿を運びながら考える。
女王と守護聖の恋愛がタブーだったのは、きっともう過去の話。
向うの女王とこっちの首座の守護聖がくっついたんなら。
こっちの女王と向うの守護聖ってのも、アリ、なんじゃねえかな。

「爪紅、か」

テーブルの花瓶にきちんと飾られた鳳仙花を見やり呟いた。
昔、毎週決まった時間に雨を降らせたあの女王なら、その紅が消える前に自分で雪を降らせちまえば早ええじゃねえか、などと下らない事を思いついたけど。
でも。
ロザリア、そんな迷信に頼らなくたってきっと平気だと俺は思うぜ。

―― あの方のお力に、なりたかったのです。

アルカディアでそう言ったティムカの言葉と表情を思い出した。
あの時俺は『あの方』というのが誰なのか特に深く考えもしなかった。いや、接点の多さを考えりゃあコレットあたりかと、軽く思いもしたんだけど。
でも、考えてみれば、あの次点であいつが『あの方』と呼ぶ女は一人しかいなくねえか?
言っとくけど、アンジェ。
俺だってそんなに鈍いわけじゃねえぞ。
いや、今ごろ気付いたってのはやっぱり鈍いのか?
そういや、あの時のアンジェの様子。
あの一言で気付いてたってか。女って、怖ええ。

皿をテーブルに置く。

「美味しそうですね」

屈託なく笑うその表情。
その時、唐突に。
俺はもうひとつのことを思い出した。

―― このおせんべい、ゼフェル、あなたが好きなので取っておきましたよ

激辛せんべいを。
俺のために取っておいたといったルヴァ。
あの時、俺は、あんな辛いもん俺以外に喜んで食うヤツいないだろうから『取っておいた』はちょっと大げさダロ、なんて。
そう思ったけど。
激辛もんが好きなやつはもう一人いたわけで。
俺が、妙にルヴァと仲良くやってるこいつに焼餅やいて、拗ねて、彼を尋ねなかった間。
ルヴァは。

―― ほんとうに、俺のために、取っておいてくれたのか。

今更、こんな些細なこと思い出して。
でもそれをきっかけにいろんな想い出が浮かんできて。
あいつとはじめてあった時のこととか、暴れて困らせた時の表情とか。
それからあいつに教えられた幾つもの事柄、解決した事件。
はじめは馴染めなかったけど慣らされてうまいと感じるようになった緑茶の味や、おっとりとした話し方や、その話し方で語られた多くの言葉。
あいつの笑顔。
そして。
そして、別れ。

―― あなたを弟のように ――

次から次へと浮かんで、消えて。
そんなこと思い出してたら、胸の奥がかっと熱くなって。
ば、ばっかみてー。
何泣きそうになってんだよ、俺。
まあ、いいさ。
そんなわけで、ティムカ。

今日のスパイスクッキーは全部てめーにくれてやる!

見上げた空は、今日も晴天。
雪などとうてい降りそうにないその空に向って大きく伸びをした。

「さーて、お茶会まであと少しだ。よし、ティムカ、てめーも皿運び手伝え!」


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