ルヴァ探偵の回想録

爪紅(つまくれない)の花

(第3章)理想郷と子供たち


それからの理想郷での日々は平穏とは言い難かった。
銀の大樹の元に封じられているモノをそんなに信用して、開放しようとしていいのか、正直俺は不安だった。 だからこのまま引き続き育成を進めようという意見のジュリアスやルヴァと大喧嘩して。
勝手に大樹の傍でデータ集めようとした俺達 ―― メルとマルセルとランディと俺 ―― は、ラ・ガと対峙する羽目に陥った。
あの時はずいぶん肝冷やしたけれど、ぎりぎり大樹に封じられている『何か』や、助けに来てくれた奴等のおかげで俺たちは無事。
勝手な行動をジュリアスやルヴァにもたっぷりと絞られて。
結果、育成はそのまま続けられることになった。
研究院からも理想の幸福度の値が提示されたりして、いよいよ事態は大詰めへ向っている様子だ。
(作者註:上記事件は、トロワのゲームでの出来事)
そして、それはそれで正しい選択だったと、今では俺はわかってる。
いや、あの時だってわかってはいたんだ、頭では。
でも俺だって、理想郷の行く先や、何よりも向うの宇宙のことや、もしかしたら無事に帰れねえかもしれない皆のことを …… 俺なりに、心配していたわけで。
それをなんだか、未熟な奴等が勝手に突っ走って問題を起こしたって、そんなふうに思われてるのがひどく気に食わなかった。
そんなんでむかついていること事態が、ガキだったんだろうと、後から思い返せばそうも思もするけど。
あの時の俺は、正直、そこまで ―― 大人ではなかったと、今は素直に思う。

俺がそんな感じでイライラしていたその頃、周囲の奴等もずいぶんぴりぴりしていたと思う。
もちろんコレットだって育成を頑張っていたし、幸福度もそれなりの数値に達していたけれど、 ここに来てその伸び方がゆるくなった気配もあって、期間内に達成できるかどうか、ぎりぎりな感じだった。

周りの奴らの余裕が消えてた。
時折姿を見せるアンジェの笑顔も消えてた。
育成を頼みにくるコレットも、他の守護聖との調整をしにくるレイチェルも、定期報告で見る、ロザリア陛下も。
いつも笑顔だった奴の顔から、その笑みが消えてた。
そして、それは多分、ルヴァも一緒だったんだろうと思う。
思う、というのは、その時俺はしばらくルヴァとは断絶状態で。
要は、銀の大樹の事件以来なんとなく気まずくて顔を合わせていなかった、というわけなんだけどよ。
そんなわけで、以前企画してた温泉ツアーも延期のまま。

かったるい。
執務室の机に足を投げ出して俺は天上を見上げていた。
育成の依頼がなけりゃ、今更俺にできることなんてなんにもねえ。
気ばかり焦って、でも、何もできない自分が歯がゆかった。
窓から入る風は、焦る俺たちの気持ちとは裏腹に妙にさわやかで。
―― ルヴァのところにでも行こうか。何か、手伝えることがあるかもしんねえ。
ふと、そう思ったけれど。
行く口実が思い当たらなかった。
いや、何か手伝えないか、なんて本当のこと言ってノコノコ顔出せるかよ。
大きく伸びをして、昼寝でもしてしまおうかと思い始めた頃、執務室の扉が開いた。

「ゼフェル、昼寝なんかしてないでしょうね?」

アンジェだった。
暇を持て余し気味な俺とは違って、毎日あちこち走り回って、ロザリアをフォローして。
少し、やせたかもしれない。表情も、なんだか疲れたような。
それでも彼女は笑顔を作った。なんだか、痛々しかった。
そして、いっそう何もできない自分が情けなかった。

「昼寝なんかしてねーよ。いつアンジェリークが育成頼みにくるかわかんねーから、こうして大人しくしてるんだろうがよ」
「アンジェリーク、大変そうね。頑張ってるから、協力してあげてね」
コレットを思いやるこいつに、俺は言った。
「…… 俺の目の前にいるアンジェリークも大変そうに見えるけど?」
彼女はちょっと弱々しく微笑んだ。
「陛下だって頑張ってるんだもん。私が弱音吐くわけにはいかない」
こういうところは、女王候補の頃からかわんねー。
そう、こいつは、いつだって。
逆境の時こそ強くあろうとする、そんな奴だ。
その細い肩を。
抱きしめたかった。凄く。
―― でもこいつがそうして欲しいのは、俺じゃなくてあいつだ。
その時はそう思っていたから。
だからせめて。
どんな形でもいい。彼女の力になりたいと、心からそう思った。

「なんか、手伝うこと、あるか」
アンジェからそっぽを向いたまま、俺は言う。
彼女はいつものように、キャスターつきの予備の椅子に座ってくるくる回っていて。
俺の言葉を聞くと、嬉しそうに表情を輝かせた。
「じゃあ、時々ここで息抜きさせて」
はっきり言って、それは嬉しい申し出だ。
だから、本当は。
―― そんなんでりょけりゃ、いくらでも。
と、言うつもりだったのだけど実際口をついてでてきたのはこんな台詞。
「あー、別にかまわねえけど邪魔すんなよ」
時折、自分の性格が恨めしくなくも …… ない。
でもアンジェは特に気にした風も無く、うん、と頷いた。そして。

「それとね、もうひとつ」
「あん?」
「そろそろ、ルヴァ様と仲直りして」

彼女の表情は真剣だった。でもその申し出は俺にとって複雑すぎる感慨を与えたわけで。
そりゃ、そろそろあいつん所へ行こうとは思ってた。
でも。
アンジェの口からそういわれるのは。なんだか、むかつく。
同じ仲介でも、レイチェルに言われたのだったら、しょうがねーなと思いつつも素直に聞いてただろうと、そんなことを考える。
黙ったままの俺に彼女は畳み掛けた。
「守護聖同士の親密度が育成地の幸福度に関係するのはわかってるでしょ?最近みんなかりかりしてて …… せっかくのアンジェリークの育成の効果があがらないの」
(作者註:『守護聖同士の親密度が育成地の幸福度に関係』は、トロワのゲームの設定)
両手を顔の前で合わせて、彼女は可愛らしく、お願い、と言った。
しばらくは憮然とした表情をしていたわけれど。
ああ、もう、ちくしょう、仲直りすりゃあ、いいんだろ!

「 ―― 何か、口実考えろよ」
「え?」
「ルヴァんとこに行く、口実考えろつってんの!『仲直りしにきました』だなんて、ランディじゃあるめえし、俺に言えると思うか?え?!」

彼女は嬉しそうに、椅子から飛び上がって。
「それなら、うってつけの噂があるわ」

◇◆◇◆◇

アンジェから聞いたそれは、確かに変な噂だった。
彼女ははじめその話をヴィクトールとチャーリーから雑談のあいまに聞いたらしい。その時は変な話しもあるもんだと、さして気に求めなかったそうだ。
まあ、ヴィクトールはともかく、チャーリーじゃな。何処まで本気で何処まで冗談だかわかりゃしねえ。

ところが、だ。その後、彼女はアルカディアの住民たちから同じ話題を聞くに至る。
アルカディアの民、曰く。
『先日の腹痛騒ぎで入院した子供たちが、魔物に取り付かれている』
というのだ。

「なんだあ、そりゃあ」
おれはつい、素っ頓狂な声をあげてしまった。いつかの人魂騒ぎよかアホらしい噂だぞ。
さてもう少し詳しく言うと、こういうことらしい。
はじまりはある日の学校での出来事。
授業を受けていた子供たちの様子がいつもと違う。
普段は元気な彼らが、ぼーっとして、心ここにあらず、と言った風情なんだそうだ。
うつらうつらと居眠りをしてる奴もいて。
おかしいと思った教師が家庭に呼びかけると夜中に親の目を盗んで幾人かの子供たちが家を抜け出ていたのだそうだ。
そのまま子供を叱って寝かしつけた家がほとんどだったけど、中にこっそり後を追った奴がいて。
そして。

「空家で子供たちが集まって騒いでてね。で、その、口や手のまわりを血で真っ赤に染めて騒いでたって。目撃した人は驚いて走って逃げ帰ったらしいの」

それ以外にも。
曰く、その子供たちがしばらくマスクをして外さなかった。きっと吸血鬼の牙を隠しているのだ。
曰く、夜中に火をともした蝋燭を持って集団で何かをつぶやきながら歩き回っていた。あれは黒ミサだ。
曰く、おかしいのは主に先日入院していた子供たちだ。あの入院騒ぎは鉱泉の中毒などではなく吸血鬼に襲われたのだ。

なんだか、とんでもない話になってるな。
ちなみに、アンジェがヴィクトールとチャーリーから話を聞いたとき、一緒に聞いてたセイランは、そういうこともあるかもしれないね、などと結構面白がってたらしい。
メルは本気にしないまでもあれはちょっと怖がってた様子だったわね、とアンジェは言う。
何故わかるのかと聞いたら、耳がしょげてたのだそうだ。
…… わかりやすい奴だよな ……。
そしてやはりその場にいたティムカは落ち着きをはらって。あまり噂に踊らされるのはよくありませんよ、と。
なんだかなあ、ルヴァも言いそうな台詞だよな。それ。
ちなみに後日研究所の方に腹痛騒ぎの最終確認を兼ねて調査を依頼しようとしたけれど、エルンストに根拠の無い非科学的な噂を調査している暇はありませんと一蹴されてしまったそうだ。
いかにもあいつらしい。
もっとも。それこそ、レイチェルが頼んだのだったら、違う返答が返ってきそうだけど。
いや、あの生真面目な主任サンは、そういう贔屓はしないかな?

さらに、こんな噂がある、という程度にアンジェはジュリアスにも報告したと言う。
結果はもちろん、唯の噂に過ぎないとこちらも一蹴。
そう言ったアンジェの渋い表情からするにおそらくは 『そなたもそのようなばかばかしい噂を気にしている余裕があるのなら ―― 』云々の説教つきだったのじゃねーかと推測するぜ、俺は。
まったく、あいつもよー。
コレットのこと心配なのはわかるけどアンジェに八つ当たりすんじゃねーよ。
「それで、クラヴィス様はね」
げげげ、あいつにまで聞いてまわったのかよ。
「『時が満ち、結晶となるまで待っておけ』ですって」
わけわかんねえよ、相変わらず。

それでね、とアンジェは続ける。
「まだ真打のルヴァ様にはご相談していなくて」
なるほどな。そこで俺が登場ってわけか。
「口実としては、いいんじゃねえか」
そしてルヴァのところへ向うべく立ち上がりかけたんだけど。アンジェの次の一言で俺は何故か、やる気が失せた。

「そういえば、ティムカも良くルヴァ様のところにいるから、ルヴァ様、噂そのものは彼に聞いて既にご存知かも。さあ、地の館へ行って謎解き開始ね」

「なんでそこでティムカの奴がでてくんだよ」
そう言った俺の声は自分でもびっくりするほど不機嫌だった。
アンジェにもそれは伝わったらしく怪訝な顔をした。
「なんでって。よく本を借りに来たりしてるようよ、最近。ゼフェル、あなたがルヴァ様を手伝わないから本の整理なんかもずいぶん手伝ってたみたいだし」
ふーん。別に、俺がいかなくったって、ルヴァは困んねーんじゃねえか。
ちょっと不安そうな声でアンジェが言う。
「でも、この間ティムカが右手を怪我してて。本の整理、今は手伝えないんじゃないかしら」
「怪我?」
「お茶を入れようとして、ポットを滑らせて熱湯を手にかけてしまったってきいたけど」
それは間抜けな。
つうか、そうか、お茶なんて自分でめったに入れないから慣れてないとか?あいつは。

俺は再び椅子に腰掛けて机に足を乗っける。
「ゼフェル、行かないの?」
アンジェの声をよそに。脳裏に浮かんだのは。

ルヴァの言うことを、素直に聞いているであろうティムカ。
いつだったか、俺にはちんぷんかんぷんの故事の引用を頷いて聞いていたあいつ。
おりこうさんで品行方正で。
ここにいる十代の奴らの中で、唯一銀の大樹の事件の時に関わっていなかった。
そうさ、以前も思ったけど。
ああいう奴の教育係なら、ルヴァだってそんなに苦労なんかする必要もない。
アルカディアのわけわかんねえ噂だって。
きっと俺が話しに行くまでもない。
今ごろティムカから話を聞いて、ルヴァは言ってるんだ。

―― 順序だてて、ゆっくり考えてみましょう。たいていの『謎』というものは、そうすれば謎ではなくなってしまうものです

そうさ、ほっときゃすぐに噂の謎なんか、とけちまう。
俺が、行く必要なんか、きっとない。

「…… なに拗ねてるのよ」
図星のアンジェの台詞に俺はいっそう苛立った。
「うっせー」
とだけ言ってひらひら手を振ってアンジェに出てけと合図した。
もう、とアンジェの呆れたような声が聞こえて。そして、扉が閉まる音が響く。
アンジェには、悪いことしたな、とは思う。
力になりたかったのも本当だ。
でもなんだか、無性に ―― 無性に、なんだろう?

情けない。
そう、情けなかった。
結局、俺に何ができるのかわからなくなって。
その結果余計自分にできるはずだったことをやらずに拗ねて。
その子供っぽさに余計情けなくなって。
自己嫌悪の無限ループ。

◇◆◇◆◇

だから、あの日まで、その噂が解決したのかどうか、俺は知らなかった。
ルヴァとも結局仲直りもせずに、アルカディアの時間は刻々と過ぎていった。
俺の不機嫌と同期するように、事態は相変わらず。幸福度の上昇値も思わしくない。
周りの奴らの表情も硬いまま。
そう、正直みんな噂どころでもなかった。

そんな中本を抱えてどこかへ ―― きっと地の館へ ―― 向うティムカの姿を見かけたことがある。
右手の白い包帯が、やけに目に焼きついて。
目をそらして、挨拶もせずに俺はその場を離れた。

そして。
アルカディアのタイムリミットまであと二週間を切るかというその日。
『招待状』が、届いたのだ。
二人の女王陛下と補佐官と。そして九人の守護聖と、六人の教官、協力者の元に。
差出人は ――


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