ルヴァ探偵の回想録

爪紅(つまくれない)の花

(1章)多分これが始まりの事件


それは、アルカディアに来て六十日ほどが過ぎた頃のことだ。

「温泉ですかー、それはいいですね〜」

コレットの努力の甲斐もあって育成もある程度進んで、いろいろな浮遊大陸が増えていったり、育成地の北西部では温泉が沸いたなんて情報が入ってきてて。
俺たちはここいらで一息つくために温泉にでもつかろうか、なんて計画をマルセルやランディ達と立てていた。
奴らはメルとティムカにも声をかけてくると出かけていったが、まあ俺としては、ここは守護聖ん中で一番じじ臭くて、温泉の似合いそうなルヴァでも誘ってやろーかとふと思い立って、俺は地の館を訪ねたわけだ。
ルヴァは予想通り嬉しそうに笑って、ひさしぶりですねーとか言ってる。
どうでもいいけど、温泉はいるときくらいはコイツ、ターバン外すんだろうか? その謎が解ける日も近いというワケか。それがちょっくら楽しみでないといったら嘘になるけど。
ルヴァの奴、コッチに来てからはずっと調べ物で夜もろくに寝てないはずだ。
これで少しはゆっくりできるだろうって、それを実は嬉しく思った。
…… なんてことは、口が裂けてもぜってー言えねえけど。

「じゃあ、今度の日の曜日はアルカディア温泉ツアーといこうぜ」

俺がそう言ったそのとき、部屋の扉が勢いよく開いた。
息せき切って入ってきたのは、ちょっと意外な人物だった。

「どうした、のですか?ティムカ」

その真剣な表情と、いつも歳のワリに妙に落ち着きくさってるコイツらしくねー慌てように、ルヴァもいつもののほほんとした笑みが消えている。
「ルヴァ様に、ご意見伺いたく ……」
奴は肩で息をしながら続けた。
「育成地の …… ある地域で、住民たちがいっせいに腹痛を訴えているんです。原因は、いまのところ不明」
聞いた瞬間、ルヴァが地図を取りに隣室へ行こうとしたが、それを引き止めて、俺は携帯用の3Dモニタを取り出した。 育成地の立体地形図が、ルヴァの机の上に映し出される。
「場所、何処だよ。それと、人数、症状。その他今わかってる情報全部吐きやがれ」
椅子に座り、キーボードをスタンバイしながら言った俺に息を整えながら、ティムカはうなずいた。
「場所は育成地の北西部、昨日から数人の患者は出てた様子なのですが、今日になってから爆発的に増えて、流石にこれは偶然でないと病院が判断したようです。僕が聞いた時点で患者数は34名。ですが、今後増える可能性が高いです」
流石と言うか、なんというか。
奴は的確に情報を開示していく。でも、これじゃまだ足りねえ。
「他は」
「患者さんには老人と子供が多いとのことです」
「それ、現地での印象か、それとも数値的なもんか?」
「印象です。数値はあとでエルンストさんが」
「了解」
そうか、当然あっちにも連絡済か。
ティムカは少し早口で引き続き情報を開示する。
「症状は主に腹痛、嘔吐など」
一瞬過ぎる不安。俺はキーボードから目を上げてティムカを見て聞いた。

「―― 死者は」

「まだ。現次点で確認されてません」
少しだけほっとして俺はデータを打ち込んでいく。
「ええと、それから …… 」
慌てているせいだろうか、目を空に泳がせて次の言葉を探しているティムカに、ルヴァが言った。
「あー、ティムカ。少し落ち着いて。さあ、すわって一口、お茶でもどうぞ」
おいおい。いくらなんでものんびりしていい時と、そうでない時があんだろうよ。
でも、まてよ。そういや、なんで、ティムカがこんな情報もってくるんだ?
そう思ってから、気がついた。アンジェが以前言ってたじゃねえか。
アルカディアの住民については、ヴィクトールとティムカと、アンジェが調整役として動くって。
(作者註:トロワのゲーム中、ヴィク、ティム、ロザの三名が住民の調整役という設定がありました。この話では、リモが補佐官のためその部分だけ変更してあります)

じゃあ、今、アンジェは?

「おい、アンジェリーク …… 補佐官のアンジェリークは今どうしてるか知ってるか」
奴は頷いた。
「病院で情報収集を。ヴィクトールさんは患者さんの病院への運搬を取り仕切ってます。エルンストさんにお願いして情報の解析を勧めてもらっていますが、それとは別にルヴァ様にご意見を伺いたいと、僕がここへ」

アンジェは、病院だって?
それを聞いて、尋ねずにはいられなくなった。
「―― 感染の可能性は」
「不明、です。現時点では」
全身の血の気が引くような気がした。
ティムカが顔を曇らせる。痛みをこらえるような、いつもより低い声。
「ですから、今後、原因がはっきりして安全が確認できるまでは該当地区への守護聖様方、両陛下の立ち入りは一切禁止にするようにと、アンジェリーク様からのご伝言もありました」

守護聖と、両陛下は立ち入り禁止、だって?補佐官はいいってか?
―― 宇宙の理屈から言えば、それは、そうなんだろうけど。
「ちっくしょう!」
思わず机に拳を叩きつけた俺に、ティムカがびくりと身をすくめる。
そしてルヴァが言った。

「ゼフェル、落ち着きなさい。今はとにかく、情報を ―― ティムカ、教えてください」
「は、はい」
「患者さんの出ている地域は」
ルヴァは3Dモニタを北西部を指差す。
「このあたりに限られているのですね?」
「はい、他の地域での報告はありません」

そこでルヴァは少しだけ間を置いた。
何かを、考えている、そんな風情だ。
このおっとりとしてるルヴァの、でもその脳内は、すさまじいスピードで色々な情報が交差してこの事件の原因の候補を引っ張りあげているにちがいねえ。
そして、彼の中で何かが浮かんだのだろうか。
再びティムカに質問する。

「共通して口にしていた食物は ―― いえ、水は、井戸水ですか?」
「え?は、はい。そうですが、何故 ―― 」
わかるのか、という奴の疑問をルヴァは無視し、次の質問を浴びせた。
「水の分析は?」
「現在すすめていると、エルンストさんが。ずいぶん、硬度が高い、とは聞いています」
「そう、ですか」
そこまで話して、ルヴァが俺に向きなおった。

「あー、ゼフェル、さっき言っていた温泉の効能、確か皮膚炎、とか言ってましたよねー」

ルヴァが、いきなりカンケーねえ話をしだすのには、慣れてるつもりだった。
でも、流石にこのときは、切れそうになった。
ティムカだって、ほら、みたことか。唖然としてるじゃねーか。

「今、そんな話はカンケーねーだろ?!」

思わず怒鳴った俺に、ルヴァはおっとり笑う。
「私の推測が外れていなければ、大丈夫。感染性の病気ではありません。だから、ゼフェル、落ち着いて」
ティムカがちょっとおろおろして俺とルヴァとをみやった。
「なんで、わかんだよ」
「さっき、言っていたでしょう。温泉の湧いた場所は、何処でしたか?」
それは。
育成地の ―― 北西部。
口に出す前に、俺が理解したことをルヴァは悟ったように頷いた。
俺は猛然と温泉の泉質情報を取り出す。
主成分はAlK(SO4)2・12H2O ―― 硫酸カリウムアルミニウム

「硫酸カリウムアルミニウムの特徴は色々ありますが、殺菌効果 ―― だから温泉は皮膚炎に効くんです ―― や、漂白効果、食品の色素定着にも使われることがあります。ナスの漬物とか。れっきとした、『食品添加物』なんですよー」

だから、なんだ、つうか、「ナスノツケモノ」ってなんだよ。と言いたいのをこらえる。
ティムカを見やったが、奴も黙って、ルヴァのその先の言葉を待っているようだ。

「物質そのものの毒性も低い上に、経口で体内に入っても、消化器官で吸収されることはまずありません。ですから通常は問題ないのですけれど、何かの間違いで大量に内服した場合 ―― 腹痛、嘔吐、下痢などの症状がみられます」
「それは!アルカディアの住民の症状と同じです」
と、言ったのはティムカ。
「ええ、おそらく鉱泉の水が、飲料水として利用している水脈と混じってしまったのでしょう。もちろん、他の可能性もありますが、それにあたりをつけて先に調べるよう、言ってください。それと大量内服時の死亡例がないわけではないので」
ルヴァが皆まで言う前にティムカが反応する。
「わかりました、井戸水の利用を止めるよう連絡、ですね」
ティムカが俺に視線を移す。おう、了解だぜ。

「任せとけ」

俺はすぐにネットワークを王立研究所につなぎ、情報を送信した。
エルンストか誰かが、すぐに見るだろう。
あとは。
「ティムカ、王立研究所に行くんだろ?エアバイで送ってやる、来い」

◇◆◇◆◇

風景が飛んで流れていくスピードのエアバイの後ろで、ティムカが言った。
「すごいですね」
「あん?何がだ」
「ルヴァ様が」
エアバイの音と、身を切り後ろに流れる風の音で、きっと聞こえねーだろうという程度の声で俺は答える。

「…… ああ。あいつにはかなわねーよ。そう思う」

後ろでティムカがくすくすと笑っている。
なんだよ、いったい。
「それに、ゼフェル様とのコンビも素晴らしかったです。息があってて」
そう言われてちょっと嬉しかったわけだけど、なんとも表現しがたくて、結局。

「うるせー、しゃべくってると舌かむぜ」

そう言って、俺はエアバイのスピードを上げた。

◇◆◇◆◇

行き着いた王立研究所で、俺たちはルヴァの推理がビンゴであることを知り、まずはほっと一息をついた。
この事件はこれで一段楽したわけだけれども、よくよく考えりゃ、多分これが始まりだったわけで。
そう、この先起こる ―― 後々思い出しても、つい笑みが零れるような。
あの鬱屈としたアルカディアの日々の中での、数少ない楽しい思い出となった、そんな出来事の。
多分、これが始まりの事件だったんだ。


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