ルヴァの安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)シリーズ・その4

探偵最後の事件

(第2話)謎のままで


すげえ、恥ずかしいと思った。
あいつの答えを聞いて、俺はどうしようと思ったんだろう。
ルヴァが去った執務室から逃げるように走り出て、おれは情けない気持ちで一杯だった。

あいつがアンジェのこと好きじゃないなら、チャンスはあるって思ったんだろうか。
あいつがアンジェのこと好きだったら、何にも言わずに諦めようって思ったんだろうか。

そうじゃねえ、そんなんじゃねえ。
でも、じゃあ、なんだよ。
自分の心の『謎』の答えは、その時の俺にはわからなかった。

俺はそのままエアバイにのって、とにかくむちゃくちゃに走った。
何も、考えられなくて。
ただ、雨が降ってきて。
俺の体を冷たく濡らしていった。

ああ、雨は。

部屋の中で眺めるぶんには心地よく思う時もあるけれど。
こんなにも、冷たいものなんだ ――
そんなことを、考えていた。

◇◆◇◆◇

どのくらい走ったんだろう。
日はとうに落ちていた。
雨はまだ、降っていた。
体が冷えて、指先がかじかんでいる。
今日はこのまま館に帰ろう。
そう思った時に、気付いた。

かすかな気配。
闇交代のごたごたで、わかりにくいけど。
薄れていく気配。
これは。
―― 地の、サクリアだ。

何処をどう走って戻ったんだか。
俺は正殿へ駆け込んだ。
そしてまっすぐルヴァの執務室へ行く。
でも、奴はそこにいなかった。
あのまま、自分の館に戻ったのか。
俺は踵を返す。
そこに。
暗くなった廊下に、俺の執務室から明かりが漏れてた。

―― ルヴァ?

瞬間的にそう考えて、俺は自分の執務室へ急いで入る。
部屋の中で、アンジェが泣いてた。
目が真っ赤になってる。
ずっと、泣いていたんだろうと思う。
地のサクリアの減退を、こいつも感じ取ったんだ。
―― だから、泣いているのか。
そう思ったら。
頭に、血がのぼったのが自分でもわかった。
また、何も考えられなくなって、気付いたら叫んでた。
「ルヴァのところへ行けよ。そんなに泣くんなら」
そうだよ、そんなに泣くんなら。
こんなところで泣いてるくらいなら。

「なんで俺のところに来んだよ!!」

おもいっきり椅子を蹴り飛ばした。
時折アンジェが遊びに来て、くるくる回って遊んでた椅子。
大きな音を立てて転がって。
キャスターがカラカラとむなしい音を立てた。

アンジェはその瞳を大きく見開いて驚いていた。
ぽろぽろと、涙を零しながら。
そして。
「違う、違うのに。私 ―― 」
そう呟いたかと思うと、部屋の外へと駆け出していった。

後を、追うべきだったのか。
でもその時俺の体は動かなかった。
自分が言った言葉への激しい後悔。
ルヴァと一緒に、行ってしまうかも知れない、と思った。
そうすれば、二度と会うことなんかない。
二度と。
おまえにも、ルヴァにも。
そう思ったら、自分の感情を抑えられなかった。
彼女を、傷つけるつもりなんてなかったのに。

―― おまえさえいなければ

古い言葉がよみがえる。
ああ、そうか。
そうだったのか。
きっと同じだ。
大切なものを失いたくなくて。
傷つけるつもりはなかったのに言ってしまった言葉。
一度口にしたら、それは二度と戻らない。
俺はその時初めて。
前任の鋼のあいつの気持ちを、本当の意味で理解した。

◇◆◇◆◇

「アンジェリーク!」
後悔と共に呪縛が解けて。
やっと体が動いて、俺は彼女の名前を呼んで、その姿を探した。
でも、既に正殿に彼女の姿はない。
大バカだ、俺。
渡したくなんかねえよ。
たとえ、相手が奴だったとしても。
少なくとも、自分の気持ちを伝えないまま、このままサヨナラなんて絶対嫌だ。

さっきまでわからなかった自分の心の『謎』の答えがなんとなく見えてくる。
あいつがアンジェのこと好きじゃないなら、チャンスはあるって思ったわけじゃねえ。
あいつがアンジェのこと好きだったら、何にも言わず諦めようって思ったわけでもねえ。
そうだ。
ただ、正々堂々と。
―― 俺はアンジェが好きだって。
アンジェにも、ルヴァにも伝えたかった。
それだけだ。

なのに、大バカだ。俺。
順番を、間違えたんだ。
『順番は大切ですよ』いつかルヴァはそう言ってたのに。
俺の気持ちを言わないまま、奴にアンジェをどう思ってるかなんて聞いたりするから。
だから、話がややこしくなるんじゃねえか。
答えはいつだって、自分の心の中にあったのに。

俺は雨の中を再びエアバイで飛び出した。
あの後アンジェが行ったところ。
きっと、ルヴァのところ。

さっきよりも激しくなった雨が、痛いくらいに体に叩きつけられる。
ただもう、その雨を俺は冷たいとは感じていなかった。
頭は少しづつ冷静さを取り戻して、俺は考えていた。
あの時、何故アンジェは俺の執務室で泣いていたんだろう?
彼女はルヴァが好きなんだと、そう思ってた。
彼女の笑顔はたいていルヴァを ――
我に返る。
そうだ、なのに俺はあいつの笑顔を知っている。
まっすぐ俺に向けられた、エメラルドグリーンの瞳を知っている。
俺を呼ぶ声を知っている。
執務室で、時たま息抜きといって遊んでいくあいつ。
新宇宙の女王をキレイだといった時、やきもちを焼いたあいつ。
お疲れ様、といって弁当差し入れてくれたあいつ。
休日の雨の日、俺の隣でピアノを弾くあいつ。
その笑顔は。
―― 俺にだって向けられていた。

『思い込みは良くありません。正しい答えを導く妨げになりますよ』

ああ、わかったよ、ルヴァ。
何度だって反省するさ。
俺は、大バカだ!
ルヴァの館について、エアバイを放り投げて、俺は庭に回りこむ。
二階に明かりの灯る、部屋がある。
俺は叫んだ。

「アンジェ!アンジェリーク!そこにいるか?俺、おまえが好きだ!」

喉が痛くなるくらいでかい声で、思いっきり叫んだ。
何度も何度も、おまえが好きだと言った。
雨の音に、かき消されないように、何度も、何度も。
そして
「誰にも渡したくないんだ!」
そう叫んだ。
聞こえてるのか、聞こえてないのかわからないけど。
でも。

「何処にも行かないでくれ、ずっと俺の側に ―― 」

庭に面した、一階の部屋の扉が開いた。
アンジェリークが、涙目で、でも微笑んでそこにいた。
彼女が俺に向って駆け寄ってきたから、俺も彼女に駆け寄って、そして抱きしめた。

「ずっと、俺の側にいてくれ」

俺の濡れた髪から滴った雫が、彼女の頬を涙と一緒に濡らした。
でも、彼女は笑顔だった。
そして、俺たちはくちづけを交わした。

◇◆◇◆◇

これは、あとからアンジェから聞いた話しだ。

俺に、ルヴァのところへ行け、と言われた後、混乱した気持ちのままアンジェはルヴァの館へ向ったそうだ。
正直、彼女自身自分の気持ちがわからなかったと言った。
少なくとも女王候補時代は、ルヴァに惹かれていると、そう自分でも思っていたらしい。
―― 俺のカンは外れてはいなかったってことか。
でも時が経つ間に ―― 自分で言うのは照れるけどよ ―― 俺にも、惹かれていると、そう感じたのだそうだ。
ルヴァが話す、俺の話を聞くうちに。
俺と過ごす時間のうちに。
どちらがどれだけ、なんてわからなかった、と。
でも、時間が解決してくれる。彼女はそう考えて焦ることはしなかった。
けれどその時間が失われたことに気付いた。
そう、地のサクリア喪失。

「真っ先にゼフェル、あなたのことが心に浮かんだの。あなたが、辛い思いをしているんじゃないかって」

アンジェはそう言った。
ルヴァがいなくなって、一番辛いのは俺じゃないかと。
アンジェはそう思ってあの時、執務室へ来てくれたわけだ。
なのに、俺ときたら。
―― この件に関しては今後一生頭が上がらないと見た。
まあ、しかたねぇか。
『一生』なら、こっちも本望だ。

とにかく俺に怒鳴られて、混乱して、彼女は雨の中ルヴァの元へ向った。
ルヴァは、穏やかに彼女を迎え入れた。
そして泣いている理由を尋ね、こう言ったそうだ。
「何故、ゼフェルがあなたをここへ向わせたのか、あなたは不思議に思っているのですね。でも」
その時の、ルヴァの声が、表情が、思い浮かぶようだった。

「順序だてて、ゆっくり考えてみましょう。たいていの『謎』というものは、そうすれば謎ではなくなってしまうものです」

そして、その時、外で大騒ぎしている俺の声が聞こえたのだそうだ。
ルヴァは続けた。
「いいえ、考える必要などないのかもしれません。アンジェリーク、あなたの心が望むとおりに、行動してみてはどうですか?」
アンジェは、部屋の外へ出ようとしたと言う。
その先のルヴァの台詞については、どんな気持ちで語られたのか俺は知らない。
「もう、二度とここへきてはいけませんよ」
ルヴァは静かに笑んで言ったそうだ。

「―― もし次があったそのときは、私はあなたを帰しません」

◇◆◇◆◇

「ルヴァ様は言ったの。そう、『最後にいちどだけ ―― 』ううん、なんでもない」
呟いたアンジェの言葉の最後の方は、俺には良く聞き取れなかった。
話し終わったアンジェは、少し寂しそうに微笑んだ。

『あなたを帰しません』

ルヴァが最後に言った台詞が、本気だったのか、後押しのためのウソだったのか。
俺には正直わかんねえ。
アンジェリークにはわかっているのかも知れねえが、彼女にも、ルヴァにも、結局確認していない。
『謎』のままでいいことも、この世界にはあるんだと。
そう思った。
それに、ルヴァには確認するチャンスもなかった。
なぜならあいつは。

―― その後慌しく聖地を去ったから。


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