常磐(ときわ)にして緑

蔦 植うる日―――旅立の時


「明日には、発つのですか?」

真夜中の聖殿。すれ違いざま、ルヴァが寂しげに、それでも穏やかに問う。
「ああ、マルセルに教えるべきことは教えたしな。もう、俺の役目は終わったさ」
振り返り、そう答えるカティスは、いつも通りの気さくな笑みを浮かべる。
その笑顔に、ルヴァは逆に、別れの悲しみを覚えずにいられない。
「『役目』ですか。でも、あなたの代わりは誰もできませんね、きっと……。
そこにいるだけで場が和むような。あなたは、いつもそういう人でした。
どれだけ、私はあなたに助けて頂いたかわかりませんよ。ええ、ほんとうに」
そう言い乍ら、ルヴァも笑みを作る。
これからは、いままで以上に自分も年長の者としてここでやっていくことになるのだろう。
不安が、無いはずがなかった。
そんな彼の心情を察したのだろう。カティスは苦笑する。
「おまえは、自分を過小評価しすぎるな。
おまえの、その『のほほん』としたあったかさは、またとない人間的魅力なんだぞ。
オリヴィエがいつか言ってた、 前任者がすでに去った後に聖地にきて、心細くて、なにかと面倒みてくれたおまえに感謝してるってな」
思いがけない賛辞に、少々戸惑い、照れて紅くなる。
「あー、それは……前任の夢の方も気にかけていましたし……、心配しないでくださいと、そう彼に約束しましたから」
だから、そこさ、とカティスは続ける。
「おまえみたいな奴がいるから、俺だって安心してここを去れるのさ。
ゼフェルだって、口にはださないだろうが、おまえには感謝していると思うぞ。
マルセルのことも……すまないが、何かあったら、力になってやってくれ」
そう言って、ぽんと肩をたたく。
暫らく、考えた後に
「……まあ、あいつらのことでは、いろいろと……苦労するだろうがな」
ふたりとも、悪い奴等ではないんだが……
苦笑しながら、そう、付け加えるもの忘れなかった。
「あいつら」とは、言わずと知れた光と闇の守護聖の両名である。

「これから、夜明けまでやつらと飲み明かすつもりなんだ。おまえもどうだ?」
その誘いにルヴァは
「いいえ。きっと、三人で、話すこともあるのでしょうから」
そう微笑んで右手を差し出す。
「これで、お別れですね。明日は、マルセル達に黙って発ってしまうつもりなのでしょう?」
微笑みで細くなった目の縁に、きらりと滲むものがある。
お見通しだな。カティスは呟くと、差し出された手を右手で握り返し、別れの挨拶に変えた。

◇◆◇◆◇

「さて、顔は揃ったな」
ジュリアスの館に、不本意そうな顔をしてのっそりと現われた闇の守護聖を見てカティスはそう言った。
「今日は、とことん飲もう。ワインも、この通り沢山持ってきたぞ」
楽しそうなカティスとは対照的に、複雑な面持ちのジュリアス。
(実は別れの悲しみ、というよりも 、 「明日に去る守護聖と、酒の席」というこの状況に、いや〜な、既視感を感じているからだったりもする)
ぶっちょう面のふたりに、気にもとめず、カティスはグラスに美しい紅の液体を注ぐ。
―――それは、まるで、闇の夜と光の朝の狭間、刹那に染まる空の色を溶かし込んだような色だ。

静かに、酒盛りが始まった。
おそらくは今生の別れを目の前にしているというのに、人とは不思議なもので、 これといって特別な言葉も思いつかない。
その胸の内に、感慨は無いどころか満ち満ちているというのに。
ただ、この名残惜しさは自分だけでなく、この場に居る三人と、どこかで夜空を眺めているかもしれない地の守護聖も きっと同じなのだということに自分達の―――決してついえないであろう絆を思う。

ちらちらと
傍らにゆれて燃える蝋燭の炎
その蝋燭から零れる蝋がまるで、自分たちの変わりに流してくれている涙のようだ。

「実は、頼みがあるんだ」
沈黙を破りカティスが静かに言った。
ちょっとだけ、ジュリアスが青くなって身構える。
まさか……、という心の声が聞こえるようである。
「このグラスを一気に乾して義兄弟の証、というのでなければ、聞いてもかまわない」
ジュリアスの言葉に、クラヴィスは
「……私はべつにどうでもいいが……ふ……」
と、ちいさ〜く呟いた。
ジュリアスがしっかりと聞きとがめてクラヴィスを睨み付ける。
カティスは心当たりでもあったのか、快活に笑うと、それも悪く無いな、と言って続ける。
「クラヴィス?持って来てくれたろうか」
カティスはクラヴィスを促す。
「……これで、いいか……?」
そう言って、何処に持っていたのやら、一枝の蔦をカティスに手渡す。
「ああ、十分だ。ジュリアス、こいつをおまえの庭の、あの辺りに挿し木してやってくれないか」
初めて会ったあの時のことを、今でも覚えていてくれたか?
金色の目が、そう問うていた。
ジュリアスは低く息を零して笑むと、言う。
「ああ、かまわない。蔦は……嫌いではない。もう、な」
カティスもその答えに笑みを零す
「よし、きまりだ。手入れはそれほどいらんが、ほっとくと、誰かの館みたいに蔦だらけになるぞ。
なあ、クラヴィス」
それは、絶対にごめんだ、というような表情のジュリアスと、 あれはあれで落ち着いていいのだ、という言い分を持っていそうなクラヴィスを促し、
カティスは庭の隅の壁際に、その蔦を挿し木する。
挿されたばかりの小枝は、頼りなげに夜風にゆれていた。
けれど、いつかはこの壁を被い、葉を茂らせて……
そんな光景が、一瞬見えるような気がした。

―――なあ、人間てのは、この蔦みたいなもんだ。
自分だけでは、天に向かって伸びることはできない。
だが、蔦は寄りかかって生きているだけではないんだぞ。
そう、絡まりつつ、その絡まっている壁を、大樹を、そして時には別の蔦を、身を以って支えているんだ。
自分達もそう有りたいと、そう思わないか―――

まだ、夜の闇濃い聖地に、でも微かに夜明けの時が――別れの時が訪れつつあった。

多情却似総情無―――情多きは却って情無しに総じて似る
唯覚樽前笑不成―――唯 樽の前に笑わんと覚えども成らず
蝋燭有心還惜別―――蝋燭に心(芯)有りて (なほ)別れを惜しむ
替人垂涙至天明―――人に替り涙(なが)し 天明に至る
(「贈別」杜牧)

想い出が多ければ多いほど
名残が尽きなければ尽きないほど
不思議なもので、
いつもと同じように何気なく振る舞ってしまうものなんだな。
かといって美味い酒を前にしてさえ、
普段のように笑おうと思ってもうまくいかない。
困ったものだ。
どうやら蝋燭には心があるらしい。
別れを惜しんで代わりに泣いてくれている。
ああ、こうしているうちに夜も明けた
―――そろそろ、行くとしよう―――

◇◆◇◆◇

聖地の門までカティスを送りに出た二人に、このまま去るのかと尋ねられ、
「あのおちびさんたちに泣きつかれたりすると、きまりが悪いからな」
と彼は笑う。
その言葉の奥には、別れへの悲しみが滲んでいた。
「これからは、ひとり気侭に旅でもしながら暮らすさ。それじゃあな、皆に宜しく―――」
別れの言葉もあっさりと、門の外へと足を向ける。
残された二人の守護聖は思う。
いつか自分達にも、この地を去るときが来る。
その時に、こうも清々しく去っていくことができるだろうか?
と。
暫らくすると思い出したように

「ああ、そうだ、ひとつ言い忘れた。ジュリアス、クラヴィス、おまえ達二人も、少しは仲良くしろよ〜!」

遠ざかる人が、そう笑いを含んだ声で呼びかけた。
去ってゆく守護聖達の殆どに、同じことを言われつづける自分達に、ふたりは苦笑せざるを得ない。

「あからさまに、言ってくれるな」
ジュリアスは怒る気にもなれない。
「……と、いうことだ……少しは、努力してみるとするか……?」
珍しく前向きな台詞を吐くクラヴィスにジュリアスは応じる。
「そなたに、その気があるというのならな」
「……………ふっ……」
「その笑いはなんなのだっっ!!」

カティスの願い空しく、常磐の緑の葉の如くまったく変わらず、いつもの喧嘩をはじめるふたり。
東の空が、白々と明るくなり、辺りを深い闇から淡い青へと染める。
緑の木々が吹く風にゆれて、涙のような朝露を散らしていた。
そして、去りゆく人は知らぬが仏の旅の空―――

おわり。


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