常磐(ときわ)にして緑

蔦 絡まる森の奥―――出会いの時


はっきり言って、少年は機嫌が悪かった。
年の頃なら、10前後。
肩を過ぎる、軽く波うつ豪奢な金髪が勢い良く歩く度にふわふわとゆれ、 いかにも気の強そうな蒼穹の瞳は、怒りにも、悲しみにも、悔しさにも、 そして微かな罪悪感にも似た感情で満ちている。
少年の名はジュリアス。幼くは見えても、すでに短くは無い時をこの聖地で過ごしている光の守護聖であった。
本日の彼の不機嫌の理由は、まあ、常と変わらず「彼」にある。
そう、少年とほぼ同じ年の闇の守護聖、クラヴィスに、であった。
クラヴィスの守護聖としての資質は彼とて認めていないわけではない。
それどころか、自分と同じく幼くして守護聖となった彼に親近感に近い何かを覚えていればこそ、 女王陛下の両の光と闇の翼として互いに高めあっていこうではないか、と思いもするのだが……
如何せん、何事も必要以上のことは自分から進んでやろうとはしない消極的な彼の態度に、 ジュリアスとしては苛々させられるのが常であった。
「何故、あの者はああなのだっ」
怒りに任せて、そう声を上げる。
ジュリアスも普段はけして近づかない聖殿の裏の深い森である。
辺りに人の気配はない。
誰かに聞かれる、ということはまず無いだろう。
大きな声で叫んで、少しは気が落ち着いたのか、 傍にある榎の大樹の幹に寄りかかり、ふう、と一息を吐く。
木の葉の間から見上げた空に、白い雲がのんびりと流れていた。

クラヴィスに向かって喧嘩腰の説教をかましたのは今日の朝議のことである。
原因は些細なことであった。
ある惑星の視察に、光と闇の守護聖として、来週ある惑星にふたりは赴くことになっている。
それはいい。
それはよかったのだか、まだ幼いふたりでは心もとなかろう、と先輩の守護聖もひとり同行することに決まったのが どうやら彼の癇に障ったらしい。
確かに自分達はこの中で一番の新参ではあったが、既に幾年もの歳月を首座の守護聖として過ごしているわけで、 外見の幼さから未だ子供扱いされるのは、不本意極まりない、ということなのであろう。
自分達だけで大丈夫だと反論したものの肝心のクラヴィスが何も言わない。
彼の沈黙を年上の同僚達は『やはり、心もとないのだろう』と善意に解釈し、結局惑星行きは3人で、と決定してしまった。
ちなみに、ジュリアスはクラヴィスの沈黙を、大方居眠りしていて議論の話題を把握していなかった、若しくは ふたりでも(或いはひとりでも)何の問題もないが、どの道面倒な仕事なので同行する頭数が増えれば楽ができるだろう、 という目論みのどちらかだとと推察している。
事実、当たらずとも遠からず、といった所だ。
と、いうわけで、堪忍袋の緒が切れたとばかり、ジュリアスはクラヴィスに説教をかまし、なおかつ 諸先輩方に啖呵を切ってしまったのである。
―― 子供扱いはもう無用です。クラヴィスがまだ不安というならば、私1人で行って参ります。


朝の出来事を思い起こすと、溜息を吐いて少年は、もう一度空を眺めた。
相変わらずそこにはのんびりと雲が流れている。
そののんびり加減が逆に彼を苛々させた。
「おかげで、尊敬申し上げる女王陛下から、御叱りの言葉を頂いてしまったではないか……」
幼い頃に聖地に連れてこられた自分を気遣ってか、常日頃優しい言葉をかけてくれる女王陛下を 尊敬し、忠誠を誓うはもちろん、恐れ多いと知りつつ母とも姉とも慕っていた彼にとって、 なによりも、それがショックだったらしい。

―― ジュリアス、そなたは(さと)い。それは良いことだ。
だが、すべての者がそなたと同じようにできるとは限らぬ。
そしてまた、すべての事を自分ひとりでできると思うは思い上がりというもの。
そのことを、忘れてはならぬ。
時には人を助け、そして助けられる、そうあってこそ人間なのだから。
人を頼るを恥と思わざるべし。
且つ、人に頼らるるは善しと思え。
そう心せよ。
妾自身、昔、おまえ達守護聖にそう学んだのだぞ ――

その言葉の意味が、解からない訳ではなかった。
それどころか、もっともだとさえ思う。
聖地に在る我ら9人の守護聖、互いに助け合ってこそ陛下を、そして宇宙を支えることができるのだろう。
理屈ではわかっていた。
だからあとはもう、彼自身の性格と、信念と、誇りの問題なのである。

自らの足でち
自らの意志で生き
自らの力で誇り高くありたいと
そう思ってきた。
たとうるならば
湖のほとり
群る森の木々とはひとつ離れたところに在って、堂々と立ち、葉を広げる
あの大樹のように。


ふいに強い風が、辺りの木々を騒々(ざわざわ)と鳴らして通り過ぎていった。
その風に散らされたのか一枚の蔦の葉がジュリアスの目の前をひらひらと舞いながら落ちてゆく。
ジュリアスが寄りかかっていた榎の木にもびっしり蔦が絡まっており、 今更ながらにその事に気付いた少年は、何を思ったか力任せにその蔦を引っ張り、木の幹から剥ぎ取りはじめた。
思いのほかしっかりと絡まっており、ついむきになって剥いでしまう。

「なあ、おまえ、その蔦に恨みでもあるのか?」

突然、かけられた声。ジュリアスは我に返り声の主を振り返る。
そこにいたのは、15、6才ほどの少年だった。
何が入っているのやら重そうなナップザックを肩に引っかけ、服は動きやすそうな軽装、 短く切った金色の真っ直ぐな髪と、日に焼けた肌は如何にも快活そうな印象を与える。
琥珀の瞳には彼の所業を責めているような色は無かったが、 ただ、不思議そうに彼と無残に地に落ちた蔦を交互に見比べている。

「私は、この植物が嫌いだ。何かに頼らなければ立てぬ木など」

とは言うものの、何の罪咎の無い植物に八つ当たりしたことに気が引けてか、 ジュリアスにしては珍しく、普段は真っ直ぐ向けられる蒼穹の瞳を地に落し答える。
「ふうん?そうなんだ」
いまいち、納得しかねるように呟いたが、すぐに親しみやすい笑顔を向けて彼は言う。
「聖地で年下の子に会うとは思わなかったな。おまえ、名前はなんて言うんだ?」
例の如く、「年下の子」という表現にむっとした顔をしてジュリアスは答える。
「人に名を問う時は自分から名乗るのが礼儀というものだろう。
それに外見は兎も角、私はそなたの先達(せんだち)でこそあれ、『年下』扱いされる筋合いはない」
ちょっと面食らったような顔をして少年は、頭を掻くと、
「ごめん、悪かった。俺はカティスって言うんだ」
ジュリアスはその名にすぐ思い当たる。
確か、今日の朝議で聞いた次の緑の守護聖の名がそんな名であった。
「そなたが次の緑の守護聖か。私はジュリアス。光の守護聖だ。
しかし、そなたとの顔あわせは明日と聞いている。色々準備もあろう。この様なところで何をしているのだ?」
同じ守護聖と知って少年―――カティスは破顔一笑する。
「そうか、じゃあ、これから一緒にやってく仲間ってわけなんだな。よろしくな。
……敬語とか、使った方がいのかな?あんまり得意じゃないんだけど」
ジュリアスの物言いや、やはり先輩に対しての礼儀もあるのかもしれない、と、気を使って一応はそんなことを聞いてみる。
その割に、あまりに物怖じしないカティスの態度に、ジュリアスも少し気を許したのだろう、
「どうせ私も年少の部類だ。言葉など、気にすることもあるまい。そのままでかまわぬ。
『一緒にやっていく仲間』、か。こちらこそ宜しく頼む」
そう言って見せた笑顔はやはり年相応、年下の少年のものだと、その時カティスは思ったものである。

◇◆◇◆◇

「もう一度聞くのだがこの様なところで何をしているのだ?」
蔦の葉に八つ当たりしていた自分のことは棚に上げてジュリアスはそう問い直す。
しかし、確かにこの先は迷いの森とよばれる深い森である。
ただでさえ、聖地に来たばかりのカティスのこと、むやみに足を踏み入れればすぐに迷ってしまうだろう。
「この先にある古い小屋に用があるのさ」
あっさりと、カティスはそう答えた。
「この先は危険だから、むやみに立ち入ってはならないことになっている。
そなた、誰かの許可をもらったのか?でなければ……」
これから守護聖としてやっていくのだから、それなりの規則というものを守って云々、と
説教をはじめたジュリアスをカティスは遮る。
「まあ、そう言うなって。荷物を運んでいるだけなんだ。もう、何回か往復してるし道に迷って危険なんてことも無いさ」
「荷物を……?そういえば、そなた、その小屋の場所を誰から聞いたのだ?」
荷物と言うのはこれのことなのだろう、とジュリアスはカティスの背負うナップザックをみやった。
「え〜っと、なんて言う名前だったかな。
案内してくれた先輩の守護聖どのに、こいつを置いておくいい場所はないかって聞いたら、教えてくれたんだ」
親指で、背のナップザックを指す。
「それは、いったいなんなのだ」
さすがに好奇心が疼いて尋ねるジュリアス。
カティスは悪戯っぽく笑い、いいものさ、と答えるだけで教えてはくれなかった。

唐突にカティスが言う。
「さっき、蔦が嫌いだと言っていたよな」
「ああ、言った。この様に木や壁に頼っていなければ立てぬ植物だ。私は嫌いだ」
再度そういうジュリアスに、そうか、と応じると人懐っこい笑みを浮かべて
「この袋の中を教えてやるから、小屋まで付き合ってくれないか?」
そう言って颯爽と歩き出す。
袋の中身が知りたくてついていくなどと、如何にもコドモのようではないか、 と思いつつ、 いや、不慣れな者をこの先へひとりでやる訳には行かぬから私は同行するのだ。
などど、理由をつけて、 結局ジュリアスはどんどんと森の奥へと向かうカティスの後をついて小走りに駆けて行った。

空に、白い雲はのんびりと流れていた。

どのくらい歩いたであろうか。
森の奥の小屋にふたりは辿り着いた。
そこに、今にも崩れそうな木造の小屋が立っている。
建てつけの悪そうなドアは隅が腐って穴が空いているし、 屋根からは草が生え、 風雨にさらされて変色した壁には蔦が―――ジュリアスの大嫌いな蔦が―――からまって 窓さえも被っている。
何のために立てられた小屋なのか、ここまでぼろぼろになっていながら何故そのままになっているのか。
ジュリアスには皆目見当もつかない。
あまりのみすぼらしさに眉間にシワを寄せて小屋を見ているジュリアスは呟く。
「よく、崩れずにいるものだな」
それに応じてカティスは言った。
「何故だと思う?」
「?」
質問の意味が解らず、ジュリアスはカティスを見やる。
「何故、この小屋は崩れないでいるか解るか?」
首をふるジュリアス。
カティスは微笑む。
「―――蔦が支えているのさ」

瞬間、ジュリアスの目が見開かれたように感じられた。
カティスは続ける。

―――蔦が、この小屋を支えているのさ。
幾重にも、幾重にもからみあい、しなやかな、それでいて頑丈な壁を作って小屋を支えてる。
照りつける太陽から、雨の浸蝕から、強風の煽りから、守っているんだ。
もちろん、蔦は壁に寄りかかっているかもしれない。
でも、あの小屋も、さっき見た大樹も逆に言えば蔦によりかかっているんだよ。
だからそれは
お互いに支えあってるといった方がむしろ正しいのかもしれないな―――

「人間も同じだと思わないか」
独りで立つことができるほど強い人は少ない。だからこそ、お互いに支えあって……
その言葉に

―――時には人を助け、そして助けられる、そうあってこそ人間なのだから―――

先ほどの女王陛下の言葉がジュリアスの脳裏に甦る
「そなたは、女王陛下と同じような事を言う」
「そいつは、光栄だな」
ふたりは微笑みあい、そして夕暮れに染まりはじめた緑の蔦をもう一度眺めた。

蔦はそよそよと風にそよいでいる
壁に支えられ
壁を支えつつ
蔦はそよそよと風にそよいでいる―――

◇◆◇◆◇

ちなみに、カティスのナップザックの中身とは、言わずと知れたワインであった。
実はこの小屋、守護聖達の隠し酒蔵で、 ジュリアスやクラヴィスが立ち入り禁止と聞いていたのは、年若い彼等に飲酒はまだ早かろう。
という先輩守護聖(主に夢あたり)の思惑からであったりする。
とはいえ、 カティスの影響でジュリアスが早すぎる初二日酔いを経験するのもそう遠い未来ではないようである……


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