月鏡(つきかがみ)
■鎌倉勢力側から見たもう一つの十六夜記■


【幕間二】闇夜の蛍 ―― 北条義時二十二歳

◇◆◇◆◇

鎌倉の海の色は、深さが足りぬ。

旗揚げの後、本拠地を鎌倉に移した御所に従いこの地を踏んだ(註1)四郎は、そんなことを思ったことがある。
遠浅の鎌倉の海と違って、自分の育った伊豆の海はすぐに深くなる。だから、同じ水でも湛える色が違うのだろう。
それに、ここの海は一旦夜を迎えると様相を変えるように思う。高地にあって望む伊豆と、平野にあってすぐそこまで水の来ている鎌倉との違いなのだろうか。
光ひとつささぬ闇の中にうねる液体の気配を漂わせ、それはひどく粘着質で、昼間見せた海の水とは異なる得体の知れぬ化け物のような印象を彼に与えた。
鎌倉入りから既に四年の月日が経とうとしていた今でも、その印象は変わっていない。

小四郎の館は鎌倉の小町にあって、海から少しだけ離れている。だから館から直接海を望むことはできないのだが、今宵はやけに波の音が耳についた。
庭に面した部屋の仕切りを閉じると、見えなくなった向こう側の暗闇にひたひたとあの海が寄せてくるさまを想像してしまい。思わず彼は、(しとみ)障子を僅かに押した。
目で見てしまえば瞭然である。海がここまで寄せるはずもなく、記憶どおりのいつもの場所に、部屋から漏れた明かりに照らされて庭石が鎮座している。
覘き仰いだ空に月の姿はないが、今宵は十五夜であるはずだから、どうやら雲居に深く隠されているらしかった。
ひとつ息を吐き、目を閉じる。
近く冬の訪れる鎌倉の夜に、虫の声がりりと鳴っている。
秋風がさやりとひとつ吹き込み、潮の臭いが室内に紛れた。
と、来客を告げる声がする。振り向けば勝手知ったるとばかり上がり込んだ、友人にして妹の夫でもある畠山の次郎 ―― (註2)山次郎重忠が徳利を引っさげて立っていた。
「よう、相変わらず無表情だな、小四郎。元気か」
と、どうでもいい挨拶を相変わらずの快活さでしてくると、無言でいる小四郎を気にも留めず、勝手にどかりと座った。 そして、肴は味噌でいいぞ、などと図々しいのか遠慮しているのかわからぬ台詞を吐いている。
諦めて小四郎もその前に座ると、友人が、僅かに開いた蔀障子を見て不審そうに言った。
「おかしな話だ。季節はずれの蛍が先ほどからちらほらと。気付いていたか」
言われるや否や、小四郎は勢い良く立ち上がり、障子の隙間から外を確認する。なるほど、闇夜に紛れて淡い蛍のような光がひとつふたつ飛んでいる。
友人は蛍と信じて疑っていないようだが、小四郎は知っている。あれは異国の神が操る眼蟲だ。
先ほどまでは見掛けなかったことを鑑みると、友人に付いてここまでやってきたのかもしれない。

―― つくづく御所は警戒心がお強い。しかし、何故私には普段見張りがつかぬのか。もはや信用されているわけもあるまい。ならば単に、見張るだけ無駄であることをご存知なだけか。

己が政子や三郎の弟であるから信用されたり重用されたりするなどという幻想は、小四郎はもう御所に対して抱いてはいなかった。それは、三郎の死の真実を知ったときからのものだが、御所が血を分けた自らの弟さえも、見捨てる道を選んだ今となれば、尚更だった。
数日後に奥州への出陣が迫っていた。
表向きの目的は ―― 九郎義経の首。
血に()った情など理由にならぬ。ならば、御所が小四郎を、見張りもつけずに側に置くのはどうしてなのか。
戦の事後処理は得手だが、戦そのもので目だった功を立てたことはない。ある程度の先読みや世情の解釈に長ける自信はあるが、あくまでも己の身の処しようにのみ使っていて、表立って鎌倉の御ためになどと策を披露したこともない。御家人の中でも特に忠義・仁義に篤いと名高い畠山の次郎にまで見張りをつけるようでは、そもそも忠誠なるものを御所が信じているとも思えない。
ましてや己は異国の神について詳しく調べ、その監視を逃れる(すべ)を用意している。
見張るのが無駄だと知っているということは、その行為に気づいているということになってしまう。反対に警戒されて然るべきであるのに。
小四郎は思わず、懐にある大黒天の梵字が記された札を直垂の上から押さえた。

ただ理由はどうあれ、過去に一度だけ監視のないことを、心底ありがたく思った件があったのは事実だ。
数ヶ月前、まだ平家追討のさなかであり、梅雨明けを待つ蒸し暑い日が続いた頃のことである。
伊豆に配してあった子飼いのものからとある連絡があったのだ。異国の神が、姉に寄生する前に拠り所としていた祠を人知れず見張らせており、知らせはそこからであった。
何者かが祠を調べているとの内容で、捕らえようとして失敗したが、彼らの独特の発音で出所はある程度判明している、奥州者である、とも。
報告を聞いて、奥州にも『あれ』に気付き目をつけたものがいるのだと知り、小四郎は身の中で血が沸くのを感じた。
その頃まだ平家は滅んでいなかった。しかし、平家の次に鎌倉勢が狙うのは奥州だと判じて、その何者かは先手を講じている最中なのだと、小四郎は考えたのだ。
奥州の何者かの正体を明確に見定めたわけではないが、推測は容易である。
そして小四郎は書状を一筆したため、奥州へ密使を放った。
時勢的に西国へばかり警戒の目が行く頃であったから、北国(ほっこく)へは存外すんなりと抜け出ることができたらしい。
書状の内容はこうだ。

『貴殿の求める報をここに記す。訶梨帝母(かりていも)釈尊(しゃくそん)が前に伏すが如く、荼枳尼(だきに)の恐るるは国作大己貴命(くにつくりおおなむちのみこと)。異国の破壊と創造の男神、湿婆(シヴァ)の憤怒の姿が、邦国に於いて大地豊饒の神となりしもの。
奥州が滅んだところで当方に不都合はないので、信じるか否かは貴殿の自由。復、既に知るところの報であれば裏付け程度にはなりましょう』

必要を感じなかったので名は記さなかったが、伊豆で取り逃がした密偵があちらで報告すれば、差出人が北条の縁者であること、向こうの手持ちの情報如何ではあっさり北条義時の名まで辿り着くだろうと思っていた。実際戻ってきた使いが持たされた書状は、次のようなものだった。

『感謝はせぬが、参考にはしよう。邪神を廃したところで、貴殿の立場を見ればいずれ衝突はさけられぬ。ならば直に顔を合わせるのは戦場ということになるが、その時まではせいぜい無駄死にせぬよう気をつけることだ』

これをみて、奥州の跡継ぎとは(註3)向が近いという意味で、存外気が合うかも知れぬと小四郎は思った。
もっとも、己と傾向が同じでは、顔を付き合わせたところで会話が弾むとは微塵も思えなかったが。
そもそも小四郎は奥州を手助けする気持ちはさして持ち合わせてはいなかった。それどころか、感情論抜きで理詰めで考えたなら、鎌倉のために奥州の財は手に入れるに越したことはないとさえ思っているのである。この辺の考えは御所と一致しているのだろう。そして、奥州の跡継ぎもそれは百も承知であったと思う。
ではなぜ、いずれ敵となる人物にわざわざ情報を与えたのか。それは、ただ一点においてのみ、手を組む意味と価値があったからなのだ。
将来的に奥州を配下に治める日がくれば、鎌倉は他勢力の制圧をほぼ終えることとなる。
朝廷はその存在に利用価値があるため、暫くは滅せずに泳がしておくのが得策だ。だからその先に必要となってくるのは、これまでのような戦で版図を広げるような力技ではなく、国をまとめ秩序を作ってゆく執政の才となる。
今は、まだ役に立つからいい。だがそういう世が訪れたとき、果たしてあの異国の神は邪魔になりはしないだろうか?
御所が、そこまで策を講じているのかまでは判じかねたが、小四郎は小四郎なりに手立てを用意しておいて損はないと思ったのだ。
近く来る奥州出兵で、あちらが邪神対策を講じて全力で滅してくれるのなら、それに越したことはない。
庇護する神がなくなれば鎌倉は手札をひとつ失うことになるが、後は正攻法で奥州を滅ぼせばいいだけだ。

―― 人の世の政に、神などいらぬ。だからこれは、私怨では、ない。

言い聞かせるように心の奥でつぶやくと、彼は闇夜の蛍が己の目に届かぬよう蔀障子をぴしゃりと閉じた。
勢い良く閉じた音に、気分良く酒を飲んでいた畠山の次郎がいささか驚いたように顔を向ける。
「どうした。せっかくの蛍だ、酒の肴くらいにはならいか?」
「虫は嫌いなのだ。先ほどまでは見かけなかったものを」
「坂東武者が何を言うかと思えば、虫が怖いとでも言うつもりか」
友人が、眉を八の字にしてあきれた声を出した。
「怖い、のではない。嫌い、なのだ。まあ、虫除けの札を持っているから、かまわないといえばかまわないが」
「虫除けの札とはなんだ、そりゃ」
「大黒天を表す梵字を記した霊験あらたかなお札、とでも言っておこう。次郎も一つどうだ」
「馬鹿を言え。何を女子供ではあるまいし」
「そうか」
会話が途切れるが、いつものことだった。たいていは小四郎が短く切り上げて会話が続かなくなるのだが、次郎はそれを気にする風もなく、次の話題を語りだし、またそれを小四郎が途切れさせると更に次郎が次の話題をはじめる。
二人の会話は、いつもそんな風にして成立していた。
そして、この日もいつもの例にたがわず、杯を傾けながら次郎が続きの話をはじめた。
「昼間、(註3)郎をみかけた。さすがのやんちゃぼうずも最近元気がないな。兄貴なら少しは気遣ってやれ」
五郎というのは、小四郎の、歳の離れた十五歳の弟である。
先日元服したばかりで、次の戦 ―― 奥州出兵が、彼の初陣となる。
「放っておけばいい。周囲が思うほど、五郎はもう子供ではない」
「だがな、懐いていたろう。その ―― 九郎、様、に」
今や鎌倉の仇敵となった人物の名を、あえて呼び捨てにせず言ったことに、友人の本心が垣間見れた気がした。
彼と同じ思いでいる御家人は、存外多くいるのだろうことを、小四郎は知っている。
そして己の弟も、同じなのであろう事も。
以前、(くだん)の九郎義経がまだ鎌倉にいた頃、五郎は彼に剣やらなにやらを教えてもらい、ずいぶん面倒を見てもらったという経緯がある。
頼朝の元に政子が嫁いでいるという関わり以上に、九郎の同母兄である全成に、やはり小四郎や政子の妹が嫁いでいるという繋がりがあった。
実の兄がこのとおり非活動的であるから、持て余したやんちゃっぷりをぶつける相手を、姉の夫の弟という近いのか遠いのかわからぬ存在に偶然見出したのだろう。
九郎の方も、己が末子であることが関係してか、(あによめ)の弟を可愛がっていてくれていた。
小四郎自身はあまり言葉を交わしたこともなかったが、彼と弟の交流自体を悪しく思うようなこともなかった。
むしろ、あまり自覚したくはなかったとはいえ、彼らの姿に昔日の兄と己の姿を、僅かに重ね合わせてすら、いたかもしれない。
だから、五郎の心のうちを(おもんばか)れば、確かに辛かろうとは思う。かといって、何するつもりも小四郎には無い。
友に気遣えと言われた所で、どうしろというのだろう。
武家に生まれたからには、当たり前のこと、情に流されず鎌倉の御ために武士らしく振舞え、と。
かつての父の言葉のような事を言い聞かせでもすればいいというのだろうか。
馬鹿馬鹿しいことだと思う。
五郎の答えは五郎にしか出せぬはず。小四郎がが余計な口を出せば、拗れるだけだ。
ただ、四年前の出来事が自分を変えたように。
今度の奥州初陣が、結果如何で五郎を変えるのではないか。どちらに転ぶにしろ、見ていてやることしかできない。小四郎はそんな風に思っている。
次郎はまだ納得いかないようで、太い眉を苦しそうに寄せている。
そして、ぽつりとぽつりと話し出す。そろそろ酒が、回ってきているようだった。
「御所の旗揚げ当初の頃はな、望まんとはいえ俺は平家側で。衣笠城攻めで祖父の首をこの手で討ち取った」
衣笠城攻めとは、石橋山の戦いの直後、頼朝の加勢に間に合わなかった三浦勢が、当時平家側に( くみ) していた畠山勢とぶつかり交えた戦いのことだ。
このとき三浦勢は己の領地である衣笠に立てこもった。衣笠の砦は守るに易く攻めるに難い優れた立地であったが、いかんせん兵力に差がありすぎた。いよいよ万策尽きて、ここは一同壮絶に討ち死にか、となったとき。棟梁の三浦義明が、この老いぼれ一人が城に残り立て篭もる、お前たちは生き延びて佐殿のお役に立てとそう言った。子の義澄、孫の義村らは無念に涙しながらも落ちのびて頼朝軍と無事合流する。
老武士はひとり畠山次郎重忠の軍勢を相手にし、見事な討ち死にを果たしたが、その三浦義明は、畠山次郎の ―― 母方の祖父だったのだ。
豪族同士の婚姻は珍しくも無く、味方すると決めた勢力が異なれば、時に親子・兄弟ですら敵となりうるのは武家集団にとって、もはや仕方の無いことだった。頼朝旗揚げ時、次郎の父は上京しており、畠山の一族はこのまま微とはいえ存在する平家への恩と義に忠実にあるべきか、頼朝に呼応して新たな時代の幕開けに力を注ぐべきかという選択に、棟梁の指示を直接仰ぐことができずにいた。そしてそのまま、三浦、畠山の両軍はぶつかり合ってしまったのだ。
次郎はおそらく、最初から旗揚げに与したかったのだろうと、小四郎は思っている。ただあのとき行動を起こせば、京に在って、もはや人質同然の父親を、見捨てることにもなりかねなかった。
彼の祖父である義明も、それを見越していたからこそ、自分の首ひとつ懸ければ畠山はこれ以上、三浦の主勢力を追うこともしない だろうと判じたし、次郎の平家や朝廷に対する言い訳も立つと踏んだのだ。
望まんとはいえ、と言った友の心中を思いながらも、小四郎は何も言わず、ただ視線を伏せた。
こういった多くの死と哀しみと、罪とが積み重なり、この鎌倉を支えている。
いまさら、引き返せぬ道だった。否、引き返したりすることを、小四郎はきっと許さない。引き返して失われた人々や、伊豆での穏やかな昔日が還ってくるのであれば別であるが、それはありえないのだから。
「だから、昨日までの友や味方がが、今日の敵となるは常のこと、そう諦めて今更動じんと思いたい。だが」
「動じているのか」
「動じるさ。あのことがあったから、余計二度とごめんだと、そう思う。お前はどうなんだ。明日、これまで友だったものを敵として討てと言われて討てるか?たとえば、俺を討てるか?」
「―― (註5)つかも、しれん」
短く応じた小四郎に、次郎は鼻を鳴らして苦笑した。
「あっさり言うんだな。おまえらしい、とも言えるが。……まあ、その時は、お前に討たれてやるさ」
彼は味噌を口に放り込み、酒をあおった。
「最近やけにな、鵯越の戦のことを思い出したりする。颯爽と駆け降りる、九郎様と、神子様を覚えているよ。俺は(註6)が脚をいためるのではないかと、ひやひやしてな。馬を引いて、(かち)で降りた」
「昔話にするほど昔でもなく、過去を懐かしまねばならぬほど、我等は年寄りでもないはずだ」
あえて突き放し、小四郎は己の杯に手酌で酒を注いだ。
結局五郎にかこつけて話してはいるが、友人は彼自身の迷いを振り切れずにいるのだ。かつては源氏の総大将だった人物に、刃を向けることを躊躇っている。
友人の性格からして、心酔に値する人物であったのだろう。それはわからぬでもない。
しかし九郎には今後鎌倉に在るには、致命的に不足しているものがあった。

―― あの方は、この鎌倉で今後も在り続けるにはあまりに真っ直ぐすぎた。まるで。

小四郎はとあることを考えかけて、慌ててその思考を振り切った。
そうしながらも、脳裏に浮かんでしまった時点で、結局は何一つ振り切れてなどいないことを思い知らされる。
口に運んだ酒は、本来の味よりもひどく苦いようだった。
「奥州攻めの総大将は、梶原殿らしいな。まあ、当然なんだろうが」
言いながら次郎が眉をひそめた。彼は景時を苦手としている。
しかしそれは、多くが景時を取り巻く嘘か真かもわからぬ胡散臭くおぞましい噂のせいだ。
実直単純を絵に描いたような次郎には、裏に回って公にできぬ仕事を任されて言い訳もしない景時のような男を、理解しずらく思っても仕方のないことなのかもしれなかった。
まして御所が弟の謀反を疑った最初のきっかけが、景時の報告書であると言われている今。『九郎御曹司』を悪しからず思っている次郎からすれば、景時という存在は疎んじて然るべきなのであろう。
だがそれら景時の噂の幾つかについて、ただの濡れ衣である事も小四郎は重々承知している。
しかも景時は決して己から真実を語り、自らの濡れ衣をはらそうとはしない。真実を問われても、とぼけたように飄々とかわす。
否定しようにも縛られてできぬだけかもしれないが ―― そう考えてから、二年前に石橋山でのことをついに問うた小四郎に、ただ短く「君に話すつもりはないよ」そう言った景時のことを思い出していた。
口止めされているだけかもしれない。恐怖ゆえに語りたくないだけかもしれない。だがあの時彼は「君に」の部分に僅かに力をこめた。
誰あっても小四郎にだけは話せぬ、という意思が垣間見れた気がした。それは、景時の、景時なりの ―― 兄を殺された小四郎に対する思いやりであったのではなかろうか。
父などは、頼朝に重用され、北条をさしおいて萬壽の後見役にすら指名された景時に一人勝ちさせるなと、常日頃から小四郎に発破をかける。しかし小四郎自身はといえば、 自分とは異なった形で鎌倉に縛られいているだろうその男に、同情の思いすら抱いている。そしてそれ以上に、今あるこれは、親しみや敬意に近い感情かもしれなかった。
ましてや、此度の戦の標的となっている九郎義経一行と梶原景時は、個人的に交流も深かったはずだ。
色々と、抱える葛藤は多かろう。ただやはり、彼は飄々として、己の葛藤を表に出すことはしなかろうな、そう思った。
「いずれにしろ俺は、平家討伐だといって意気揚々と西国へ行った時のようには、此度は武勲を立てて云々と言う気にならん」
「それに関しては私も同意見だ。あまり気概を見せて兄上のように討ち死にしては意味がないし、九郎殿のように戦功を立てて御所に恨まれては元も子もない」
のらりと言った小四郎を、次郎が心配そうに見やった。
「小四郎、おまえ、なんだか最近変だぞ」
「私は何も変わってなどない」
「おまえが、そう思っているだけじゃないのか」
何も変わってなどない。変わったというならそれは四年前の話だ。そう腹の中で強く呟き、小四郎は黙る。
だが友人は、強く追求してくる。
「おまえも、九郎様を追討することに躊躇いを感じているのではないのか?」
「違う」
「俺は直接会ったことがないからわからんが、五郎から聞いたことがある。あの方はどこかしら、お前達の ―― 」
「黙れ」
鋭く一つ言い放ち、小四郎はもう友人の言葉には何も応じなかった。
会話がつき、そして酒が尽きた。

次郎が場を辞して帰ってゆくと、一人残った小四郎は、再び蔀障子をそっと押す。
既に蛍は姿を消しており、闇がただ広がるばかりである。
その闇を見つめながら、今しがた友とした会話の中身に思いをめぐらす。
友のこと、五郎のこと、景時のこと、御所のこと、そして、今や敵となった御所の ―― 弟のこと。
次郎に語ったように、御所が自らの弟の謀反を疑ったり、ましてや憎んだなどという話を、そもそも小四郎は信じていない。
目的は別にあるのだ。御所は弟の首を本気で欲したわけではない。
かつて平家討伐のために、御所が各地に置いたものがある。それは、守護と呼ばれる。追捕のための仕組みと言うが、実質的には、その地の支配権・徴税権を得たのと同義であり、長期的には朝廷の権力の形骸化を図るものでもある。
朝廷側も気づいていたと見えて、平家が壇ノ浦で滅ぶと同時に、守護廃止の令を出した。
対抗手段として三種の神器を手に入れ、それを元手に朝廷と交渉を行う腹積もりでいたのだろう。御所はひどく三種の神器の入手にこだわった。
しかし平家を追討した今となっても、三種の神器は終に見つからずにいる。
だから、新たな敵が必要だったのだ。追捕のための、守護を置く口実のために。
実際、すぐに鎌倉側は朝廷に許可を願う使いを出している。都まで赴き、その交渉に当たったのは、誰あろう父の北条時政と小四郎自身である。

各地での支配を磐石にするために作り出した敵。それが、たまたま彼の弟であっただけのこと。
ついでに彼を口実に奥州を攻め滅ぼすことができれば、一石二鳥、と考えているに違いない。
そう考えればやはり、御所は憎んではいないのだろう。
だからこそ、恐ろしい方だとも思う。憎みもせずに、血を分けた弟を追い詰めることができるのだから。

ここに来て、小四郎の中で御所に対する見方が違ってきたのを彼は自覚している。
ずっと、彼は不思議でならなかったのだ。
伊豆の地で、あれほど信頼を置き置かれていた兄の三郎を、何故御所はあっさりと見捨て異国の神の餌食となるに任せたのか。
いや、実際のところ見捨てたかどうかはわからない。
ただ三郎を食らった神を、厭いもせず傍におき、その力を以って一勢力を築いたのも事実だったのだ。
小四郎はその真意を見定めるため、じっと源家の棟梁を見てきた。もしも僅かなりとも納得のいかぬ愚かさを見せたなら、己はきっと彼を許さぬだろうという決意を込めて。
しかし。

―― 御所は、血を分けた弟をいとも簡単に利用した。

結局は頼朝という人物にとって、情は真の目的の前には取るにたらぬもの。
心の奥底でどう思っているかはともかく、そのように行動できる人物だということなのだ。おそらくは異国の神の力さえ、彼には利用して如何程のものなのだ。小四郎がこそこそと、荼枳尼を滅ぼす算段を立てているのとうに知っていて、見てみぬ振りするのもそのためだ。
そんな御所の姿を知るにつけ初めて、小四郎は気がついた。
真の信頼に足る武門の棟梁が、ここにいるのかもしれない、ということに。
友人の次郎が、かつての総大将に今も心酔しているが如く、彼は鎌倉の為政者に心酔しかけているのかもしれなかった。
あるいは、そこまで徹底して情を排除できる彼を、羨ましく思っているのかも、しれない。
ならば忠臣の死にいつまでも後ろ髪引かれる態度を見せたり、情によって弟の沙汰を変じるような棟梁は、むしろつまらぬとさえ今の小四郎は思っている。
反面、いったい何が御所をそうまでさせるのだろうかと、不思議に思わなくは無い。
ここまで冷徹になりきる、なりきれる理由。
古代から続く朝廷の支配を断ち切って、鎌倉に武家による制度を作る夢というのは、動機のようであって結論ではないのか。だとすると、そこに至る御所の決意と想いを、小四郎は知らずにいる。
だが、知らずとも、いいことなのだろう。今の己を培ったのが、良くも悪くも幼いときに交わした亡き兄との他愛無い会話である事を思うなら、御所もまた、人から見れば些細な。本当に些細な何かが大きな力となっていることもありうるのだから。心当たりが、ないわけではないが、今は追及する必要を彼は感じていなかった。


小四郎は目を閉じて、虫の音の彼方に響く、潮騒を探す。
そこにある海ではない、もっと遠くの場所、伊豆の海の深い響きだ。
しかし既に記憶の中にさえ、見つけ出すことが難しかった。

―― 御所は今、あの伊豆の海の音を、想い出す事ができるのだろうか?
―― おそらくは、否。

そして、思う。三郎は生前、今の御所の姿を予想だにしなかったに違いない、と。
あるいは、兄が存命で御所の傍にいまなお付き従っていたなら、何か違う展開があったのかもしれないが、そんな仮定は意味ない話だった。
この現状が、兄のかつて見た夢の形とまったく違っていたとしても、小四郎は不満に思いたくはなかった。
鎌倉の暗い海に蠢くものが、己が身のうちに宿るものと一緒に混じり、騒ぐような高揚感を彼は感じているのだから。
御所が道を過てば、己は彼を簡単に見限るであろう事はかわりない。だが今は。
『楽しみだと思わないか』
遠い言葉が、蘇った。
三郎のその言葉に、あの日小四郎は曖昧に笑ったばかりであった。
幾年の歳月を経て、ようやく彼は暗く頷く。
―― ええ、楽しみですよ。兄上。
再び夜空を覗き仰ぐ。
月は相変わらず、雲間にあるようだ。



奥州出兵を三日後に控えた、鎌倉の秋の夜の一幕である。


◇ 第三幕へ ◇

◇◆◇◆◇


【歴史考察1】考察というか天球儀版遙3妄想 ―― 義時と泰衡ネタ。長文。
【歴史考察2】畠山重忠についての補足+景時の失脚は本当に北条氏の陰謀なのかを語る。長文。
2007/05/20