久々に東京ラーメンを訪れた。しかも時刻は8時50分ぐらいである。 いつもの交差点から北を望んだときに看板の明かりがともっていたので 今日もやっていると確信できたのであるが店の前に行って店前の ちょうちんに明かりがともっていなかったのをみてもうすでに営業を 終了しているのかなと思ってしまったが暖簾がでていたのでまだやっている ようだった。 僕が店に入ったときには客が三人ほどいた。二人は食べ終えつつ あった。のこりの一人はまだ自分の注文が目の前に出てきていない 状態で今かいまかと待っている様子であった。そういうところで 僕は注文したのである。「並」。NHKラジオの放送にのせているはずの 鼻歌を少し中断させて「はい、並」と注文を確認するともう残り少なくなった 麺のかたまりの一つをほぐすと次に入れる麺の置き場に置いた。 そう言うときに、すでに食べ終えていた右隣のひとが急にきょろきょろ し始めた。蚊が彼を襲っていたのである。家の中と違って なかなか蚊に集中しにくいのが公共の場所である。しかしほうっておけば 間違いなくかの餌食になってしまうのである。是非にやっつけておかなければ ならないのである。その葛藤の中かれは時々手を打ちながら しとめようと努力をしていた。冷静に考えて見れば彼の周りだけに その蚊がいるという保証はどこにもない。しかしなぜか蚊は 彼の周りをつび続けるのである。数分の格闘ののちついにやっつけることが できた。彼は満足げにつぶれたそれがついている手のひらを確認し それを落とした。僕もほっとした気がする。蚊に襲われたときの気持ちは 誰しも同じようだろうしよくわかるものなのだ。 先ほどの麺は反対がわの隣の人の注文であった。 その注文は大盛りラーメンであった。そのラーメンを湯がくところから 引き上げてはちに移し具を並べて完成させたあと僕の分の麺を 湯がき始めた。時計はすでに9時二,三分前をさしている。しかしラジオの 放送によればもう少し9時までに時間があるようだ。少し店の時計が進んで いるようであった。僕の時計も実は少々時間が進んでいてそれになれてしまって いるので意外にそれに気がつかなかったのである。そうこうしているうちに 注文の品ができあがった。汁に指がつくかつかないかというところぎりぎり のところに指を引っ掛けてラーメンをもってきた。「並です。」 そのはちを手元に引き寄せる。みてみるといつもより醤油がこいように見える。 照明の具合だろうか、あるいは最近食べたラーメンの色の影響かもしれない。 麺を見るとその汁の色が麺についているので醤油色ががっている。 やはり濃いようである。最後ゆえに少し濃くなったのだろうか? これについては勘違いなのかもしれないので判断はこれから先に 食べたときにどうなっているかということを見てから下したいとおもう。 でも濃いそのラーメンもやはりうまい。 安心して食われるラーメンであるのだ。 食べていると時計はすでに9時を回っていたがNHKによるとまだ9時を回って いなかった。 しかし僕が最後の客になるんだなあ、とほとんど確信していたのである。 それは残りの麺の数もそれを確信させるのに十分であった。 親父も座って休憩しているところを見るとほとんどそう考えていたに 違いない。しかし そのとき4人ぐみが客としてはいってきたのである。 入って奥の座席につくころNHKが9時の時報を知らせたのだった。 残る麺の数は4つ。ぎりぎり客の数にたりるものであった。 僕は最後の客・・という言葉に酔いかけていたから少々残念であったが 親父にとってはよりわかりやすい最後の仕事ということで 楽しく今日の仕事納ができるに違いない、と思えてかえってうれしかった。 1000円に対するおつりを受け取って「おおきに」と返す言葉は それを表現するようにうれしげだった。
いつかメールをもらった東京ラーメンの先輩が言っていたが 週に二,三回は東京ラーメンに通うこともあった、 というのを僕も体験している。 もちろん休日をまたいで通うというのはちょっと卑怯だと 言われそうであるがここの休日は突発的にもよくあるので そんなにへんでもないだろう. 今日は。久しぶりに大盛りを頼んだ。 最近ずっと並であったから随分久しぶりに食べるメニューである。 カウンターの中を見るとたくさん並用のはちが並べられており それはいつもより多く見られたがこれからの客を見込んでのことであろうか。 そのせいでいつもと同じ数準備されていた大盛り用のはちが 随分少なく見えた。客が多くなっても大盛りを食うような客 は少ないのであろう。そのときにいた客をみ回してみると たいてい並ようのはちでラーメンを食べている。 大盛りを食うのは常連の一部の学生ぐらいなものなんだろう。 その辺は親父は把握しているのである。 僕のようなまだ三年も行かないほどの経験者にはわからぬものが あるのだ。そう言うことを思いながら親父のラーメンをしたくする 姿を僕が見ていたことを知ってかしらずか、 今日は鼻歌も好調でたいそう陽気にうつった。 残念ながらNHKラジオはニュースを読んでおったのでそれにあわせて というわけではなかったが。 その間に二杯は水を飲んだ。 しかし、まずかった。いつもとは違う味がするような気がするのである。 なぜだろう。この水は単に京都の水道水を浄水機に通した だけのものであるがそんなに水道水の味が落ちたのであろうか・・。 あるいは自分の舌が変わってしまったのか。なぞである。 ラーメンの味はそれほど違うものはなかった。うまかったのである。 そう言う意味では不満は何もない。 出ていくころには水の不満など忘れて笑みを浮かべて 「おおきに」といっていたのである。もちろんいつもより お釣りは少なかったわけであるが・・。満足であった。
最近土曜日にそれも尼崎帰還の間際にここによることが多い。 時間が6時前のこともあり誰もいないということはない。 しかしそれほどこんでいないので 丁度よい雰囲気をかんじられるほどの東京ラーメンを味わえる 環境がそろっているというわけである。 今日は並を食った。 それよりは親父の鼻歌が精霊流しにあわして行われたことのほうが重要である。 そういうものに対しても鼻歌をあわせてくるとは 親父のうた好みに新しい側面を与えるのに十分な 事実であった。
スキンヘッドの親父とその友達風の親父の二人ぐみと 親父が談笑していた。 その中の話であと5年、あと5年はしたいなあ、ということを表明 していたのである。僕の願いとしては5年とは言わずずっとやって ほしいのであるがまあそれは親父のこと かつて60でやめるといっていたのを守らなかったように よい方向に守らないでくれることを祈っている。 今日食べたメニューはいつものように「並」であった。 正式には「ラーメン」なのであるが 個人的にはラーメンというのはすべての麺メニューを包括して 表す名称のように思えるので大きさでメニューを指定して いるのだが、後から入ってきたお兄さんは「ラーメン」といっていた。 自分もかつていったことがあるにはあるのだがやはり違和感が伴って しまうのである。
今日は八時すぎぐらいに店にはいった。 入るとおくに座っていた親父がスックと立ったので ちょうど客が途切れた時だとわかった。 だから僕が「なみ」というとすぐに調理にかかったのである。 もちろんこのような余裕のある日には鼻歌を歌いながらの調理である。 そのときちょうどラジオのNHKは歌番組を放送していた。 もちろんNHKラジオの歌番組であるからしかもゴールデンタイム であるから若ものを想定した放送は決してしていないのである。 そう、自然とその曲の選択はナツメロになっていた。 親父のはなう他はナツメロにも良く合う。 合うというか混ざり良いのか、実はわからなかったが 実に心地よい雰囲気を醸し出しているのは確かである。 ほとんどあっという間の食事時間であったが 逆にあっという間と感じるほどに心地よい時間だったのである。 僕の最後の大きにの声もそれへのよろごみがこめられていた。
今日は8時30過ぎに入店した。 久しぶりに閉店近くの入店である。客はおくのに3人、カウンターに2人いた。 いつものように「並お願いします」と頼んでそれから水をセルフで注ぎ 目の前のカウンターにとんとおいて椅子に座った。 ラジオからはバラエティー番組であるが一発で NHKのそれとわかる雰囲気の音が「けたたましく」響いていた。 僕は既にそのときに東京ラーメンの雰囲気にのまれていたのである。 少々不安な気持ちが実はあったのだがそれを払拭するほどに その雰囲気は変わらぬものだったのである。 今日は珍しくお客全員が学生風情の連中ばかりであった。 僕は学生だが学生にみられているだろうか。まあ僕が観察者だから 全員学生(もちろん親父はのぞく)とおもえるからよいが。 ラーメンが来てしばらくすすってから水を補給する。 水を補給するときにおくが見えるのだがそのとき奥にいた 奥さんと目があった。うれしいものである。 そのうれしさというのはやはり「ひとりよりふたりがいい」という 歌から連想されるにぎやかな方が良いという事実からひきおこされる である。この店に最初に入ったころにはほぼ親父一人でこの店を 運営しているものかと思ったが通い続けるにつけ意外にいろいろな人が 手伝いに来ているということがわかったのである。 特に一番頻度が高いのは奥さんである。奥さんに関しては 手伝っているという言い方は失礼なのかも知れない。一緒にやっているが たまに休んでいるといった方が良いだろうか。 今日は結局奥さんは表にでてこなかった。 僕がスープをのみ終えたとき今日は水を2杯しかのんでいないことに 気が付いた。それだけラーメンを味わう余裕がなかったのかもしれないが 心穏やかになったことだけはたしかである。 「おおきに」とやり取りする声とサッシをしめる音を 実に爽快に感じ、東京ラーメンをあとにした。
今晩遠出をするのでこういう日にはやはり夕食はここが心地よい。 そう思って最初想定していた生協のルネでの食事を変更して わざわざ東京ラーメンに足を向けることにしたのである。 昼飯時でも晩飯時でもない時間であったので三人ほどがカウンターに 座っているという実に僕としては心地よい客の入りの状態であった。 サッシをあけて入った正面に客がすでに座っていたので それをよけるように座らなければならなかったが 今日はのどが乾く傾向が強いとかんじたから給水機がある 端っこの席に座ることにした。 椅子を引きながら「並お願いします」と注文して 座ったとたんコップに水を注ぎ1杯目の水をすぐに飲み干してしまった。 そして次の水を注いで・・と注文が目の前に現れるまで三杯は 飲んだだろうか。今日は妙に水がおいしい。 しかしおかげで三時間ぐらいあとに随分粘度の低い便が出てしまった という落ちはついているがそれでも本格的に腹を壊したわけでは ないからよしとしよう。 今日は鼻歌はあまりきかれなかった。そんなに忙しくないのに 耳に入らなかったのである。たんに大相撲を放送していた NHKの放送にまぎれてしまったというだけかもしれないが それでも実に不思議なことである。まぎれるほどに印象がないというのは 歌っていないのと同じようなものだからだ。 ラーメンはうまかった。昔の僕のように水を大量に飲んだから かも知れないがスープも最後まで味わって飲むことができたのである。 1000円を渡して600円を受け取ったときにいっしょにもらった 「おおきに」はそのまま僕が店を出る直前に発した「おおきに」 で気持ちよく返すことができた。ここは味と心を味わう店なのである。
もう日も暮れて随分暗くなってしまってから今日はまともな 食いものを食っていないことに気がついた。 まあそれでも小さなマロンケーキを一切れしか食っていない というほどはいっていないのであろうが・・ と思ってはみたが焼いた食パンを二枚ほど消費しただけ だったのでそれほど変わらないことではあった。 いずれにしても腹が減っては戦はできぬである。 なにが戦かはさておきその腹ごしらえをする必要に迫られていた のである。そのときふと思いついたのが ちょっとこってりが入っているしょうゆ味のラーメン そう東京ラーメンの出来立てが入っているどんぶりである。 麺がスープから微妙に出ている部分に表面に浮いた油のきらきらが なんともうまそうに僕を誘うのである。 まようことなく東京ラーメンを夕食にすることに決めた。 しかも大盛りである。そのときの気持ちが大盛りの量を要求していたし 頭に浮かべた映像もたした大き目のはち、つまり大盛りであった のもある。 店に入ってみると奥に二人カウンターに二人客が座っていた。 奥の客は僕と同じぐらいの学生風情であったが カウンターの客は結構年配のひとだった。 しかも一人は頭の手術をした後がある。 なかなかにわかりやすいように見えるので気になっていたが でかい声でその二人が話し出したのである。 「すいませんねえ、こちら、兄なんですが、しなちくがだめでねえ」 弟のほうはこちらのなじみらしい。 兄が珍しく来たというかんじだろうか。 手術をしたあとが見えるのは弟のほうであった。 そのきっかけのあと親父を巻き込んで三人の話が始まる。 「もう50%は助からんといわれてましたんやで。」 というと親父は あまりその手の話題にはとっつきにくいのか 「ほうほう、はあはあ、それは大変で」 というばかりであったが それでも好奇心はかきたてられるはずである。 なんとももどかしい態度をとっていたようにみうけられた。 話をしていてきくのかと思えばほかの客の相手に集中して みたりするのである。 僕は親父と兄弟の話しをひそかに両方の意味で楽しんでいた。 大盛りラーメンはうまかったがさらにその状況も よっぽどおいしかったと思えるのだ。 さすがに話が「はずんで」しまったゆえに鼻歌は聞けなかったが それでもなかなか有意義な夕食時間を持てたと確信している。うむ。
ひさびさにK君と東京ラーメンに向かうことにした。 言ってみると見事に夜のメシどきにぶつかったのか 見事に席が埋まっていた。 埋まってはいたがほかにいくつもりもなかったので しばらく待ってみることにした。 店の中に入ると随分圧迫感もあるので外で待つことにしたのだが 随分新しい発見もあった。 まずちょうちんの古さである。古いといっても価値がうまれるほどに古い わけではなくてぼろいのである。向かって一番左のそれは すでに取れてしまいそうなぐらいに随分と破れてしまっていたのだ。 さすがにこのちょうちんは店が続いているととれてしまうであろう。 取れてしまうぐらいのときにもこの店に食いにいけたらよいと思うのだが それはわからないことである。 また、それとは反対がわに目をやるときになる木片がビニールの紐で ぶら下がっているのを発見した。 「町内会長」。 おやじは町内会長に選出されていたのである。すばらしい。 そうこうしているうちにテーブルのカップルの二人が食い終えて 席を空けたのでそこに滑り込むようにすわった。 そういえばこのテーブルに座って注文をするというのは初めてではない だろうか?たしかにはじめてである。これほど親父の顔を遠くに見て 注文するというのは新鮮ではあるが少々つらいぐらいである。 かんがなにかつかめない。そのせいか注文がぎこちなかった。 「大盛りっ」と前触れなくいってしまったのである。 そうすると親父は今まで見たこともないような驚き方で 「あ、あぁあ。はい」という注文の受け取り方であった。 もちろんそのときはラーメンを湯がくのに忙しかったこともあったのであろうが やはり注文しますよ、という前触れを先にしておいてから 注文を述べるという手続きをとるというのは慌てさせないためには 大切なことであったのだ。 注文をしてから品物が出てくるまでに随分時間がかかった。 先ほどのぎこちない注文のやり取りもありなんとなく不安であったが だてに30年しているわけではない。うまそうな大盛りが目の前に出てきた。 今回のラーメンはいつもより油がよく出ていてうまそうである。 そういえば大盛りラーメンを食うのは久々であった。やはり並に比べて 随分多いものである。うまかったうえに量も多い。 幸せな瞬間であった。その幸せをかみ締めていると あのメロディーが・・というかあの音が耳に入ってきたのである。 そう親父の鼻歌である。入ってきたときはむちゃくちゃ忙しかった のでまったくその余裕がなかったのであるが食べている間に 半分ぐらいの客が食い終わって出ていったのである。 それで随分余裕ができたのである。 鼻歌はその証明でもあった。 忙しいときにはその音が聞こえていないためにそれを補完する がごとくについつい自ら歌ってしまっていたのである。 それゆえにその証拠を確認することは実にうれしいことであった。 実に充実した夕ご飯である。うまいときにうまいものを食う。 それの雰囲気を作る環境がさらにそれをひきたててくれるのである。
午後4時過ぎである。気がつけば今日はまったく飯を食っていなかった
ので随分空腹を感じた。
そこで飯を食うことにしたのだが
しかしそれをどこでおこなうかという選択をしなければならなかった。
生協食堂もろもろという選択肢もあったのであるがここは
久々に東京ラーメンに興じるというのもよいと思ったので
それを第一候補として下宿を後にした。
わざわざ第一候補にするという表現を取るのは
いざ食いにいこう、と思っていってみたものの「今日は休業です」
という悲しいお知らせが入り口のサッシに張り出されているということ
を確認しにいくことになってしまうというさびしい結果になることも
結構あるのである。
下宿を出てみると雨が降っていた。部屋の中からは音で確認するしか
ないのであるが雨が降っていることは確認できていなかった。
だからそれほどきつくない雨なのであるがぬれていくわけにもいかず
一度部屋に戻って傘をもってきた。
いつもの交差点に出てみて、北のほうを向いてみる。
するとこうこうと光を放つ赤白の看板が見えた。
東京ラーメンである。曇りで薄暗いときは昼でもその看板に
火が入るのである。
おかげで最小限の被害で押さえられるから助かっている。
曇りの日はたいてい余り気分が優れないことがおおいので
なおさらである。しかし今日は遠くから営業中ということが確認できた。
そちらに足を向けて気分よく歩き出した。
食べたいときに店が開いているというのは実に気持ちがよいことである。
店のほど近くまでいって店のなかを確認したところ何個か席が空いていた。
一人で行く場合、席が空いていないときには別の機会に譲ってしまう
ことが多いのでついついこういう行動をしてしまう。
やはり僕としては人がおいしく食っているところでそれができない状態に
またされるというのは実につらいことなのでそういう行動をとってしまう
のである。しかし今日はそれをする必要はなかった。
店に入ってみると外からみたよりは結構入っていた。
自分としてはそれほどこんでいないだろうとおもっていたから
とくにそう思ったのかもしれない。しかし前回言った時よりはまだ忙しそうでは
なかった。というのはここの親父の最大の特徴ともいえるあれが
聞けたからである。
「鼻歌」
これである。これを聞くための東京ラーメンといっても半分はあたっていると
いえるだろう。これこそ久々に聞くことができて大変うれしい。
同じラーメンでもその味の4割増は保証されると思えるぐらいなのだ。
「はい、いらっしゃい・・」といつもの挨拶が来たので
「並、お願いします」とそのメニューを告げる。今日は言葉には表さないが
それにこめた気持ちでそのうれしさを表現していた。
その注文を告げた少し後新しい発見をすることになった。
それは隣の客の注文についてのことである。
親父の手元を見ると一人分のラーメンを作っているように思えたので
注文する前から僕の分を作っていたのか?ととんちんかんな予想なんかをしてみて
一人でほくそんでいたりしたのであるがもちろんそんなことはない。
しかし僕より先に入っている客の前にはすでにラーメンばちがそろっていたのである。
だからそのラーメンの行方がどうなのかというのは気になるところであった。
その疑問はまもなく解決された。
「はい替え玉ね」
その一声でである。替え玉というメニューは気がつけばいつのまにかできていたの
であるが(180円:もやし入りスープつき)それの注文が出てくるところをはじめて
みたのである。それは具がもやしに限定されたラーメンといっても差し支えない
ものであった。いうなれば大盛りにスープともやしが大目という組みあわせ
に近いものがあるかもしれない。けっこうしっかりしたメニューである。
一瞬ラーメンというメニューが損のような気がしたのであるが
これはセットではじめてできるメニューであるからそんなことはないのである。
そういえば、「ラーメンスープ」というメニューがあったのであるがあれも
セットのメニューなのかなあ、と今はっと思った。
そういう新しい発見の間も親父の途切れ途切れの鼻歌は続く。
もちろんそれの元曲が何かという推測はまったく受け付けないほどの
すばらしさがそこには感じられるのである。
ラーメンの味と親父の鼻歌に浸っているときに店の表にワンボックスカー
がとまった
とおもうと赤ちゃんを抱えたお子とそれに続いて両親とおもわれるひとがはいってきた
。うむいずれの顔もはじめてみる顔である。その親父との会話を聞いていると
やはり親子なのだろうか。今までの記憶を思い起こせばずいぶんたくさんの人に
親父は囲まれているのだなあと思う。それゆえに
60を回ったらやめるといっていたのがここまでやってこれたに違いないと思えて
なかなかよいことだと思ったのである。
ラーメンを食いながらNHKのラジオから聞こえる「若者はジーンズを洗わない」
なる話題を聞いているというのもなんともこっけいであるが
やはり親父の途切れ途切れの鼻歌に比べたらそれほどでもないと思える。
今回もいろいろな出来事に遭遇したのではあるのだが
やはり親父の鼻歌が聞けたというのが最もうれしかったことに
なる。これを聞くとやはり安心できほかのものも楽しく感じる余裕を与えてくれる
ものなのである。
その感謝の意味も込めて親父の手があくタイミングを見計らって勘定を出した。
「おおきに」という言葉とともにやり取りされたそれは実に気持ちのいいものである。
またきますで、着たらまたきかしてくださいのう。またきてくださいのう。
そういうやりとりがその言葉の裏にされていたに違いない。
またこよう。改めて心に誓ったのである。
朝定を食べる予定であったのだが
それを寝坊という不精で逃してしまったので
朝食兼昼飯いわゆるブランチ〜として東京ラーメンを食する。
一緒に来たつれとのちほど北部食堂でシチューなどを食べようと決心して
いたので頼んだメニューは前回と同じ並ラーメンである。
ただ前回は「ラーメン」といって注文したのだが、
今回は「並」と注文することにした。
特に明確な理由はないのであるが、
おそらく今回は前回よりもより昼に近い時間に行ったために
しばらく中でカウンター席に座ることができずにしばらく立って待った
あとにやっとのことで座ったという事実から
早く自分の注文したいものを伝えたかったからであろう。
「ラーメン」というここのメニューの正式名称は
言葉の印象からすれば実に曖昧さを拭い切れないのである。
だからついつい「並」という器の大きさを明確に指定する方法を
おこなったのだろう。
今日のラーメンも実においしかったし、
はじめてみる親父の助手たる貫禄のあるおばちゃんなどに
遭遇することができたのであるがやはりもの足らない。
それはやはりあれが原因であった。
「親父のはなうたのなさ」である。
昼時にこうも近い日でここを訪れたのはおそらく初めてであろう。
そのせいで今までは知らなかったのかも知れないが
親父が鼻歌を忘れる時があるのだとということは
実に衝撃的でもあり新鮮な感じもすることである。
そういえば昨日もここに来ようかと思っていたのであるが
来なくて良かった。というのは昨日は休みであったということを
店内のカレンダーで確認することができたからである。
学校に向かう前に東京ラーメンで食事をすることにした。 昼過ぎにここを訪れるのは ずいぶん久しぶりなことであった。 雨が降っていたので傘を差してそこまで言ったのであるが それもずいぶん久しぶりなことである。 全体として本当に久しぶりな感じのする この店であった。この時間になかなかこないので気がつかなかったが やはり昼飯時のこの時間というのは結構込んでおり 例のおやじも結構なペースで注文をこなして行かなければならない。 見ていてもあまりやすみを取ってなさそうである。 しかし先週の土曜日は休んでいたのである・・。 休みは取っていないけれどのなんとなくその飄々とした按配で こなすラーメン作りはさすがである。 一緒にきていた連れの分の水をコップに注ぎながらそう思った。 そのときに注文したのは並みのラーメン(つれも同じであった) である。いつものペースで食べて、スープまで飲んだのであるが 何か物足らないものを感じた。 がんがんにかかっているNHKラジオ、おやじの横に黙って居る おばちゃん、そこにある風景自体は何も変わっていないのであるが 何かが足らなかった。・・・店を出てから それをつれに確認したのであるがそれは正解であった。 それは何かといえば・・・鼻歌がなかったのである。 やはり昼時ということでそんな歌を歌う余裕もなくなったのだろうか・・。 それともテープを再生する機能を持っていない機械に変わってから NHKのトーク番組の雰囲気に流されて歌を忘れてしまったのか? 真相は明らかではない。
この日の11時ごろ、一通の衝撃的なメールが わがメールボックスにとびこんできた。 「東京ラーメンは世界一おいしいと思っています」 なる題名のメールである。 いままでこのページの存在自体は一部の人たちに 浸透しているということは知っていたが 僕の気がつかないところで読まれる機会があるということを 知らせられる事象というのはこれが初めてである。 正直いって嬉しい。嬉しいけども多少恥ずかしいところ もあったりする。人に見られるということは 嬉しいということとともにそれだけある種の責任も 感じざるを得ない状況なのである。。 さらにわかったことといえばやはりこのラーメンやの歴史、そして その中に形作られていく年輪にも似た思いでの深さである。 確かにその店で培われた多くの歴史がある。 それは苦しかったかも知れないけれどもいつもそこにいる親父の 顔を見て安心した人がいるんだ、という事実があったことの証明である。 食いにいくだけでははっきりとはわからなかったそういう事実は あらためてそういう形で知らされるにつけ実に新鮮で快い思い がする。。 やはりそれに答える為にもこの日とその翌日とそのさらに翌日にまで 響いた某所の飯と思われる(推測)の食あたりにめげずに 東京ラーメンをたべつづけ、その様子をお知らせしなければ なるまいという新たな決意に燃える深夜であった。
今日は確かにやっていた。昼間であったが曇っていたので昼間にしては
そんなに明るくなかったのでその看板の明かりは点っていたのだ。
昼の2時ごろである。今日の営業は明らかであったのでその時に即座に
行くことはせず夕飯として
セットでないセット「ラーメン+カレー」を食えるに違いないと言う決意を
強くしたのである。
東京ラーメンは日曜日・祝日以外は営業日のはずであるが結構経営者の都合
で臨時休業することが多く土曜日だからと言ってもいつも営業しているわけで
はない。しかし、やるときはやってくれるものである。
まあ、過去の例では午後6時ぐらいに「麺がなくなりました」と言う張り紙と
ともに閉店してしまっていることはあったがたいてい初志貫徹した営業時間
を誇っているのである。今日においてはわざわざ500キロを越える距離をこえて
迎えた客人はこれを食いにきたといっても過言ではないほどに楽しみにしていた
のである。他にいろいろ過ごした後、大体その位置に戻ってきたのは夜の7時30分
すぎであっただろうか。日も確実に落ちてしまって随分暗くなった景色であったが
あるべきところに輝いているはずのあれがない。そう看板の明かりが点っていない
のである。東京ラーメンのある鞠小路はまっすぐな通りなので比較的とおくから
その看板が望めるのであるが交差点で鞠小路にはいってもその特徴的な
赤白の看板が見えなかったのである。ほとんど事実としては明らかであったが
目の前までそれを確認せずにはおれなかった。
近づけば近づくほどにその店の周りの暗さはひときわ目立つものがある。
店の前に至ったとき店の入り口のサッシにはいつもの黄色字の張り紙が
ガラス戸の内側から張り出されていた。
最近の鬱状況が実はあったのだが
それも回復しつつある。
その根本の原因は取り去られたからである。
しかしそんなにすぱっと回復するものではないので
うじうじとしていたのであるが
そんなときに迎えた夕飯時、といっても8時はまわっていたのであるが、
8時台といえばあの店が頭をかすめるのもである。
「東京ラーメン」
営業時間が9時までということもあり、またラーメン屋ということから
より遅い時間に訪れたくなるという心理もあってついついこの時間に訪れること
が多いのである。そのために8時台といえば
「東京ラーメンが」が思い付くのであろう。
今日はそれにくわえて、心を癒すという目的が付け加わった。
この目的は昨日も実は行った「よりみち」では達成できないものがある。
といってもオヤジに慰めてもらうという直接的なものではなく
あの雰囲気に包み込まれたくなるのだ。
こういう店はだれしもあるだろう。僕はこれまでの人生で外食の経験が
極端に少なかったせいかそういう店をついこの間まで持てないでいた。
今改めてこの店がそういう店であるなあ、と感慨深い思いがある。
もしつぶれてしまったら・・という危惧もないことはないのだが
それでも敢えてそれには目をつぶってこの店を堪能したいと思う。
店の前には大きな車が止まっておりいつもの外見を少々損ねていた
がためらわずそこに入った。
椅子を両手で持ちながら
「並、、お願いします」
「ほい、並。」
そのやり取りを確認した後、横の冷水機よりコップに水を注いで自分の座る
位置のカウンターに置いた。
今日も奥さんはいない。いないというか厨房にはいないということである。
座敷の向うにあると思われる今のテレビはちらちらと映っていた光を見られたので
奥さんはそこにおられるのか?
誰かカレーでも頼んだらオヤジの「カレェー」なる声に答えて
多分出てくるのだろうと思われるが、
そのためにカレーを頼むのも変なので止めた。
(しかし考えたらまだここでカレーを食ったことがない。)
待たされると思ったが、僕が入る前に注文を済ましていた隣の兄ちゃんの
大盛りラーメンと同時に麺がゆがかれていたので待ち時間は2分もなかったのでは
なかろうか。
オヤジの親指が明らかに汁に使っていたような気がしたが気にしない。
今日もラジオはNHKの放送を流していた。
小野ヤスシが出ていたようでその関係でコミックバンドの話になりリクエスト曲
もそれガラミで決まったようだ。
バンドによる「炭坑節」である。
盆踊りで聴かれる調子の炭坑節とは少々違う感じの受ける炭坑節であった。
しかし、それは紛れもなく炭坑節。鼻歌で歌うと普通の炭坑節と
区別できようもない・・鼻歌・・そう、気のせいかと思ったが明らかにそれである。
オヤジの鼻歌。それは明らかにラジオが奏でる炭坑節を
フォローするかのようにうたわれていたのである。
すばらしい・・その感慨は頂点に達した。
あっという間に麺を食べ終えスープまでも飲み干してしまっていたことに気づいた
僕はなごり惜しげに財布から代金を取り出した。
400円ちょうどあると思ったのだが、なかったので千円でお釣をもらうことにした。
「おおきにぃ」
とともに出てきた600円。いつになく気持ちのよいやり取りであった。
そのせいかいつもなら僕が店を後にする言葉「おおきに」が
「ごっそーさんー」に変わっていた。
だからどないというわけでもないがいつになく新鮮に思った証拠とでも思って
いただければよいかと思う。
かえりしに豆腐を買って下宿にもって帰った。
ほっとしてこたつに足を突っ込んで座ると、鼻の奥がむずむずする。
その原因はすぐに明らかになった。
鼻の奥の穴からねぎが出てきたのである。・・・なんとも幸せな瞬間。
実は今日はずっと下宿にいたのであるが、
朝早くに飯+ふりかけを食った後日が落ちて随分時間が経つまで何も
食うことがなかった。
というのはあまり体を動かしてなかったからである。
それゆえに腹のヘリ方がゆったりしたものでそれゆえになかなか
気がつかなかった。
しかし既に腹が減ったという状態にはなっていたためた
はっとそれに気づく。
時計を見ると午後の8時30分前であった。
そこで思い付いた路線は下宿にあるゆがきラーメンを食うとか、
かんづめを開けるとかであったが
その時の気分としてはうまいラーメンを食いたいというのが最も優先度の高い
候補になっていた。
今は下宿に居る・・それで最も近くてうまそうなラーメン屋といえば、
そう、東京ラーメンしかない。
そう思っていたときには既に下宿の外の最も近い交差点で
東京ラーメンの看板の明かりを望んでいたのである。
下の記事の日付を見るとわかるように東京ラーメンに訪れる事自体
随分久しぶりなことである。それゆえに何か入りにくい感覚があるのではないか?
とその入り口の察しを目の前にするまで気がかりであったのだが、
実際はそうでもない。まるで昨日もきたかのような感覚でその入り口を開けられた。
入ってみると客が4人ぐらいはいっておりよく喋っている。
しかしカウンターの中には誰も居なかった。
といっても無人で営業しているはずも泣く、単におくでものをしていただけであった。
僕はおくからこちらにオヤジが出てくるのを確認すると、
2秒ぐらいためをおいて「並ぃ」と注文した。
そうするといつものように、まるで鳩が歩むたびに首を動かすかごとくに
あゆみに同期した形でうなずきの行為を見せその注文が通ったことを
表してくれている。
店では相変わらず前回と同じようにラジオがやかましくなっているのである。
その内容のあまりおもしろくなさからおそらくNHKであろうという
事が想像できるのであるが、少々不思議なことに気づく。
このラジオをを設定しているのはオヤジのはずなのだが、
ほとんど彼はその放送を無視しているとしか思えない行動をとっているのである。
それは具体的には何か?
そう、鼻歌なのである。まるでそのラジオ放送が流れてないかのごとくに
みずからの思うままに歌われるその鼻歌は、以前にこのラジオの代わりにおかれていた
ラジカセから流れてくる外国民謡のゆったりした音楽に同期していると
考えた方が実に自然に思える。
しかし、そういうことをしらないと「これはいったいなんなんだ?」
と悩むだろうとおもわれる鼻歌であることは以前とかわりなく
そうである。
その鼻歌を久しぶりに聞くにつけ、さすがだ、と思っているうちに
ラーメンをほとんど食ってしまっている自分に気がつくのであった。
さすがである。
ラーメンを鼻歌で食わせる。こういう事ができるオヤジがこの店のほかにどこに
いようというのだろうか?
僕のラーメン屋経験を考えるとそれはあまりにも愚かな言葉に聞こえるのかもしれない
がそれでもかなりの確信を持ってそれを信じて疑わないという
自信はある。
そういう意味の満足感をも込めて言った「おおきに」という言葉は
オヤジにも僕の心にも染み入ったということは信じて疑わない。
今日は研究室から車で東京ラーメンに向かうという
はじめてのおとずれ方である。
というのはK君が行こうというので彼の車でいったということである。
車で行くと結構近いものであることが再認識された。
歩いていくと、特に何も考えていないときには、ずいぶん長い道程
に感じてしまうのであるが、取り留めのない話と、この車のスピード
のおかげでほぼ瞬間に到着したといって良い。
本来ならばCO2削減のためにはこんなことをするのは間違っているような
気もしないではないが、まあよい。今回の東京ラーメンを食うことで
別のところで気を回せば良いか。と都合のいい屁理屈を考えながら
の移動であった。
一瞬とはいったものの実をいうと車に載りに行く時間を考えると
移動時間全体でそういうわけには行かない。
全体の時間としては半分ぐらいになったという感じだろうか。
どちらにせよ車でこの店に攻めるというのはやはり新鮮に感じる
ものである。そこまでに行くか定が妙に早送りされてみられる
ので同じ景色でもやはり違うものに見えてしまうである。
今日の客の入りはチョウドぐらいというか、定員の半分よりは少し
多いぐらいである。
注文は僕は大盛りを頼んだがケー君は大盛りチャーシューを頼んだ。
食いはじめてから壁に張り出されているメニューを指して
こういうのもあるぞ、とおしえたら「のりラーメン」のところで
たいそう悔しがっていた。
「あれですよぉ。東京ラーメンといえばdefaultでのりがのってるん
ですよぉ。」
「でも、汁の上に海苔をのしたら、ふにゃふにゃになって
きもちわるいだけやろう。」
「もうぉ。その口の中でとけていく感覚がいいんじゃないですかぁ!」
というやり取りから分かるようにラーメンには海苔が載っているのが
betterであるということらしい。
月見うどんが好きではない僕にはどうもその感覚というのは分かりかねる
のであるが、まあ、その感覚というのをまた別の機会で改めて
体験してみようとは思った。
実は、今日は賢明にラーメンを食ったので親父の挙動には
ほとんど気をとめることがなかった。
しかしそれは単に親父のその挙動を含めた存在をすでに
東京ラーメンに流れる当たり前の風景としてとららえている
ことをあらわしているに過ぎないことが最後に明らかになったのである。
それは、スープを平らげてから感情をすませ、
いつもの「おおきに、すんません」の掛け声で店をあとにしたあとに
K君に感想を求めたことで分かったのだ。
「どや、うまいやろう。」
「うーん、うまいですね。」
「ほかに感想は?。。例えば親父の。。」
「そ、そう、親父の鼻唄ですよ。」
「やっぱりそうやろう。。」
やっぱりそうやろうとはいったものの、今日はその鼻唄に全く気付かずに
ラーメンを食していたのである。
気がつきはしなかったものの逆に歌ってなかったら妙に気持ち悪い
空気として伝わってくるに違いないだろう。
ついにことしも1カ月である。
それも丁度1ヶ月なので、その残りの日数を感慨している暇などなく
家賃を払わなければならない。家賃は振り込み方式なのだが、
その振込先の銀行は歩いてなんとか行ける距離なので、いつもちょくせつ
いっている。その帰り、下宿に戻ろうとするとその通り方によっては
この東京ラーメンをかすめることも可能なのだ。もちろん全然違う
方向から帰ることも可能なのであるが、道程の1/3程度までは
かすめるコースもとれるという可能性を残しながら歩くので、
ついつい食おうかどうかを迷ってしまう。並で400円。それは普通の
ラーメンやに比べたら安いほうである。もちろん生協食堂の
醤油ラーメン220円に比べたら高いともいえるが、まあ、外であることと
その内容を考えたらそんなに高いものでもなく、よっぽど安いもの
なのである。。しかし400円という金額を生協レートで考えたら
高いのは事実でそういう意味で迷いが生じるのである。
その迷いから東京ラーメンではなくて、東京ラーメンに程近い
高松英夫風店長のスーパーで飛竜の生ラーメンと豆腐一丁を購入して
家で食べるという選択肢も浮上するわけである。東京ラーメンと
スーパーで購入の2案は常に僕を迷わせる。たまにお金の余裕のあるとき
は東京ラーメン並+豆腐というコースに至る場合もあるのだが、
それはどれほどに豆腐を食いたいかによるだろう。
さんざん迷った挙げ句に結局あの光る赤い看板に引き寄せられることになった。
今日食べたメニューは並である。店の中の音楽は、国会中継であった。
僕の入ったときには5人ほどの客が入っていたのであるが、
その中でもひたすら顔のでかい客がシタシゲに(といっても普通のシタシゲ
さというにはちょっと違う気もするのだが。。)親父に話しかけたこと
でそれに気が付いた。
「これ、国会中継やね。」
「そうそう、これおもしろいですわ。おもしろいから、朝から
ずっときいてまんねん。」
ここの朝といえば営業時間で考えると11時。もちろんそれ以前から国会中継は
やられているはずだからその数時間前から聞いていたのかも知れない。
どちらにせよずいぶん長い時間である。
まあ、僕自身もBGMとしての国会中継はとくに昼間のほかの番組に比べて
なかなか気に入った部類のものとして受け入れているので、
そんなにいやな思いをしているわけではない。
しかし、東京ラーメンでそれを聞くとなると少々もの足りない気が
するのも事実である。やはり、妙な笑いを彷彿とさせるような
番組選択か、古めの音楽番組の選択であろう。
国会中継はあまりにも分かりやすすぎるのである。
そこまで考えてふと気が付いた。
良くみればラジオが変わっているのである。
大きさは以前ものとそれほど変わらないが、確実に違うものに変わって
しまっている。やはり寺町辺りで2、3000円で購入したのだろうか。。
とまじまじとその機械を見つめていたら更に驚くべき発見をした
のである。その機械には、テープをいれるところが見当たらないのである。。
これは大きな衝撃であった。特に僕が東京ラーメンに通いはじめたころに
ここで流れる音の定番であった、峠のわが家はあきらかにテープから流れる
音だったのである。そして長い間聞いてきたそのとぎれとぎれの鼻唄は
おそらくはその影響を大きく受けているに違いないと思える
側面がある。そのテープが使えないという事実は同時に峠のわが家を
聞けないということを用意に導き出す事実であった。。
そういえば、今日はそのとぎれとぎれの鼻唄も聞いていない。
。。。とおもったが、前回に訪れたときもその機械の入れ替えは
既に行われていたのかも知れないという記憶が残っていた。
つまり今日鼻唄を聞かせてくれないことの直接的な原因として
ラジオの買い換えというのがあるのではない、ということはいえそうだ。
しかし、もっとも共鳴する状況である、テープの峠のわが家と
親父の鼻唄が聞けるということに 出会える確率は明らかに下がってしまって
いるのは否定できない事実である。そのせいかいつになくラーメンのスープが
少々塩辛く感じたような気がしたのだった。
親父と奥さんの「おおきに」の言葉に送られて東京ラーメンを去ったが、
ついついそのあとに豆腐を一丁買ってしまった。
それが悪かったのか、そういう決心をしたときにジャケットのボタンがポーンと
飛んでいった。そんなに太っているわけではないのに。。
それはやはり東京ラーメンに満足したことをあらわすのか、
あるいは何か別のことを暗示しているのか、それとも
そのと気前からは知ってきたどこかのクラブの連中に話題を提供したい
と無意識に思ったのか良く分からないのであるが、
実に奇妙な気持ちに襲われたのは事実である。
その豆腐を醤油だけで食べたのであるが、あまりうまくなかった。
だいたい、使っている濃い口醤油の味が変わってしまっていたのである。。
<ぜんぜん関係ないがな。
今日は僕の東京ラーメン人生史上結構大きな意味を持つ日ではなかろうか。
といいつつそんなに人生を語るほどの長さを誇ってはいないが
大きなイベントであることは事実である。
一人ではなく複数で東京ラーメンを食したのだ。
京都に来たついでにということでこの店に招待したのだが
良く考えてみればこれまでここで食したのは僕一人で訪れるという以外の
状況はなかった。意外に研究室のひとらとそこで食することは
経験なしなのである。やはり、研究室から遠いことと、名前から判断して
結構あっさりした味でそこまで足を運ぶほどのものでもないやろ、
という読みがあったに違いない。僕はそれ以前に自分の下宿(アパート)に
近いという理由から比較的足繁く通っていたが、
どうもその辺の認識の違いからなかなか僕を含めた複数で
ここを同時に訪れるということはなかったようだ。
この日は実は京都駅からここまで歩いて至るというなんとも強行軍な
道程を経てきたので、とりあえず感じたのは、「やっとすわれた」
という感覚と水がすきなだけのめるという僕にとって食い物屋では
せずにはおれない行為ができる安心感で、実に心地好い椅子の感覚
であった。お客さんはどうだろうか。きいてはいないがやっぱり
その疲れは少々あっただろうから一安心という形でほっとした
にちがいない。
僕は調子に乗っていつもなら並を頼むところを、
「大盛りお願いします」と大きく出ることになった。
お客さんの方はその体型とそれに伴う位の大きさに併せて
「ラーメン」と並をあらわすメニューをつげた。
その日は近くで学園祭が行われていたので、騒がしくとても
普通の土曜日に思えず、思わずカレンダーが朱色の数字になって
いると勘違いしたものだが、実をいうと全くの普通の土曜日である。
ただ月曜日が朱色の日であるために土曜日が休みだと考えると
3連休になり比較的レジャーの頭がいってしまいがちな土曜日であるのだが、
ここの営業には特に影響がないようであった。
全開いったときには娘と思われる女の人が手伝いに来ていて、
店主たる親父がそちらの方との話しに花を咲かせすぎていたために、
少々気分が悪かったのであるが、今日はだれもほかにいない。
奥さんがいてもおかしくなかったが、その姿は見えなかった。
と思っていたら表から奥さんがビニール袋にいれたラーメンバチ
数個を持って戻ってきたのである。出前でもしていたのだろうか?
奥さんは戻ってくるといつものように親父の補助をはじめる。
何事もなかったかのように普段のスタイルに移行したのである。
注文の品がほぼ同時に来てラーメンを食しはじめたが、
なんともお客さんとの話をしづらいように思えた。
いままで一人でもくもくと食べてきていただけに、なんとなく
ここでいつものように軽い話を繰り返すという会話をするというのが
どうも、コッパズカシイと感じてしまったのである。
せいぜい、ボソリボソリ、味のことをきいたり話したり、
また例のラジオから聞こえるささきいさおの「美声」を
その場できくことのギャップを少々笑ったりするのが精一杯であったのだ。
実に普段のスタイルとほとんど変わらない食べ方をしてしまって
お客さんにはどうも失礼なことをしたと思ったが、
聞いてみるとなかなかに美味であったという。
それは雰囲気もこめてのことだというので、実にほっとした。
今日はその辺のことが気になってあまり味の方には集中できずに
いてしまったが、その言葉を聞いてなんとなく失った味を思い出せた
ような気がして、店をあとにした(今日は意外にきれいな記述である)。
そういえば、「らんたん銀閣寺道店」がつぶれていたのは、やはり・・。
したの日付をみると既に1ヶ月半はたっている。 それほどにここ、東京ラーメンには来ていなかったのだ。 こうやって今日この店に来るというのはべつに1ヶ月半経ったからというわけで もない。偶然にその気になり、時間もあり、という条件が重なったわけである。 今日は雨であった。それも傘をさす必要があるほどに結構な量だったのである。 故に久しぶりに台所の床に横たわっていたでかい傘を持ち出して外出した。 さすがに雨が降っているだけあって、鞠小路を北に望んで見える看板は 昼だというのに灯が点っていた。 それだけに行く気になったりしたのかも知れない。 さて店に入った僕がみたのはなんだったか。 若い奥さんである。若いといっても40は回っている。 親父に比べたときの相対的な若さをいっているのだ。 しかし若いと思ったのはどうも僕だけではないようだった。 それはだれか?何を書くそう親父だったのである。 その表現は実に簡単なものであった。とにかくしゃべりまくっていたのである。 それはほとんど客を無視するぐらいのいきおいで、客に対する愛想も 「いらっしゃい、なんにします?」と「おおきに」ぐらいでいつもの 2/3ぐらいなものであった。(それでも2/3であるところがすごいが。。) 今日の印象はほとんどこれで終りである。並を食ったこと、それ以上に 久しぶりにここで食べたこと。それらはもちろん印象深いものであったが 何となくそれすらも興ざめさせる勢いがあった。 ううむ。実に悪いタイミングできたものである。 そのそつなくたいらげてしまった東京ラーメンは、おいしかったが なんとなく寂しい感じの残る味であった。やはり、もうちょっとここらしい 雰囲気を感じさせるときに訪れなければならないか。。
まず店に入ってする事は、「座席につく前に」注文を親父に告げる事で ある。これをしないと安心してみずも飲めないのは自明に近い明らかさで 僕を責める事になる。 だからもちろん今日もそうしたのであるが、 親父の態度がいつになく険しい様相になっている。 何だろうとただ困惑するばかりであったが、 何回も繰り返してこちらに何とはなしに伝えようとする言葉 「いらっしゃい」を聞くたびにその真相が明らかになって来た。 注文が通ってなかったのである。確かに、自分自身では「大盛り」と 席につくなり伝えたはずなのであるが、ちょうど他の人の話を聞いていた 最中だったようでどうも耳にまではいたっていても脳にまではそれが届いていなかった というのが真相のようだった。 しかし、ここで駄々をこねても注文が遅くなるばかりであり、 こういう時間には珍しく後に予定がつかえていたので、そう余裕がなかったもので あるから、ここでいい訳をしたい気持ちをぐっとこらえて、 「大盛りです」と少々照れ笑いしながらもう一度親父にゆってみせた。 ただそのままで終わらせてしまうのは少々悔しすぎるので、その言葉を言う前に 「あはは、注文が通ってなかったですかぁ?」といってはみている。 もちろん真意が親父に伝わったかは不明であるが、その時の受け答えに生じた 親父の笑い、それを聞いただけでそんな真意などどうでも良くなるほどに (あくまでも、「なるほどに」である。)思えた。 今日は考えてみれば風邪から立ち直ってから初めてする食事である。 それはつまり「あじのある食事」の初めての体験ということを意味する。 やはりラーメンの味であった。ちゃんとするラーメンの味はやはりおいしいもの である。逆に風邪の最中に起こった「東京ラーメン衝動」を何とかしのいで 今にいたったというのも今になってみれば、良かった事である。 当時は、苦しいけれども、れでもその衝動を結果的に満足させるものがなかった から実はどうしようもないのにその衝動だけは襲うという 実に苦しい状況であったのだ。 ようはただ我慢するだけしかないという事なので、実に効率的な過ごし方をした だけなのだがなかなか貫く事ができないだけに後になっての喜びもひとしお だったのである。 といいつつも、実は大盛りの大味を少々感じてしまったのではあるが まあそんなことはどうでも良くなるほど東京ラーメンによる味覚の復活は すばらしく感じるものであった。 あまり関係はないが、きりのいい500円という値段(大盛り)というのもその 時の気持ちを表しているようでうれしい。 ぼくは、その500円の代わりにもらった「おおきに、ありがとう、すんません」 の3点セットに多いに心を込めた「おおきに」でその気持ちをあらわずにはいられな かったのである。
午後8時30分過ぎに東京ラーメンにいったのだが、
今日は前回のように店仕舞いする様子もなく、
こうこうと看板の光がともっていた。
その光につられるがごとくにはいった店内は、満員ではなかったが、
カウンターは残り席一つという盛況であった。
しかし、その半分以上を占めていたグループはやたら大きい声で会話している
だけで、すでにラーメンは食べ終えておりすでに客としての価値は半分以下に
下がってしまった連中であったのだ。
それでも、その聞こえるのに十分な音量の2倍ぐらいの声で喋っていた
内容が「家庭教師」ネタであったので、なんとなくわかり、
少しは我慢できたのではあるが、やはり、声がでかすぎである。
人のことをいえない声量を誇ることもある自分にとっては
耳にいたい話であるが、この時ばかりは周りの客の迷惑さが
みにしみるように感じざるを得ない状況である。
その状況はさておき、最近のこの店の環境は以前とは少し違うように
感じるのであるが、なぜだろう。そう思いながらしばらく並ラーメンをたべていたら
ようやくその原因がわかった。ラジオの音である。
以前話したことがあるだろうか。東京ラーメンにおかれている
ラジカセのことを。
前話した時は、あくまでその機械をラジオではなく、カセットとして使用していた
のである。それもそれを使用している時はきまってカセットであった。
そこから流れる音楽は、良くある演歌やポップス系のものではなく、
峠の我が家などのちょっと緩めなテンポのゆったりした音楽だった
(そしてそれに合わせた途切れ途切れに追う親父の鼻歌も、である。)
が、その雰囲気とは明らかに相反するその雰囲気の正体は
ラジオの放送であったのだ。しかし、ラジオの放送とはいっても、
「よりみち」などの見られるように民放でやっているような野球放送
は流すことはなく淡々と放送が続けられる某国営放送がか流れているのであるが、
それでも、電波の入りが悪い時に聞こえる、ひずんだアナウンサーの声などが
きこえてくると、「何とかしてくれ」といわんばかりにおちついていられない
気持ちにかられてしまうという、以前の東京ラーメンにいたら決して
感じられない心境になってしまうのである。
とくに今日は横の騒がしいといったら悪いが、実際にうるさかったグループを横に
しながらのことだっただけに、注文が作られるさまをじっと観察したり
その時の親父の心境を考えて楽しんだりする余裕などなく、
ラーメンを実際に食する時間も含めて、「あっ」という間に済んでしまった
今回の食事であった。ただ、「おおきに」といって、店を去った後に
ふっとさっき見たばかりの親父の初めて黒髪になった頭髪を頭に思い浮かべた。
あの親父はあの状況をどう思っていたのだろうか、いうことが
頭をかすめた。親父の割り込めない雰囲気で大声で話される状況は
以下に、温厚な親父とはいえあまり心地よいものに感じてなかったに
違いないだろう。しかし、それは同時にそれを受け入れてしまう東京ラーメンの親父
は伊達に30年はやっていないという自負と自信に満ち溢れた
その姿を見せていた、ということになにかいい店に来てるなということを感じた
一瞬であった。
今日は最後から5番目の客だった。 なぜそうわかったかというと、僕が注文ができるのを待っている間に 店仕舞いをしてしまったのである。 もちろん、その時我々が追い出されたというわけではなく、 これ以上客が入れないような処置をとったという意味である。 確かし今日はいった時に麺のおいてある箱に目をやると いつもなら2段ぐらいに重なっているものが一段しかなく、それも 麺がもう3、4の塊しか残っていない状態なのである。 当然これ以上客を入れても、「スープ」とか「ライス」だけという さすがにラーメンやを名乗ることがはばかられるメニューしか可能ではないのである。 実はそれすらも出せないことがその後にわかるのであるが、 どちらにしろ、ここで店仕舞いするのは致し方がないことである。 僕が座ってすぐ後にはいってきた初老の夫婦の話によれば、 昨日も僕が今日来たのとおなじぐらいの時間に店仕舞いをしていたという。 そう、昨日も今日と同じように売り切れていたのだ。 多分仕入れが少な目に押えられているということでもないだろうから、 おそらく、ここ何日かで急に売上が上がったのである。 なぜだろう、と考えてみると、やはりここ何日かの夜の涼しさがあるのではないか と思い立った。僕もついつい今までの癖で、サッシを開けて網戸だけにして 夜を過ごしているのだが、どうも、最近鳥肌がたつぐらいに寒い、と 感じることがあるのである。それほど、夏を忘れさせるような夜の涼しさが 最近の京都の夜を覆っているのである。 この涼しさが暑いラーメンを敬遠していた客を 呼び戻したに違いない。 それはそうとして、最後の客にはちょっとドキドキした。 最後の客だ、と親父が決め込んだところまではさすがと、おもったが、 そのふたりがふたりとも大盛り(チャーシュー)を頼んだのであるから、これは ドキドキしないでおられるだろうか。 どう見ても残りの麺の玉の数は2つ。これは少なくとも一人をおい返さないと やり過ごせないのでは?と思う瞬間であったのだが。 しかし、その心配は無用であった。 その玉の数を確認した親父がとった行動はといえば、 奥の廊下の方に姿を隠したと思えば、再びあらわれでてきたのである。 それも何やら金属性の四角い盆を持っている。 その中からサランラップ(クレラップだったかも知れない)に 包まれたなぞの物体。。ではもちろんなくその黄色い塊は、 麺の玉であった。予備用においてあったのである。さすがだ。とんでもなく 用意周到な親父である。それを何事もないようにそれを見守っていた 奥さんもそれはまたなかなかな人物である。 普段の生活以下にしているかが結構気になる存在である。 今日の注文メニューは、ラーメンであった。そう、注文する時は 「なーみー」とちょっと長めに発言してみたりした。 味に関しては最近とおなじぐらいにおいしい。やはり腹をすかせてこういう店には くるものである。おいしいものが更においしくなる。 そして、入る前にもうちょっと欲しいなあという欲望をぐっと押えて 量をワンランクしたのものにして注文するのもなお可である。 今日はその両方ともに該当した。 最初に目があった先に店にはいっていたグループの中の紅一点といい このラーメンのうまさといい、近年稀に見る素晴らしい食後の感覚 を味わったといっても過言ではなかろう。 最後の、大きにスンマセン、どうも、という親父の声も軽やかに東京ラーメンを 去った。
今日は久しぶりの東京ラーメンである。 最初外から見えた中の様子ではほとんど 座れないように見えたが、よく見るとひとつ席が空いていたのである。 そこでもやもやしていた次の候補の店に行こうというおもいが ふと消えたのであった。 ここのサッシを開ける感覚、 よりみちで開ける壊れた自動ドアの感覚とは少々異なるものがあった。 サッシは新しくとも中身は20年前そのままなのである。 といっても20年前を知るはずもない。 しかし、昔もこうだったのだろうか。 という想像は容易につく。 それにしても随分な人の数である。ほとんど満席であったのだ。 僕の席をのぞけば、 もう一人はいる事はできたのであるが、そのひとは、 相席を強要される。相席を含めても1人しか余裕がないほどに満席だったのである。 いそがしくそのにいる人の注文を作りつづけている おやじを見ながら待っていると、外に5人ほどの家族かその親戚とおもわれる 集団(但し父親はそこにいないようだった)が店の前でうろうろしている。 中に入りたいがどうも無理そうな感じを察知してどうしようか相談している様子 であった。 今思い出せば、以前にここでみた、 「ラーメン好き」のおばさんか、その人に連れてこられたおばちゃんが そのメンバーに混じっていたような気がする。 とすると、やはり、そのメンバーをここに連れてきたという事であろう。 むすめさんの「こんなにいっぱいいってだいじょうぶやろか」という心配を 「ああ、あの店は、いきなり言ってもあんまり人はいってないから大丈夫やって。」 と軽くおばちゃんがあしらったという会話が 目に浮かぶようである。 しばらくしていると、その集団はあきらめたのか、店の前から姿を消していた。 店を変えたのだろう。仕方がない、運がついてなかったという事であきらめて もらうしかない。 それを確認して店の中に目をやると、一際目立つ顔のでかさが特徴的な タクシーの運ちゃんのような白いYシャツにネクタイ、紺色のズボンのいでたち のおやじと間に鉄の柱をおいてその奥さんらしき人物がいた。 奥さんはさすがにそのおやじと比べたら2周りも小さいかんじの人であった。 その注文も見事に大らーめん並ラーメンというように体に合わせての内容であった。 しかし、おやじの大きさは大らーめんではおいつかないのか、 普通ライスまで頼んだのである。 僕のラーメン(並)がきてからもそのうまさをより長く感じるために 水を汲みに行くたびにその様子を後ろから見ていたのだが、 やはりその食い方にも違いが見られた。 おやじのほうはなんかがさつなのである。 奥さんのほうは、まさにおちょぼ口が似合うがごとくの食べ方なのである。 食べ終わったさまもまさにそれをあらわしていた。 飯はご飯粒が結構残っており、ラーメンも汁が大方のこっている。。 もしかしたら、麺や具も一部のこっているかもしれない。 じゃあ、最初から並を頼んでほしいと思うのは僕の勝手であるが、 やはりそれは正直思ってしまったのである。 金のあるなしはこうもはっきり出てしまうのか・・と思った悲しい瞬間でもあった。 しかし、それはさておき、このおやじは最後まで亭主関白的な側面を みせつけている。 感情を出すのは、おやじかとおもえば奥さんで、 (店の)おやじの勘定(1080円)を告げる声を聞いて おくさんに、「1080円や」と、わざわざ行って聞かせるところなんかはまさに それである。 そんなことは、一緒に聞いている奥さんにも聞こえているというのに、わざわざ いってみせるのである。 それとも単に心配性なのだろうか。それは違うだろう。 あの飯の食い残し方とはあまりにもかけはなれているのである。 そんなひとの心配をする前に、自分の心配をしろという話もあるが、 ラーメンはうまかった。最近浮気していたこってりラーメン屋 に比べて麺の腰はしっかりしており、汁も微妙なあじのバランスで うまかった。自分の食っているラーメンの味については何も心配が要らない。 それゆえに、他人の行動が妙に気になった。 いつもはテープが流れているラジカセからNHKのニュース が音をひずませながら流れていたのも気になったところである。 ちょうど僕が食い終わるころ、 そのおやじも含めて、ほとんどの客が出て行く事になった。 食い始めは微妙に違うけれども食い終わりの時間がほぼそろったのである。 そこにいた客のラーメンのくうスピードがわかるというものである。 しかし、それをしったとしてもなにに役に立つのか、といわれても困るが、 なにかここから読み取ってくれといわんばかりの現象ではないかと いやでも思ってしまうのである。しかし未だに何も得られていない。 しかし、これが集積して何かを得たい気もした。 おおきに、というおやじの声に、おおきに、とかえしながら そのあとに入ってきた例のおばちゃんに連れられた人たちが注文をするのを きいて東京ラーメンを去った。 実に満足な食事であった。400円でこれが得られるとは実に コストパフォーマンスの高いところである。もちろん、運もあるが。。
昨日からよく雨が降る。とんでもなく雨が降るのである。
それもその雨にあたるかのようなスケジュールで外出してしまうのであるから、
実際よりもよっぽど雨が降ったという感覚が残るのである。
そんな今日の夕方からも雨が降ったのであるが、はたとそれが止んだ。
天気予報によると夜半過ぎからまた降るというから、雨の一休みの状態に
なっていたいまのうちに夕食を取ることにした。
下宿を出るときには、スーパーで弁当か、ラーメンパックぐらいを買って
下宿で食おうと思っていたのであるが、あの光を見て考えが変わった。
東京ラーメンである。下宿から歩いて30秒ほどで、志賀越え道と鞠小路の
交差に出てくるのであるが、そこから北向きに鞠小路を望めば、
もし回転しているならば、例の看板の明かりがはっきりみて取れる。
それを見て、無意識に夕食の第2候補に上げていた「東京ラーメン」に
決定したのである。
思えば、前回の東京ラーメンはカルチャーショックを受けるこの
があった。「ラーメンがこれほどまずいときも有るのか。」と感じたことである。
要は、風邪をひいて味覚が麻痺してしまったということから来た結果なのであるが、
見た目は変わらずそこにあるラーメンが、味(厳密に言えば、臭覚も)
が失われるだけでまったく異なるものに変わってしまう、という考えれば当たり前
であるが、普段は気づき得ないことを経験したのである。
あれから、数週間、風邪は治ったはずであるが、
授業かテストのようにはいここまで、というように境目がはっきりしていない
というのが風邪の治り目である。だから、東京ラーメンにいくこともなんとなく
前回の経験を引きずって、なかなかいけなかったのである。
まあ、今回が風邪が治ってから食べにいこうとしたのが最初というわけではなく、
先週の土曜日にいったのであるが、その時は、おやじの旅行らしき休暇により
目的は達成されなかったのである。
今回は、はっきりと100メートル先からそれが確認できたのである。
まず間違いなく食べることができるだろうと確信できた。
しかし、そこで注文するメニューは、基本に徹することを向かう道中に
心に既に決めていた。
基本とは具体的には「並」である。
このラーメン屋のもっとも基本の量、基本の具の量を誇るメニューである。
もっとも、こういう気持ちにさせたのは、忘れたくても忘れられない
経験である「まずいラーメン」のせいであることは否めないことである。
どうしても、量の多いラーメンは注文できないと思ったのである。
結果的には、ちょうど良い満足感が選られて良かったのであるが、
はいる前まででは、なんとなく腹に収まったときの不満に対する心配は
あるにはあった。
そうこうするうちに、東京ラーメンの前に到着である。
サッシから店内を覗くとそこにはいつのもの風景が有ったのだが、
ひとがいない。誰も見えないのである。客どころか、おやじまでも。
「もしかして、もう売り切れたか?」
という不安が過ぎったが、それを打ち消すほどの「食欲」がそれを打ち消すほどに
あった。
もちろんこういう状況ではいって、一人ぽつねんとどうすることもできなく
店内にいることはあまりないので、いずれはおやじが出てくるとは思ったのであるが、
今までは、誰も煮えないタイミングで店内を覗いたことがなかったので、
ちといつもより余計に不安になったのである。
実際、その心配は無用のものになるのであった。
サッシに手をかける直前ぐらいにおやじの影が目にはいったのである。
奥から何やらピンのようなものを持ってきていたようだった。
タイミングの問題だったのである。
しかしそれは東京ラーメンで食することに何の障害にもならなかった。
「並、お願いします。」
基本のメニューを予定通り頼むと、おやじはいつもはやかんから入れる水を
浄水機から入れ、それをぼくのところに持ってきた。
それを受け取って一口水を飲む。
そして、ゆっくり店内を見渡すと
やはり一人であった。
夏休みも結構真ん中に近くなっている今、学生はみんなどこかにいってしまっている
のかと、一般的にいわれているようなことを考えてみたりして自分を納得
させていたが、まだ、営業時間は50分以上も残っているこの時間から
こんなに人がいないのも珍しいと思ったのである。
しかし、ぜんぜん入ってこない。どういう事だろう・・と思っていた矢先である。
カップルが入ってきた。どうやら、男のほうは来たことが有るらしいが、
相手の女のほうは、初めて訪れたらしい。男のほうが偉そうに
メニューの説明をしているのを聞きながら、注文の並をおやじから
「どうも」といいつつ受け取った。
それを食い始める。やはり、ラーメンであった。みばえと味が一致している。
まさに「東京ラーメン」の味である。前回それを強制的に奪われただけに
そのおい示唆、それを感じられる嬉しさもひとしおである。
そういう、素直な感動を味わっている中、次々に客が入ってくるのであった。
本当にあれよあれよである。
本当にいっぱいになってしまった。但し奥の座敷には人がいなかったが。
カウンターおよびテーブルの椅子はすべて埋まったのである。
カップル2組男4人とぼくである。
最初と今のこのギャップになんともいえない感慨を覚えながら、
今度は「うえっ」という感覚もなくおいしくラーメンを食べることができた。
実にすがすがしい気分である。
今日は新しい発見といえば、スープのたれが一升瓶に入れてあり、
それをはちに開けるときには、固まった油のためになかなかすぐに出てこず
うまく降ってやらないといけないという事実を目の当たりにしたぐらいで
特になかった。
それでも、ラーメンの面の量が人数に比較して少し足りなくなるのではないか、
と思うぐらいの数しかなかったのが気になった。9時まで無事営業できるだろうか。
しかし、こういう心配は裏切られることも多いので、まあいいだろう。
(というよりは、今日はちゃんと食べられたので、どうでもいいから、
それ程に楽観的になれたというのが本当である。)