東京ラーメンに客人を迎える。
南大阪のほうの知り合いをこの東京ラーメンにつれてきたのだ。
昼は1時を回っていたがなかなかの盛況であった。
入る前にもしかしたらしばらく店の中で待たねばならない
のではないかという危惧があったが
運良く2人テーブル席があいたのでそこに座ることにした。
このたた住まい、この古めかしさ、こぎれいさというものがない
その店内は実に彼にとっても魅力的に感じたのだった。
おもむろに持ってきた水も周りを眺めているうちに
飲み干してしまい追加の水を入れてくることになる。
カウンターの中を見るといつものおやじと
その奥さんに加えて
40代のおばちゃんも手伝いにきていた。
それほど今日は客の入りが多いのであろう。
おやじも鼻歌を店内に響かせることなくいそがしそうに
ラーメンをゆがいたりしている。
その合間を見計らって「並み2つ」を注文した。
鼻歌を歌っている暇はないという状況ではあったが
意外にpre鼻歌とでもいうべき、はなからの音は聞こえてくるのを
ぼくは逃さなかった。
おそらく、音にはなっていないのであるが
頭の中では何かのメロディーが奏でられているに違いない。
そんな時、ラジオはいつものようにNHKのテレビの音を流しつづけている。
おやじはカウンターのおばちゃんと話しながらも
手を止めずに次々にラーメンをこしらえていく。
おやじ意外の二人の女性は
メインの仕事は任されない。
さいとうたかをがゴルゴの顔だけは描くように、
ラーメンをゆがいたり、鶏がらスープを鉢に流し込んだりすること、
麺を鉢に移すことはかならずおやじがやっているのである。
あと、具をのせたいりすることもほとんどおやじがするけれども
それでも手伝いのおばちゃんや、奥さんが一部手伝ったりすることがある。
それに比べて、小ライスやカレーライスはおやじが入れることはめったにない。
裏方的存在の奥さんの役割である。
おやじからは「小ライスー」なる注文を中継する声がとばされて
それに呼応するように奥さんがちゃくちゃきするながらも
物静かによそってカウンターなどに持ってくるのである。
今日はすでにおやじによって盛られたラーメンを運んできたのは
手伝いにきていたおばちゃんであった。
われわれは、壁に張られたメニューに見入られて時を過ごしていたので
あっという間の出来事だったように思う。
ぼく自信は久々の客人を迎えての東京ラーメンであったので
その味わいをまた新鮮に感じられたような気がする。
慌ててもいなかったので舌をやけどして
味わいの半分ぐらいしか感じられない、ということもなかった。
水を飲む回数もいつもより多いとはいえない量に押さえられ
なかなかその純粋なあじわいを堪能することができたのだ。
「東京ラーメン」は実に東京ラーメンらしからぬこくがあるのだが
それを初めて食った時のような感動で不思議に食べられた。
ここのラーメンは気持ちとその食べる間合いによっても味わいが
変わってくるのかもしれない。
双方並みを食い終わった後にも、そのよいにふける時間を
持たないわけにはいかない。
水を軽く飲みながらその感想をいわずにはおれなかったのである。
「やはり、うまい」と。
考えたらずいぶん御無沙汰の東京ラーメンである。 なみを食べようとはいったのだが 思わず「大盛りお願いします」と注文した。 これを晩飯とするかどうかを迷っておったのである。 結局晩飯とすることを決めたのだ。 食い終った今から考えてもそこでラジオがなっていたかどうかは 思い出せない。あまりに自然に聞こえていたからだろうか。 おやじの姿もこれといって代わった様子はない。 代わるとすれば悪い状況になるということだから 代わらない方が幸せである。いつもの調子、いつものタイミングで たんたんと作られるラーメンを待ちながら パリパリになった麺の細切れが散乱する麺をにる鍋の回りを見ていた。 いつからあるかわからぬぞうきんはおそらく短い僕の 「東京ラーメン」生活をもはるかにしのいだ歴史を刻んでいるに違いない。 はじめてF氏に教えてもらってからかよい続けたこの店には 短いながらもこの京都生活の一日一日と しんくろさせながら思い出されることがらがたくさんある。 生活の中でいろいろ感じたものの多くが ここ東京ラーメンのカウンターで反芻され深く感じ直された ものなのである。 特に親父と仲良く話すこともないが それでも何かここにいると緊張している何かを ほぐすことができる不思議な雰囲気を感じることができる。 そんなことを思いながら2杯の水とともにその大盛りラーメンを 平らげた。500円である。 千円札をわたし、いつもの机の引き出しから釣りを出す親父を見ながら 大きいものを感じた。 もちろん本人はそんなことを考えているはずもなかろうが、 単なる通過点とは思えぬ、そこ知れぬ大きさをそこに見たような気がしたの だった。
東京ラーメン。夜に鞠小路を北に望めばすぐにわかる コーラの看板にそれを確認できる。 最近は、したがヒリヒリするだの ラーメンを食う気分じゃないだのと いいわけをしておもうところから ついつい東京ラーメンを避けてきたけれども 今日は食いたくなった。 行ってみると、そこにあるカレンダーは今日が今年の最終営業日 であることを告げていた。 偶然にしては良くできた偶然である。 もし明日に行こうと思っていたら年内に東京ラーメンを食うことが できないのである。 実にラッキーなことであった。 客はほかの店が休みになっているわりにはそれほど混んでいない。 これは客の中心層である学生が帰省していっているからだろうと 思われる。 しかし、逆に言うとこれだけ客がそろっているというのも 驚くべきことではある。その客の入りはどういうものだったかと言えば 空いている席は2つほどであった。 店内のBGMは半年以上前からそうなっているように NHKテレビである。 今日は本格的な夕飯にするために大盛りを注文する。 そのころにとなりに親父と顔馴染みのスキンヘッドの親父が入ってきた。 此れ見よがしに親父はでかい声でしゃべり出す。 やはり黙っているよりは人と話している方が 楽しげである。 だれでも経験するところである。 そうしながら私のラーメンを親指を少し汁に触れさせながらこちらに運んできた。 もちろんカウンターであるからその「運ぶ」という行為は 腕の回転運動でなされるそれである。 ここの大盛りは見ごたえもある。 「多い」という印象が視覚的によりはっきりとうったえられるのである。 腹があまり減っていない場合には やはり注文するのをためらわれるほどの迫力なのである。 食べようと思えば食べられるのであるが 食べ物は美味しく食べたいものなのである。 今日はそれに妨げられるほどに余裕のある腹具合ではなかったのだ。 目の前に出てきたその大盛りは「多い!」という印象があったが それは「食べられない」という意味ではなくて 「これはええなあ」という意味での言葉である。 ここの汁は京都では珍しい方になるあっさり系統に分類されるが しかしそのわりには油分も多く含まれているという 実際の味わいは丁度中間ぐらいになろうかというものである。 だから汁を通してそこは見えない。 見える範囲は5ミリ程度の深さである。 麺がたんまり入ってそうだという雰囲気を十分に醸し出している のが実にうれしいものである。 ずるずる。。食べるその音は 美味しさをまさしく体現している。 すっかり食べてしまうまでに、結構時間をかけたと思うのであるが 退官時間は非常に短かった。 それだけ美味しく食べられたのである。 腹も温かくなっただけでなく、心に何となくではあるが 安堵が宿ったように思う。 今年もいろいろな麺でお世話になったこの東京ラーメンであるが これで食べ納めである。来年は前半しか頻繁に食えないのであるが またそれを楽しませてもらうに違いない。
思えば久々に訪れることになる.
下の記事の日付を見ればわかるが一ヶ月以上の間をおいて訪れた
ことになる.
最近夕飯が生協食堂で,続いていたこともあり
機分転換にここによったというのが真相である.
この一ヶ月の間も幾度か店の前を通る機会があったが
人が多かったり,また「そう言う気分ではない」ことがあったりと
なにかとその機会を逸していたのである.
ひさびさには言ったとはいえ,別に10年経過しているわけでは
ないのでその雰囲気はそれほど変わるわけでもない.
実際にもそうだった.
ラジオはNHKテレビ放送(まるで僕の下宿でのようである.
つまり,わざわざテレビ放送をラジオで聞く所が「まるで」というのである.)
席はカウンターのコーナーのところに座った.
どこでもよかったのであるがドアからもっとも近いところに陣取ったのである.
しかし,水を汲むためには意外に移動をしなければいけないので
最小の作業量を考慮した合理的な選択というわけでもない.
「夕飯」用にラーメンを食うつもりだったので
大盛をこちらは本当に久しぶりに頼んだ.
注文して親父が僕にそれを差し出してくるまではそれほど時間を
感じなかったが
それは久々のこの店の店内をいろいろと眺めていたから
時を忘れていたのであろう.
「大盛です.」
そういって差し出してきた大盛ラーメンは実に大きかった.
今まで並ラーメンばかり食ってきたこともあるだろうが
その大盛の器はいように大きく感じた.
そう、「これをくいきれるやろか・・」
という思いとともにその大きさを感じたのである.
最近,以前ほど大量にメシを食うことにたえられなくなっている.
胃袋が小さくなっていると思われる.
そのために必然的に毎日たべる飯の量というものが
減っているのである.それにならされている胃袋や,それを認識する脳
にとってはその大きさに圧巻されるのは当然といえば当然なことである.
しかし,同じ事象に対してそのような思いをしたことは
なかったので新鮮に感じるとともに驚きもきんじえなかった.
そのことから,早く胃の中にかけこまなければ
食べ切れないのではないか?という思いがおこったのである.
いつもより,早く食べたいという思いが頭をけめぐって
早速食い始めた.
食い始めて,麺をすするために顔面をうつわの中に入れていくたびに
その大きさに驚き,より早く食べなければならないという思いに拍車が
かかる。それが繰り返しくりかしくるうちに
いつもより随分早くに食べ終えてしまった.
水のおかわりも一回だけである.
実にいあっけない食事であった.
なにか大きな損をした,という思いを心に秘めながら
店を去る.「おおきに」と返事する言葉もあまり明瞭でなかったかもしれない.
店を去ってしばらくすると,その感覚がわかってきた.
「舌のひりひり感覚」である.
はやくくったことで舌の上をやけどしていたのであった.
ここのラーメン屋は落ちついて食うべきものなのであったのだ.
K君と東京ラーメンを訪ねる。 土曜日の昼間だからか行ったときにはしばらく待たされた。 近くの店がやっていないからだとはおもうが なかなか頼もしい気がする。 まったまったといっても10分程度である。 客は 基本的にラーメンだけのメニューを頼むことが多いので 回転も比較的早いのである。 最初はわかれて席をとったが注文が出来るのまっているうちに 席がどんどんあいていったので席を移動した。 僕は並、K君は大盛のリラーメンであった。 最近僕は大盛を食っていない。どうも 大量のメシをよう消化できない体になってしまっているようだ。 きょうのラーメンは少々柔らかめである。 なんとなく腰がない。 少々ふにゃふにゃした麺に感じた。 やはりそのゆで加減は処理する頻度によって結構異なるのである。 でも基本の汁はそれほど違いはない。 その鶏がらスープのベースは麺とは違って いつのんでもおいしさは同じである。うまい。
最近東京ラーメンのラジオはNHKなのか。 今日はいってみれば「お江戸でござるが」かかっていた。 今日は別でかいたように一つの転機が訪れた 日であったのでその気持ちを もってここに来たくなったのである。 といっても何をするでもない、 ただラーメンを注文して水をたまにの見ながら食うだけである。 それ以上のことがあるはずもないのだが、 実は精神的に落ち着く何かを感じとっていると 経験的に知っているのだ。 それは、そのいきさつを考えれば思わず目頭が熱くなりもしそうに なるのだがそこはぐっとおさえて いつものように振舞うのである。 もちろん親父やその回りのひとも以前とその営みを変えるわけでもない。 ただ日常を示して、 周りは何もかわってないよ、ということを知らしめるだけである。 それで十分だ。それでこそここにきたかいがあるのだ。 となりを見ると近くの大学の学生と思われる客が2人程いたが それもやはり日常であった。 頭の中で吹き荒れる嵐は 周りにはなんて微々たるものなんだろうか。 そうも思える環境であった。 今日のような日は大量の麺を食うことができない。 だからラーメンはなみを頼んでいる。 親父は町内会の重役を引き受けているようらしく 今日はその関係の話しを近所のおばちゃんとしながらの ラーメン調理であった。 そのせいかはちのやりとりやお金のやりとり なども言葉少なげになってしまっているが、 やはりそれも日常茶飯事なことだ、、と強調している ように思えてならなかった。 思わずなみだの一つもおとしそうになるかと思ったが 意外に大丈夫であった。まあでもぎりぎりのところで 何とか持ち答えたというところなのではあるが。。 「おおきに」そういって僕はいつものように店を去り 後ろ手にサッシをパタンと閉めた。
最近はっきりいって調子がすぐれない。 それはいろいろな原因があるがあれが主な原因である。 理由はともかく少々ウツ気味であるので それを癒すためにもここを訪れるのはひとつの有力な方法である。 親父のとしは70近くになっているだろうが、 がんばっている。 昔の姿を知らないのでどれほどかわったかは知らないけれども 見せにはいるたびにその姿はすごく頼もしくおもえるのである。 しかしそれは単に日々をいきているだけに過ぎない。 いきているだけに過ぎないが、それが大事である。 そのことから全てのキドアイラクを 感じることができるのだ。 そんなことを歩きながら考えていると 車に当たりそうになる。どうも前を向いていようがあまりまわりの 視界が入ってきていないからのようだ。 今日は荷物を多めに持っていたので あまり空きがないと入るのをやめようかと思っていたが 程ほどにあいておったので、 ニュウテンした。 カウンターの椅子をひきながら 「なみ」を注文した。 今日は静かである。というよりは正確にいえば 今考えてもそこにながれていた音楽が何であったか。 記憶にないのである。なぜだろうと考えてみるが やはりそこまで聞く余裕がなかったということであろうか。 ラーメンも、食べるにはたべたがそのおいしさを 今思い出せない。腰はあって食べがいのあったのは覚えているが 何かいつもの残る余韻が少ないのである。 絶対に店の味が落ちたというわけではない。 店にはいったにも関わらずそれを記憶にとどめておく 余裕がなくなっていたのかも知れない。 横の人のよんでいたビッグコミックも何か楽しくないのは 同じ理由だったのだろうか。 ただ、最後の「おおきに」だけはしっかり覚えている。 それを心に秘めながら店を去り際に「おおきにぃ」と返した。 近いうちにまた来るだろう。
一ヶ月ぶりの東京ラーメンである。 この一ヶ月は店のほうも臨時休業がけっこうあって いこうと思った時にそれにあたっており なかなかいけなかったのである。 8時の20分すぎぐらいであろうか。 店の前から中を除くと随分こみあっていた。 が実は外から見えにくいところに空席があったので 入ることにした。 カウンターには大学生らしい男が三人、 労働者風の人が1人あと2人席にアベックがいた。 しかし僕が店に入るときにはみんな丁度食べ終え いっせいに店をあとにしたのである。 なんとも奇妙な光景であった。 結局「並」と頼んでカウンターの席につくと 親父と僕とラジオから流れるNHKテレビ!の金曜時代劇だけになった。 そう、今日はラジオではなくテレビ放送をFMチャンネルで受信していた のである。いつものラジオと違ってトークとか音楽を主体にした放送では 僕がなんとも奇妙な感じをもった。 親父はどうだったのだろうか。 そもそもこのチャンネルにあわせたのはどういう理由からだろうか、という ことにその原因はあると思った。 その番組を聞きたいからそれにあわせたのか、それとも 例えば7時のニュースを聞きたいからそれにあわせたのだがそのままにしていた のか、ということである。 ニュースならばNHKラジオでもおじさんアナウンサーの声であるが やっている。しかもテレビのニュースは映像に訴えるところがあって 音だけでは伝えられないところが結構あり、聞いていてもどかしく なることがよくあるのだ。 あの女性アナウンサーの声にたまらないものを感じない限りは その理由も考えにくいのである。 そうするとやはりその時代劇を聞きたかったのか? 確証はないけれどもその線が濃そうである。 ただいままで放送していたにもかかわらずそういったことをしてこなかったのは よくわからないところである。 筆者が大河ドラマの「徳川慶喜」を井伊大老が登場した時だけ 懸命に見たというような事情が親父にあったのか。 全く想像の域を出ない推測である。 そうこうしているうちに客が1人入ってきた。 「並」お願いします、と注文をしたのだが ひさびさに「並」という言い方で注文する人を見た。 なぜかなかなかいないのである。 まあ、メニューには「ラーメン」と書かれているから 正式の名前ではないにしろ量でメニューをあらわすという手堅い表現 には違いない。 そういえば、親父はこのことについてはそれほどこだわりを持っていない ようである。 「ラーメン」の呼び方はお客さんが読んだように復唱している。 だから僕の場合は「並です」であるし「ラーメン」といった客に対しては 「ラーメンです」という返事である。 ずるずると麺をすすっていると今日は珍しく お冷をもってきてくれた。客が2人しかいないからだろうが 逆に2人しかいなかったらいつでも入れてくれるかといえば そうでもなく、最近はしてもらったことがなかったのである。 今日はなかなかうれしい日であった。 そのせいかおやじの「おおきにすんません」も 心地よい響きで耳に残ったように思えた。
気がつけば8月は半分過ぎている。 盆も過ぎたのだ。 しかし東京ラーメンは土曜日を除いてしっかり営業をしている。 カレンダーを見れば来週は水・木・金と休むようだが これは地蔵盆かなにかの手伝いだと思われる。 なかなか頼もしい。 店に入る前、入り口付近に自転車が卓さんとめられていたので 相当混雑しているなあ・・とかってに思っていたのだが そうでもなかった。席は半分以上あいていたのである。 安心して水のそばの席に座りながらと「並お願いします」と注文をした。 僕の直前に注文した人が2人いてその人たち分と僕の分と 同時に調理される。 「ん、ん、んんん」という鼻歌も好調に 2分ほどで調理は完了した。 あふれんばかりの汁にもやし・しなちく焼き豚ののったラーメンである。 NHKラジオからラテンな音楽が流れてきて親父も鼻歌をあわせようがなく (ちょっと鼻歌には変化が早すぎたのである) 困惑している様子を感じながらすするラーメンは なかなかうまいものであった。 今日の硬さは少し柔らかめである。 みず4杯とともにラーメンを胃の中におさめて きもちよく「ごちそうさま」とともに400円を出したのであった。 (またカレーをくいそこねた。)
今週も東京ラーメンに来た。 しかし本当は昨日にいきたかったのであるが 売り切れで早くに店じまいしていたのである。 今日は6時前という最近にはないぐらいのはやい時間の入店であった。 しかし客が少ない。僕が店に入ったときには 一人お客さんがいたのであるが 注文をして水をいっぱい飲んだ ぐらいに店を後にしたのである。 あとは親父と、NHKラジオ(この季節がら高校野球の放送が ながれている)と僕しかいない。 もちろん忘れてならないのは親父の鼻歌である。 高校野球では応援の音楽ぐらいしか音楽は聞けないのであるが 鼻歌はそれにかかわらずマイペースで奏でられていたのである。 それに合わせすする大盛の味はなかなか格別なものであった。 カレンダーに目をやると今月の確実に休業する日程が 書かれていた。15,22の土曜日は休みである。 あとは25,26,27も休みになるようであった。 気をつけなければならない。
昨日の木曜日にここにこようと思っていたのだが 夕方にここに来たところしまっていたので 今日にここに来たのである。 僕が「大盛」を注文したあと入ってきた夫婦ずれが 親父と話していたのを聞いてみると その夫婦は随分前から親父との知り合いでよくこの店にくる。 それでたまたま昨日に車で店の前を 通りかかったときにはあいていて「あとでよろう」と思っていたようであるが 用を済ませたあとによってみるとすでにしまっていた。 というのは親父は急ぎのようがあったのである。 しかしいきなり店を閉めるようなことはせず 客が切れたときを見計らって店を閉じたのであった。 しかし残念ながらその夫婦にとっては突然閉められてしまったようにかんじ てしまったのである。 それで改めて今日来たのである。事情は多少違うとはいえ自分と ような形で今日ここに来たという偶然を不思議にかんじた。 更に話は続いて今日も昨日よりは急がないが2時間ぐらいあとまでに いかなければならないという。ぎりぎりまであけてがんばる その親父のラーメン魂に敬服するばかりである。 NHKラジオによると出来高は三億程度だったという。 親父もそれを嘆いていた。
土曜日に店に前を通過したときは 客がおらずしばらくは開店休業の状態になるのでは? と勝手に心配していたのだがぜんぜんその必要はなかった。 今日6時30分ゴロにいったのであるが カウンターは80%埋まっていた。 親父が僕が注文してからしばらくしてかかってきた電話 のやり取りを聞いていると(否応なく聞こえてくる大きな声なのだ) これで店はいっぱいに近いという認識であるようだ。 カウンターは後ひとつあとはペアの席が1組、座敷が1テープル しかないからそうなのであろうがもし仲間内であれば 座敷に5人ぐらい座れないことはない。 後はその食べるときのスタイルの好みいかんであろう。 今日は最近ずっとそうであるように並を注文した。 すでに他の人の注文は出来上がっていたので 出来上がるのはすぐであった。 そのラーメンの全体の様子を見ると以前に比べて 少々黒くなったような気がするのは気のせいだろうか。 前はもう少し赤みがかかったスープであったが 黒くなっている。めんを食べてみるとやはりスープの味がちょっと変わっている ようだ。ベースは変わっていないのだが だし意外の味付けが少々違うようだ。 率直に思ったのは少々塩辛くなったという感覚である。 それはスープを飲むとよくわかった。 飲み干したところにごまが数粒発見されたがこれが原因だろうか? ごま風味が加わったのかもしれない。 だから「塩辛い」というのは正確な表現ではないのかもしれない。 比較的余裕があったのか親父の鼻歌は NHKラジオとは独立の旋律を奏でていた。
並を食べた。 麺はやわらかめであった。というのはおそらく すでに少し湯がいているところにめんを追加したから すこし長めに湯がかれたのであろう。
今日は麺類ばかりである。 昼間はかけそばに続いて夜は東京ラーメンである。 昼間かけそばを食ったときなんとなく予感していたが まさにそれが実現したのである。 それはできるだけ近いところで飯を食うことを最優先した結果ではある。 しかし時間は9時に極めて近い時間であったから もしかしたら売り切れで閉められてしまっている かもしれないのだ。 大丈夫であった。北にのぞむ看板は赤々と光っていたのである。 店に入ると親父が一人ラーメンをすすっていたのを除いては すでに食い終わった人たちがだべっているという状態であった。 人数的には3分の2ぐらいの席が埋まっていた。 親父は僕以外のラーメンはすでに作ってしまっていたことになっていたから ゆっくりと座って鼻歌をかましていたのである。 だから僕が注文したら即その調理に取り掛かり あっという間にできた。あっという間にできたからかどうか知れなけれども 最近の東京ラーメンの中でもっとも硬い部類のめんであった。 こしがあってなかなかよい。硬いのもなかなかよいものだと 感じた。 ラジオはもちろんNHK第1ラジオがかかっており そのときの番組はナツメロである。 だから演歌ががんがんにかかるのであるが 親父の鼻歌はそれにあわせて実に気持ちよさそうに乗せられている。 その間にそのかための並を ずるずる食べているうちにほかの客はあれよあれよという うちに帰っていってしまい、気がつけば僕一人である。 時間はラジオによればまもなく9時である。 今日は僕のあとに客がくる予感がなかった。 食い終わり感情を終えて「おおきに」をやりとりし 店を後にして「コロッケ」 あたりまできたときに振り返ると看板の明かりが消えていた。 しばらくじっと見ているとちょうちんのほうも明かりが消えたので 結局自分が最後の客になったのである。 結構あっけなくそうなってしまったので不思議に実感が沸かなかったのが 少々残念である。
店に行く途中面白い記述をみつけて(つれづれ8参照) 結構得した気分で店に入ろうとすると 4つももちかえる客にすれ違った。なかなか気合が入ってますなあと それをみつつ 店に入って見るとカウンターは一つの席を除いて いっぱいになっていた。 時刻は午後8時ごろである。この時間は混むのだろうか。 奥の座敷では多分想定している定員は4名のテーブルに 6人ぐらい所狭しと座ってラーメンを食っている。 仲間同士ゆえにそれは可能なのであろう。 しかしもうひとつのテーブル(こちらは椅子つき) はあいていた。この席は二人席なのであるが カウンターに比べて親父に近くなく見える視界も限られてしまうので 最後に埋まることが多い。今日もそういう感じであった。 親父は座るひまもなく注文の品を作っている。 僕は少々はらが減っていたので大盛りを頼んだ。 それを含めた品を調理しているのである。 作っている間隣の客が入れ替わって注文をしたのであるが 一つの注文は断られてしまっていた。 それはこの店ではラーメンに並ぶもう一つの主要なメニューのはず のあれである(あとはゆで卵ぐらいしかない)。 そう、カレーライスであった。 残念ながら今日はきれたというのである。 ということは今日はことにそれが売れたということなのであろう。 まわりを見渡すと「ご飯」を食べている人がいないから もしかしてご飯が切れたのかもしれないがどちらにしても残念なことだ。 しかしそう言う僕はまだ「カレー」に挑戦したことはない。 それはある機会に行おうと決心しているからである。 しかしそのときはさすがに大盛りは食べられないであろう。 今日も大盛りを食べたのだがちょっとおなかが苦しかった。 だから そのときの注文のメニューは店の壁に張られているように 「ラーメン+カレーライス=830円」 になるだろうと予測している。 そのときを楽しみにしようと決心したのだが おなかが予想以上に膨れてしまったので いつもに比べて1.5倍のスピードでゆっくり食べて 店を後にした。あと30分親父はラーメンを作りづづけたはずである。 また近いうちに着ますぞ、と思いながらコンビニの方へ歩いていった。
8時50分である。あれやこれやしているうちに
ついついこんな時間になってしまった。
急ぎ足で外に出る。そして例の交差点で北を望むと期待通り
赤々と光る例の看板の存在が確認できた。
最近は好調である。なにが好調かといえば東京ラーメンの営業が
である。最近いつ見ても営業日にはちゃんと営業をしている。
一時期は休みがちだったことを思い出せば
随分好調になってきたと思えるのだ。
そういえば研究室の近所の「白水」も最近また営業をはじめた。
はじめた・・とわざわざ言うのは最近何ヶ月か休んでいたからである。
そこまで深刻に状況にはなっていないのが幸いだが
やはり休みが相次ぐと少々心配にはなってくる。
しかしここ最近はそのような心配も要らないのである。
すばらしい。それに麺の売り切れというのにも出会わないのがさらに幸せである。
これは、親父が元気かどうかにかかわらず営業を途中でストップさせてしまう
原因になってしまうのである。
それも最近はないのでよい状況があるのだ。
その幸運によってこんな営業時間ぎりぎりにもかかわらず
食べにいかれるしあわせを享受しようとしているのだった。
入ると、客は一人であった。
60過ぎの小柄なおっちゃんが並ラーメンをすすっている。
カウンターのなかには親父はいなかった。
しかし、奥の厨房の鏡にくっきりとうつっていたのは
まぎれもなく親父の顔である。これだけしっかりうつっているということは
逆に親父のほうからもこちらの顔が伺えるだろう。
はじめは下を向いていたために気がつかなかったがふと前を向いて客としての
僕の入店を確認してこちらにゆっくりとやってきた。
「はい、いらっしゃいっ。なんにしましょ。」
僕はその言葉を聞いて間髪いれずに
「並、お願いします。」
少し回りの様子を眺め回しながらそう答えると、親父は早速麺の束とりにいった。
もう一人の客のおっちゃんは黙々と並ラーメンを食べつづけている。
ここの店のBGMはいつものようにNHKラジオである。
そのときは9時前だったので近畿地方のローカルニュースを流しているときであった。
もちろんニューすなので音楽が流れることはない。
あのNHKらしい淡々とした調子のアナウンスによるニュースの放送を流しているだけ
である。
しかし、なにか聞こえてくる。
聞こえてくるというものではない。
歌っているのである。だれがといえばそれはもう親父しかいない。
親父が鼻歌を歌っていたのである。
ニュースにあわせるという器用なことはせずに
まったく独立して親父は歌っていたのだ。
ぼくは感動をした。
最近鼻歌を聞くことがあってもいつもNHKラジオから流れてくる
ナツメロにあわせて歌うというものしかきいていなかったので
それと独立に親父自らの調子で鼻歌を奏でるというのは感動的なことである。
しかも
親父はラーメンを待つ間、さらにラーメンがきてからそれをすすっている間、
歌を歌いつづけていたのである。
僕は左手に水の入ったコップを握りながらその歌を興じラーメンのうまさを更に
かみ締めることができたのである。
もちろん、味はうまい。前回来た時にはたくさん客がいたのだが
その中の団体客とほぼ同時に店を出てしばらく並行して歩いていたのだが
その味のうまさは評判だけでなしに食ってみてもわかるという言葉がきかれたのである。もちろんたまには「もっとこってりしたほうがよいでえ」という人もいるようだ。
しかし気になったのはその歌である。
いままでは後ろに流れる音楽というのがベースになっているのは明らかであったが
今日の場合はまったくその基盤になるメロディーが存在しない。
完全に親父の頭で構成された音楽なのである。
しかしかといってそのメロディーはなんであるか、ということがはっきりわかるほど
強い調子でうたわれているのではなかった。
いつもと同じように、「これはなんや?」ときこうとすると
音は小さくなって聞こえなくなり、かとおもったら、ふたたび
音が復活してくるということの繰り返しなのである。
やはり30年にわたるラーメンや生活で培われた音楽が
無意識のうちに彼の鼻歌を奏でているのであろうか。
もはやこの質問は野暮だといわれそうであるが、
それでもあえてこだわって見たいとおもう。答えが得られるかはわからないが
それに常に仮定と検証を繰り返すことは東京ラーメンを楽しむものとして
決して無駄なことではあるまい。
そう言うことを思いながら食べていると
もう一人の客のおっちゃんが「ごちそーさん」といって
その代金をやり取りするところまでいっていた。
おっちゃんは、おっちゃんでそのはな歌をまた別の思いできいていたに違いない。
僕と同じように、口に出して言わないが頭にはまた特別な思いがあるはずである。
「おうきに、すんません。」の親父の声に送られながら
出ていったおっちゃんはそう言うそぶりを一つも見せないであっさり去ってしまった。
時刻はすでに9時を回っている。
営業時間がおわりであるからもう閉めてもよさそうなのであるが
麺は6束ぐらい残っている。
だから最後の客である僕が出ていかないと閉めないのだ。
それゆえに前回と同じように最後の客ではなくなってしまうこともありうる・・。
・・・と思っていたら店の前に1台のスクーターが止まった。
もしや、と思ったらやはりそうだった。
最後から二番目の客になったのである。
(あるいは三番目以降かもしれないが。)
ちょっと縦も横も大きめの兄ちゃんは親父のことをお父さんと呼んで、
「お父さん、まだいけるかなあ?」
といって入ってきた。
親しげに話しているところを見れば随分前からの常連客と見える。
そのあとの幾ばくか会話で鼻歌が途切れたが調理にかかると
ふたたび同じ歌と思われる鼻歌が復活した。
そのときぐらいには
僕はほぼ汁も飲み終え財布から1000円札を取り出すほどになっている。
「ごちそうさま」
そう切り出して代金のやり取りをして
「おうきに、すんません」「おうきに」
と店を後にした。
帰り道、親父の歌っていた曲がなんだあるか一瞬ひらめいた気がしたが
結局わからなかった。しかしわからないほうがよいのかもしれない。
それだけ楽しみが残るのだろうから・・と思いながら、豆腐を買いにスーパーに
向かった。
午後8時ごろに店に入ったらいっぱいであった。 しかもまだ注文がすべて完成されてなくて まだ五人ぐらいのラーメンを作らなければいけない状態だったのだ。 親父がラーメン五人分を一度にゆがく。 目の前で見ると結構迫力のある量である。 それが終わってもまだ次の5人の注文が待っている。 なかなか休みが取れないほどに賑わっているのだ。 こう言うときに限って奥さんが休んでいると思ったら、 奥から出てきた。飯を食べていたのだろうか。 奥の部屋では何かテレビ画面がちらちら動く様子が見えているが それを見ながら飯を食べていたのかもしれない。 今日は大盛りであった。 暑いから結構体力を消耗して腹が減っていたのである。 本当は一緒に食べたいのであるが・・。
9時10分前に店に入った。 もう営業じかんが終わる時間だというのに 満席に近い賑わいであった。 それどころか、僕が座って待っているとまだ後から後から入ってくる。 親父も今日は用意している麺の数に余裕があるのか すこし営業時間をオーバーして客扱いする覚悟のようである。 そう言えば随分前にも9時20分ぐらいまで看板がともっていたことが あったっけ。 今日は調子がよい日なのかもしれない。 僕は並を食った。