メシを軸とした記述でお送りする近況報告である。
未明に、パンを食う。昼はコンビニおにぎりである。 間食として高知で「あげたこ焼き」(本店は徳島)をくう。 アイデアは面白いが「あげたからおいしい」ということはなかった。 その夜は岡山で駅前の24時間天ぷらうどんを食う(年越しうどんか)。 (青春18切符のたび) 今年の一大事件はみずから導いたことがらである。 実際のところ落ち込む、それを引きずる今日このごろであるが 自業自得であるという思いもあり、いまだどうしようもできてない。 自分のこともまだ収拾できていないのだ。 この経験で自分を見つめなおしてそれに従って変わるのが来年の抱負だ。
年末が押し詰まっているという状況をひしひしと感じる今日このごろ であるが、先週中に購入した「青春18切符」を如何に行使するか ということも重要な案件であった。 この切符によって与えられる時間の主な主題は すでに決めていた。 1998年と言う年に起こしてしまった、大きな失敗。 それに対する思いの整理と引きずっているマイナスの思いを 最小限にするという故意のための時間である。 下宿で悶々と天井を見ながら思考するやり方もあると思うが おかしくなるに違いないと思ったのである。 そんなか、どういうルートを取るのかを思考していたとき 突然の電話に驚いた。 年賀状を送るので住所を教えてくれ、という電話であった。 こちらの応対がぎこちないものになってしまったので申し訳なかった。 ちなみにこちらの年賀状は今日の朝にポストに投函した。 その電話のあとしばらくしてルートを確定できたので、今晩出発する ことにした。予定によるとまともに風呂に入る時間がないので 出る前にせめて入っておこうということで、もっとも近い銭湯の 「みゆきゆ」に行く。いってみると男湯の客はたった1人(僕を除いて) である。やはりみな帰省してしまったのであろう。 僕は帰省はしないが京都を離れようとしていた。 (青春18切符のたび)
未明のMBSラジオのAM2時からやっている 音楽番組の司会の「あきづきひかり」という名前の演歌歌手は 非常に印象的であった。声がかわいらしいし話し方も実に 魅力的なのもあるがやたらと一人称代名詞として「あきづきひかり」 ということをいう回数が多いからではないかと思えた。 1時間の放送で30回ぐらいはいっているに違いない というほどの回数の迫力である。 今日は昼間もMBSを聞いていたが レギュラーの「すみからすみまで***」と 「都会に片隅から奥さんのハートの片隅まですみからすみまで 角淳一です」が合体して 年末特別番組になっていた。 高井アナウンサーの独特な笑いのファンは僕だけではなかったらしい。 しかしその他の番組はレギュラーである。 「おおきに桂坊枝」の怒りの留守番電話はなかなか面白かった。 気がつけば番組のファンレターのような文章になってしまった。 ありゃ。
今日は最後のゼミの日である。 早いものだ。それほど前進していないところもあるので とくにそう思う。
3時ごろにおきた。というのは寝たのが朝の9時ごろだったからである。 アタック25は見逃した・・・とおもったが今日はやっていたのだろうか? わからない。テレビ欄を見た時には夜の方しか見ていなかったので わからないままである。夜に番組も一部変更になっていた。 毎日放送の系列でやる「警察24時」系の番組が楽しみなのであるが いつやるのだろうか?すでにやっているのかもしれない。。
ことし最後の家庭教師であった。 ことし最後どころかそろそろこの仕事の期間も終りかけ なので少々寂しいところである。 しかしそんな感傷に浸っている暇はない。 最後まで仕事を果たさねばならないのである。 夜に帰る時に、寒いとは思うのだが、例年に比べれば それほどではないところがことしは妙である。
油そばを食べようと中央食堂に向かったが くったのは「旭川ラーメン」である。 そのあとで図書館によろうと思ったがすでにしまっていた。 5時で終っていたのである。
ラジオを聞いていると、とくに深夜の 音楽主体のラジオ(AMであるが)を聞いていると いやというほど同じテーマの選曲で攻められ続ける。 クリスマスである。今日の未明と明日の未明は 仕方のないところだ。 しかし否応なしに現在の自ら導いたことを確認せざるを得ない その状況は正直いって辛いところである。
今日は天皇誕生日である。 きのうHDを取り替えたのでインストールにおわれて 結局他に何もできなかった。 飯は近くのスーパーの焼肉弁当である。 時間がたっていたので100円びきになっていたのを買ってきて食った。
ハードディスクの容量を増やす。 ノートPCなので増やすといっても取り替えることになる。 取り替えた容量は6。4GBと表記されていた。 しかし昔に2。1Gにとり買えた時に購入した時の値段より 2万円程安いところが時代の流れを感じさせるところである。 これでずいぶん余裕ができた。とおもえそうだがそうでもない。 OSが一つはいることになったのだ。。(またかい)
最近いえにいる時はAMラジオを聞くことが多い。 今まではテレビをBGMのように流していることが多かったのだが 半年ぐらい前にテレビが潰れた後 ラジオしか放送を受信する機会がなくなってしまったのである。 もちろん、テレビ放送も聞けないことはないのであるが やはり絵ともに放送することを前提にしているために もどかしい思いをすることが多いのである。 それならば最初から音だけを頼りにしている放送である ラジオ放送を聞けば良いということにいたりそうしているのだ。 今日などは昼間は用があったのでよるに聞きはじめたのであるが 夜は「おやじむけ」8時9時になるともうすこししたの人々、 10時以降は高校生前後の人々と 同じ放送局でもずいぶん聞かせる年齢が明確に 変わるのも面白い。
昼過ぎに目覚める。しかし昼過ぎにおいても眠気眼であったので アタック25をマトモにシチョウスルことができなかった。 残念なところである。
今日はよるまで飯をくわなかなかった。 理由はいうまでもなく昨日の飯の量である。 飯の量というか、にくの量というのか。。 昼すぎまでは全く空腹感がなかったのであるが 意外に夕方ぐらいになるとそれが起こってくるから不思議である。 晩飯は仕事先でおいしくいただいた。
KABA大掃除のあと、 Mさん送別、IくんKくん歓迎、Hくん歓迎送別会をかねた忘年会が 「千鳥亭」において開催された。 昼の弁当二つ分の腹で随分キツイと思ったが 意外に食べることが出来た。でもその途中で挫折する ような気持ちになる瞬間も多々あったがなんとか切り抜ける。 肉の種類は少なかったが久しぶりに大量の肉!すばらしい。 てっちゃんの味は素晴らしかったが、たんのもう少し下の部分の 肉は少々「重かった」。実に腹がいっぱいになった。 そのあと御影通りKEGなる店、東大路通りOFFSIDEなる店を渡り歩き、 それぞれ関西の笑い、陽気な状態を体験するなど なかなか貴重な時間であった。全てが終わったのは、 歌うヘッドライトの放送も近い時間であった。 うたげはまたよいものである。
最近中央食堂にこっている。 ひさしぶりに「中華そば」なるメニューを食った。 醤油ラーメンよりはこってりが少ないのであるが、 なかなかうまいのである。 地下にあるというその雰囲気も結構好きである。 東一条通にはすでにセブンイレブンがあったが その斜め前の酒屋が改装してファミリーマートになった。 少々店は狭いが雑誌はセブンイレブンのそれを補完するような 構成になっており(GON!があったのは実にうれしい。) なかなか頼もしいところである。 開店記念で安くなっていた、カップヌードルの大盛をかって食べたが 問題はそういうキャンペーン期間が終わってからであろう。
中央食堂に「あぶらそば」が復活していた。 他の食堂ではなかったので中央食堂の企画と思われる。 これは食っておかなければ!と思ったのでそのきもちにしたがって食べた。 麺だけではなく緑黄色野菜が結構ついてくるので栄養的には お得な食べ物である。これにかぼちゃのにつけなどをつけると実に強力な メニューになる。実際それをつけて豆腐と牛乳を飲んだ。 セブンイレブンでよんだspa!に松田洋子の漫画がのっていた。 月刊誌とはまた渋い選択である。 すでにvol.6であった。ネタは年賀状。思いっきり「悪習だ」とごねておきながら最後に「年賀状頂戴」というあたりあの調子が保持されていることが実にわかる。題名は秘密の花園組織リスペクターという。男性読者に媚を売るようなキャラクターが実によいものである。 毎月楽しく読ませてもらいましょう。
新しい案が一つ出る。 お金を借りるときにとあるところに借用書をつけるのであるが その日付を「12/15」と書くべきところを、時計を見ながら 時針が6、分針が3をさしていたので「6/3」を書いてしまう。 なんちゅうことだ。
WORDは見栄えを確認しながら打つことが出来て実によいが、 最終的な見栄えがいまいちであるし、 漢字変換の調子などもなにかへんである。 どういうことだろうか。
アタック25.「なんでトライしない」の題名が明らかになる。 そこで正解でなければ勝ち目がなくなる_い_瞬間に勝負しなかったのだ。 失敗してももとの状態より悪くなるわけでもないのに 実に不思議である。 とけいの電池が切れた。 京都への帰還の新快速の中でまた、なぞの液体に遭遇する。 それはいずれにせよあまりきれいなものではないだろう・・。
昼まで寝ている。夕方に尼崎へ向かった。 よるの家庭教師もそんなに寒くない。
昼飯を食い損ねた。よるめした、北部生協でこものを多めに食った。
ひりゅうのラーメンセット、もやし、ミンミンの餃子、をゴッタ煮にして食う。 実にあったまった。たまには部屋をこういうものであっためなければなるまい。
からあげラーメンを食う。からあげは実にうまかった。 久々に食ったのである。スーパーでそれを見かけた時思わず衝動がいしたくなったが がまんした。
飯は生協であった。 シソササミフライを食った。なかなかうまいものである。
チャーリーブラウンのトンカツの店、なるところでトンカツを食う。 敷地が狭いので、椅子の数も限られていて、10人も入れば 一杯の店である。 飯を食っている間に、車が急にとまる音がしたか何かと思えば、 後で見てみれば車同士の衝突事故であった。 音で想像するに、人と車の事故かとも思ったが、 そうではなかった。さすがに事故の音というのは聞きなれていないので わからないものである。いずれにせよ、それほど大きな事故でなくて不幸中の幸い。。 といったら悪いが、注意せねばなるまい。
アタック25が4時台にやっていた。 この番組はいつもの時間帯に放送できなくても 時間を移動してでも放送する番組である。 順送りにして収録をしない週を作らない、という方針のようだ。 さすがは、視聴者参加番組の老舗である。。 それはいいのだが、逆にいえば いつものところで放送がなかった時にいつ放送するのかわかりにくいということである。 新聞をチェックしない限り偶然で見つけることしか期待できないのだ。。 (本当は、番組を潰した駅伝などの番組の後の時間を予想すれば 大抵見られる。しかしたまに曜日すら変えてしまうこともあったりするから注意である。)
自宅では,テレビ画面はないがテレビ放送の音だけは聞ける. 今日もそう言うかたちでテレビ番組を聴取していたのであるが 昼間によくあるようなよしもと芸人番組がやっていた. そこで実に珍しい人物を見ることが出来たのである. まるむし商店の東村である. 彼の地元大阪市旭区ではたまに見かけたりする人もいるようであるが テレビで見かけることは少ない. 相方の磯部は比較的見るのにである. そう言えば磯部も「まるむし商店」なるやごうを使わなくなっているような 気がする.やはりそれほどコンビでの活動が減っているのであろうか. 再び東村を見られる日はいつか,来年中にはせめてあってほしいものだ. (関東方面にいては更にその可能性が減ってしまう.)
犬のふんをそれこそ文字通り踏んでしまった. そのふんは数日前から気になっていた. 最初発見したのは3日前であったがそのときは 横に同じアパートのスクーターが止められており その横で用をたしたと思われる. 道のど真ん中にするのははばかられるが 端っこならばまだやり易いと言うものだろうか. しかしスクーターは使われているものなので その場所から移動する.しかも それにのって帰ってきたときも 恐らく同じところに留めないだろう. もっといえばそれを避けて留めるに違いない. 実際どうだったかは確かめていないがそうであっただろう. 話を戻すと, 今日家を出たのは昼過ぎであったので スクーターそのものはなかった. だから道のど真ん中にそれは存在していたことになる. 少し考えごとをしていた上に そこはじゃり道であったことからそれが景色にまぎれてしまっていた のである。 気がついたのはじゃり道から舗装道路にでて 歩道と車道の段差にその足をやったときである. 普通の時には感じないわずかな足のすべりを感じたのである. その足で舗装道路をけってみた.案の定の結果である. 何日か前から見ていたからその状態はだいたい把握していたものの いざついてみると気持ち悪いものである. 妙なにおいをも・・。今日はついていない日である. ウンは付いているというのに・・(文字通りべたべたである。) 話は180度変わって, 北部生協でそばを食う. てんぷらそばだ.しかしてんぷらは「並」なので 98%ころもである.
生姜焼きどんを食う.キャベツが少々気になったがうまい. 奨学金の返還説明会があったが 本当に説明だけであった. 銭湯の帰りにごみをあさる子猫2匹を見かけたので 近づいてみる.丁度影になっていたのか至近距離まで気がつかなかった 様子で気がついた気にはたいそう驚いた様子であった. 2匹はこちらを伺いながら逃げていったので たまに互いにぶつかり合いながらであったのは実にかわいらしいものがあった.
東京ラーメンを食う.早く食いすぎたためにしたが舌がひりひりしてつらい. ここのラーメンはもっと落ちついて食わねば味わえない.
ごみ当番であったが、すっかり寝過ごしてしまった. いえのごみも出し損ねたのである.
もう11月も終わりである.今年もあと一ヶ月だ.
ひさびさにMとOとで遭遇することになった.まず遭遇会場であるM宅へ向かう. そこに到達するまでにOの自転車がもちが膨れるがごとくに チューブの一部が異常にせり出すというトラブルにより 会場に到着するのが予定の30分遅れになった。 名目はなんだろう.忘年会にしてはちょとはや過ぎるし、 かといって他に名づけるべき名称がないので はや過ぎる忘年会ということであろう. 今回は外の店で食うのではなく家でのなべパーティーの形式をとっていた. しかも僕の部屋と違い、断熱性を誇る部屋で行われたので 実に快適であった. かにときりたんぽという組み合わせというのもなんともいえぬものであるが 実においしい・・が、ほろ苦いあじであった. かにといえば無口のままもくもくと食うという状況になると思われるが 不思議とその話は弾んでいた.恐らくその状況を他の人が 目撃した時奇妙なものを感じるに違いない. しかし、忘年会のかにというものも実は意外にうまく行く ことの証明であった. そのあと独占なる名称のボードゲームをはじめしたのであるが 第2位であった.まあ終わってみたらなかなかおもしろいものである. しかし、真の面白さに到達するまでにはどれぐらいの時間がかかろうか・・. その後の雑談で出てきた、 「紺色の2人組に7000円ほどかつ上げされた」というフレーズは秀逸である. かえりし、深夜の自転車運行は結構寒かった.
眠りは昼過ぎまで続く. その理由はほとんど朝になるまで起きているからであるが 今日はそのことよりは、むちゃくちゃ寝汗をかいてその冷たさで目覚めた ことが印象的である. 最近の不安定な状況がそのまま夢となって集約されたのだろう. 不思議とどんな夢だったのかは全く思い出せないが そこで感じた気持ちは体の端っこに残る冷たい汗が物語っている. 理屈でわかっていることを感情でも理解するのは 難しい. このことは恥ずかしいことだけれどもまだ抜け切れていないのである. ところで今日は家庭教師であったのだが帰りしに見た月は実に きれいであった.満月でもなかったのだが妙に心落ち着ける.
金曜日であったがまた生協でメシである. しかも金曜日らしく「とんかつ」で攻めることにした. 北部のグリルであったがあまりはやっていなかったので やたら時間がかかった.
図書館で夕方過ごすことが多い. 以前は本を見たり、新聞を見たりできるだけであったが 最近は少なくともWeb pageは閲覧できる. そこよりさまざまな情報(主にニュース関連であるが) を得ている.もちろん好き勝手なことが出来るわけではないが かえってその制限がPCに向かうという状況ではなくしているので 落ち着いていられるというものなのである.
昨日に引き続いて生協のメシは続く. ラーメンの定番は旭川ラーメンである. スープの色は不健康そうないろ・・泥水のような色といったら気分が悪いが、 味は素晴らしい.もやしと合う.
久々に生協で2食食った。 昼と夜を両方とも生協で食ったのである。
昨日の睡眠の乱れ+ 昨日のバレーボールの対キューバ戦の興奮のため 又徹夜である。 おかげで今日と帰還が昼からずいぶんたってからになった。 しかも京都に帰ってきたはよいが 結局眠り込んでしまい起きたら外は真っ暗な時間である。 深夜になっているということはなかった。 午後7時ぐらいである。 今日が学祭の最終日ということなので 最後ぐらいはみていこうと いってみたのであるが基本的には もう終りの時間になっているようであった。 ずいぶん帰りの人の流れが大きくなっており こちらに向かう人はほとんどいなかったのだ。 メイン会場についてみても店はほとんど後始末をはじめており 寂しいものがあった。 ただ景気よく燃えるキャンプファイヤーと ダンスが繰り広げられていた舞台だけが 最後の勢いを呈していたのだった。 と、少々批判的に書いてはいるが その舞台をフィナーレまでみてしまったので あんまり文句はいえない。在学中最後の学祭ということで まあ許してもらおう。 ひさびさに「はなぞの」 でラーメンを食う。 相変わらず中途半端な愛想の店主で、 ずっとテレビを楽しんでいる呈は前のままであった。 ラーメンの味はというと以前に感じたほど 臭くはなく普通に食べられるチャーシューメンであった。 しかし量は記憶しているほど多くないように思える。 店にいたとき丁度テレビではウルトラクイズ (今世紀最後らしい) の決勝を放送していた。 今世紀最後らしく、生中継でそれが行われていたのだが 最後のクイズ形式はちょっと選択ミスであったと 感じた。 その形式は、解答者が1回ずつ交代しながら そのたびごとにまるばつクイズを答えるのであるが その答え方が正解だと思う方の扉に 走ってドアを破りドアの向うに飛込むというものである。 正解であればクッションがあるが 不正解だと泥水があるのである。 もともとこのクイズはグアム辺りで使われていたが なぜか決勝で使われることになったのである。 その構図がおもしろいと思われたからだろうか。 たしかにおもしろいが「決勝戦」には 不向きと思われる。決勝戦にはやはりあのはや押し形式の 10点先取りなどの方法の方が良かったのではないか。 決勝戦はあの緊張感があった方が 勝ちが決まったときの解放感が生きてくるというものである。 時間の制約があったとはいえこれはいただけなかった。 来世紀のこれにおいてはその反省がいかされてほしいものだ。
土曜日から日曜日の晩にかけては徹夜である。 週末というのはいろいろやりたいという気持ちが強くなり それのせいでたいてい夜更かしも激しいものになるのである。 しかしこれが時間の有効利用になっているかどうかといえば だいぶ怪しい。 特に僕のようにちゃんと寝なければあとの作業に差し支えるタイプの 人間は 睡眠のリズムを狂わせた分余計にねなければならなくなるからである。 結局日曜日の午後はゴロゴロして過ごすことになった。 しかも午前中もずっと寝ておったので 政治討論番組行脚もできずにである。
昨日から学祭がやっている。 下宿にいてもその騒がしさのおこぼれのような 音が聞こえてくる。 それは騒がしいというよりはかえって 寂しさを伴うものである。気にはなるので 重い腰をあげていっては見たものの ここは一人で散歩がてらに来るところでもないということがよくわかった。 余計に寂しかったのである。 そのあと尼崎に一時帰還するべく京都駅に向かったのであるが 道路も駅もずいぶんごったがえしていた。 考えたら3連休の人も多いのである。 おそらくは新幹線や在来線等を利用して京都に来ている人が 多かったのだろう。電車の中もいっぱいであった。
最近500円前後の昼飯を食うことが多い。 今日もその例に漏れず550円であった。 ただこの程度の飯では すぐに腹が減ってしまうのが難点である。 だからついつい間食という形で晩飯にあたるものを食ってしまうので 思ったほど安くは上がらない。
天城でチャーシューメンを食う。 あそこは夜に行くとまわりが寂しいので 一人で行くのは少々こわい。 しかし、それを忘れさせてくれるほどにそのチャーシューの味は うまい。 そのいきかえりに京都の空を眺めてみたが 見える星の数はずいぶん少ないなあ、と思うほどであった。 やはりたまにはたくさん星の見えるところに行くべきである。
テレビの影響だろうがこれほど人が集まるというのは 天体観測では随分珍しいらしい. 僕自身天体観測に行くというのが珍しいから「らしい」としか 言いようがないのであるがともかくもこのような田舎に これほどの人数が集まるというのは異常である. それでも「流星群」観測につきものな あるところにでかい流星が観測された時 どよめく「おおぉお!」という声がひときわ大きい のには随分役に立っている. 人が多いだけに,その声は大きく,更にあちこちから聞こえてくるのだ. もちろん我々もそれに一役買っていた. 2時から5時前まで3時間近く空を見上げていたが すごい冷たい空気かつたまに吹き荒れる強い風で体が冷え切った こととずっと上を眺めつづけていたために首がいたくなったので退散すること にした.ただし、車の中で一睡してから下山することにしていたので すぐには降りなかった. 車内は底冷えのする寒さであった.とくに太ももからくる それが随分なものでったので寝返りを死ぬほどしたような「夢」をみた. 目覚めたのは昼ごろである. 周りを見てみるとあれほどあったはずの車がすっかりなくなっており 昨日の騒がしさはうそのようであった. 鍋焼きうどんはなかなかうまいものである. 日本橋へ久々にいき「電気街」を堪能した.
明日の未明ごろに極大を迎えると思われる 「しし座流星群」を観察に出かける準備をした。 昨日の晩において随分天気が崩れたのだが 天気予報によりと微妙なところまでは回復しそうである. あとは運で状況の好転を願うところである. 出発したのは結局日が暮れてからのことであった. 夕食を尼崎市内のもとうどんや出会ったはずのところにあった とんかつやでとる。 このとんかつやは,高級なとんかつやで保証されているような 「ご飯」「味噌汁」「きゃぺつ」おかわりし放題という うれしいことが標準でついてきた。 このよさは,腹の減り具合によって腹におさめ る量を調整できるところである.猪名川町の観測地点には 夜9:30に到着した.
[銀仙:空揚げ定食<ころもほくほく]。 銀仙はそれほど割安感があるわけではないが高すぎるということはない。 一番安い八つ手丁度いい値段といったところか。 ここで僕が気に入っているのがこれである。 衣がしっかりあるしかもそれが心地好いさくさく感を 伴っている空揚げである。シャンティーのそれもよいがここのこれもよい。 [天下一品:辛しにんにくの味] 無償にテンイチが食いたくなったので銀閣寺店に攻め入る。 しかしおっちゃんにしては高いコエかつでかい声で出迎えられるときには すっかり「お客さん」然としている。大盛りを食った。 しかしここの大盛りはそれほど大盛りな感じがしない。 値段の差が50円だからだろうか?その辺はよくわからないが、 2玉はいっているということはないだろう。 おそらく1.5玉である。この店は麺よりはその どろどろスープの存在感が大きくて麺が少々増えたところで それほど変わった印象を受けないのである。 そのどろどろスープは、もちろんすっかりのみほした。 この店にはポスターがいっぱい張ってあるが もちろん自分の店の宣伝もある。 スープは健康食品です。というフレーズの伴ったそれは なかなか秀逸だと思う。 飲むたびに思い出してしまうほどに頭に浸透しているのだ。
今日はドライブに誘われたがどうも体がいうことがきかず、 つまるところ、眠たかったのだ、 キャンセルしてしまった。あとで 楽しんできた話を聞くとまたそれが普通より何倍も 羨ましく思えるのだが、それは自業自得というものである。 尼崎市の市長選挙であった。 盛り上がりにかけると思ったが やはり低投票率であった。 結果は現職が維持されている。もちろんな結果である。 激戦であったら結果がわからないところであるが。 ほかのところでは現職が破れたりしているが、 争点があったのだろう。 争点といえば「神戸空港」問題であるが どうなることやら。 さんテレビのそれをねたにした番組をみたのだが 出演者がたった3人ということに驚いたとともに サンテレビがhome pageを持っていることにも 再び驚かされたのである。 http:www.sun-tv.co.jpである。 京都には最終の17番で帰還である。 バスのバス乗り場への入場がいやに早く、又行き先表示の明かりが 緑、つまり終バスまでにはまだ間がありますよ、という合図だったので 少々驚いた。 前のバスが遅れたおかげで最終より1本早くに乗れたなあ、 と喜んだのだが、発車とともに その明かりを運転手が「赤」つまり、最終バスの合図に かえたのでぬか喜びに終わった。 それを物語るようにバスは終バスのダイヤをきっちり守って 百万遍に到着したのであった。 そういえば、「サザエさん」の提供が1社だけではなくなった という話とともに、ぴんからトリオの「並木ヒロシ」 がなくならはったという話を確認した。60才前後というのは 人生において通り抜けるのが厳しい時期なのだろうか。 60を前にしての死亡だった。
かしわである。 それをステーキ風に焼いた絶品であった。 美味しいのだが、ちょっと豪華すぎてゴロゴロできません。 体を動かして燃焼するべしである。
HくんとTさんとで「食いしん坊の店」 ここにくいにいくたびに思うのは、 「日本一安い焼き肉や」の営業が終わってしまったこと である。実に惜しい。
旭川ラーメンを生協で食う。 この冬から春にかけて学校の食堂では ラーメン紀行と称して 地方のラーメンの特集をするようである。 なかなか楽しみな企画ではないか。 生協食堂であるから「プロ」のできは期待できないが スープはプロに違いない。
今日はひさびさに 寄り道である。 よりみちで寄り道とはこれいかにといったのは月曜日のN君だったように おもう。 そういえばある言い回しについて例のページにかくべきだ ともいっていたのを思い出したがちょっとペンディングしておく。 いっしょに食いにいったTさんのキムチなべはなかなか気合のはいった 辛さで実に気持ちよさそうにうかがえた。 僕はミックスフライであったが少々期待を外れてしまったことは 否めない。そういえば今日は前のおっちゃんに戻っていた。 しばらくいたもう少し長髪でワイルドな人はどう言う人だったのだろうか。 ぞろめの日であったがその瞬間を時計で目撃することなく 終わってしまった・・。 /今日の8時ごろ淀川長治がなくならはったらしい。 まさにこの世とさよならさよならしたのである。 しかし、この間の黒沢明の葬式にも参列したほど の健康状態であったようだが 急に死んだといっても差し支えないような死に方である。 しかし それは最後まで人生を楽しんだとでもいえようか。 もしそうならばうらやましい限りである。 「映画を愛して生涯独身」というのも真偽はさだかではないが 事実はどうであれ幸せだったには違いあるまい。ご冥福を祈る。
北部生協で札幌ラーメンを食う。 この企画ラーメンはどの食堂でも同じ値段のようだ。 ほかのラーメンはルネ以外とルネでは30円ルネのほうが高い。 青春18切符の情報を閲覧した。
シャンティーで食った。 からしじょうゆがうまいから揚げ定食である。 しかし「ごめんなさい」は一言も聞けなかった。 すべて「すいません」に置換されてしまっていたのだ。 意識しているのだろうか・・。 もしそうならば思いなおして前に戻ってほしいものである。
寝まくってしまった。 夕方より1時間半実家から母校の高校阪急の急行のとまる駅 をぐるっと回るコースであるいた。 高校の付近で葬式か通夜のようなものをやっていたようであるが 高校関係というわけでもなかろう。 しかし駅付近にも礼服姿の人をみたので 気にはなった。 消防署の横の安売りスーパーでたのまれものを買ったあと 実家に帰還。歩数は11000歩程度は確保できた。
寒い時に足から体温が奪われてしまったときのだるい感覚で めざめた。 こういう時はなにを取り組みにせよ 力が入らないのである。 こういう時は最近買っておいた文庫本を読むことにしている。 手にとった本は芸能関係のことを突っ込みまくるといったような内容の 本であった。効果は多少あったようである。 今日は実家に帰還する日であったが その道中に夕食を食おうと東京ラーメンを 覗いたがいっぱいであったので生協でラーメンを食べることにした。 から揚げラーメンである。 札幌ラーメンというてもあったが続けて食うのも そのうまさが落ちると思って趣向を変えてみたのである。 から揚げは久しぶりであったのでなかなかうまかった。
ひさびさに よく歩いた。 高野から四条寺町の往復程度の移動はあった。 といいつつも実際はバスを利用した部分もあるので全体の40%ぐらい しか歩いていない。 でも15000歩は下らない程度であるとあとで確認できた。
よく見たら「札幌ラーメン」がルネ食堂で復活していた。 それに気づかずに「から揚げラーメン」を頼んでいたのだが まだ作りかけていなかったので キャンセルし変更した。 おいしい。ただアスパラが少々なじんでいないのが 残念である。
昼は読書しながらのメシであった。
文化の日である。戦前には、そしていまも別の意味もあるだろうが まあ文化の日である。 勲章の叙勲などはその名残であろうか。 日曜日は遠出していたので 今日は日曜日のかわりに実家に帰還していたので 「討論番組」や「アタック25」を 見ようとしてしまうたびに面食らうのであった。 もちろんかわりに平日にやっている番組を見ることになったのであるが・・。 でも休日にちゃ違いないので休日切符はしっかり使えた のは助かった。
ハヤシライスであった。 とおもって、漢字変換をしたら 「林ライス」と変換されてしまった。 林君のライスかあ・・ とわけのわからぬことを考えたりしたが、うまかったので そんなことはどうでもよかろう。
結婚式に出席。 前後に時間が意外にあったのでそのすごし方に苦労してしまった。 今後は遭遇のレートを高めようぞ。
大阪で某チュートリアルを聞きに行った後 急いで帰還して夜行バスにのる準備をして京都に向かう。 バスは新車であったが少々サービスはダウンしたように思われる。 その内容は、供給される曲とビデオによる車内案内がなくなったこと である。
メシは生協でカレー。夜に実家に帰る用があったので 下宿への方向とは反対のとんかつ屋に 行くのは避けて道中の中央食堂で食べたのである。 しかも久々のカレーであった。
ルネで遅い昼食。今日を真中とした三日間でカクテルバー が開いている。食堂の片隅ということで少々雰囲気が いまいちなのであるが照明をおとして妙な映像を映し出しているだけでも それなりに雰囲気をかもし出している。明日は21時までやっているようだ。
生協で豆腐を食いながらも夜食でも豆腐を食う。豆腐三昧。
久々に白水でメシである。しかも最後の客になった。 それもまだ9時まで40分ぐらいも時間があったのにである。 僕より白水歴の長いTさんが店の親父さん奥さんに話したところによれば ごはんがなくなったとのことであった。
昼夜逆転生活であった。
家庭教師を今日に移動。部屋が寒いとおもったら 最近の気候はもう冬のそれに近い。生徒はこのごろはなをスースー 言わせているがちゃんと直してほしいものである。という自分も油断は出来ぬ。
回数券購入。今日は一,2ヶ月ぶりに親友のOと会う。 最初の予定ではもう一人ぐらいいっしょに会う予定であったが たまにはいいじゃないか外科産婦人科(高校時代の友達Oよ元気か?)、 ということで話しがてらつかしんー>日本橋ー>なんば (ちげ(なべ)を食ったが写真見本より量が少なくてもう一食食うことを決意。) ー>梅田(紀伊国屋書店によったあと、僕が噂の得だね (これではは田淵岩夫のやっているKBS京都の番組名 「田淵岩夫の得だね!てれび」である。)ではなくて特だねとして 聞き知っていたJR大阪駅あるいは阪急百科店横の OS劇場のところに出来たハズの大観覧車をミニいったのだが まさにうわさであったということで姿はみせどもまだ営業していなかった。 開業は11月28日ということである。 いってはみたいが一人でのるのは寂しいところである。) ー>塚口(ここで先ほどのちげを補完するべく、天下一品で並を食う。 ここでは残念ながら学割はなかった。620えんなり。) ー>O君の家( 最初はそのまま帰るはずであったがまるで高校のときのように 「お茶を飲ませてもらい」にO君の家にゆく。 もちろんその目的は座りなおしての話しである。 まあO君のMacのご機嫌を伺うという目的もなくはなかったが ここ何年もさしで話したことがなかったのでそれを行うというのも メインテーマであった。結局空が白みかける時間までお邪魔させてもらった。 ありがとさん。とここで言うのはおかしいが感謝している。 今度はうちの下宿でなべでもしようといったが 「まともな布団が入ったらな。」ということであった。 2年前の冬、Oとmでなべをシタのであるがまともでない暖房器具のおかげで 翌日の健康状態を少々損ねてしまったのである。 さらにいえばその日にせっかくいった映画村でまともな行事が行われて いなかったということもあろう。そういえば そのときいった「人体の不思議展」は実は今年もやっているようだ。) 「1984年」を借りて帰る。
雨が降っている。今日は食いしん坊とんかつの日であるのでとんかつを食べた。よい。
夜食用に最近豆腐と立て続けに買っている。といってもいつものこと
今日もルネである。レポート用紙を購入。
ルネの昼飯である。結構居心地がよい.
授業料を払う。20万ちょっとであった。
回数券購入。朝に京都に帰還
新語法で言うと 寝過ごし 新快速 家庭キョウ うまいメシ
未明はすごい雨であった。雷も随分落ちていたので 嵐というかんじである。 下宿の中でもよくわかるぐらいにすごい雨量であったが 新聞によればそれは本当にすごい量であったらしい。 鴨川もいつにない水量であったという(見にはいっていない)。 昼過ぎに研究室に向かったときはそれほど雨は降っていなかった。 傘は持っていたがさすまでもなかった量である。 夕飯は金曜日ならではのくいしんぼうのみせのとんかつであった。 研究室から店までの往復のときにはそれほど雨が降っていなかったが 研究室から下宿に帰ろうとするころには 随分雨の量が多くなった。もう日付も変わったいまでは本格的に降っている。 この雨は遠く台湾あたりにある台風から送りもかれている湿った空気 のせいらしい。その台風自体もこちらに向かっているようなので この週末から来週の頭にかけては天気はあれるとおもわれる。 この日記をかくのは随分久しぶりである。 ものごと いったんサボり出すとなかなか復帰しにくいということがよくわかる。
ルネで夕食を採る。今日は札幌ラーメンははずして カレーで攻めた。随分久しぶりである。
1日間はあけたがやはり、札幌ラーメンを食ってしまった。 食ってしまった、というが、ほとんど確信犯である。 飯を食べたあと食後うで読書をしてすごす。 かえりしに 抹茶ミルクなる一リットルの飲料を近くのスーパーで購入し飲む。 癖になる味である。
南からじわじわと台風が接近しているらしい。 台湾に近づきつつあるそうだ。 スピードは遅い。 規模は、猛烈で超大型ということであった。 語感からすれはものすごく恐ろしげなものに聞こえるが どうなのだろうか・・。 (やはり直撃しないとはわからないだろう。 と・・言いつつ、この間台風が京都を直撃したのだが・・)
うちのPCのHDDにおさめられているOSを一つとりかえる。 Unix系のOSにしたのである。 リナックすだ。 札幌ラーメンを食う。うまい。また食ってしまいそうである。
最近のよふかしぐせのおかげで 今日の昼間はほとんど夢の中であった。 目がさめたのはなんと午後4時である。 これは予定外であった。「あさめし」を食べたあとしばらくTVを 笑点(不覚にも大喜利で笑ってしまった)・報道特集の前半まで みてから散歩に出かけた。もちろん目指せ一万歩である。 夕飯までに歩いた歩数は6400歩であった。 メシ(コロッケであった)と風呂をすませてから京都に帰還する。 しかし風呂で予定時間より15分ぐらい長くすごしてしまったので いつものコースで帰られなくなった。 それで予定変更して京阪利用コースで帰還する。 三条から歩いて下宿まで至ったのでなんとか一万歩は確保できた。
体育の日である。しかし特にどこかの行事に参加する予定のない 自分にとってはカレンダーの字の色が違うこと以外は それほど特別な意味はない。 聞くところによると今日が体育の日であるというのは 東京オリンピックの開会式の日だからということであった。 実家方面に帰還したのであるがその道中京都市内をバスで移動しているとき 河原町三条付近が随分こんでいたようであったが 見た目よりは所要時間がかからなかったのは意外であった。 祝日というよりは普通の土曜日という色彩が強いのであろうか。 そのおかげでいつも乗る列車と同じものに載ることが出来たのである。 夕飯は豚肉をいためたものだった。
腰には例の歩数計をつけて歩いているのだが最近一万歩を歩いているか どうかを気にしていなかった。ただ、3千歩単位の歩行は欠かしたことがない。 このような言い方は少々いいわけくさいが 歩数計効果はまだ持続しているのはすごいことである。 今日は金曜日の夜ということで食いしん坊のみせで とんかつ定食を食う。ここは一人で行くとカウンターになるのだが 先日の改装で唯一サービスが低下したとおもうものになっている。 カウンターといえば調理をするところが目の前に あってその風景が楽しめるというものがあったのだが いまのカウンターでは座って目の前にあるのは単なる壁である。 しかも他の部分から隔離されたような位置にあるため なれるまではなんともおちつかないところなのである。
生協でとり鍋を食った。少々値は張ったがうまい。 汁までおいしくいただいた。 食堂のしたの本屋で東アジアの現代史についての本を買う。 最近は経済関係のドキュメントなどノンフィクションを良く読む。/ とある会話で 自分の欠点を多く明らかにした。 自分自身の人間の大きさというものを知らなければならない。 人を思うことの大切さ、難しさを知った。 責任ある行動をしたければならない。/ 夜はニュースで寒いといっていたがやはり、昨日のような服装では 肌寒かったので一枚多めにはおって毛布を被って寝たら ずいぶん気持ち良く寝た。 しかし目覚めが良くない。太陽の直射日光で起こされるのだ。 顔の片方が以上に熱く感じて目覚める。 多分この季節と春のある季節だけの現象だろう。
今日は昼から雨が降り続いている。 雨がやんだすきを狙って昼食をとりに行く。 最も近いルネである。 ここに行くときは最近は「油そば」があるときにはそれに決めている。 あらかじめ買っておいた文庫本を読みつつの食事であった。 そこで一時間ほど過ごしていたが随分混んできたので 図書館に移動である。 そうするとなぜかトイレに行きたくなるのだ。 昔からよく言われているように本から発するなにかが そうさせるのかもしれない。 今回は落ちついて洋式でいたすことにした。 落ち着いてみるとそこにある落書きが気になるものである。 その昔教養や理学部でみたものとは趣が異なる。 というか書いてはいるけれどもその覇気がない。 こんなところにも不況風をふかすのもどうかとおもったが 肝心の本業に集中することにした。/ 帰って下宿でものを書いていると妙な赤ちゃんの泣き声なようなものが 聞こえてきた。ねこの逢引である。なかなかなき止まないが サッシをしっかりしめて我慢することにした。
そう言えば日曜日の朝は涼しいな、 とおもっていたのをなんとなく覚えていて薄着はいけないと思って 比較的アツでの上着を着ていくと研究室につくまでに 随分汗がにじんできてしまう。 暖かいのだ。 しかし、夜になれば随分涼しかったりするので 薄着で行けばよいかというとそうでもない。調整の出来る服装で 行く方がよいのである。 きょうは4時からゼミがあったがそのあと夕食は一年以上もいった記憶が ない「かもん」といううどん・そばの店にいった。 といいつつ食べたのはうどんもそばもない「から揚げ定食」であったが・・。 ここのから揚げはシャンティーのそれに近い形式であったが つけるたれはかつおのたたきのそれであった。 僕の好みとしてはからし醤油である。 Tさんの「ろっピー」初体験を確認してTさんよりも お店のおばちゃんの初体験の方がどきどきしたに違いないという 事実を知った。パンを食う。 それから帰宅したが日が落ちるのは秋分が過ぎたせいか随分早いようで 7:30ぐらいであったが9時ぐらいの感覚である。 下宿に到着したら少し本を読んだあと寝てしまっていた。 起きてニュース23の後半を見る。
今日は仲秋の名月である。 夜になってから空を見上げるとこうこうと明るいマンマルイ月が 輝いていた。 つき見だんごでもしたいところである。 今日の夕飯は銀せんである。余り安いのはないが 良いものが揃っている。 そのあとTVタックルなる番組を久々に見た。 トークバトルという名の白熱した雑談番組であるが なかなかその盛り上がりを継続しながら今まで続いているというのは なかなか感心である。 しかしそれだけこの番組の持っているポリシーが ずいぶん弱いものであるという証拠なのだろうが。
12時30分に京都にかえる。 帰るといっても出発する時間ではなくて到着する時間であった。 所要時間は計算通りであった。 本当はもうちょっと早くいくはずであったのだが 出発が遅れたのである。 それからよるの1時すぎまで作業があった後 夜食を天下一品で食べる。 あそこの親父は深夜にもかかわらず元気であった。 ついついニンニクの量も多めにしてしまうほどである。 翌日まで残った。
きょうは昨日と比べると少々涼しくなった。 実に秋らしい天気である。 梅雨も秋雨もやっと過ぎ去ったということであろうか・・。 夜になったら更にその秋を感じることになった。 随分涼しかったのである。 夜には久しぶりにZと3時間ファミレスで語り合う。 Zは前に夏にあってからそれほど重大な変化はなかったようだが 随分久々に話をしたのでなかなか白熱した(といっても 単にでかい声で話したというだけかもしれぬが)語り合いを持つことが出来た。 また衛星放送談義はなかなか参考になった。 ドラマの再放送チャンネルが結構楽しそうである。 家庭教師の帰りしにまったく電灯類を消したパトカーをみたが 何を見張っていたのだろう?
最近 ずいぶん夜型になってしまっている。 朝近くまでおきていて昼頃に起きるのである。 よるおきている時は快適なのだが、昼間は最悪の状況である。 かえなければならない。しかし・・ 夜は 下宿に帰宅して しばらくして電気もネットもつけっぱなしで 眠たくそのまま寝てしまっていた。 電話線を切ったのだが、連絡があり 目がさえたのでまた気合いを入れるためにも 研究室にいって作業をする。作業を終えるとそのまま寝てしまっていた。 目覚めたら昼近い朝になっていた。
今日はいろいろな意味で「記念すべき」日である。 それは来年からの自分の立場を明らかにする会合があったことも 含まれるだろう。しかしそれ以上に大きなものがあった。 それはここ何週間か続いている欝状況の理由に関係することでもある。 結論からいえば(やり取りがまったくないという意味での) 欝状態からは抜け出すことができた。 そのような状況変化が「記念すべき」ことなのである。 もちろんこの括弧書きからわかるように少々ひにくったいい方である。 (追加)ただこれで終わったわけではない。たくさんやることがある。 にはちがいない。 自分は以前と少しも変わっていないとある人に 久しぶりにあったときに言われたことがあった。 そのひとの言う通り、 全く成長していなかったのではないか。 自分勝手なところがある。 その性質を変革し始めるという意味で「記念すべき日」にしなければいけない。 今日は久しぶりに梅田の潮屋の立ち食いそばを食った。 中学生のころは130円で他の店より20円も安かったので 喜んで尼崎から大阪まで自転車でいっていたものである(!)。
(10/2 追加変更)最近の鬱と言うのは結局独り善がりの悩みであった。 地球が自分のまわりを回っているのではないかとおもっている といわれてもし方がない行動であった。 ひとへの思いやりが大切である。そういう基本的なことさえも理解で きていなかった。人間関係が育たないわけである。 ここの日記にしても独り善がりなことを披露する機会に成り下がっている。 こういう「あほさかげん」は死ななければ直らない のかもしれないが死なずに直すほうほうを見つけたい。 結構早いよるに下宿に帰ったのでかえりついでに 東京ラーメンを食おうと思ったが今日は灯りがともっていなかった。 残念。
最近朝に北部生協まで来て朝定食を食うことが日課になっている。 それゆえに丸得セットの無くなり方が早いことも 体験することになるのである。 晩飯も生協であった。
最近曇がちである。よるにKABAにくる。
今日は日曜日という気がしない。 というのは作業をしていたからである・・。 夜飯は「食いしん坊」で食ったがたいそう賑わっていた。 メンチカツを食ったのだがミンチだけに少々食べ応えが足らなかった。 40円を追加してブタ天かとり天を食えばよかったかも知れぬ、と思った。 関係ないが「青粒」のCMの「もろへいや〜」というのは 冒頭の1.5秒ぐらいの音楽の部分だろうか?
背中のかゆさの原因はどうも虫というよりは 何か食べものにまけたか 体の不調を表す蕁麻疹のようなものであったようである。 気をつけなければならない。 17番で研究室に向かっていたら 車内でNさんに会った。雨のふるまどの外ばかりを 見ていたので全く気づかなかったのである。 今日は新入生の歓迎会(こじんまりとした) であったが、そこで用意されたピザは 少々少なめであった。。 実はかえって空腹を増幅してしまい後でフラフラになってしまった。
昼頃にものすごい雨が降った。 この雨は西から移動してきたようであった。 まあさすがに、高知県であったようなほどは降らなかったが 台風が過ぎた後というのに今度は前線の活動のおかげであるという。
背中が痒いなあと思っていたら、背中一面に虫にかまれたようなあとが・・ ダニにやられたのだろうか? 夕飯は豚生姜焼き@よりみちである。 しばらく風呂にいけなかったので久しぶりに風呂にいってみると 10月から20円値上がりをするという。 デフレというのに困ったことである。
今日は祝日であったが家でゴロゴロして過ごしてしまった。 何とも不健康きわまりない。 よる飯は下宿からちょっと遠い研究室付近でとった。 よりみちである。 あいかわらず、どこかプロレスラーの雰囲気を持ったおっちゃんが いるが前のおっちゃんがいないのは不思議である。
朝飯を生協でとる。しかも150円丸得セットが 有効な時間である。 ひさしぶりにあのセットでいこうと思ったが 生卵がない。しかたがないので豆腐で誤魔化した。 生協でおはようナイスデーを見るのも実に何カ月ぶりなことだろう。 台風がすごかった。午後の5時ぐらいまでは すごい風と雨であった。 最近聞いたことがないぐらいにビュンビュンという音である。。 しかし台風が通り過ぎた5時すぎから急に穏やかな天気になり さすが台風イッカといったところである。 空気がしめっぽかあった上にあたたかいので 汗がどろどろ出てきた。
月曜日の夜はよりみちは休みである。 それゆえにそこ以外を選択しなければならない。 しかし僕ら(だれだ?)には食いしん坊の店があった。 サービス定食を食うのである。 サービス定食はおとくなのであるが日のよってものが違うのである。 今日は焼肉定食であったのだ。すばらしい。 今日は台風八号が上陸して近畿地方を縦断したらしい。 しかし単なる普通の低気圧程度の勢力しかなかったので 天気が崩れた程度であった。 明日は7号がくるという。連続で台風がくるというのも 随分久々なことであったが台風の番号の逆順で 上陸してくるのも珍しいことだ。
実家から徒歩で「つかぐーーち、さーんさーんたうんー」までいった。 (メロディーを知ってらっしゃるかたはいっしょにどうぞ。) ただ券で親父と映画を見にいったのである。 映画館は少々小さいサイズであったがなかなかおもしろかった のである。往復で7000歩であった。
久しぶりに荒神口バス停からバスに乗る。 京都駅いきのバスは4番17番205番と結構あるのだが なかなかこないから不思議である。 しかもちょっと待ってくるバスはいつも4番である。 4番は渋滞のある四条通をとおるので たいていほかの後続のバスよりあとにつくのである。 豆腐をはんちょう食った。
夕飯は東京ラーメンであったが それを食べたあと散歩がてらに東大路通りを北上した。 叡山電鉄を過ぎたあたりの書店で立ち読みして戻った。
寄り道で飯を食う。 Tさんと食った。 そこで「思考」の鍛え方がはやはり気合いの入り方からして違う ことを知った。人生選択の時期の早さも 大きな要因の一つに思えてくるような話しであった。 (おおげさ) ところでTさんは鍋を食いたいと思っていたので そこの2つの鍋メニューの中のひとつを選択したのである。 それはあんこう鍋とキムチ鍋のうちの一方であったのだが、 食べた後たいそう残念がっていた。 「インパクトがない。この汁では満足できかねる。」 と思ったか思わないか、選択しなかった方を大変悔しがっている ことが手にとるようにうかがえた。 僕はてがたくからあげという選択したので それほどの悔しい思いはしなかった。 しかし悔しい思いの代わりにいつもの眠気が研究室に帰ると襲ってきた のである。結局8時ぐらいから11時30分ぐらいは 意識がない状態であった。寝ざめはすっきりであるが 風呂はちょっと無理そうである。明日にするか。
銀シャリ亭のあとにできた二天やという店はどうも飲みやのようだ。 そこの次の候補の新装開店した 「食いしんぼうの店」にいってみると 見事に内装がかわっていた。 厨房は入口はいってまっすぐの奥の、 以前は座敷だったところにあり、 以前厨房だったところにはテーブル席ができていた。 でもカウンターがなくなったわけではなく、 目の前に厨房がないカウンターではあるが残っていた。 内装はきれいになり座るところも増えたと思うのだが ただ一つ難点はお茶がテーブルに回らないことである。 前の店で使っていたきちゃないポットしか用意していないため 数が足らないのである。 だからたちあがってわざわざお茶を くみにいかなければならなくなってしまった。 今日は久しぶりに普通のメニュー(ひがわりorとんかつではないという意味) をたべた。
今日は老人の日である。 長く生きている人のよさを再確認する日である。 その機会は逃してしまったが 報道ではやたら老人ねたが幅をきかせていた。 天気図に目を移せば台風の五号が日本に向かって北上してきている 様子であった。 進路の予想を見れば東海から関東に上陸する勢いである。 今回注意すべきなのは風というよりは雨であろう。 台風の雲がかかってきたのかここ今日とでも夜半前ぐらいに雨が降り出した。 「きりさめじゃあ、ぬれていこう。」ではないが 傘をさすのが面倒なので荒神口のバス停から 下宿まで傘をささずに来たら思ったより随分ぬれてしまったのだった。
今日は休日のはざまである。 なんとなく土曜日にような気分もするのだが 土曜日のように休日回数券は使うことが出来ない。 やはり月曜日なのである。 あげマンは実家に持ってかえる前に全部食ってしまった。 手に油がつき、べとべとになるのだがうまい。 しかしこの食いものは以外に常温保存でもつようだが 本当はどれぐらいもつのだろうか。 今日は久々に阪急の特急に乗って実家に向かう。 電車はバスと違って妙に快適ですぐ眠りに落ちてしまう。 しかし最近は特急も高槻市に止まるので そこで起こされてしまうのだ・・。 その点京阪はよいがいかんせん遠回り過ぎるのである。 今日は7000歩であった。 急に暑くなったせいか体調を崩しているひともいる。気をつけよう。
めざめてみると相当に蒸し暑く感じた。 まるで夏が戻ってきたかのような暑さである。 と、思ったら窓をきっちりしめたまま寝ていたのである。 いやしかしそれでもこの暑さは久々に感じる暑さである。 残暑というものを体験できるとは実に幸せであった。 まだちゃんと目覚めていないころに「アタックチャンス」 を音だけで聞いていたのであるが 今日は老人大会だったようだ。 15日は敬老の日という事実に合わせての大会だろう。 しかし大会自体はそれほど盛り上がるところを見せずに 一人のじいさんの圧倒的な勝利で終った。 あえて盛り上がったところといえば 後少しでパーフェクトをかっさらえるというところで 緊張したのか他の解答者にますめをとられた、しかもはしっこの 25番だった、という場面であろうか。 こうも大がちしたじいさんもアメリカ旅行挑戦の人物あてクイズにおいては 見事なまでの撃沈であった。 夜、散歩の途中でよった便所にはいっているときに でかいエンジン音を巻き散らかせるバイクがそのそばを通ったが 便所の建物の構造上その音が更に共鳴しこの世のものとは思えぬほどの 地獄の大音響を味わうことになるとはいまだに信じたくないことである。
ホテルの電話からなぜか家の留守番でんわの操作が出来ない。 公衆でんわでは出きるのだが・・。 公衆でんわで録音されているないようを聞いてみると ピポパという音がカツカツカツという妙な音になっていた。 今日はこの近辺をうろうろすることにした。 JRで隣の市に出て公園を横切る鉄道で終点までいく、 その後ぐるっと回って乗り換えて橋を渡りうみを見る。 その後地下で海を渡って隣の県に出て出稼ぎターミナル へ、そして**ケン坊でおこしとあげマンをかう。 そして青の電車で北へ向かいオレンジで大回りし ねてしまった。そしてバスターミナルのある ところへ一直線である。 今日は妙に混んでいた。なぜか・・とかんがえたら 来週のあたまは月曜日を休みにすれば 連休になるという暦なのだった。 バスはいきしと異なりよく眠れた。眠れたというよりは 眠りに落ちたという感じであった。
その昔そこにながれるきれいな水で 洗った布を年貢として納めていたという地方の駅の南側でコロッケを買う。 ホテルで食おうと思ったが少し駅でつまみ食いをした。 なかなかうまい。のこりはホテルで食った。 突然連絡をとったのにもかかわらず 偶然にも都合がついたMと遭遇する。 相変わらずのテンションで静寂の喫茶店を にぎやかなところにかえた。(実際最初客がいなかった 店の席の4分の三が埋まるぐらいに混んだのだ。) カラオケ本舗というところで歌を歌う。 新曲の題名がわからず困った。 つかれたのかよく寝た。
懇親会のメシの量は去年の反省からか 十分に用意されていた。うれしい限りである。 しかしその十分な量のメシを目の前にそれほど食べられなくなっている 自分自身の腹の容量のちいささにも愕然とする。 夜に繁華街をうろうろして見るがひとりで楽しめるところはない。 のむかたべるかぐらいだろうがそういうものが腹に入る余裕もないので 単なる食後の散歩であった。
夜行バスの利点は到着してからめいっぱい時間が取れることである。 逆にそれが短所にもなる。 学会の開始は10:45であったのでそれまでの時間をつぶさなければ ならなかった。日本一高い公共施設、 予備校、 花火も上がる神社、 国営放送付近を通過しながら次のターミナルまで歩いた上に 電車で元に戻って1時間ほどMなるチェーンてんで時間調整をした。 しかし、実際に会場にいってみると駅から会場までに 会場の大学で迷ってしまい、遅刻してしまった。 ホテルでドアのカギの開け方がわからなくなり フロントの人に指導をこうてしまった。 「こう、ひだりにまわせばあくんですよぉ」 あほでした・・。 夜飯は近くのとんこつラーメンを食べた。 「都内ズイイツのスープの濃さ」と書いていたが 意外にあっさりしていた。おいしくスープも飲めたのだが 麺がもう少し多ければよかったとおもう。
おめでたう、と鴨川に向かって叫んだ。 夜飯は東京ラーメンにしたかったのだが時間が合わずに 断念する。 夜行バスに乗って東の方へ向かう。 学会がセント・ルイスのギャグでおなじみな(しらんて?) 高級住宅地と似ている地名であるが場所が随分異なるところであるのだ。 ちなみにこの話を後輩にしても知らなかった・・。
ルネで食事をした。
ひるすぎに実家を出て2時頃の研究室いりである。 作業が終った後は焼肉を食いにいった。 もちろん Tさんの提案である。 「肉欲」が今日は激しかったらしい。
KABAの寝室でおいてあった漫画12冊を一気に呼んでしまったので この日は一睡もしていない。 昼飯に久しぶりに北部生協にいこうと思ったけれども 残念ながら休業であった。しかたがないので「ルネ」でたべた。 おろしとんかつである。 夜の家庭教師(何じゃこの表現)では ずいぶん目がくぼんで見えたようだったが 意識ははっきりしていた。 家庭教師先ではおばちゃんの料理をいただけるのであるが 毎回僕の知らないようなもの料理を出してもらえる。 今回も何という名前かはわからないが当のおばちゃんも 初めて作ったものらしい。おいしかった。 今日はいうほど歩いていない。 6000歩前後であろうか。
下宿の寝るところが2か所確保された。 気分によって好きな方を選ぶことにしている。 ただどちらも寝ぞうが悪ければいろいろなものに当たることになるので 寝る時はおとなしくしていなければならない。 今日の飯は研究室でうどんであった。 歩行はそれほど伸びていない。8000歩台というところだろうか。 最近10000歩に遠くなってきているのが少々気になる。
最近、毒入りの食べ物飲み物事件が多発している。 最新のものはスーパーの缶入りウーロン茶に入れられた青酸性薬物と 園芸用の農薬いり清涼飲料ドリンクだった。 ザ・ワイドで市川森一と三枝成彰がそろって出ていたので なかなかきわどい発言が楽しかった。 目覚ましテレビで女子アナが生放送中に 事故でビルの五階から落ちてしまったことももちろん(放送局が違うため) 突っ込みも激しい。当然というかやはりというか 当のフジテレビ系列では極力短い報道にしているようである。 98円でオーザックがうっていたので食べて見る。なかなかうまい。 しかし今日は歩数が6000歩台とのび悩んでいる。 かえってから「トラトラナイター98」を見ながら牛乳をのんだ。
棒ラーメンにもやしをいっしょにたいたものを食う。 めんかもやしかわからない状態になったがなかなかうまい。 今日も猫が元気だ。 左手をにおうが、メシのにおいが残っているのだろうか。
未明に鴨川でいつか見た黒いヒトナツッコイ猫を発見した。 あいかわらずにゃーにゃーいいながら撫でてくれといわんばかりに していたのでなでてやるとおおよろこびであった。 どこの猫なのだろうか。 9月である。小中高校では始業式にであったところも多いだろう。 しかし目覚めは最悪であった。 足元がふらつくし背中には妙な痺れたような感覚がある。 単なる寝不足のせいだとは思うがやはり規則正しい生活は 大切である。といいつつふたたびこんな時間から歩こうというのは 反省していないということか。 夕飯は寄り道でからあげである。 最近寄り道でいつもの親父さんを見ることがなくなった。 かわりにもっと声のしゃがれたおっちゃんがその役目を果たしている。 体をいわして休養中なのだろうか。心配である。 そういえばその関係からか営業時間が11時までと短縮されて いたのである。そのかわりに昼飯時の営業が始まっている。 そういえば寄り道の道中で目にはいったのだが 以前から「銀シャリ亭」と出ていた看板が 「天天(二天)や」というのに代わっており 女子あるバイトの募集のビラがはってあった。 今度はどんな店なのか。(といいつつも前の 「銀シャリ」の方の正体も知らない。)
寝過ごした。 昼も2時ごろまでぐっすり寝てしまったのである。 さすがに朝まで起きていては正常な起床はしがたい。 北朝鮮がミサイルを試しうちをして2段目が日本海に 1段目が本州を越えて太平洋上に落ちたという。 むちゃしよる。 おかげでNHKニュースにて9:1わけの江畑さんが見られたではないか。 (という言い方だが後半はうれしい事実である。) 夕飯は「マルタイラーメン」(まるでそうめんのような形状のめんをゆがいて 食べるラーメン。その形状から棒ラーメンとも言う。) を2食分を一度に食うという贅沢をした。なかなか満足である。 夜に鴨川などで涼んでいると半そででは少々肌寒く感じるように なってきた。 短い夏はもう去ろうとしているのか。。 そういえば、先頃購入した「サイキック10年ファイル」 (という題名だったような) の1995年1996年などというような文字が ページの上部に書かれていたがなぜか 1997年の次は1988年なっていた。 それの1ページだけではなく1998年の記事のページ全てである。 こういうのを発見した時は何故か妙に嬉しい。
最近東日本北日本が大変である。なにがといえば大雨でである。 天気予報の雲の図を見れば一目瞭然であった。 中国も1週間ぐらいでは水害はおさまらないようだ。 今年の夏の異常気象の一環なのだろうか・・。 こんなときに東日本に台風まで近づいてきているが この号数にも驚かされる。 4号なのである。まだ4号。今年は台風の数が少ないことを このことは如実に物語っている。 しかし少ないからといって弱い台風ばかりとは言えないのも怖い。 伊勢湾台風の年の台風は少なかったそうだ。それはさておき 三時ごろまでごろごろしたあと夕方 に散歩にいった。 京都への帰還の際は四条から鴨川ぞいに家まで歩いて帰ったので 全体として18000歩歩いたことになった。
阪急電車で四条河原町から塚口までいったのだが そのとき回数券でその運賃を払おうとしたのだが 2枚までしか同時に使えないという。 そう言う上限があるのは知らなかったし、実際にやってみないときがつかない ものである。 そうしないと損してしまうものだろうか。 歩行に関しては鴨川、仕事のいきかえりで行ったが 少々目標にはとどかなかった。 仕事場に行く途中伊丹市の花火大会を目撃した。 知ってはいたがそれを見るまですっかり忘れていたので 少々ショックである。 というのはその「ボンバラボボボン・・」という花火の音を聞きながら 仕事をしなければならないのである。 せいとも残念がっていたが僕も結構残念であった。 しかし意外に早く終わってしまったように思う。
日経を見ていると 「******ビジネス」という雑誌の広告がのっていた。 不況時代のかしこいもうけ方らしい。 その直後それを実践しているところを発見した。 「幽霊ママ」あまりによいおわりかたに涙が出そうになる。 <僕あほですわ。
散歩の帰りしに本格的な雨にあってしまった。 三条から家までの行程が全部そうであったので 随分ぬれてしまった。 途中でシャンプーかけて頭洗ったろうか、とも 開き直るかのように思ったりしたが そう言うことをするとぱたと雨がやんでしまってそのあとの処理に困りそう だったのでやめた。 というのはもちろんうそで単に洗剤をもちあわせていなかったからである。 このときのほかに今日は昼間にも大雨が降ったが 大雨で東北の方はなかなかシビヤな状況になっているようだ。 (そういえば江戸っ子は日比谷と渋谷の発音上の区別は出来るのだろうか。)
「幽霊ママ」(昼1:30、4ch)にはまるが、もう後2回で終わって しまう。 寺町で電化製品を購入するが しかしその帰りに大雨にあってしまった。 そのままでは帰れないので100円ショップで傘を買う。 しかし所詮は100円の傘である。家についたときには足元と背中が びしょびしょであった。 途中でもっと酷いメ(傘をもっていないで自転車にのったTしゃつ嬢など) にあっている人もいた。 深夜チキンラーメンでもつまもうと袋のまま4分割した上で パーティ−開けをしようとしたら勢いあまって大爆発状態になった。 その掃除に30分ぐらいかかってしまったが、 最初はもっと時間がかかると思っていたが 意外に短時間ですんだのでほっとした。
鴨川の散歩の途中(南下中)ガメラを発見。 といっても火をふいて飛んでいくわけではないが それを思わすぐらいの でかい亀だったのである。 実は最初にそれを発見したとき、黒い箱が道に転がっていると思った。 そこは結構暗かったのでほとんど手に取るまでわからなかったのだ。 だからそれがわかったときに驚きとともにうれしさもなかなかなものであった。 ずっしりと感じる亀の重さ。たまに顔を出そうとする首、 それをつつきながらその喜びを感じたのであった。 まあそのままもっていってもし方がないので鴨川に話そうということにした。 逃がしたとき、なかなか手足首をからから出そうとせず、動かなかったので もしかして帰りしに同じところをとおってもまだいるのではないかと思ったが それはなく帰りしに通りかかったときには すでに姿はなかった。 三条の王将でサービス定食を食った。 ついでに近江兄弟社のかゆみどめ薬も購入する。 だからというわけではないが蚊に三箇所ほどかまれた。 2箇所は薬でおさまったが 1箇所は手の指に刺されたので むちゃむちゃかゆくて薬を何度ぬってもなかなかそのかゆみは おさまらない。 鴨川の街灯でしばらく読書をした。
午後1:30のドラマを見てしまったので 次回が気になってしかたがない。 しかも先週の金曜日の回をビデオの不調から 見ることができなかったのである。 今日はちゃんと見ることができた。 念のためにとっておいたビデオもちゃんととれていたのである。 このドラマ今週一杯で終る。 悲しいことであるが実はそれはそれで幸せなのである。 昼にたこやきを食べた。久々である。
実家周辺を散歩がてらに歩きまわって見た。 最近本当にうろうろしていなかったので 随分景色が変わっていたことに驚かされた。 市バスのバス停も移動していたところもあったのである。
東京ラーメンの前を通りかかると そこは地蔵盆の会場と化していた。 なぜならばその実行委員としては重要な地位に親父がなっている からで、そう言う世話がすきなのだ。 翌週の休みは知っていたが今日の休みは知らなかったので 少々驚いたが偶然にも家をたつ前に マルタイラーメンを一食分食していたので たすかった。(食べていなければ東京ラーメンの なみを食べようとしたに違いない。) 下宿からバス停、家庭教師の家までの往復を徒歩で行ったが やはり目標までには少々足らなかった。
かけそばに豆腐をつけてそれだけで昼飯にしてしまうのは やはりいい加減である。 かけそばについていた葱(ねぎ)はうまかった。 今日は普通にあるいただけであるが目標の4割ぐらいは いっている。 ここ最近入りそこねた風呂を今日は入ろうと思うが 入れるだろうか。 と思ったら入れなかった。今日は遅くまでやっている 風呂屋は休みなのである。 夜に四条往復をけっこうした。
麺類は外して白身魚、豆腐などを食う。 丸太町のスーパーにて牛乳及び易かった豆腐1丁を買う。 その往復で結構歩数をあるいた。 日が落ちてから散歩に出発。 今日は五条当たりまで足を延ばしてみた。 どこまでいっても花火をやっている人たちがいる。 やはり夏は花火の季節なんですな、とふと思ったりする。 ビデオが調子が悪かった。 (取り出すときにテープが巻きとられないのである。)
飯は生協で冷やし中華のツナいりのものを中心に食べた。 生協食堂は涼しいがもうすこし冷房を弱めても良いかと思う。 久しぶりに(4冊)本を購入した。 立ち良みをしようかと思ったが寝転びながら あるいは川辺りで風に当たりながら気持ち良く読むということも してみたかったのである。とりあえず 「落語ハンドブック」をざあっと読んでおいた。 高野往復で6000歩、四条往復でも6000歩ぐらいだろうか? 今日は(よるに)四条往復のほかに生協往復などをしている。
今日は東京ラーメンを食った。 歩数稼ぎは鴨川である。 ついでに三条付近で2時間ほど座っていろいろ考えた。 盆が過ぎたせいか先週ほどは人がいない。 相変わらず軽そうなのりの人たちが多かった。 下宿の近くのかわらまで戻ってきたがそこに街灯があったので その明かりを頼りにして証明の一部を作ってみた。 風呂は「東山湯」にはいる。 はじめてであったがなかなか古風な脱衣所に好感をもった。 また営業時間が0:30までなのでそれだけでも実に利用価値の高いところ である。
盆もあけたので、学校の生協食堂は営業している。 ただ中央は冷房が壊れているらしく三時で終了である。 そのかわりに西部食堂が19時まで営業しているので そこを利用して見た。 冷麺をメインにして豆腐メシ、などをつけたら600円近くになってしまった。 まあまあの量だったのでよかったが。 夜に鴨川を南下して戻ってくる。困ったときの鴨川だよりである。
報道2001を見ることなく昼間で寝てしまった。 今日は大文字の送り火であることを忘れて尼崎に滞在してしまったから 結局京都にいる間にまともに見ないですごしてしまったことになる。 今度は観光客として見なければならない。 今日はあまり歩けなかった。 バス1駅分ほど余分に歩いてはみたが目標の半分以下であった。
終戦記念日である。しかしそれであることは 起きて随分たってから気がついた。 気がついても何をしようというわけでもなかったので記憶の片隅にそっと しておいた。 今日は久しぶりに高校の時のメンバーとの遭遇である。 それぞれに祝いがあるというのが今回の会合の趣旨である。 結婚した、就職が決まった、学生になったということであろうか。 ひさしぶりだけにファミレスでのトークは実に心地よいものがあった。 カラオケは調子がよくなかったが そのあとのビリヤード、カレーはなかなかよかったのである。 「ナポレオン」を今ごろ覚えたりして 最後の「花札」のときには脳がとろとろであったような気がする。
マダンでスープスパである。 ここの「ひらめき」料理はまさにシェフのひらめき料理であるがゆえに たまにあたらない場合もあることもあります。 本当にあたったらレギュラーメニューに定着するのでしょうなあ。 とろろ豆腐うめというやつは少し力が弱かったように感じた。 歩数計が変わってしかも 夕方からはかりはじめたが今日の歩数は13000をこえた。<歩きすぎ。 お決まりの鴨川コースである。 夜は「東雲湯(しののめゆ)」にいった。 ここは洗い場にいすが一つもなくなかなか新鮮であった。
今日は丸太町にあるスーパーまでいって買いものをした。 結構たくさん買ったが重量に対するコストパフォーマンスは 素晴らしく良い。 帰りしの腕の鍛錬にはずいぶんやくだっただろう。 日がくれてからまた三条界隈まで徒歩である。 そこでは100円ショップでバケツを購入した。 青い奴である。さすがにそのへんにいる人々は 陽気で盆休み気分のようで ぴゅーぴゅー花火を飛ばしていたのも多数であった。 今日はほすうけいが作動しない状態だったので 何歩あるいたかは定かではないがいい線はいっていると思う。
寄り道でから揚げ定食を食う。 今日は親父さんが休みであった。 かわりにその弟さんのような人が配膳をしていたのである。 飯は二杯食った。 未明に高野往復をしたので今日は余裕で10000歩確保できた。 そういえば昨日まで「ぶた」だったキャラクターは 一段階スリムなキャラクターになっている。
東京ラーメンを食べた後歩数を稼ぐために 鴨川を下ることにした。 結局三条大橋を過ぎたぐらいまでくだった。 歩数的にも丁度よいところだったので とりあえずそこで「思考」をする。 盆のせいか平日にもかかわらず多くの人がいた。 その雰囲気も和やかである。
夜はひりゅうの生ラーメンである。 いつも買うもやしをかい忘れたのはショックであったが まあまあおいしくいただけた。 10000歩への道は高野への歩行でかせいだ。 いつもより歩数が多かった気がするのは気のせいではないだろう。 そのかえりしを翌日にして翌日の歩数の助けにした。
墓参りドライブをした。行き先はどちらも京都府内である。 走った距離は200キロ程度であろうか。 たまにはこう言うのもよい。 出発のときは阪神地方はものすごい雨で閉口したが 北にいけばいくほど晴れ上がっていく。 一つ目の目標に到着すると暑いぐらいになっていた。 そこでは10000歩の大方を稼ぐために大いに歩いた。 その際いつもより歩幅が狭い自分に少々やらしいものを感じたが 今日は仕方がなかろう。無事10000歩達成した。 昼の三時ごろそこを後にして27号線9号線をへて 京都に入る。車で走るいつもの風景というのも 新鮮でよいものである。
歩数計を借りる。10000歩は予想以上に多い歩数であった・・・。
ひさしぶりに豆腐をポン酢で食べて見た(いままでは醤油)。 その酸味は結構うまい。癖になりそうである。
近所のスーパーで100円引きの弁当を買った。 焼肉弁当である。 焼肉弁当といいつつから揚げもついているので 結構肉に関してはボリュームがある。 しかしその分野菜が少ないのが難点だ。 しかしうまい。
PDカセットは1500円ぐらいでうっていた。 しかし大容量記憶装置は意外に使わないものである。 4枚しか所持していない。
シャンティーのからあげはうまい。 からし醤油で食べるとそのうまさは更に格別なのである。
風呂に行ったらどこかで見たことのあるのだが 髪形の違う人を見かけた。 元気な以前にも登場した彼である。丸刈りになっていた。
最近実家に帰ると親父にビデオをいっしょにみんかと誘われることが多い。 というのはテレビデオを買ったのである。 そのビデオで2時間ドラマや洋画を取り巻くって休日に見ているのである。 日曜日の午後に出かけないでいると意外に見るべきテレビ番組の少なさに おどろくのだ。 いつも見て手に汗握るほどでもないが興奮する「アタック25」が終わって しまうと6時の報道特集まで見入ってしまうほどの番組が見当たらないの である。 以前であればサンテレビあたりの3時ごろからやっている 買い物番組を突っ込みながら見るというのもよかったのであるが 新規性を感じなくなってから見なくなってしまった。 もしかしたら久々に見ると面白いものになっているのかもしれないが それは賭けに近いことである。 それで親父のビデオということになる。 夕飯はステーキをいただいた。まさにすてーきな夕食である。 <これがいいたかったのだ!
昼間は昼寝をしまくった。 つまり大方目をつぶってごろごろしていたのであるが ずいぶん汗が背中にたまってしまっている。 蒸し暑いのだ。しかし寝ているとそれほど気にならないのは あまり活動をしていないからだろうか。 夕方に京都駅に行くためにバス停に向かったのであるが その途中で東京ラーメンの店の前をとおる。 そのときいつものように店の中をのぞくと 夕方6時ぐらいというのに客が一人もいない様子であった。 夏休みゆえに学生の多くが京都を脱出しているからだろうか。 僕もよりたかったのだが時間の関係で断念したのである。 バス停のそばにあるサッポロの自動販売機に あったうわさの「爽美快茶」であるがその表面にかかれていた お茶の種類は「爽健美茶」のsubsetのように思えたのであるが もしかしたら1種類は違うものが入っているかもしれない。 でもあまりゴロがよくないのは事実であろう。 バスの中で隣にいた客(2人連れだったが) の話が聞こえてきたのであるが 先週の日曜日の深夜(正確には月曜日の未明)にやっていた 西村京太郎のミステリー番組の再放送の話をしていた。 まさかあのようなごく深夜のしかも10年以上の番組、 しかも十津川警部が石立鉄夫!のやつである。 なんとも楽しいもののように話していた(しかし「変な番組」 という表現を取っていたのでは有るが)のはなかなかすばらしいことであった。
釜揚げうどんでうどんを食う。なかなかうまい。
百万石でラーメンを食った。 ここのスープはとろみはあるのだが味は薄い感がある。そこで 見覚えがありそうな顔を見たが 確認し損ねてしまった。
よりみちでから揚げ定食を食う。
シャンティーで夕飯をくう。「ごめんなさい」を1回聞けたのでうれしかった。
最近CCレモンを昨年のように飲み始めたのだが 今日は「おれんじあ」にした。 夜飯は東京ラーメンである。
家庭教師を今日にずらしたので今日の夜と翌日の朝にかけて 尼崎に行った。
某OSを購入しに行く。 最初は0時にいってそのミーハーぶりを示そうかと思ったが 京都の寺町ではテレビがきてもせいぜいKBS京都だという 気もしたので少々なえてしまい結局それはしなかった。 今日は昼にそば、よるに東京ラーメンとめんづくしの食生活であった。
久しぶりに食いしん坊の店でとんかつを食った。 店に入ってとんかつを待っていると 2人も今日金曜日がとんかつデーであることを忘れているか、知らない人が いて一生懸命メニューを見て注文してしまうのである。 一人目はそれで注文したものの生姜焼きと注文してしまい 店員から今日はとんかつしかできない旨をつたえられ それこそしょうがなくとんかつに変えていたのであるが、 もう一人は一生懸命なやんだ挙句にとんかつ定食を 頼んで何事もなかったかのように注文が通ったのである。 これはさすがに(心の中で)大笑いさせてもらった。 落ちが裏切られたときの意外性の笑いというのだろうか。 この店のアルバイト募集の紙にかかれた「田女」と同じぐらい 違う方向のものではあったが衝撃的だったのである。
焼肉を食った。いつもの「日本一安い焼肉や」である。 今日は平日だったせいか客は我々だけであった。 その辺をかんじていたのか店のおばちゃんは多少やる気のなさそうな 応対である。この店はやはり隣の定食屋でもっているのだろうか? しかし肉はおいしい。スタミナ抜群である。 こう夏の暑いときはこう言うものをたまには食ってやる気を回復したいものである。 帰りしにあの「鈴鹿」の門の前をとおったら ガラスの内側だけにやもりがいた。外側のヤモリはちょっかい出されるから こなくなってしまったのだろうか。残念である。 かわりにどこかで述べたことのある「ご用の方はこの鈴を鳴らしてくださゐ」 の家の前に猫が寝ていたのでなでて帰った。
久々に寺町にいってみる。 それはプリンターのインクを買うためにいったのであるがついでに PCも眺めてきた。しばらく見てない間に 随分さまがわりしたもんだ。 CPUが様がわりしているのもそうだったが 安いPCも結構あることにも驚いた。 かえりしは当然のごとく歩いて帰ってきたが 途中で105円のジュースを飲んだのでカロリー消費としてはどうだろう。
登校とちゅうに「有塩コープ野菜ジュース」を買って飲む。 これは歩きながら飲むのが気持ちよい。夕飯は 久しぶりに寄り道で飯を食った。 といってもそれほどまはあいていないであるがここのから揚げ定食を食うたびに 思うのである。 カリカリにあがった鶏肉、そしておかわりがいらないとも思えるほどの 大量のメシ。安心感がそこにあるからだろうか。
今日は海の日であった。 しかしそれにかんする行事が行われたという報道を聞いていない。 なんなんだろうか。なかなか不思議なことである。 ニュースででもやってくれないと何の日であるかが あまり知られないままになってしまうのではないだろうか。 といいつつよくわからないのであるが 某財団(ここもそうだった)のかかわる日なのだろうかと邪推したりする。 今日に食った飯は実家でもらってきた各種パンである。 それをのよりおいしく食べるために牛乳を買ってきたが これはなかなか正解であった。 冷たくして飲む牛乳はなかなかうまくでパンのうまさもひきたててくれるのだ。 うますぎた結果結局今日のメシはパンと牛乳だけである。 はらにつかなければよいのだが・・。
未明に起きていると 8チャンネルのテレビでは27時間テレビなる番組が放送されていた。 毎年思うのであるがこの番組は予告がないのか 当日に偶然に発見することがおおい。 しかもこのように深夜の時間帯に発見して 朝まで見てしまうのである。 そして今日は亀井静香の顔まで拝める時間(7,8時台) までおきてしまったのである。 しかし子供という武器を使ってこの手の政治家にしゃべらせるというのは なかなか面白い企画であった。 しかしいっしょに出ていた田中まきこは 自民党でどうしたいのかというのがよくわからなかった。 自民党にいたい理由が知りたかったところである。 そのあとNHKの自民党総裁3候補の話を聞く番組を見ながら寝てしまった。 だからその勢いで一週間の活を入れることの出来る番組 「アタック25」を見逃してしまったのである。 そのかわり同じような時間帯にやっていた 欽ちゃん(大将)が司会の「お達者クラブ」系統の番組 (各地のホールからの中継録画で小学生や老人を いらう番組)の内容が夢に出てくる始末であった。 晩飯はうなぎであった。なかなかだしがうまい。おいしくいただいた。 京都への帰還の際にはとなりのひとの重圧に耐えながらの乗車であった。 (あの眠りこけているときの横の人にもたれかかるあれである。) 今日の最後に夜の鴨川を荒神橋からみたが その雰囲気で心を落ち着けることが出来た。
未明を目いっぱい活動時間にしたため 朝日が出てから夕方も近い時間までよく眠りこんでしまった。 やはり僕が必要とする睡眠時間は 大体決まっているようである。 その長さの睡眠をしないと体がゆうことをきかないのである。 だから昼からの活動時間は尼崎方面に移動するまでの三時間 ぐらいしかなかった。 もちろん移動中などにも活動はできるが あくまでも補助的な活動になる。 そのため結局その時間をぎりぎりいっぱいまで使ってしまい 東京ラーメンを食する余裕を残さなかった。 この週末は連休で東京ラーメンは少なくとも あと二日は食べられないという事実があったから ちょっと残念な気持ちも大きくなっていた。 バスで京都駅についてから新快速で移動するのであるが 以前は頻発していた遅延到着が少ない。 つまり時刻表通りの乗り継ぎが確実に出来るのである。 何かの工夫でもしたのだろうか? なかなか快適である。 家庭教師は多少長めであった。
一晩中走っていたからというよりは これからあることのことを考えていたら なかなか寝られないという状態になってしまい 結局明け方の二時間ぐらいしか寝なかった。 寝られなかったゆえに使用していたヘッドホンであるが 調子が悪いのにあたってしまった。 今日も片耳にしか音が入ってこなかったのである。 偶然なのかもしれないけれどもほかの席でも調子の悪いのはあるようだった。 あと禁煙のマークがやたら明るいのも少々気になった。 特に前方にのっていると時かにその光を受けてしまって 「ねようか」と思って寝ようとするの時の妨げになってしまいがちである。 でも空調の調子はすばらしかった。 寒くもなく暑くもないその調整は最近感じる寒すぎる空調 を考えたらすばらしいものがある。気持ちよくすごすことができた。 朝は細かいながらも雨が降っていた。 出発したところから終着まで結局ずっと雨だったことの結果である。 思えばお客さんにはおばちゃんが結構いた。 あまりに寝るにはよくない環境なので 若者ばかりかと思えばおばちゃんやおっちゃんも結構のっているのである。 これは意外な事実である。 この傾向は休み前とか休みの最終日ではないときに乗ると如実に 感じることである。かれらは固定客なのであろうか。 朝はリラックスがてらに霧にけぶって上が見えないところの下の うおの泳ぐところを1時間かけてじっくりみた。 うおといってもえびやイソギンチャク、藻、亀 なども紹介されていたが水槽がむちゃくちゃ細かいのが 多くあるのが特徴であった。 あまり寝ていないのでちょっと夢見ごこちであったことと 湿度が高く暑くて背中がべっとりしてしまったが そこでいっしょに感じる事象はうきうきさせるに十分なことであった。 昼を挟んで前いくことを誓ったラーメンを食いにいくが しまっており近くの違うところにいった。 そこのラーメンと「パレード」なるコーヒー牛乳はなかなかおいしかった。 一つもっと改善しなければならないことを 知らせられた。しっかりしろとの声である。 そのことで最後に気分の悪いことにさせてしまい 申し訳ない。 帰りは二時間立ちっぱなしであった。 到着時に「げろ」を飛び越えなければならなかった のは週末ゆえの特徴的な出来事だったのだろうか。 しかししばらく歩いて乗り換えて乗った京阪でもげろが広がっていた 車両に乗ってしまったのはあまりよい偶然ではない。
生協でにおいてあるしそのドレッシングが最近気に入っている。 入れ物には「試供品」とかいてあるので 最近新しく試験的に導入したものらしい。 感じとしたらポン酢のすがしそ味なったような ようすであろうか。 これをメニューの一つに必ずつけるメインのおかずについてくる キャベツの千切りにかけるのだ。 結構後味もよいと思う。 今日の晩に東京ラーメンを食おうと思ったが食えなかった。 ただ銭湯は比較的ゆっくり入ってきた。 しかし本当はそんなにゆっくりはいってられなかったのではないかと 後から振りかえれば思う。 京都駅から出発しなければならなかったのであるが そこまで向かうバスが問題だったのである。 今日は祇園祭の宵山。四条通は歩行者道路になっているのだ。 京都駅に向かうバスはそこを横切るものしかないのである。 実際にのったバスはなんとなく虫が知らして早めに行かなくては とおもって思ったものよりも一本はやくのったものだった。 それは予定より30分ぐらい遅れて京都駅に到着して 10分ぐらいの余裕がなんとか確保できたのであるが その次のバスにしておったらどうなったことやら・・。 そう言う心配が要らないのは、バス+地下鉄のコースなのであるが 機転が利かなければなかなか選択しない方法なので 間に合ったかが微妙なところであったことには変わらない。
目覚めたら雨が降っていた。 たしか昨日の夕方のテレビで今日は本格的に雨がフルぞう、 と脅しをかけていたのでそんなに驚くことはなかったが 、あるで夏がすでにきたかのような先週の気候を思い出すと 随分不思議な気はする。 今日は夕飯にはから揚げSというものを食べた。 これはから揚げの量が半分ぐらいになっている分である。 普通のやつでは結構値が張ってしまうし量もあるので これぐらいが丁度よい量なのである。 そういえば下宿の近所で近所の子供が水鉄砲で遊んでいたが その目標は数日前にはちがいたのを確認したところであった。 もうその姿はなかったが・・大丈夫だろうか?
昨日急ぎで切符を買ってきたがその切符売り場のおっちゃんは そんなに急がなくてもよいのにとおもうほど早口で 半分以上聞き取れないというものだった。 別にそのせいではなかったが帰りしの希望した切符は取れそうにない ことが明らかになったので 自由席とセットになった切符を購入した。 すわれるだろうか? 深夜にレンジで作るラーメンをくった。 もう少しこってりさがほしかったけどもまあまあおいしかったのでよし。 関係ないが自民党の本部には はしりゅうのプリクラがあったらしいが(ほかにもいろいろ) 今度の総裁どころかこれから先にもそんなグッズが作られる 人はいないだろうということである。
昨日は夜更かししたので昼ぐらいに目覚めた。 しかし先週の月曜日に比べたら随分すごしやすい 昼間である。
参議院議員選挙であった。 投票所ではいぬに足元をかがれることもあったが無事投票完了をした。 8時から選挙速報が各局でやられていたが TBS系列ではいきなり議席数予想が出されていて驚いた。 しかも大体あっていたところがすごい。
家庭教師先でたくさん食べた。 部屋の温度調整が難しい日であった。 クーラーの扱いが下手なだけなのだろうか?
北の国からのTV番組がある日であったが みなで「マダン」へスパゲティーを食いにった。 しかし思ったよりも食えない自分を発見して結構ショックであった。 年なのであろうか。
今日は夕飯をNさんとHさんとで渚で食うことになった。 渚といえばいつもの飯屋より随分遠いところにある喫茶店である。 喫茶店といっても飯の量は結構あるのでなかなかす的なところである。 しかし今日は災難であった。 渚に行くまでには雨が降っていなかったのに 店に入って飯を食っているとすごい大雨が降ってきたのである。 しかし食って、コーヒーを飲んでいるうちに すっかりあがったので実は災難ではなかった。 夕立であったのだ。 まだ梅雨が明けていないというのに夕立というのは変であるが 梅雨かどうかは気象庁の都合なので ほとんど夏であるという証拠というだけである。 ちなみにチキンカツ定食+大盛りライスを食った。 その後にあった話はたいそう楽しかった。
今日も東京ラーメンである。 大盛りではなく並であったが、もちろんうまい。 最近の暑さを象徴して飲む水も多めになっている。 今日も最後の客になり損ねた。 もう終わりそうだと思っても結構くるものである。
今日はTさんと夕飯を食う。 候補としてははくすいか寄り道であったが 僕の強い希望で寄り道に決定した。 久しぶりにその営業をしているのをみたはくすいに入るのも手であったが 今日は量をとっておこうということにしたのである。 入るとすでにテーブルのほうはいっぱいであった。 もちろん相席という技を使えばすわれなくもなかったが ここのテーブルは比較的きちきちであるので 避けたく思う。 しかし心配は要らなかった。カウンターが丁度2せきあいていたのである。 豚生姜焼きを食べた。 出るときにTさんが「4人かぁ」と何の事は一瞬わからない ことをいったのでとりあえず僕は目に入った京都新聞をとって その「4人」という言葉に関連する記事を探して見たが、 それは「4人入ってくるのでカウンターをあけたほうがよい」 という意味だということを知って実に恥ずかしい思いをこっそりした。
よる飯は東京ラーメンであった。 今日は珍しく大盛りである。
政治討論番組はみたがアタック25を見逃してしまった。 なかなか悔しいところである。 CM前の力の入った「アタッックチャンス!」 と「アメリカ旅行挑戦権、カクトク!」 をきいて一週間の活力の一部を得るのである。<半分本当。 ただ、2つめの「アメリカ・・」であるが、 やはり「パリ挑戦件獲得!」のほうがごろが合うような気がマダしているのは その歴史の長さの違いなのだろうか。 関係ないがウルトラクイズがスペシャル番組で復活するという。
新快速車内でせっせとくもがす作りをしている。 のっている時間は30分程度であったが す作りの後半を始終見せてもらった。 なかなかおもしろい。 ただ、ああ言う風に立派に作り上げたすも、 ちょっとつり革を動かしてしまうと つぶれてしまうのだなあ・・とおもうと複雑な思いである。
証明写真を撮る。 しかし一回目にとったものはネクタイが曲がってうつってしまったのだ。 同じところで取り直すのはいやだったので、 ほかのところでうつしなおしたのだが 今度は髪型が先ほどよりはよくなくなってしまった。 うまく二つのよいところを組みあわせられないかと思ったが そんなことをしたら証明写真にならない。 結局あとでとったものをつかった。 夜には東京ラーメンにいって並を食した。
実は今日もれいめんである。 このメニューは麺つまり炭水化物が多いから 飯はつけない。汁もあるから味噌汁もつけないのであるが そう言う理屈でメニューをそろえていくと 意外に物足らないものができあがってしまう。 れいめんが基本的に冷たいものだからであろうと思う。 そう言う意味でほかにつける品はあたたかいものが あるようにしたほうがよいのである。 今日のメニューは冷たいものばかりであった。
今日はれいめんを食べた。昼飯としてである。 そこではじめてプリペイドカードのあわせ技をする。 つまり二枚のカードを使って支払いをしたのである。 できるかもしれないとは思っていたが実際にやったのははじめてであった。 晩飯は実家からもらってきていたサンドイッチを食べる。 月曜日に作ったものであったが冷蔵庫に入れてあったので大丈夫だ。 冷蔵庫があってよかったとしみじみ思うところである。 できていないところがいっぱいあることをしった。 変わると誓う。 夜半過ぎから雨がふり出した。気化熱で少しは涼しくなるとよいなあと思う。 自分でも忘れていたが何週間か前に実家からもってきた 針と糸を使って投げるたびにあずきが出てしまうお手玉を直した。 これでもとのようにお手玉を楽しめる。うれしかった。ほおれこの通り。