うちのうら銀河マラソン10km(2000.11.26)報告

 

 相模原市は文部省宇宙科学研究所(ISAS)の研究施設がある 2市 3町と「銀河連邦共和国」というのを建国し、連邦サミットやシンポジウムの開催をはじめ、子ども留学、文化芸術活動、物産展などさまざまな交流を通じ、相互の理解と親睦を深めている。

   ノシロ共和国(秋田県能代市)/能代ロケット実験場
   サンリク共和国(岩手県三陸町)/三陸大気気球観測所
   ウスダ共和国(長野県臼田町)/臼田宇宙空間観測所
   サガミハラ共和国(神奈川県相模原市)/相模原キャンパス
   ウチノウラ共和国(鹿児島県内之浦町)/鹿児島宇宙空間観測所

 今回はその相互交流・親睦の一環として、相模原市から内之浦町に選手2名を派遣することになった(たぶん毎年派遣しているはずである)。

 土曜日の起床は5時30分。集合はJR新横浜駅に8時40分であるため、普段の関西出張と同じ感じでよいので、6時過ぎから朝練に出かける。先週の坂戸ハーフ以降、また左膝に痛みが出てきているため、金曜から30分ジョグにした。

 準備、朝食を済ませ、7時50分に自転車で家を出発。JR相模原駅8時07分で出発する。新横浜駅には8時40分頃に到着。コンビニでお茶を買ってから待ち合わせ場所の改札口出口に行くと、既に市役所の役員お二人と選手の園山君が待っていた。挨拶をして、羽田空港行きバス乗り場へと移動。9時05分発の羽田空港行きバスになり、羽田空港には9時45分頃に到着。

 出発は10時50分であるため、空港内でしばらく時間をつぶす。10時半過ぎに飛行機に乗り込む。到着予定時刻は12時半頃。鹿児島の天候は雨ということらしい。予報では今日はもって、日曜が雨だったが、日曜に雨が降らないのであれば今日が雨でも特に問題はない。

 12時半過ぎに鹿児島空港に到着する。やはり雨が降っている。鹿屋バスセンターまでまずバスで行く予定であるが、14時発なので、飛行機に乗る前に買っておいたお弁当を空港の待合所で食べる。14時発のバスで移動する。鹿屋バスセンターには15時40分頃に到着する。ここで明日の会場で物産展を担当する市役所の役員お二人と合流する。鹿屋バスセンターには内之浦町教育委員会の方が8人乗りワンボックスカーで迎えにきてくれており、16時前に鹿屋バスセンターを出発し、内之浦町へと向かう。雨はほとんどあが ってきた感じだ。

 内之浦町の国民宿舎コスモピア内之浦には17時頃に到着する。チェックインを済ませて18時からのレセプションを待つ。国民宿舎コスモピア内之浦はまだ出来て間がないのか相当綺麗だ。部屋もシティホテル並みであり、温泉(大浴場)も完備されている。

 18時前にレセプション会場に移動する。外は少し雨が降っている。レセプションでは地元のワインやさつまあげ、目の前でさばいてくれたまぐろとはまちのおさしみ等いろいろなものが用意されていた。太鼓や踊りの披露や参加者の紹介、明日の招待選手である肝付駅伝チームのメンバー紹介のあと、サガミハラ共和国の紹介もあり、壇上にあがって役員から紹介された。

 20時頃には終了し、宿舎に戻る。明日はレースのため、おとなしく部屋に戻る。明日の準備をしたり、温泉に入ったりしてからテレビをみていたら結局0時をまわってしまい、ようやく就寝する。

 日曜の起床は6時。外を見るとまだ薄暗いが天気はよさそうだ。朝練をするには膝のリスクが大きいのでやめて温泉に入る。朝食は7時半からである。レースの朝は和食にすることが多いため和食にした。8時前に部屋に戻り行く準備をする。8時半に宿舎を後にして会場の内之浦小学校へと向かう。すでに地元の特産品や物産展で会場はにぎわっていた。

 大会役員たちと同じテントに案内され陣取ることになった。参加賞やナンバーを受け取り、スタート時刻を確認すると、10kmは最初のスタートで10時15分であった。ナンバーをつけ、コースマップを確認する。最初、反対方向へ走りぐるっと周回してスタート地点へ戻ってきて2km、その後、スタート地点を通過し、逆方向へ、進んでいくと4km手前から上りになり、6km地点で折り返し、スタート地点まで戻ってくるコースである。

 体操をしたあと、9時15分からアップにでかける。天気は快晴で気温もかなり高い。上半身はTシャツ1枚でアップするが暑いぐらいだ。2km以降のコースを折り返しめざし て走っていく。4km手前からの上りは結構な上りだ。途中から右手に海が見えてきて延々と上る。5km表示があり、折り返しまであと1kmだが、折り返しまで行くと時間がなくなるので5km過ぎで折り返す。下りは膝の調子をみながら恐る恐る下ってきた。とりあえず痛みはなさそうである。汗びっしょりになって、戻ってきてウエアに着替える。ランシャツは相模原市から配られたもので胸に「SAGAMIHARA」と入っている。全体的に濃い青で脇に黒のラインが入っている。ランパンは自前のものでランシャツとの配色を考えて真っ黒のランパンで行くことにする。

 スタート10分前にコールがかかり、グランドに集合する。スタートはグランド前の道路からであるため、5分前に移動する。1列目には招待の肝付駅伝チームが入ってきた。スタート1分前を迎えるとそれを告げる放送が流れてきた。「用意1分前、50秒前、40秒前、34、33、32、31、・・・・3、2、1、0、1、2、3、・・・」で0と同時に小型のおもちゃのロケットが発射された。さすがにロケットの町だけあってユニークである。

 肝付駅伝チームがドーッと出ていって後を付いていくが思ったほど速いペースではない。それでも500mぐらいいったところで、先頭から少し離され気味になり、一息つこうとしたところに白髪交じりの方が抜いてきて、集団に付いていこうとする。どうみても30歳代以下には見えないので、これは付いていくしかないと思い付いていく。1km手前で集団からは少し離され、もう一人と3人で1km通過。3分15秒。まあまあ速いペースだ。

 右カーブで後続を確認すると結構離れているので、ここは付いていくしかない。先頭集団とはじわじわ離されている感じだ。3人で進み、スタート地点へと戻ってくる。2km地点はわからず。そのまま3人で進み、3km地点を9分51秒で通過する。うーん、こんなに速い感じはしないなあ。距離表示が少しずれている感じがする。

 4km手前から上りに入る。併走する二人のペースがいまひとつ遅い感じがするので上りでもあるため、前に出て一人で上り始める。4km地点のタイムは確認せず。前から肝付駅伝チームのメンバーがポツポツと落ちてきているので目標にして、一人ずつ抜いていく。5km地点がやってくる。18分13秒。単純に計算するとこの2kmに8分22秒もかかっているが、ここまで落ちている感じはしないので、たぶん3km地点がかなりずれていたのだろう。

 少し上ってやや左にカーブすると上りはほとんど緩やかになっている。少しペースを取り戻し、折り返し点を目指す。先頭が折り返してくる。海上自衛隊の選手だ。この人 は招待ではなく一般のナンバーを付けている。あとはポツポツと肝付駅伝チームが折り返して来た後、一般2位の選手とすれ違う。結構開いている感じだ。6kmの折り返しを迎える。一般では3位である。タイムの確認はしなかった。上り坂に差しかかる前まで併走していた人との距離を測る。50m差ぐらいか。意外と開いていない。

 やや下り気味のため、ペースをあげる。左手には綺麗な海が見える。ロケット発射場の建物も山の方に見えている。海を見下ろす感じでいい眺めである。下り坂がきつくなるところで左膝の様子を見ながら下り出すが何とか大丈夫そうなので思い切って走る。7km地点もタイム確認はしなかった。きつい下り坂を無事、膝の痛みもなく下り切れ、平坦になったところで前方に一般2位の選手を発見。200m差ぐらいか?。

 8km地点を28分28秒で通過する。この3kmに10分15秒。下りでもあったこともあり、まずまずのペースには戻っている。残り2kmを3分半ペースでは35分は切れないと頭の中では計算する。残り1.5km地点の表示がありタイムは見たが、何となく残り5分で35分ぐらいと思った気がする。前との差はややつまった感じはするが、思ったほどはつまらない。追い付けない感じだ。

 残り1km地点を31分32秒で通過する。この1kmに3分04秒。やはりここは距離が短い感じがする。残りを何とか3分半でいけば35分ぐらいのタイムにはなる。結構もがいているが身体がもう一杯一杯の感じだ。やはり暑さもこたえているようだ。前とはつまりそうにない。残り500m地点を通過する。タイム確認はせず。前とは100mぐらいか。これは追い付けない。最後は50m差ぐらいまでは追いついた感じだがそのまま逃げ切られて、ゴール。タイムは34分53秒。ラスト1kmは3分21秒であった。着順票は折り返しで確認したとおり3位であった。肝付駅伝チームに何人ぐらい負けたかはよくわからなかった。

 テントに戻り、一息つくと5kmのスタート前になったためにダウンがてらに園山君の応援に行く。5kmのスタートも同じようにカウントダウンが始まり、小型ロケットが打ち上げられた。今回はじっくりどこまで上がるか確認していると相当上まであがっていた。後で確認すると200mぐらいは上がるということである。

 園山君は坐骨神経痛で走れないので今日は20分ぐらいとかいいながら、しっかり、総合3位の位置で2km地点を通過していく。折り返しにむかってダウンしているとそのままの順位で帰ってきた。タイムは17分丁度ぐらいということであった。

 ダウンを終えて帰ってくると相模原市の役員の一人の方が「40歳代で1位でしたよ」と教えてくれた。こんなタイムで1位になってしまって何か申し訳ない感じがするがやはり1位というのは嬉しいものだ。園山君は20歳代で2位であった。お昼は会場内でうどんとおにぎりをいただいて済ませた。

 13時からの表彰式では1位の選手のみ壇上で表彰を受けた。木の盾そのものが表彰状になっているものと普通の盾をいただいた。参加賞の中に海の特産品の当り券がはいっ ていてもらいにいったが、中身はイカで今日中に食べなければダメということだったので内之浦の町長さん達に差し上げた。

 その後は国民宿舎に戻り温泉で汗を流して、観光に行く予定であったが、物産展のために来られていた二人の方が鹿屋バスセンター15時10分に乗らなければ飛行機に間に合わないということで観光は中止となり、内之浦教育委員会の方に車で鹿屋バスセンターまで送ってもらうことになった。ロケット発射場を見学できなかったのはちょっと心の こりであった。

 鹿屋バスセンターで二人の方と別れ、我々4人は鹿児島市内に向かうためにフェリー乗り場まで送ってもらう。途中、桜島をバックに記念写真をとったのが唯一の観光だろうか。フェリー乗り場には16時過ぎに到着する。フェリーは15分ぐらいで鹿児島市内側に到着。そこからタクシーで今夜の宿である鹿児島ワシントンホテルプラザに到着した。

 ホテルの部屋としては昨日の国民宿舎の方が広くてゆったりできた感じだ。部屋に入りテレビをつけるとちょうどJリーグの鹿島アントラーズと柏レイソル戦が延長戦に入っていた。結局、そのまま引き分けて鹿島アントラーズの2ndステージの優勝が決まった。

 夕飯は18時からで市役所の方が「今夜は祝勝会です」と言うことで近くの料理店へ黒豚のしゃぶしゃぶを食べに連れて行ってもらった。しゃぶしゃぶも焼酎もおいしかった(と言いながらほとんどビールを飲んでいたが)。20時半頃にホテルに戻り、後は自由時間ということであったが、ビールを飲んでいたことと暑さのせいか意外とレースの疲れも残っていたために部屋に戻り、のんびりとくつろいだ。

 テレビを見ているといつのまにか寝てしまっており、気付いたら夜中であった。月曜日はとりあえず6時に起きたが外はまだやや薄暗く、昨日の疲れも残っている感じで膝のことも考えて朝練はやめることにした。ホテルを8時30分にチェックアウトし、8時40分のバスで鹿児島空港へと向かう。今日もいい天気で結構気温も高そうである。

 鹿児島空港には9時半ごろに到着し、搭乗手続きをした後、朝昼兼用の食事を4人でとる。その後、お土産等を買い、11時25分発の羽田行き飛行機に乗る。

 羽田空港には13時前に到着する。東京の天気はまずまずであった。それほど寒くもなかった。園山君は横浜へ出るということで空港で別れる。我々3人は13時半発の新横浜駅行きバスに乗って新横浜駅へ向かい、新横浜駅からはJR横浜線に乗って、相模原駅には14時40分頃に到着した。ここで市役所の二人の方と別れ、自転車で家に着いたのが、15時前であった。家に帰り一息つく間もなく、会社に行く準備をし、15時半に会社に着いた。結構ハードな鹿児島遠征となった。