2003東京国際マラソン(2003.2.9)未完走記

 

四谷3km付近の下り(この時点で最後尾)
(まつごろうさん撮影)
後楽園遊園地前7km地点(後ろから4番目)
(よったんさん撮影)

 2003東京国際マラソンの未完走記をアップします。全記録は下記URLで見ることができます。

 http://gold.jaic.org/jaic/res2003/2003tokyom/REL001.HTM

 土曜日は受け付けのため、16時前に国立競技場に到着する。今年の参加賞はバッグと携帯ストラップであった。昨年みたいに4色ボールペンのみでなくて良かった。今年はスペシャルドリンク用ボトルがスマートなフタ付き容器になっていたのもかさばらなくて良かった。夜は子供達が寝てから準備を始める。スペシャルボトルの準備やナンバーカードを付けたりしているうちにいつものように24時をまわってしまい、24時半頃に就寝する。夜中はトイレが近く、2時過ぎと4時過ぎに目が覚めてしまった。

 当日は5時40分頃に起床。雨は既にあがっている。気温は高くなりそうだし、風も強くなりそうである。とりあえずシャワーを浴びてから身体中にチタンテープを貼りまくり、手首にはスパイラルテープを巻く。スペシャルボトルには15kmまでの3本にヴァームウォーター、20km〜40kmまでの5本にヴァームを入れて準備完了。スペシャルドリンクの受け付けが9時半までなので、7時20分頃に家を出発し、自転車で橋本駅に向う。橋本駅下の牛丼店で牛丼と小うどんを食べる。コンビニでおにぎり2個とアミノサプリ、ミルクコーヒーを購入して、京王線8時発の電車に乗って新宿へと向う。競技場には9時過ぎに到着。控え室に行くと既に岡村君が来ていた。近くに江頭さんも座っておられたので少し話をする。荷物を置き、スペシャルドリンクの受け付けを済ませる。

 控え室で江頭さんに佑輔さんを紹介してもらう。青木君や上坂君も登場するが藤田君が来ない。岩手の山田さんとも少し話をする。足の裏とかかとにキネシオテープを貼ってからおにぎり2個と大福1個とバナナ1本とゼリー1本を食べる。控え室から出るようにとの役員の指示があったため各自の荷物置き場に移動する。隣に福岡の近藤公成選手がいたので、「えっ!走られるのですか?」と思わず聞いてしまった。先週の別大で2時間半を切られていたので東京はDNSと思いこんでいたためである。イソさんや山大君、コキリコ君とも挨拶をする。しばらくしているとみぃちゃんから電話が入り、みんなでスタンドに居るということなので、大石君に声をかけてスタンドへ行く。

 スタンドは天気も良くポカポカ陽気であった。上空の旗を見るとまださほど強くはなさそうである。しばらく話をしたり写真を撮った後、控え室に戻る。11時頃から第一コールが始まる。自分の列はやたら混んでいたので先にトイレに行く。戻ってきたがあまり進んでいない。見ていると自分の列はやたらチェックが厳しそうであった。あまりに時間がかかるので、終わった列でもコールチェックをしてくれたため、そちらに回る。やばい箇所は予め隠しておいたので特に問題はなかった。皆アップを始めたので自分も準備を始める。膝のサポーターがずれると嫌なのでサポーターの上側をテーピング用テープで大腿部に巻き、ずれを押さえる。準備体操をしていると腿のテープがきつく感じられたが、アップを始めると気にならなくなった。トラックの5レーンあたりを7周し、軽めの流しを2本入れて終える。気温が高いためかなり汗をかいた。

 腿のテーピングがずれてしまっているので一旦はずす。だんだん時間が迫って来て皆の動きがあわただしくなってきた。ウエアに着替えるが、テープとはさみがどこにいったかわからず、ワセリンもどこにいったかわからなくなってしまい時間もなくなってきて焦り始める。皆が招集所に向ってしまった頃に漸くテープとはさみはみつかったがワセリンはみつからないので、股にはローションを塗って招集所に行く。最終コールを済ませた後、サポーターと大腿部のテーピングをやり直す。今度はずれないようにしっかりと3重ぐらいに巻く。ちょっときつく感じたが走り出せば緩むだろうから大丈夫だろうとそのままにするが、あとあとこれが響くことになる。

 スタートラインに整列する。ナンバーが139のため、レーンの中央あたりのスタートである。完走できるようにいつものように手をあわせて祈る。12時10分号砲一発でスタート。前に江頭さんがいたので後ろにつくが、100mもいかないうちに左大腿部に痛みが出てくる。どうやらテーピングの締め付けが原因のようだ。痛いが少し走れば治まることを期待してそのまま走り続ける。1周目を81秒ぐらいで通過。左脚を引きずるような感覚だ。2周目も同じく81秒ぐらい。1km地点を3分22秒ぐらいで通過したが、左大腿部が痛くペースが落ち気味になってくる。競技場の外へと出て行くところでコキリコ君が声をかけて抜いていった。

 右折して上りに入るとさらにペースが落ち、どんどん抜かれる。途中で木村君が抜いてきたので、「左の腿が痛い」と泣き言を言ってしまう。平坦になったところでさらにずるずる落ちるのをみて埼玉県警の後口君が心配して振り返り、「寺根さん、一緒に行きましょう!」と声をかけてくれるが、左脚が痛くて脚があがらない。2km地点を7分丁度で通過。既に3分40秒近くかかっている。沿道ではロケットスタートの山大君がうつむいて役員に声をかけられていた。上坂君、大滝君にも抜かれ、最後尾になったところで、このままでは無理と考えて、立ち止まり、左大腿部のテーピングをはずす。監察車も停止し「大丈夫か?」と聞いてくるので「大丈夫です」と声を返し走り始める。上坂君達との差は50mぐらいか。テーピングをはずしたおかげで左大腿部の痛みが少し和らぐ。何とか上坂君達に追い付きたい。広い通りに出てきたあたりから向かい風を感じる。ペースがあまりあがらないまま四谷の下りも駆け下り始める。

 飯田橋あたりで沿道から小林君が「寺根さん、落ち着いていきましょう!」と声をかけてくれる。余裕がなく反応できず。それでもじわじわ上坂君達に追い付き始めた。4kmを過ぎたあたりで漸く上坂君、大滝君ともう一人に追い付き、4人の集団となる。そのままの状態で5km地点を通過。17分25秒。予定していたタイムより20秒も遅い。暑さはさほど気にならないので給水はやり過ごす。

 東京ドームを左手に見ながら右折したあたりで、ヨーコさんとみぃちゃんの大きな声が左側から聞こえるが余裕が無く反応できず。7km地点で時計を確認するとこの2kmに7分06秒ぐらいかかっていたため、前に出てひとつ前の集団を追いかけるが、向かい風のためいまひとつペースがあがらない。前の集団にはどうやら岡村君、木村君、こんちゃん、ソンスさんがいるようだ。一人で向かい風の中を耐えるよりも前に追い付いた方が良いと判断し、必死になって追いかける。9km手前でこんちゃんが落ちてきたので一声かけて追い抜き、しばらくして漸くソンスさんの後ろに追い付く。かなり足を使ってしまい、息もあがっている。少しペースが落ち着いてくれることを期待しながら集団の後ろに付いていく。この集団は岡村君と木村君が並んで引っ張っている。

 東京駅の前を通過し、しばらくして10km地点を通過。34分48秒。この5km17分23秒。かなりのペースで追いかけた感じがしたがやはり向かい風の影響からかあまり貯金ができていない。このままうまく流れにまかせて乗っていければ良いのだが。給水地点がやってきたので、ここは給水を取る。給水をとったあたりから岡村君がややペースを上げ始める。木村君と二人で上がっていくが後続は対応できない。少し離れてからやはりここはつかないとまずいと思い、ソンスさん達の前へでて岡村君と木村君を追いかけるが向かい風もあってこの少しの距離を詰められない。向かい風に疲れてしまい、ペースが落ち始める。御成門あたりでさっちゃん、hiroshikunの声援を受けるが反応できず。既に3分30秒はキープ出来ていない感じだ。

 しばらくしてまたソンスさんが追い付いてきたので一緒に走る。15km地点を通過。52分27秒。この5km17分39秒。かなりやばい感じがしてきた。既に貯金を使い果たした上に向かい風が行く手を阻む。ソンスさんがまた下がり始めたので一人で何とか前を見据えて走り続ける。ここでも給水はしっかりととる。

 16km地点の品川駅前ではたくさんの応援の人でいっぱいである。このあたりで誰かが声をかけてくれたがわからず。しばらくして小林君が声をかけてくれるが反応できず。八つ山橋を上りきったあたりでぬまっち君が声をかけてくれるが顔を向けただけで反応できず。ペースを上げられず弱気になりだす。八つ山橋の下りを利用してややペースアップする。

 沿道でヨーコさんが大きな声で応援してくれるが余裕が全くなく反応できず。18km地点を1時間03分23秒で通過。関門閉鎖まで6分37秒。向かい風を考えるとほとんど関門通過は無理な感じだ。前に佑輔さんを発見したので、頑張って追いかける。佑輔さんに追い付き、一声かけると佑輔さんも付いてきた。今度は沿道でみぃちゃんが大きな声で応援してくれるが、もう無理だよとは言えないので頑張る。19km地点通過が1時間06分52秒。この1km3分29秒。関門閉鎖まで3分08秒。どう頑張っても無理な感じだが、少しぐらいおまけしてくれるかもしれないと佑輔さんと二人で必死のラストスパートをする。途中で一人を追い抜くが前がつながっていない。20km地点が見えている。役員が動き出さないことを期待しながら佑輔さんと怒濤のラストスパート。前の選手が1時間09分57秒あたりで通過した後に、役員達が顔を見合わせて3人で腕を広げて立ちはだかるのが見えた。ダメか!。それでもペースを落とさずに佑輔さんと駆け込むが制止されてしまった。タイムは1時間10分10秒。この5km17分43秒。10秒のタイムオーバーで失格となってしまった。上坂君、大滝君もやってきた。収容車が来たので乗り込むとこんちゃんが既に乗っていた。

 バスは最後部の右端が空いていたのでそこに座った。とりあえず身体を冷やすといけないので毛布にくるまったが結構暑かった。タオルはあまり持ち込んでいなかったようで競技場に戻ってから競技者係りで受け取るように言われた。やや放心状態で疲れもあり、テレビを見る気にもなれなかったので、少しの間、目を瞑っていた。収容車はランナーの最後尾を追いかけており、途中で満員になったので、このまま競技場へ一気に戻ると思っていたが、知らない間にすっかり普通の車と化してしまい、渋滞に巻き込まれてしまっていた。その後も四谷から訳のわからない抜け道をぐるぐるまわり凄い遠回りをしながら競技場に戻ってきたのはレースもすっかり終わってしまった15時10分頃であった。

 ほとんどの選手も着替え終わり控え室にも残っていないような状態でとても寂しかった。とりあえずシャワーを浴びて汗を流し、着替えた。大石君が来たので結果を聞くと2時間29分台だったということであった。先週の福島さんと言い、大石君と言い、風邪をひいていてもしっかり走りきれるところはさすがであると感じた。大石君はバスで先に京王プラザホテルに行くということであった。もうスタンドも閉鎖されてしまった後にみぃちゃんから電話があり、外の門の所にみんなで待っているということだったので、上坂君と一緒に向かった。そこには、応援にきてくれたよったん、清田君、ヨーコさん、さっちゃん、みぃちゃん、無事完走した岡村君、好結果の青木君が待っていた。

 結局、バスで京王プラザホテルに行くことにし、16時半に競技場発のバスで向かったが、これまた大渋滞に巻き込まれ、1時間近くかかった。パーティまではまだ少し時間があったため、近くでお茶をして時間をつぶした後、会場に向かった。パーティではチームメイトやネット仲間、ML仲間と大変楽しい時間を過ごすことができたが、やはり記録表をもらうときには3年連続で完走証をもらえない寂しさがこみ上げてきた。

 今年はまだ来年の参加資格があるため、昨年のような切羽詰まった感はないものの、今年は過去2年間の故障した状態で快復しないままレースに出たわけではなく、故障は完治していないものの昨年11月のつくばマラソンで2時間半を切って参加資格を得て参加しただけにまた違った意味でのショックがある。ただ、今回はテーピングの失敗によるアクシデントもあり、割り切ってしまうこともできなくはないが、それは次のびわ湖毎日マラソンを完走できたらの話であるが。

 今回の失敗の要因を見極め、もうわずかしか期間がないがびわ湖毎日マラソンに向けてしっかりと立て直し、必ず20km関門を通過し、完走を目指したいと思う。左大腿部はやや肉離れ気味でレース後から木曜あたりまでは痛みがあったが、完全休養日を2日入れ、ジョグの距離も落としたことによって、金曜にはかなり良い状態になってきた。びわ湖毎日マラソンではしっかり走ろうと思う。自分を信じて自信を持って、びわ湖毎日マラソンは頑張ろうと思う。

 応援していただいた皆様、本当にありがとうございました。完走できなかったのはやはり自分の力不足です。この結果をしっかりと受け止め再び精進し、来年は必ず国立競技場にゴールすることを誓います。今後とも応援よろしくお願いいたします。