『寺ちゃんの歩み(4)』


(4)<社会人3年目(1987年4月〜1988年3月)>

1987年 4月 新入社員研修武庫川マラソンに出場。
4月恒例の新入社員研修の武庫川マラソンに声がかかり、新入社員と一緒に武庫川マラソン約14kmを走らせてもらう。研修課の方からまじめに走ってよいと言われていたため、最初からレースのつもりで走る。新入社員はとりあえずぶっちぎらせてもらい、47分24秒ぐらいでゴール。自分が新入社員だったときよりやや距離が延びていたが、タイムはほぼ同じであり、2年前よりは少しは速くなっていることを実感できた。
1987年 5月 この頃はあまりレースに出場した記憶なし。貧血はほぼ改善されたが、まだ病院には鉄剤をもらいに月1〜2回通っていた。7月から新人が課に配属され、私が昼休みに走っているのを見て何人かが一緒に走るようになる。8月末にみんなで神鍋高原マラソンに出場した記憶はあるが、タイムは全く記憶無し。
1987年10月 敦賀マラソン大会20kmに出場。
昨年のリベンジをかねて敦賀マラソンに出場する。貧血はすっかりよくなり快調に走る。後半もペースを落とすことなく気持ちよく走れた。タイムはよく覚えていないが1時間14分ぐらいであったと思う。
1987年12月 恒例の西脇子午線(へそ)マラソンは20kmに出場。
防府読売マラソンの一週間前であるが新設の20kmに出場する。タフなコースであったが、思った以上に走れた気がする。タイムはよく覚えていないがあと一息で入賞の11位だったと思う。たぶん1時間12分台。
翌週は防府読売マラソンフルに出場する。25km〜30kmぐらいで非常に苦しくなり、別大資格を得るのに黄色信号が灯ったがそこから気力で粘り、後半の落ち込みを抑え2時間43分台でのゴールで、別大参加資格を再度ゲットした。
1988年 2月 別府大分毎日マラソンフルに出場。
調子は非常に良い。社内の創立記念駅伝大会でも快調に走る。悪くても自己ベストは出そうな予感がする。別府大分毎日マラソン当日は前半から積極的に走る。5km通過は17分一桁で飛ばしていき、そこから18分後半ペースに落とす。各通過タイムも自己記録を更新しながら通過していき、初サブ40となる2時間37分38秒の自己ベストでゴール。自己記録を約5分更新した。
2週間後の兵庫レディースマラソン(この年から2月開催に変更)20kmでも自己ベストの1時間10分10秒であった。
1987年 3月 篠山ABCマラソンフルは申込みが遅く参加できず。
篠山ABCマラソンは申し込むのが遅く参加できなかったため、応援に行く。友人の応援しながら約30km走る。このときに市民マラソンをのんびり走るのも楽しいということがわかり、来年の篠山では楽しく走ろうと思う。