新潟マラソンフル(2002.10.13)報告

 

 2002新潟マラソン完走記をアップします。

 10/12は息子の幼稚園の運動会があるため、朝5時過ぎに起床し、会場の場所取りもかねて朝練がてら会場まで走って行く。距離は7kmぐらいか。7時10分過ぎに着いたが既に100人ぐらいは並んでいる。先頭の方の人達は朝の2時半から並んでいるらしい。何ともご苦労なことである。7時半に開門され、まずまずの位置に陣取ることが出来た。

 8時過ぎには家族も到着し、9時から運動会が始まる。天候は雲ひとつない快晴である。今日は帽子とサングラスを持ってくるのを忘れてしまい、これがあとあと命取りとなる。息子が登場する種目になるとビデオにカメラを持って動き回るのが結構大変であるがどこの家族も同じような状態である。

 午前中は息子のかけっこに息子とお母さんのかくれんぼ、娘のかけっこ、お父さんのドッジボール、息子の踊りと参加して、お昼休み。この時点でかなり頭が陽射しにやられて、軽い熱射病状態で頭がくらくらする。とりあえず頭にタオルをかけたり少し日陰で休憩して少しは楽になったもののかなりきつい状態である。午後は息子の踊りのみであとは他の学年のプログラムで14時頃に終了。閉会式の前に一足早く荷物を持って駐車場で休憩する。家族も比較的早く駐車場に戻ってきたために、15時過ぎには自宅に到着する。

 少し休憩し、18時前に新潟に向って出発する。自転車で橋本駅まで行き、京王線→JR中央線→上越新幹線と乗り継ぎ、21時37分に新潟駅に到着する。宿は駅南口側すぐのホテルターミナルインである。22時前にはチェックインを済ませる。少し休憩してから近くのコンビニに買いだしに行く。ホテルに戻り、テレビを見ながら明日の準備をしているうちに24時近くになってしまい就寝する。

 10/13は6時前に起床。天候は晴れで暑くなりそうな感じである。6時半過ぎから朝食をとり、7時40分頃に駅万代口側バスターミナルでネットランナーの皆さんと合流し、バスで陸上競技場へと向う。バス代は180円であった。競技場に着いてから受け付けを済ませ、スペシャルドリンクを預ける。15km地点〜40km地点までの計6箇所を用意する。集合場所はいつもの競技場聖火台横のスタンドである。健気さんやFRUNのたくさんの方々は既に到着されていた。

 ランシャツにナンバーを付けたり、膝にテーピングをしたりしているうちに朝一番の新幹線で新潟入りしたokuchanも無事到着する。開会式も始まり準備体操をしながら開会式を眺める。今年は20回記念ということで聖火リレーもあり、聖火台に点火された。その後は地元新潟の実力派ネットランナー疾風さんの選手宣誓もあり、大いに盛り上がった。

 トイレを済ませた後、アップを15分程度ジョグし着替えているとhiroshikunに声を掛けられる。疾風さんも一緒にスタートラインに整列する。

 前から2列目あたりの2レーンあたりに入れてもらう。このレースは変わっており、フルとハーフが同時スタートのため、インレーンがフルマラソンの選手、アウトレーンがハーフマラソンの選手である。今年は陸連登録者は前側ということで未登録者とは区切られていた。ナンバーも前後に2枚となり、以前より改善された感がある。天候は快晴、気温24℃、風はややある感じである。

 10時丁度、号砲一発でスタート。イン側をゆったりと出ていく。ナンバーカード1番の三井住友海上の選手もゆったりと出ていくので付いていけるところまで付いていくことにする。競技場を出て、ハーフの選手数名とフルの選手2名が先行しているが自分達のペースはそんなに速い感じではない。1番の招待選手もそれほど上げていく感じもないので併走する感じであわせる。集団は5人ぐらいである。しばらくしてフルの選手が2名ほど追い抜いてきた。このうちの1人が40歳代(1420番)であることはわかったがまだ序盤でもあるのでここは無理をせず先に行かせる。

 5人ぐらいの集団のまま淡々と進む感じである。風はやや向っている。5km地点がやってくる。17分40秒。やはりキロ3分半ペースをオーバーしているが1番の招待選手はペースを上げる感じでもない。フルの選手は前に3名いるので自分達は4位集団ということになる。海沿いのコースで風はやや向い風のままである。コース自体は全体的にだらだら上りであるがこきざみなアップダウンがちょこちょこあって自分にとってはあまり好きな感じではない。前から1人落ちて来て吸収する。フルの選手は100mぐらい前に2名いるだけである。しばらくしてハーフの先頭集団が折り返してくる。YKKの招待選手2名と同じく招待選手の三井住友海上の小林選手の3名が断トツである。

 しばらくして10km地点がやってくる。35分43秒。この5km18分03秒。さらにペースは落ちたが前の2名との差はさほど変わっていない。ハーフの折り返し地点を過ぎたところで前が急に寂しくなる。前には2名しかいなく、その前は先導の白バイである。そうこうしているうちに前の2名のうち、一般の方の選手が突然リタイヤし、先頭は40歳代の1420番の選手1人となる。自分達の2位集団も自分を含めて3名しかいない状態になる。海沿いのコースから分かれ左折してやや下り、右折してまた上る。新潟マラソンは一昨年にハーフを一度走っただけなのでこのあたりはどんなコースなのか全くわからずこきざみなアップダウンにやや疲れを感じ始めてきた。スポンジを取って右折しながらの上りでなんとなく招待選手ともう1人の選手から離れてしまい、ここでやや気力がとぎれて一気に離され始める。しばらくして後方から足音が近づいてくる。「寺ちゃんさん、ファイト!」と言いながらたくろーさんが抜いていった。ちょっと反応する気力がなく小さな声で「ハイ」と言うのが精一杯であった。それでもたくろーさんが見える位置で頑張ろうと少し頑張りだす。

 15km地点がやってくる。53分57秒。この5km18分14秒。自分のペースは落ちているがやはり招待選手のペースは確実にあがっている。既に100m以上は離れているので、ペースは17分台後半にはあがっている感じだ。たくろーさんにも50m以上は離された感じである。気温もかなり上がってきた感じでスポンジで後頭部を冷やしながら走る。1人で走っているため集中力が途切れがちになる。後方から追い付いて来る感じもないし、振り返るのは嫌なので後続との距離も確認出来ない。ペースもかなり落ちた感じでたくろーさんからもかなり離されてきた。

 20km地点がやってくる。1時間12分39秒。この5km18分42秒。やはりかなりペースが落ちてしまった。先頭が折り返してくる。1番の招待選手がトップ。少し離れて一緒に走っていた一般の選手、少し離れて40歳代トップの1420番の選手、やや離れてたくろーさん。私が4位で折り返す。折り返し後は後続選手を気にしていたため、中間点には気付かず。後続は疾風さんとokuchanが併走、やや離れて健気さんという感じで、思ったほどは離れていないため、自分のペース次第では後半どこかで捕らえられるかもしれないと思う。擦れ違う選手達に気を取られているうちに前方に目をやるとたくろーさんとの距離はさらに開いてしまっていた。40歳代トップの選手もどこにいるかわからないぐらい小さな姿である。その後も佐久間選手やしげおっち、駒澤の秀さん達を確認する。hiroshikunはやや足を引きずるような感じで走っていたので心配である。

 25km地点がやってくる。1時間31分07秒。この5km18分28秒。ややペースを持ち直したのは下りのせいもあるだろう。しかし前も後もいなく、ペース的にも記録を狙える状態でもないのでモチベーションを保つのはかなりつらい。前半はもっと上っていた感じがあるのに後半はあまり下っていなくだらだら上りも多く感じる。なんとも苦手な感じのコースである。海沿いに出る手前 の上り終え、右折して前方に目をやると何故かだらだら上り。うーん、海沿いに出れば残りは下りと思っていたのに何故?っていう感じである。はるか彼方に点が2つあるように見えるのはたぶんたくろーさんと40歳代トップの人だろう。これは向こうにつぶれてもらわない限り追いつけないなぁと思う。前も後もいなく沿道の応援もないため、レースであることを忘れそうになる。それでもスポンジ地点や給水地点には係りの学生や役員がいてくれるため声援があり助かる。

 しばらくして30km地点を通過。1時間50分22秒。この5km19分15秒。実はここはラップがよく見えていなく、19分15秒もかかっているとは思わなかった。全体的にだらだら上りであったのとやや向い風であったことが原因であるとは思うが体感的にはこんなに落ちた感覚はなかった。なんとなく前方に見える赤いウエアが近づいてきた感じはする。それでもまだ400m〜500mぐらいは開いている感じがする。シューズがやや小さい感じでフィットしていない。両方の足の爪がやられた感じがする。水曜の12000mペース走のときは問題ないと思ったのだが。たくろーさんの赤いウエアがかなり近づいてきた感じはする。ただ、40歳代トップの人は全然見えない。

 35km地点がやってくる。2時間08分57秒。この5km18分35秒。たくろーさんが射程圏内に入ってきた。やや上りのところでたくろーさんも振り返り「来たか!」という感じの表情をしている。たくろーさんが左端によけたため、中央よりを「ラスト、がんば!」と声をかけて追い抜く。前に目をやると折り返し時に2位であった一般の選手が見える。これも射程圏内である。やや下りながら左折して信濃川沿いに出る。スポンジを受け取り、右折して橋を渡る途中で残り5km地点を2時間17分01秒で通過。この2.195kmは8分04秒。残り18分で走っても35分台か。ここで駒澤の秀さんのマラソンダービーのことが頭をよぎる。今回は2時間半狙いであったが暑さと風も考えて竹下景子に3000点をかけているため、昨年度のベストタイム2時間35分26秒以内ではゴールしないとダメである。となると残り5kmを18分20秒で走らないといけない。単純にキロ3分40秒ペースで走らないといけない。うーん、ちょっと厳しいと頭の中で頑張るか頑張らないか葛藤が始まる。橋を渡り右折するときに前の選手が差を確認してくる。後ろを気にするということは余裕がないなと思い、この人は追い抜けるだろうと思う。橋を渡り右折してしばらく行った時点で追い抜く。少しして残り4km地点通過。2時間20分42秒。この1km3分41秒。もうぎりぎりのペースである。でもここで頑張らなくて持ち点1000点でつくばマラソンに臨むよりは、持ち点13000点で臨む方が気持ちよく走れるだろうと思い、必死で走る。川沿いのサイクリングロードをハーフマラソンの後方の選手を捕らえながら走る。ハーフマラソンの選手がいるために40歳代トップの人の位置は全くわからない。残り3km地点を2時間24分17秒で通過。この1km3分35秒。少しは余裕ができたがまだまだ気は抜けない。

 このあたりにくると沿道の応援も多い。周りから「3位です。」と声がかかる。40km地点を通過。2時間27分10秒。この5km18分13秒。ペースはあがった。残り8分では走れる感じはあるので何とか持ち点を増やせそうだ。最後の給水を取り、少しして残り2km地点通過。2時間27分52秒。この1km3分35秒。残り3分45秒ペースでも大丈夫な計算である。サイクリングロードから分かれる手前で残り1km地点を通過。2時間31分28秒。この1km3分36秒。しばらくして競技場の放送が聞こえる。「40歳代トップの選手が入場してきました。」やはり追いつけなかったか。それでもペースを落とすことなく右折して競技場に入るとタータンの感触がここちよく自然とラストスパート。第3コーナーを周るあたりで「40歳代2位の選手がゴールに向います。ハートブレイクの寺根君」と放送が聞こえる。アウトレーン側を指示され、そのままペースを落とさずゴール。2時間34分55秒。ラスト1kmが3分27秒、ラスト2.195kmが7分45秒、ラスト5kmが17分54秒であった。ちょうどゴールしたところにokuchanが競技場に入ってくる。練習不足と言いながらまとめてくるあたりは流石だ。

 okuchanが先に完走証をもらっていたので見せてもらうと総合3位、一般1位であったため1番の招待選手はカウントには入っていないようだ。私も完走証をもらうと総合2位、40歳代2位であった。でもやはり招待選手が先にゴールしているから総合は3位だなぁ。スタンドに戻ると続々とランナーが戻ってきた。着替えてから体育館で顔を洗ったりしているうちに表彰式の準備も整い、表彰式が始まる。ネットランナーもokuchan、疾風さん、たくろーさん、私、健気さん、ワカメさん他は入賞していたと思う。抜けている人がいると思いますがごめんなさい。一部の人の間で3位までの入賞者には米俵という噂があったが、米俵は飾りで5kgの新潟産コシヒカリをいただいた。その他には賞状にメダル、Tシャツが2枚であった。

 okuchanが14時半頃の新幹線で帰ると言うので健気さんと3人でタクシーに乗って新潟駅に戻る。タクシー代は1010円であった。健気さんはホテルに戻り、okuchanは東京に帰った。私は大会プログラムに載っていた駅近くの銭湯を探したがよくわからず重い荷物を持ちながらウロウロするのも疲れたので駅のトイレで着替え、重い荷物はコインロッカーに入れて16時まで駅近くの喫茶店で時間をつぶす。

 16時から0次会ということで健気さん、ブッちゃん、くりりんさん、XZTさんと私の5人で駅近くの居酒屋で一足早く、炭酸飲料で疲れを癒す。XZTさんはこれから愛媛まで帰られるということで1次会には参加できないため、急遽、0次会開催と言うことになった。

 17時からは呑んべ〜ネットRCとFRUN合同での1次会をこれまた駅近くの居酒屋で開催する。ざっと見て30人ぐらいの参加者で知らない方もたくさんいた。簡単に皆、自己紹介をしたがとても覚えきれなかった。いろいろな方と呑みながら話をし、楽しいひとときを過ごすことができた。私は19時41分発のあさまで帰るために19時15分頃に失礼させてもらった。その後、預けていた荷物を取り、家族へのお土産を買った後、あさひに乗り込み東京へ向った。Maxあさひの1階席はさほど混むこともなく、のんびりと帰京した。東京駅からはJR中央線→京王線と乗り継ぎ、橋本駅には23時15分頃に到着。そこから自転車で家には23時30分頃に到着した。ちょうどテレビではシカゴマラソンのハヌーシ選手がゴールする500mぐらい前で、高岡選手の日本最高記録達成の瞬間もテレビで観ることができた。女子もラドクリフ選手が世界最高記録達成間違い無しの状態であったため荷物も放ったらかし状態でテレビに見入ってしまった。渋井選手も日本最高記録が出なかったのは残念であったが、前半はラドクリフ選手に付いていき日本歴代2位の記録は立派であると感じた。

 今回のレースは暑さとだらだら上りのコースと言うこともあって出だしからペースにうまく乗っていけなかった感じがする。1番の招待選手を無視してハーフの選手にからんでいくことも考えられたが、スタート直後のトラックから目の前に招待選手がいる状態ではなかなかそれも思い切って行くことは出来なかった。12.5kmのスポンジ地点からあっさり付いていけなくなってしまったのもやはり気力的にこんなに上りが多いコースかと思ってしまったことも要因のひとつである。今回はひとつの目標として、2時間半以内、悪くても40歳代大会記録の2時間32分台と考えていただけにどちらにも届かず、しかも40歳代トップもとれなかったこともあり、結構疲れの残るレースであった。足の爪も左親指、右親指、人差し指、中指と計4本も死んでしまい、つくばマラソンを走るシューズも再考する必要がある。内臓にもかなりダメージが残っており、脚の回復も待ってからつくばマラソンに向けて練習を再開する必要がある。あと5分、縮められるだろうか。。。