びわ湖毎日マラソンフル(2000.3.5)報告

 土曜日は6時過ぎに起床。6時50分頃からいつものように朝練に出かける。膝の痛みは相変わらずという感じであるが、昨夜、整体に行って膝に、テーピングをしてもらったせいか少しはましな感じがする。東京国際の前日も8kmコースで切り上げたので、今回も8kmコースで切り上げる。

 整体では、やはり腫れているのは靱帯ではなく骨自体であった。先生には、「やめておいたほうがいいですね。仮に走ったとしても痛みが出たときはすぐにやめないと、あとあと響きそうです。疲労骨折の手前という感じです」と言われる。とりあえず、痛みが出たら止めることに決める。

 朝食後、土日とも不在となるため、いる間に嫁さんが買い物に行ってくると長男を連れて出かける。その間、長女の面倒を見ながら、準備をする。いつものように両手首にはスパイラルテープを巻く。膝のテーピングとかかと(アキレス腱)用にキネシオテープを持っていくことにする。

 スペシャル用ボトルを準備するつもりだったが、完走できないと飲めないので、今回は無しにすることにする。ただ、VAAMの缶は2缶持っていくことにする。

 ネット仲間と自分の掲示板に「行ってきます」連絡を入れて、嫁さんが買い物から帰ってきた後、11時20分頃に自転車で自宅を出発する。

 昨夜から大津入りしているチームメイトの岡村君から、ショートメールで、「びわ湖は朝から雨です」と連絡が入る。相模原は晴れているのに。。。天気予報通りか。

 JR相模原駅11時35分発の快速に乗り、新横浜駅へ行く。新横浜駅でお弁当(シューマイ弁当)とスポーツニッポン新聞を購入し、12時23分発のひかり119号で京都駅へと向かう。横浜は曇っている。新幹線の中でお弁当を食べ、新聞を読んだ後、少し眠る。

 京都駅には14時46分に到着。東海道線で大津駅へと向かう。大津駅で、ちょうど九州松下電器の牟田口さん達と出会う。宿泊が皆、大津プリンスホテルであったために、一緒にタクシーで向かう。大津もやはり雨が降っている。

 大津プリンスホテルでチェックインを済ませ、エレベーターのところでばったりとチームメイトの金子君と出会う。一緒に部屋まであがり、岡村君の携帯に電話する。すると、すでに開会式場のびわ湖ホテルに中央信託銀行の鈴木君といるということ。15時半の送迎バスで金子君と一緒にびわ湖ホテルに向かう。

 びわ湖ホテルで岡村君と鈴木君と合流する。監督用のIDカードを手に入れるために、監督の受付をする。ご丁寧に、タオルとプログラムとタイピン付きであった。

 16時から開会式が始まる。座席が決められていて、そこにプログラムが置いてあるのは例年通りである。

 偉い方々のお話を頂戴し、旭化成の川嶋選手の選手宣誓、競技役員からの諸注意等を聞いた後、ナンバーカード等の配布を受ける。今年も参加賞はTシャツ、タイピンであった。あと、ナンバーカード2枚、安全ピン、IDカード、荷物を入れる大きなビニール袋、故障に関するアンケート用紙とそれを送る封筒であった。

 17時からレセプションが始まる。ローム社長のご挨拶、海外・国内招待選手の紹介があり、乾杯を済ませパーティに突入する。夕食をかねているため、結構食べた気はするが、こういう場所ではすぐに満腹感を覚え、量的にはそんなに食べていないような気がする。

 アサヒ飲料の500mlのペットボトルがかなりあったので、それを頂戴して、とりあえず4ヶ所にスペシャルドリンクを置くことにする。

 パーティは18時15分頃に終了する。以前、同じ会社に勤めていた後輩の湯田君から連絡がはいり、大津プリンスホテルまで送ってもらうことになった。湯田君は現在、草津市に住んでいる。

 岡村君、金子君と私の3人で湯田君に送ってもらう。途中、買い出しのため、スーパーにも寄ってもらった。

 ホテルに戻り、湯田君と2人でサロンでお茶を飲みながらしばし談笑する。20時半ぐらいに別れる。湯田君は明日は都合がつけば応援にきてくれるということ。

 部屋に戻り、スペシャルドリンク用のボトルの準備をして、マジックを借りるために岡村君の部屋を訪問する。話をしながらボトルにナンバー等を記入していたら1時間近くかかってしまい、21時頃に部屋に戻る。

 明日の準備をしていたら、今度は金子君から電話がはいり、「斉藤さん(NEC相模原)からお寿司を頂いたので一緒に食べましょう」と言うので、部屋で一緒に食べる。金子君は、明石家さんまの「恋のからさわぎ」が好きなようで見終わってから部屋に戻っていった。

 天気予報を見ていると明日は大津地方は曇り、最高気温10℃、最低気温6℃ということである。天気予報どおりであれば、いい条件のようだ。

 23時半過ぎから、また明日の準備を始める。ナンバーカードを付け、スペシャルドリンクの準備をする。今回も東京国際のときと同じく、明治乳業のVAAMの缶からボトルに入れただけのシンプルなものである。21km、26km、31km、36kmの計4本を用意する。なんだかんだとしているうちに時計は25時近くになり、床につく。

 夜中は3時半頃に一度目が覚め、トイレに行き、次はいつもどおりの6時に目が覚める。目覚ましは7時にあわせていたので、もう一度眠る。7時に目覚ましがなり、しばらくボーとしているうちに7時20分になり、起きる。

 シャワーを浴び、左膝のテーピングを少し貼り直し、かかとにもテーピングをしてから、外を見ると、晴れている。ラッキーかな。ランシャツで走れそうだ。

 8時20分にロビーに降り、8時半の皇子山競技場への送迎バスで岡村君、金子君と一緒にスペシャルドリンクを預けに行く。帰りはタクシーでプリンスホテルまで戻る。

 ホテルに戻り、すぐに朝食に向かう。岡村君と金子君とNEC相模原の斉藤君と私の4人で食べる、バイキング形式であったので好きなものを好きなだけ食べる。今回はめずらしくパン食にしてみた。

 部屋に戻り、準備を済ませ、10時15分にチェックアウト。10時半の競技場の送迎バスで皇子山競技場へと向かう。控え室に荷物を置き、天気もよいのでスタンドで全日本競歩の大会を岡村君と観戦する。

 近くに旭化成の応援部隊がいて、そこで佐々選手がマッサージをしてもらっていた。ネット仲間のまみこさんがそのあたりにいるかなと思い、きょろきょろしていたが見あたらないようだ。

 11時に女子5000m競歩がスタート。うーん、実に地味なレースだ。競歩を観戦途中で、会社の先輩の高田さんが登場する。競技場には来ないと聞いていたので、尋ねると「今日は完全サポートや。35kmからは一緒に走って帰ってくるで。」ということである。「今日は5kmでやめるかもしれませんよ」と言うと、「それはあかんで」ということである。

 競歩のトップがゴールした直後あたりから、第一コールが始まる。11時半に高田さんと別れ、第一コールへと向かう。びわ湖はランシャツにナンバーが付いているかだけのチェックで簡単に終了する。今年はRCチップは使用していない。

 準備体操をした後、11時45分頃からアップを開始する。左膝の調子を見ながらゆっくりとトラック外周を5周する。第3コーナー付近で再度、体操と軽いストレッチをして、控え室に戻る。

 本部の発表では天候は晴れ、気温は15℃ということであった。風はややある感じである。結構暑い感じがする。

 ランシャツ・ランパンに着替え、12時15分過ぎに最終コールをスタート地点で受ける。12時25分に整列する。

 12時30分、号砲一発でスタート。周りに流されないように慎重に出ていく。400m通過。84秒。やや遅いがこんなもんだろう。既に後方には人があまりいない感じだ。800m通過。2分44秒。この1周は80秒で回っている。競技場を出たところで1km地点通過。3分24秒。まあまあの感じだ。道路に出てきて前に大集団がいるのはわかるが、無理して追いかけずに6人ぐらいの集団で走る。広い道路に出てきて2km地点は6分44秒で通過。身体が重いのがはっきりとわかる。やはり軽いジョグだけでつないできたため、速い動きに身体がついてこない感じだ。3km地点は10分15秒ぐらいで通過。既に3分半ペースである。大集団とはじわじわ離れている感じである。

 4kmも同じような感じで通過し、5km地点がやってくる。17分11秒。高田さんが直後に応援してくれる。「寺根、ええペースや。給水しっかりな。」確かに暑い感じだ。ただ、6kmの給水は取る気がなかったので、通過する。このあたりで相模原市体育協会の北條選手を追い抜く。ペースはやや上がり下がりしているもののキロ3分半ペースという感じである。

 唐橋前が近づいてきて、沿道の人がかなり増えてくる。まみこさんがこのあたりにいるかもしれないということだったので、沿道の旭化成ののぼりを気にしながら走るが確認できず。

 10km地点がやってくる。4人ぐらいで通過する。34分30秒。この5km17分19秒。これで20km関門までの貯金30秒である。帰りの30km地点の緩やかなアップダウンの手前で前から、近藤公成選手が落ちてきて我々4人の集団に吸収される。近藤選手は荒い息づかいで苦しそうであるが離れそうで離れず、前へちょろちょろ、後ろへちょろちょろという感じで一緒には実に走りづらい感じだ。私は後ろに下がる。橋を渡り対岸に行くとやはり向かい風である。2人が前に出てくれるので、後ろで走る。前から2人落ちてきて吸収される。

 15km地点がやってくる。51分59秒。この5km17分29秒。関門まで18分あるから20km関門は通過できるだろうとひとまず安心する。向かい風で集団のペースは上がらない感じだ。再び唐橋を過ぎるあたりで、旭化成ののぼりを発見する。左側を気にしていたら、いきなり右側から、「寺根さん、頑張れ!」とまみこさんの声。顔をはっきりと確認し、右手を少し上げて反応する。

 しばらくすると先頭集団が折り返してきた。20人ぐらいはいたような大集団である。通り過ぎるあたりでテレビカメラに後ろ姿が映ることを意識して両手を広げて深呼吸する。佐川急便の大家選手が1人遅れて通過する。右折したところで、高田さんから2度目の声援を受ける。「寺根、ええぞー。その調子や」その後、また集団があり、20km地点を通過する。1時間09分44秒。この5kmが17分45秒。向かい風でペースが落ちたために、関門閉鎖16秒前と結構ぎりぎりであったが、これで何とか完走できる目途がたった。

 周回コースにに入る手前でNEC相模原の斉藤選手とすれ違う。げっ!、周回コース前に知り合いに出会ったのはたぶん初めてだ。すごい突っ込みをしていると驚きながら左折して周回コースへと入る。左折してすぐに給水。ここからスペシャルドリンクを置いているので、探しながら無事にとることに成功する。右折したところで、牟田口さんを発見する。今日も調子が悪い感じだ。中間点を1時間13分40秒で通過する。

 大阪体育大の大学生が引っ張ってくれるので付いていく。周回コースを終え、集団は大学生と私ともう1人の3人になる。左折して、追い風になったあたりから大学生がややペースアップする感じがした。24kmあたりで3度目の高田さんの声援。今回はウィンドブレーカーを脱いでいて、走る気満々という感じである。右端を「寺根、付いて行けよ」と声援しながら、やはりしばらく一緒に走って来られた。再度、唐橋を過ぎるところで1人が遅れだし、25km地点を通過。1時間27分24秒。この5kmが17分40秒。

 次の1kmを大学生が3分半で引っ張ったところから付いていくのがつらくなりだす。給水をしっかりととったが、じわじわ離され始める。右折して対岸に渡る橋の途中で1人に抜かれる。抜かれるということは結構ペースが落ちているということである。橋を渡りきり再度右折するとやはり結構な向かい風である。もう1人に抜かれて付いていこうとしたが、脚にきていて付いていけない。30km地点をは1時間45分42秒で通過する。この5kmが18分18秒。

 脚の張り具合と膝の状態を考えても2時間半を切るのは無理と判断する。昨年のよれよれ状態にくらべればましかと思いながら走る。34kmあたりで2人ぐらい追い抜くとその1人が鈴木君であって、「寺根さん、がんば」と声をかけてくれたので手をあげて反応する。

 35km手前あたりで4度目の高田さんの声援。「寺根頑張れ!。その調子や。2時間半切れるぞ!」35km地点を2時間05分05秒で通過。この5kmが19分23秒。高田さんの声援を受けて少し腕振りを大きくしてストライドも伸ばそうと試みる。これぐらいのペースまで落ちても意外と抜かれないものだ。

 36kmあたりで前屈をしている人を前方に発見する。なんとなく金子君のような気がする。金子君も股越しに私がわかったらしく、振り向く。そしてゆっくりとジョグしているので、「金子、無理しなくていいよ」と声をかけて抜いていく。

 残り5km地点を2時間13分22秒で通過する。この2.195kmが8分17秒。キロ4分として2時間33分台か。何とか32分台ではゴールしたいなあと思う。

 残り4km地点を2時間17分17秒で通過する。この1kmが3分55秒。昨年はこのあたりは収容バスの中だったなあとか考えながら走る。

 残り3km地点を2時間21分13秒で通過する。この1kmが3分56秒。32分台が出るかきわどいところだ。ここで何となく村田君(不忍池AC)の延岡の記録が頭の中をよぎり、32分台だったら負けていないなと思う。

 40km地点がやってくる。2時間24分31秒。この5kmは19分26秒。いつもの調子なら8分はかからないが、今日は少し厳しい感じだ。8分30秒と考えて、2時間33分前後かと思う。

 残り2km地点を2時間25分19秒で通過する。この1kmが4分06秒。きわどいタイムになってきた。最後の給水はゼネラルのスポーツドリンクを取る。2口ほど飲み、左折して、再度左折して残り1km地点を通過する。2時間29分12秒。この1kmが3分53秒。

 前方に蛍光色のランシャツ・ランパン姿を発見する。まさか、斉藤選手?。やはり、斉藤選手である。競技場へ入る手前で「斉藤、ラストがんば」と声をかけて追い抜く。前半のオーバーペースでつぶれたようだ。

 競技場に入ると自然とペースが上がり出す。競技場の電光掲示板を見ながら32分台とのにらめっこ状態になる。残り300mで1分少し。残り200mで何とかいけると確信し、残り100mからラストスパートをしていると前に佐川急便の大家選手を発見。残り50mで大家選手を抜いてゴール。2時間32分53秒と何とか32分台でゴールできた。残り2.195kmが8分22秒、残り5kmが19分31秒で順位は128位であった。

 しばらくすると、斉藤選手がゴールしてきたので、「前半の突っ込みは凄かったね。周回コース手前ですれ違ったときはびっくりしたよ」と伝えると「ハーフは7分台の自己ベストでした」と結構、満足そうであった。

控え室に戻ろうとしたら、スタンドから高田さんが、「寺根完走おめでとう。どうやった?。」と聞くので「32分53秒ぐらいです。最後で大家を抜きましたよ。」と伝えた。

 控え室に戻り、着替えながら、岡村君にタイムを聞くと、「20分43秒(公式記録は20分44秒)でした。」と言うので、「えっ?」と聞き直してしまった。つくば、東京、びわ湖と3連続自己記録更新で、しかもハートブレイク新記録である。凄い。

 鈴木君は35km地点を通過後、自分からリタイア、金子君も39km地点でリタイアであった。

日本人トップはどうやら旭化成の川嶋伸次選手で総合2位でタイムは2時間09分04秒であったようだ。3位はS&Bの武井隆次選手、4位が何と早稲田大学の佐藤敦之選手で学生日本最高記録ということである。

 記録をもらえるのをしばらく待っていたが、報道関係者以外はもらえそうになかったのであきらめて、鈴木君とあわただしく帰ってきた。

 競技場を出たところで、まみこさんが声をかけてくれて「寺根さん、完走おめでとうございました。ちょうど、りかねんさんに、電話をしているところに戻ってこられたので、報告しました。」ということだった。「応援どうもありがとうございました。川嶋選手、よかったですね。」と伝えて、競技場を後にした。

岡村君と金子君はもう1泊した。

 新幹線が満席で18時21分発まで取れなかったので、京都駅で鈴木君と食事をしてくつろいだ。

 新幹線にのるあたりから左膝が非常に痛くなり出し、そのまま21時半過ぎには自宅に戻ったが、テーピングをしていたこともあって、何もケアせずにそのまま寝たら、今朝は歩くのも辛い状態である。膝を曲げると痛いので常に膝を伸ばして歩くために階段を下りることができない状態である。

今朝からしばらく走らずに様子を見ることにする。

参加選手の全記録は

http://gold.jaic.org/jaic/res2000/biwa2000/KYOUGI.HTM

で見ることができる。