第50回記念福岡国際マラソン(1996.12.1)完走記

 

 これは、第50回記念大会の福岡国際マラソンの結果を当時の同僚に報告したものをそのまま記載したものである。

 日曜日に底冷えのする福岡の地を予定通り走ってきましたのでその報告をいたします。

 土曜日は朝5時に起き、6時過ぎの電車でJR、京急、モノレールと乗り継ぎ、7時45分頃に羽田に到着する。8時40分発のJALにのり、福岡へと向かう。福岡はすでに雨模様で気温も低そうである。10時半頃に福岡に到着すると、やはり雨が降っていた。銅口君と一緒にとりあえずホテルに荷物を預け、昼食をとり、開会式場へと向かう。

 1時から健康診断を受け、藤田君と合流し、2時半から開会式に出席する。今年は歴代優勝者が招待されているので往年の名選手がかなり揃っていた。ホテルに戻り、4時頃から軽く大濠公園でジョグをする。このときは幸い雨はあがっていた。

 5時からパーティに出席する予定であったが、時間がなくなったので、とりあえず会社の先輩の高田さんとは6時待ち合わせであったので5時50分頃にホテル日航に到着する。パーティ会場を覗くともうかなり空いていたが食べ物はまだあったので軽く食事をする。三木RCの藤原君やNHKの奥村君や鎌倉の大滝君たちと一緒に食べているところへ高田さんが現われる。しばらくしてこの7人で食事へと出かけ、8時過ぎにホテルへと戻る。

 明日の準備を済ませ、ベッドの中でテレビを見ているとうとうとしてしまい、目が覚めると11時であったのでシャワーを浴び、12時過ぎに床についた。

 レース当日、起床は7時である。外を見るととりあえず雪は降っていないようで、一安心する。しかし気温は相当低そうである。8時頃から朝食をとり、10時にチェックアウトをし、控室の平和台野球場へと向かう。10時半からコールを済ませ、11時過ぎから軽くアップをし、ウエアに着替える。小雪がまっているし、気温も低いので長袖Tシャツを下に着ることにする。11時50分頃に最終コールを済ませ、スタート3分前にスタート地点に整列する。並び順にはあまり厳しくなかったので1レーンの最後尾に位置どる。

 12時05分号砲一発でスタート。人数が少ないのでロスタイムもなくスタートできた。トラックが濡れているためにすぐに足先にみずがしみてきて冷たさを感じる。400mは83秒ぐらい。1キロは3分25秒ぐらいで通過して、競技場からでていく。このときで後ろから5番目であった。

 左折して向かい風になったためにがんばって前の集団を追いかけ、3キロあたりでなんとか追い付く。このときで10分20秒。がんばっていると思ったが結構遅い。この集団は藤原君が引っぱっている。藤原君は坐骨神経痛のようで完走できるかわからないと言っていたのでやはり調子が悪いようである。5キロ地点がやってくる。17分24秒。わー遅い。やはり向かい風のためペースがあがらない。

 風が強いので前へ出る勇気もないので後方でついていく。姪の浜で左折し、ペースがあがるかとも思ったがそうでもない。再び左折して、追い風気味になったところで10キロ通過。34分46秒。ラップは17分22秒。ペースがあがらない。

 何人かがペースを上げ、離れていく。しかし、ここも自重してしまい後方に待機してしまう。13キロあたりでペースが遅いと思っていたところを神宮ACの足立君が前へ行き始めたので着いていく。この時点で藤原君を追い抜く。15キロ地点がやってくる。51分58秒。ラップが17分12秒。なんとかいいペースにはなってきた。これで20キロの関門は通過できるだろう。

 16キロあたりから足立君のペースがさらにあがったのでちょっと速いと思い、ついていくのをやめる。私には1人ついてきている。足立君の50mぐらい前には大集団がいる。なんとかあそこに追い付きたいと必死にがんばるがコースがくねくねするたびに強い向かい風になることが多い。ここまでで結構脚を使ってしまっている。20キロ地点がやってくる。1時間09分10秒。ラップが17分12秒。相当がんばったつもりだったが向かい風のせいであがっていない。中間点は1時間13分02秒で通過。

 塩見君を追い越した直後に高田さんの声援を受けるが向かい風が強く反応している余裕がない。しばらくして漸く集団に追い付く。この集団には川原田さん、近藤君、角田さんとしった顔触れが多い。とりあえずこの集団でいくことにする。いままでのペースよりは遅いので一息ついた形になる。風は向かい風である。皆、積極的に引っぱろうという感じではない。角田さんが苦しそうで離れそうである。25キロ地点を通過。1時間26分58秒。ラップが17分48秒。やはり遅い。

 このあたりからまた、小雪が舞い始めてきた。長袖は正解であった。集団は10人ぐらいである。長い橋を渡るところで奈良を追い抜く。しばらくして、トップが折り返してきた。6人で日本人は真内だけというのはわかった。吹雪のような中を30キロ地点通過。1時間44分48秒。ラップが17分50秒。このままでは2時間半も危ないかもしれない。

 どんどん折り返してくる。藤田君がやってきたので、「藤田君がんばれ」とひと声かける。銅口君はわからなかった。集団で折り返す。折り返してペースがあがることを期待したが、あまりあがる様子もない。誰も引っぱりたがらない様子である。後続を確認していたが、藤原君の姿はなかった。やはり関門にひっかかったのか?。列は縦長になったり、集団になったりといろいろである。このあたりで雪印の渋谷を追い抜く。しばらくして黒人がいるのがわかる。なんとイカンガーである。我々の集団が追い抜くとしばらく一緒になってついてきたが、また遅れていってしまった。35キロ地点がやってくる。2時間02分37秒。ラップが17分49秒。やはりあがらない。

 ここで近藤君が前へ出始める。それに足立君がついていったのですかさず私もついていく。その他は誰もついてこない。近藤君がいいペースで引っぱってくれる。足立君も余裕があるようだ。だんだん残り距離が少なくなって来始め、あと何キロと思うたびに朝練のあそこまでやと思いながら走る。39キロあたりで突然、高田さんの声援が聞こえる。「寺根、がんばれ。前に児玉がおるで」前に目を向けると確かに児玉泰介がいる。このあたりから足立君が引っぱりはじめ3人で児玉を追い抜く。40キロ地点がやってくる。2時間20分07秒。ラップが17分30秒。ここで17分30秒が出るとは、近藤君のおかげである。

 左折したところで足立君がスパートする。近藤君がついていけないので、追い抜きおいかけるが私も脚がもうあがらない。10mぐらいの差がつまらない。右折したところで、須永を追い抜き、41キロ通過。左折して最後の上りを上りきり、左折して競技場へとはいる。電光掲示板に目をやると2時間26分06秒。残り400mで2時間27分台がでることを確認する。バックストレートはすごい向かい風であったがなんとかしのぎ、ラスト100m。足立君とは20mぐらい離されてしまった。電光掲示板をみながら2時間27分53秒でゴール。ラップは7分46秒でした。順位は67位でした。

 藤田君は39キロあたりで銅口君を捕えたようで2時間24分37秒で40位。銅口君は2時間24分57秒の自己新で42位でした。結局、私だけが来年の資格を得ることができませんでした。

 今回は気象条件のために、最初からやってやるぞという気力がわいてこずに、寒い寒いと思いながらスタートをきってしまったために、消極的なレースをしてしまったと思います。13キロあたりから22キロあたりまでと35キロからの走りは評価できますが、それ以外はいまひとつでした。でも、この気象条件で自己2番目の記録がでたというのは、少し自信になりました。左足の親指の爪が以前はがれて、まだ半分ぐらいしかはえていないのですが、その爪のない部分が内出血をしてしまいました。レース中に、少しあたるなあと気にしていたのですが、やはりつまっていたようです。もう0.5cm大きいサイズの方がよいかもしれません。

 憧れの福岡を走ってみた感想は、応援がすごかったかなあという気がします。北海道ほどではありませんが。コースはこのコンディションでなければかなり走り易いと思います。別大と勝とも劣らない感じがします。来年は出場できるかはわかりませんが、いい条件のときにまた走ってみたいという気持ちはあります。3月ぐらいに調子がよければ、びわ湖に出場し、2時間25分台にチャレンジしたいと思っていますけど少し、長いのは休養します。今後の予定はまだ決めていませんが、また2月の市町村対抗駅伝の相模原市代表候補に選ばれたので駅伝練習にはいります。この関係で来年の東京国際には出場しない予定です。