鹿川での養鱒

鹿川での養鱒の歴史

上鹿川の養鱒場の跡

昭和54年頃から上鹿川東の内の方が行うが平成?年に廃業する。

氏は、当初大分の養鱒業者から技術を学び、種も大分から導入した。このため、氏が養育されていたものは鹿川の在来種とは異なり朱色の斑点がある「アマゴ」であったそうだ。氏によれば、それまで鹿川で捕れていた渓魚に朱色の斑点がない「ヤマメ」であったそうだ。

鹿川での養鱒はアマゴだった

上鹿川の養鱒場の跡

当然、養魚池から逃げ出す渓魚もいたろうし、漁協の放流も行われてきたわけだから綱の瀬川に「ヤマメ」と「アマゴ」が混在していても何の不思議もないし、当然のことかもしれない。しかし、「ヤマメ」と「アマゴ」はいかに近縁といえども自然の中ではよほどのことがなければ交配しないらしい。となると、綱の瀬川や西の内川の下流域や鹿川の下流域で釣れる朱色の斑点を持った渓魚たちは「アマゴ」なのだろうか。

上鹿川キャンプ場そばでの養鱒

上鹿川キャンプ場そばの養鱒場の跡

これとは別に、鹿川キャンプ場のそばでも養鱒が行われていた。この養魚池のサカナは、キャンプ場を利用していた者が延縄一本釣り?で恩恵に浴していたそうだ。

延縄一本釣りが経営に痛手を与えたかは不明であるが、早期に廃業されている。養鱒場の跡はキャンプ場管理棟のそばにありましたが、2005年には畑になってしまいました。