寂然法門百首 97
2025.6.18
観耕之時已発誓竟
はぐくまんと思ふ心は春の田のかへすに鳥のあさる見しより
半紙
【題出典】『止観輔行伝弘決』一・四
【題意】 観耕之時已発誓竟
耕を観る時已(すで)に誓を発し竟(おわ)る
【歌の通釈】
(菩提心を)育てようと思う心は、春の田を耕し、掘り起こされた虫を鳥があさるのを見てより起こったのだ。【考】
以下、三蔵教、通教、別教、円教の四教の発心を説く。(中略)つまり、『摩訶止観』にいう第一から第四の菩提心が、四教の発心に当たるという理解である。『往生要集』大文四にも、この『摩訶止観』の箇所を引き「言ふ所の初とは、これ三蔵教の界内の事を縁とする菩提心なり。」(大正蔵84・51下27/岩波思想・109)と釈す。この歌は、釈尊が太子であった時、田を耕し掘り出された虫を鳥が啄んで食べてしまうのを見て、発心したというエピソードを詠んだもので、「春の田をかへす」「鳥のあさる」と歌ことばを用いて流麗に表現した。このように、命あるものは必ず滅すると理解して発心するのを三蔵教の発心という。
(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)