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ようこそ MHRのホームページへ 私の華麗なバイク歴 1956年式の49歳(また歳をとってしまった)の元少年が所持してた60台弱の単車と 築88年の我が家で、今も生き残ってる30台(以上・・・不明)の単車たち(いまだ増殖中) 15台(以上)の自転車、4台の車などにまつわる旅の思いでなど (当然当時はすべて新車だったわけだけどね) 愛知県東加茂郡下山村の萱葺き民家より
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*このページは予算の都合で古い17インチディスプレイを使い、しかも800X600の解像度で作っています。17インチ以上のディスプレイ、あるいは最新のSXGA表示のノートで見ると見にくいかもしれません。(どう写っているか想像もつかないです)色もおかしいし。*
*1ページ目は、だらだらと長い構成にしてますが、表示を早くするためにあえてこうしました。中身で勝負。自信ないけど。*
*もし画像が表示されない場合は、パソコンをどついたりせず、画像の上にカーソルを重ね、右ボタンを押し、メニューから画像の表示を選んでください。たぶんそれで表示されます。たたいて直るのは真空管のテレビまででしょう(そんなもん、しらねえわな)。
掲示板(いつのまにか、なぜかXL500Sメインに・・・)のコーナー | |||||||||||
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掲示板にXLRのエキパイについていろいろ「うそ」を書いてしまいました。 XL500Sのレストア日記に言い訳と詳細を掲載しました。 |
INDEX | このだらだらページ内のジャンプ先の一覧です。 |
今月のイベント情報、ご近所サーキット案内、お勧めツーリングコースなど | ・・・東海3県で行われるフリーマーケット、お祭り、その他バイク関連のイベントとおすすめツーリング先の紹介。近所に有るローカルサーキットもお教えします。 |
本日の出来事 | 波乱万丈の田舎暮らし。話題には事欠かない。そんな出来事を日記風にしました。 |
本日の出来事プログ版 | あらたに日記を開設しました。職場からアップできるので何とか毎日書けるかと。 |
築87年の我が家へようこそ | 何を血迷ったか。人生最大のお買い物、不動産。よりによって、明治時代に立てられた田舎家に魅せられた、ド阿呆の反省日記。ほんと、反省しています・・・。 |
完全自作ガレージ物語 | ここに引っ越して早3年。やっと手を着け始めた、完全自作、しかも一人で、低予算でという3重苦のガレージ制作物語。果たして完成できるのかっ!私を知っている人は全員、あと数年は無理だというが・・・。 |
私の華麗なバイク変歴その1 | ・・・1970年代、原付免許から小型2輪、中型とステップアップ。 2万円のポンコツAT125から始まった私のバイクライフ。 |
私の華麗なバイク変歴その2 | ・・・1980年代、気が狂ったように半年に1台を乗り換えていたころのお話。このころの飽きっぽさが、今の私を育んでしまったとさ。 |
私の華麗なバイク変歴その3 | ・・・1990年代、大型自動二輪免許を手に入れ、たがが外れたバイク人生。このころから下取りという言葉を忘れてしまった。その結果がこれ・・・・。寝る場所が・・・。 |
サービスマニュアルパーツリスト一覧 | 手持ちのサービスマニュアル、パーツリスト一覧。 |
乗せてもらったことのある友人のバイクたち | 一癖もふた癖もある友人のバイクたちを紹介。 |
大昔のレーサーたち(昔の8耐レーサーたちはここです) | いまから、20年ほど昔に走っていたレーサーの写真。鈴鹿8耐の貴重な写真もあります。 |
自転車バンザイ | 私の原点。自転車のページ。最近こちらに傾いてきた。バイクは怖い。 |
私の華麗じゃなかった4輪遍歴のコーナー | 車に全然興味が無かった私が、しかたなしに乗っていた、自動車のお話。ちょうど排気ガス対策が始まった頃で、ろくな車がなかった。 それが15年落ちのMR2によって覆されつつある。このポンコツがこのまま、無限に金を飲み込み続けるのだろうか。 |
リンクのコーナー | バイク、自転車、車関係のみのリンク集。フェリー会社もあり。 |
カメラのお部屋 | 古いものばかりの我が家でも最も歴史の古いカメラたち。 |
おたくの部屋 | ・・・このホームページの前に持っていた、自作小説、漫画、子供の頃の思いで話などを詰めたはずかしいホームページ。 でも2004年6月のJUSTNETの消滅でサーバーごと消滅。 |
お勧め映画、お勧め小説 | ただし、ソノラマ文庫系おたくの選択です。大人の方は見ないほうがよろしいかと。 |
掲示板のコーナー | CGIがわからないため躊躇していた掲示板を作ってみました。うまく動作をすればいいんですが・・・。プロバイダーの用意したやつはわけがわかりません・・・。 |
XL500Sレストア日記 NEW | やっと500Sのレストア開始。カメよりのろいのですが。 |
下山村通信 | ・・・準備中・・・・いったいいつまで?・・・・。 |
西三河情報じゃんだらリンク |
西三河地方のジャンル別リンク集。このページも掲載されてます。 |
ところどころに、ここへのジャンプ台が設置してあります。ご利用ください。 |
東海地方限定
ご近所に有るローカルサーキットのご案内・・・愛知、岐阜圏内 詳しい場所はメールでお教えします。近いうちに地図と連絡先をつけますのでお待ちを。
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北海道へ行こうよ’1993****古い話だけど参考にしてください。*** |
バイク乗りなら一度は行ってみたい北の大地。そうじゃない人も行ってみよう。そういう人こそはまるから。(私がそうだった) ほんとに丸く見える地平線。はてしなく続く牧場。どこまでもまっすぐで何百キロも信号がない道路。近づいてくるのが見える雨。 近所じゃすでに絶滅したピースサインの嵐(しかも全身をつかうのだ)。 るるーるるるるるー。どこからか聞こえるさだまさしのあの歌。(松山千春が聞こえてくる人もいるらしい。) でもどうやっていったらいいのかわからない。どんな準備がいるのかわからない。 お風呂は?キャンプ場は?トイレはどうする?・・・・・不安がいっぱいで行くのが怖い。 そんな人のために、私の初めての北海道行きを参考に、フェリーの予約から、荷物の選別、積み方、楽しみ方を手取り足取り教えます。 *ちなみに今年のお盆休みに北海道へ行く人、フェリーの予約は6月ですよ。忘れず予約しましょうね。 |
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今週面白かった本・・・2004年7月9日・・・・活字中毒、漫画中毒の私が面白いと思った本をときどきご紹介します。 | ||
過去の面白かった本はこちら |
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有名な中古本専門店。 |
新刊本専門店。 | |
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中古本 DVDなどあり。 |
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田舎暮らしではとっても助かる新刊専門店。 |
本日の出来事 2003年11月1日更新
過去のできごとはこちら。 |
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本日のお買い物 2004年7月 | ||||||
私は、某コンピュータ誌に連載されている、スタパ斎藤氏に匹敵する、重傷の買い物依存症だ。 毎日何か物を買わないと落ち着かない。たとえガチャポンであろうとも買えば落ちつくのだ。(通常は本がターゲットとなる。) そんな中でもかろうじて役に立ったもののみを皆様にご紹介しよう。(当然役にたたなかった物はこの数倍ある) |
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昨日までのお買い物のページはこちら |
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究極のレストア日記・・・・築88年の我が家へようこそ 更新してません |
97年6月、40歳にして一軒家を購入。43坪平屋建て、かやぶき屋根にトタンがかぶせてある。 敷地面積230坪(うち平地は110坪、あとはお山だ)の、とってもおばかなお買い物。 なにより、明治時代に作られた築84年物(当時)。よい子は決してまねしちゃだめだよお。 特に屋根を修理するためにBMWを売ったり・・・・・しくしく。 しかも98年11月に終わっているはずの屋根の工事がいまだに終わってないし。業者にだまされたようだ。認めたくないけど。 (棟梁が亡くなってしまって(最後の電話での弟子殿談)、今は店も無い。いつか必ず完成させますという一本の電話を最後に残った大工は行方不明となった。) いつになったら雨漏りが直るんだろう。とほほほ。(とりあえず原因はわかった。本日の出来事参照) 入居して5年後、子供が生まれた末弟のうちから母と弟が逃げ出してきて同居している。 |
お金をかけずにガレージを造ろう。***とっても無謀な完全自作ガレージ物語。いったいいつになったら完成するのやら。 更新 2002年4月7日 |
2000年になって、例のかまぼこ型ビニールガレージ(過去の出来事参照)が破れるという悲劇を経験し、さらに部品取り用に買った2台目のMR2をおおっていたカバーが風化して穴だらけになってしまった。早急に対策をしなくては・・・。しかしMR2は、自走できない。しかも下はでこぼこの土なので押しても引いても動かない。 結局MR2をそこに置いたまま、その上にガレージをかぶせるという、とってもばかげたものを造ることにした。 しかし予算がない。で、目を付けたのが、ホームセンターで見つけた建築足場用のパイプ。これを、クランプで組み立て、屋根を張れば何とかなるんじゃないか。そうして始まった苦難の日々。 2002年2月現在約12万円を消費し、床半分を残すのみとなった。 と同時に、場所ができた安心感からか、またバイクが増え始めた。ばかだー。 |
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ここから過去のオートバイのコーナーです。 1972年から物語が始まります。 |
黄色の背景と下線の付いた名前には当時の写真と思い出、長所、短所、購入時の注意点等がついてます。 どうぞクリックしてやってください。 弟のところも含めて順次写真を掘り起こしてます。見つかり次第アップしますので見捨てないで、時々見に来てくださいね。 サービスマニュアル、パーツリストもかなり持ってます。後のリストをみてください。必要なデータはお教えします。ただし1冊全部は勘弁してね。データ量半端じゃないから。 あと、このページはほとんど記憶だけで書いてますので、間違いがあれば指摘ください。 *印のついたバイクは今もいっしょに暮らしております。その隣の数字は今兄弟3人で所有している台数です。 |
昭和47年(1972) 学生時代 | 自転車少年だった私をこの世界へ引きずり込んだのが同じ自転車仲間だったブッチ君。無免許で最初に乗ったYAMAHA RX350(初体験が2ストの350だったのが運のつき)の印象はまるでロケット。このころ無免許の級友のバイクに同乗して事故。頭を強打して今でも後遺症に悩まされている。それ以来ヘルメットには人一倍気を遣うようになった。(ばかだねえ。バイクをやめりゃよかったのにねえ)。 | 通算台数 |
1971年 YAMAHA トレール AT125-2 |
はじめて自分で買ったバイク。友人から2万円で買った。当時は大金である。この頃のバイクはよく止まってしまい、おかげではじめてのバイクだというのに16歳で整備の達人になってしまった。このバイクではツーリングしてないなあ。通学用。最近中古(大古?)車が気になってきた。 | 1 |
1973年 HONDA バイアルス TL125-1 |
初めて買った新車。日本初のトライアル車。弟と3人でわりかんして買った。はじめてロングツーリングを経験したのもこれ。けつがまっかになったとさ。4リッターのタンクで200km走る親孝行なバイク。最近パーツリストの問い合わせが多い。 | 2 |
1970年 YAMAHA ミニトレ FT50 |
弟がバイトの通勤用として買ったミニトレの元祖様。今じゃ見ない、ロータリーバルブ吸気エンジン。足でこぎたくなるぐらい非力だった。 | 3 |
1973年 HONDA エルシノア MT250 |
なんと親父が当時高校生だった俺たちとツーリングするため買ったバイク。スティーブマックイーンのCMは最高だった。レース場のある地名からとったエルシノアという名前がかっこいい。でもこのあと、ホンダから2ストは消えたんだよね。MTXまで。そういや、オンエニイサンデーという映画(栄光のライダー)に出ていた、エルシノアのレースが今年再開されたらしい。このバイクで出場したいな。 | 4 |
1972年 SUZUKI ハスラー TS400-1 |
中免とって初めて買った中型初号機が2スト単の最大排気量。無謀だったなー。大排気量ロードマシンも蹴散らす34馬力。燃費が悪く学生の身では毎日は乗れなかった。このころガソリンが1リッター180円もしたのだ。トイレットペーパーの買占めなんかもこの頃。(お母さんに聞いて) | 5 |
1975年 YAMAHA トレール DT250-4 |
TSの燃費の悪さに負けて乗り換えたこいつの方が燃費が悪かったことはご愛敬。でもかっこよかったから許しましょう。ラジアルフィン、センターアップマフラー、リザーバー付きリアサス、DT史上一番美しいと今も思っている。 | 6 |
1977年 HONDA CB400T ホークU-1 |
弟がミニトレの次に買ったのがこいつ。ヨンフォアを生産中止してまで作る価値があったとは思えないが、確かに速かった。ダンストールのマフラーをつけてもいい音しなかったなー。最近気づいたのだが、BMWR100の排気音に近い。暴走族御用達のやかんタンクがかわいかった。 | 7 |
昭和54年 | とうとう社会人に。オイルショックの影響でガソリン1リッター200円もした。就職も全然なかったなー。40人のクラスに40件の求人しかなかったため、成績のいい順にいい会社に就職した。私は40番目だった。で、福岡へ。当時の与太話 | |
1978年YAMAHA SR400 1型 |
学生時代最後のバイク。愛知から福岡に就職して(上のこま参照)、春休みに2泊3日で陸送した。今はなきモトライダー誌がヤマハの重い腰を上げさせましたねー。(意味が分かる人はきっと、初期型SRを予約した人だろうな。)初期は故障が多かった。エンジンかからんし。初期型は750cc並のチェーンを50KMごとに張ってたぞ。当時のチェーンを知っている私にとって、Oリングチェーンは画期的な発明だ。全然調整いらんもの。生産中止が決まったら500を買いたい。はやく生産中止してくれー。(2001年3月、500のみ生産中止) | 9 |
1978年 HONDA WING GL400 1型 |
とにかく400CC最重量級のバイクに乗ってみたら、意外なほど軽かったのに驚いた。何キロ走っても疲れない長距離ランナー。猫足セッティングと呼ばれた、へろへろの足周りが懐かしい。 | 8 |
HONDA CR80 空冷 | 友人が金に困っていたのを、助けるために6万円で買いとったモトクロッサー。小さいけど、まちがいなくレーサー。おもしろかった。いつ手放したのか覚えていない。 | 10 |
SUZUKI RM125 | 空冷、2本サス最後のモトクロッサー。このころからモトクロスにはまり、数台続けて買い、市販車がいかにおそまつか、教えられた。レーサーは手抜きがなくてすごい。舗装路なら3速までウイリーする。 | 11 |
YAMAHA YZ250 水冷初期型 | 当時最強の40馬力を味わいたくて買ったけど扱いきれず、手放してしまった。ヘッドライトの位置にあるラジエターが珍しかった。YAMAHA初のリンク式モノクロスサスを搭載。最後は大阪の人にただであげた。 | 12 |
HONDA CR125 水冷初期型 | プロリンク(1本サス)は画期的な発明でしたねー。このころは4社とも違う形式のサスを採用していたが今じゃすべてホンダと同じ形式になってしまった。(モノクロスにユニトラック、フルフローターだったっけ)最後はジャンプの着地でフレームがまっぷたつに折れ、三輪バギーのフロント部分となって一生を終えた。 | 13 |
YAMAHA カート RC100 |
思い出したくない、いやな思いでがある。(福岡のカートコースで無人で空を飛ばした・・・・こっぴどくおこられた。そりゃ当然だわな。)しかし、今カートコースが近くにあるので(10kmほど先の作手カートランド)もう一度欲しい。 | 14 |
1977年 YAMAHA トレールDT125M |
九州トレールクラブに入りたくて再びオフロードへ。すごい人たちで、最初のツーリングで挫折した。崖はのぼるは、川はわたるは、最後にはバイクかつぐんだよお。人間じゃないね、あのひとたちゃ。 最近でもGARRとかバックオフで見かけます。まだ走ってんのかっよ、あの林兄弟は。(野武士と呼ばれている)。ヤマハのバイクの中で最高傑作といってもいいかも。35km/l。 |
15 |
1980年 SUZUKI ハスラー TS250-9 |
通勤用に買ったが入社初日に車にはねとばされ、初めて救急車に乗り、遅刻した苦い思い出がある。ちょうど消防署の真ん前で、消防署員が一斉に飛び出してきたっけ。ほんの100メーターほどはなれた救急病院へ行くのに救急車に乗ったのだ。恥ずかしかった。このころのスズキのバイクって、今見るとデザインひどいねー。 | 16 |
SUZUKI ハスラー TS250-10 | なにをトチ狂ったか、ハスラーを2台立て続けに買ってしまった。今思えば8型のデザインがが最高だった。9型、10型は出来の悪いモビルスーツみたいだ。燃費も悪いしね。これを最後に2ストから足を洗った。 | 17 |
1980年 HONDA XL250S *@ |
新車の時から今も大事にしているスーパーオフローダー。これがなかったら、今のオフロードバイクはなかったはず。15年後、画期的な23インチのタイヤがレストアのネックになろうとはねー。これで天竜林道を100km/hで走り抜けたことも今じゃいい思い出ですな。今じゃ怖くてとうていできません。若かったなー。今のオフ車はのっけてもらってる感じがどうもいや。今部品を集めてる。S専門のレストアショップを開きたい。(いうだけならただ) | 18 |
1980年 YAMAHA XT250 | 1リッターで40KMもはしった超経済車。シートが異常に低く、軽かった。道路沿いの桜に見とれて、白バイにご用になったことが一番の思いで。奈良県警のばかやろう。 | 19 |
1981年 SUZUKI GSX400E-2 | 今まで乗ってきたバイクの中で、もう一度新車でほしいバイク。あのくるんくるん回るエンジンは感動もの。私が初めて180km/hを振り切ったバイクだ。4時間耐久でヨシムラが走らせたこともあったねー。故堀ひろこさんのライディングにはしびれました。友人が初期型を持っているのでねらっている。 | 20 |
1984年 HONDA VT250FE | アイデアのかたまり。油圧クラッチ、インボードディスク、16インチのフロント。一番長く乗った。(3年間) このエンジンは今もマグナやVTRに載っている。たぶん最優秀エンジンではないだろうか。 |
21 |
1982年 HONDA CX400E ユーロ *A |
ツーリングの途中すれ違って一目惚れ。気に入っていたVTを手放させたダイナマイトボディを持つグラマー美人。今もつきあってます。でも悲しい悲しい不人気車。みたことあります?何人かにただでやるといったのにことわられたんだよー。試乗したとたん、みんな首をかしげながらことわるんだもの。 | 22 |
1986年 SUZUKI GAG50 | いやーこれまた一目惚れ。あまりの遅さに手放したけど。燃費がよすぎて買ってから1回しか給油せずに手放してしまった。見つけたら買いです。GSXR1100と同じパーツをふんだんに使ってるって知ってた?。 | 23 |
1988年 YAMAHA TDR250 | 弟の。TZR250の2ストパラツインを、強引にオフロード車の車体に押し込んだスーパーバイカーズモデル。 もういうことなし。音が気持ちいい。モデルチェンジして生き残っていたら、すごいバイクになったのに。もう一度復活してほしい。タコメーターがタンクについてるのだけは勘弁してほしいけど。ただしノーマルマフラーじゃだめですねー。うちのはサイレンサーのみアルミに交換。これで十分速くなる。 |
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1987年 HONDA VFR400R-2 NC24 |
生まれて初めての4気筒。スィングアームがプロアームになるのを待って購入。出来がいいのが、おもしろいバイクとは限らないと教えてくれました。すぐあきた。フレームはやわい方がいい。だって限界がわからないもの。ただ、あの180度クランクのエンジンはよかったなあ。みゅいーんというギアトレインの音も結構好きだった。 | 25 |
1984年 SUZUKI GSX-R(400)-1 | 弟の。はじめて400CCが200KMの壁を破った記念碑的バイク。150KGそこそこの車重は後輪の荷重不足をおこし、リアブレーキがすぐロックした。ガンマとともにレーサーレプリカ時代の幕を開けたバイク。ただトルクが無く、速く感じなかった。 | 26 |
1985年 SUZUKI RG250γ3型WW |
これも弟の。いやー、体感速度は速かったけど、上のGSXR400との加速競争に勝てなかったし、うちらの体格じゃちとしんどいサイズでした。(178センチ、70KG・・・当時。今じゃただのでぶ)次は500がほしい。 | 27 |
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平成1年 | とうとう33歳にして大型自動2輪取得した。5回目に合格。ただ,後からとりに行った弟は2回で受かった。 | |
1987年 SUZUKI GSX-R1100-1 *B |
後から免許を取りに行った弟が、先に合格し、私の一番ほしかったバイクを買ってしまった。今も目の前にありながら一番欲しいバイク。だって、自分のじゃないもの。最初で最後(じゃなくなったけど)の美しい油冷エンジン。ほとんどアルミ製の超軽量車。走行中、抱いて眠れるガソリンタンク。130馬力は必要十分。ただし外装部品が手に入らないし高い。(この後,とうとう別に88年式手に入れた。後述。ただ,外装はこの87年式が一番好きだ)今も、このエンジンが受け継がれたため、部品に困らなくなったのはうれしい。 | 28 |
1988年 KAWASAKI ZX-10 | 一番下の弟が買った、当時世界最速だったバイク。走行0kmの新車を九州までならしをさせてくれた。図体がでかいのに超軽量。220kgぐらいしかない。ただクラッチが重くて死にそうだった。当時円高のおかげで新車が88万円で買えた。そのおかげか結構台数が出ているため、今中古車は30万円ぐらいで買える。部品が高いのと、夏はさわれないほどフレームが熱くなるのが欠点。メーターは300kmだ。1台で何度もおいしい珍しいバイク。ツーリング先で荷物を積んだまま、速い車と戦えた唯一のバイクだ。 | 29 |
1985年 SUZUKI VS1400 イントルーダ |
VFRに4ヶ月で飽きてしまい、再びツインへ。しかもいままで乗れなかったビッグツイン。でも3ヶ月で飽きた。2度と乗ろうとは思わない。ハ−レーのけつを追ってくだけじゃハーレーには勝てないのに、なぜいまでもアメリカンなんてあるの?。無理してもハーレー買うべきだった。もし買うんだったら、後期の5速にしようね。(初期は4速で、低速が効かないので一般道では3速までしか使えない)12km/Lの燃費もX。タンク13Lで、200km走れず。一番困ったのが雨。前に足を投げ出すため、すそから水が入ってくる。 | 30 |
1981年 BMW R80G/S パリダカール |
生まれて初めての外車はさびの固まりのような、でもパリダカール仕様だ。800CCなのに180KG。ただ、安かったため,最初の1年は故障との戦いだった。でも今では手放したのが悔やまれる。どこでどうしているやら。もう一度欲しい。誰か売ってください。(これと入れ替わりで買ったR100GSはすでに手放した) | 31 |
1986年 DUCATI MHR ミッレ |
もう魔が差したとしか思えない。立て続けに「がいしゃ」だ。しかも病気持ちだった。でも、このバイクで苦労が喜びになるというイタリアン病になった。トラブル続きの2年間。もう2度とDUCATIなんか・・・。 | 32 |
1981年 DUCATI MHR 900R *C |
・・・・・病気にとりつかれてしまった。・・・なぜ・・こんなことを・・・2台目だぜ。 学習能力というものがないのか、俺は。 でも、これは最高だった。墓まで持っていくバイクだ。世界一気持ちいいエンジンだと思う。絶対手放すもんか。 ただし、コンチマフラーからの排気音はどう言い訳しても暴走族とかわらない。乗っている間はモラルは捨てる必要がある。 ね、ハーレーに乗ってる正統派のおじさまがた。 |
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1976年 DUCATI 860GTS *D |
900Rの部品取りにしようと思ったのよ。安かったし。でもまさかエンジンが違うなんて・・・。 うーん書類もあるし。メーターはスミスだし。Fフォークはチェリアーニだし。初期のコンチマフラーもついてる。 レストアしようかなー。いつになるかわからんけどね。それとも900Rに部品を使おうか。 それにしてもジウジアーロって、ほんとに優秀なデザイナーなのだろうか。このバイクを見ていると疑問に思うのは私だけではないはず。(良かったのはNIKON-F3だけって噂だけど) |
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1989年 BMW R100GS パリダカール |
・・・・またパリダカールだ。0-100KM3.5秒。ポルシェより速い。(そう感じんけど)そのかわりR80の半分の航続距離。北海道ではR80は26リッター満タンで500km走れたのに、R100は34リッターのタンクで350kmしか走れない。それに重すぎて止まらないのには閉口した。砂利道では沈んじゃうし。 確かに安かった。しかし・・・。誰か、あほな私を止めて・・・・・。 名古屋の人の熱意に負け、99年4月、譲ることにした。娘を嫁にやる父親ってこんな気持ちかなあ。 そして今再びR80G/Sのパリダカールを探してる。ばかは死んでも・・・・・である。R80を手放すべきじゃなかったよお。それにしても、R100GSって、雑誌でほめすぎているのでは?とおもうのはわたしだけ? |
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1989年 SUZUKI GSX-R250RK *E |
会社の同僚が家を建てた。バイクをすてると言った。で、つい・・・。だってまだ、3600KMだもの。小指1本でロックするFブレーキはすごい。でも家にくる前に盗難にあったため、ステアリングロックがこわれて解除できず、移動もままならなかったので引っ越しの時は苦労した。(その後解決したけど)買ってからまだ1度しか乗ったことがない(しかもその1度でこけた。今修理中。結局保険に入って10kmも走らないうちに保険切れとなった) 同僚は昨年故人となってしまったため、これは形見となってしまった。 |
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1990年 HONDA アフリカツイン XRV750初期型 *F |
弟がZX10で死にそうな目に遭いこれに乗り換えた。重心もシートも高いのでなんどもこけた。でも北海道で水を得た魚になった。完全な北海道専用マシン。燃費がもう少しよければねえ。最高15km/L。初期型の足つきの悪さは半端じゃない。178センチの弟ですら片足のつま先しかつかねえんだもの。2型でフレームが代わり解決したようだ。 | 37 |
1982年 HONDA XL250R *G |
弟と北海道へ行くために横浜まで行って3万円で買ったバイク。以降XLシリーズにはまる。こうなりゃ21リッタータンクのパリダカがほしいなー。XL250Sから乗り換えると、うーん新型はいいなどと馬鹿を言ってしまうほどサスがいい。シートが低い時代の最後のトレール車だ。キャブが弱点だがXLRのに換えて解決。このXL,XLR,XRシリーズはどの年式のキャブも使えるのが美点。最近、このホームページを偶然見つけた前オーナーからメールがとどいた。うれしかったねえ。 | 38 |
1983年 HONDA XLX250R *H |
こうなりゃXLシリーズ全部そろえようとつい買った。はじめてRFVCエンジンがのった、現行XLRの元祖バイク。でも壊れやすいのでおすすめしないっす(友人のはカムベアリングがばらばらになった)。とても重たいし。ツインキャブだし。ただ、この機種だけマグネシウムパーツがたくさん使ってあって、軽合金フェチの私はうれしい。これらのパーツを、今、部品で頼むとすべてアルミ製になってしまう。つまりマグパーツは車両についている分しかないのだ。みんな大事にしようね。ちなみにわたしのは、XR仕様です。他に友人から1台預かっている。 | 39 |
1985年 HONDA XLR250RF*I | 今は弟が新車から大事にしているがいつかこの手に。これも壊れやすい。この年式までオイルラインがどーも・・・。カムは2本目だ。ロッカーアームもすり減ってなくなっていた。赤いエンジンはかっこいいけどねー。エンジンが不調で修理に1年かかってしまった。(でも6月再び入院。バイク屋でも原因が分からずメーカー行きとなった。結局CDIを交換して解決した。シリンダーを交換したため今は慣らし中)。 タンクが大きい(12リッター)のでロングツーリング向きなのに信頼できない。 |
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1986年 HONDA XLR250R BAJA *J |
いつの間にか本当にXLシリーズがそろってきてしまった。この型からエンジンに不安がなくなった。ブレーキもこの型から前後ディスク。(同年式のXLRは後輪ドラム。バハだけ先にディスクがついたのだ) XLX,XLR-RFともエンジンに互換性がないの知ってます?そっくりだけど。この前これで北海道へ行ったら燃費が40km近かったのに驚いてた。旅先で話をした新型XRは30km以下だったのに。 |
41 |
1979年 HONDA XL500S *K |
250Sにエンジンだけ使おうと思ったが書類がついてきた。ただし前輪がXLRのなのでだれかフロント周りを譲って。部品ならなんでも募集。 その後(11年3月)ノーマルをもう一台買うという暴挙に出たため、今2台ある。 2台合わせて、やっと乗れそう。北海道を走ってみたい。ただあの提灯以下のヘッドライトを何とかしないと。 |
42 |
1988年 KAWASAKI KDX200 | 空冷最後のKDX。初めて買ったKAWASAKI車。エンデュロレーサーなのにこの型だけ市販車クラスで走ってもいいことになった。そりゃそうだ。DT200に直線で抜かれたもんなー。31.5馬力。初期のユニトラックサスを装備。2000年9月に石川の大学生に売ったら、翌日崖から落ちたとのメールが。・・・ | 43 |
KAWASAKI KDX250R | 弟が突然エンデュロ復活宣言をして大阪までいって個人から買ってきた。・・・もう40歳。体力大丈夫か。とにかく速い。40馬力を扱いきれない自分が悲しい。レーサー。公道不可。 (2000年11月、扱いきれない弟が手放した。結局私は本格的に乗らずに終わってしまった。) |
44 |
SUZUKI RMX250R | もう一人の弟も以下同文。どうしちまったんだよ。おまえら。2台ともレーサーじゃんかよお。こっちはなんと50馬力だ。ただサスペンションがKDXより柔らかく、速く感じない。保安部品さえありゃ乗り回したいと思っていたら、これまたオークションで大阪に嫁に行ってしまった。超がつくクロスミッションで各ギアは1秒もかからずふけきる。こりゃモトクロッサーじゃん。 | 45 |
1983年 YAMAHA XT250T | ごめん。忘れてた。あまりにも影が薄いもんだから。でも、今でもちょくちょく見かける。オフロード車初のツインカムエンジンはSRX250にも載ったね。 富士見高原のエンデュロで使命を終え、その後、人にもらわれていった。 |
46 |
1982年 KAWASAKI Z400GP |
なんてこったい。これも忘れてた。交通事故の慰謝料を払うため、新車で買ってすぐ売られてしまった、一番不幸なバイク。あんなことがなけりゃ、いまでもうちにあったでしょう。ごめんなー。もし今もってたらお金持ちだったのにー。(今じゃレストア車だと70万円ぐらいで取引されている) | 47 |
SUZUKI バラ *L |
当時いちばん安いスクーターだった(49800円)。今も現役。リミッター無しでも50kmしかでない。 | 48 |
1979年 HONDA XL500S *M |
バイク雑誌に部品買いますの広告を出したら、1台丸ごと手に入ってしまった。金額は程度の割に高かったが、走行1万kmに免じて買ってしまった。金額はいえない。馬鹿を披露するような物だから。 2台目だが、まだ走ることができる状態にはない。OH(オーバーホール)をしないと。 |
49 |
1982年 HONDA XL250R *N |
酒匂川の部品交換会に行ったついでに手に入れた、同年式のXRの足周りを入れたXL250R。部品取りである。やたら背が高いためサイドスタンドが効かない。XL500Sに電装系を使おうかと思っている。(何しろ500Sは6V電装だからねー) | 50 |
1988年式 SUZUKI GSX-R1100 *O NEW |
99年5月13日。ついに探し求めていたバイクに出会った。10年で1900kmしか走っていない新同車である。納車整備でキャブをばらしてあったが、そのとき組み付けミスがあり、オーバーフロー。自分でやり直す羽目となった。で、直って乗ったら、怖いバイクになっていた。速すぎるぞこれ。弟のGSXR1100はへたっていたのかあ。慣らしが終わるのがもったいないので、4年後の今でもまだ1000kmしかのっていない。が、すでにさびつつあるし再びキャブが不調になってきた。乗らないとだめだ。やっぱり。 | 51 |
1993年 YAMAHA GTS100O *P |
弟が一目惚れし5年ぶりにバイクを購入。前後輪ともスイングアーム式というとんでもないバイク。FZR1000のエンジンを100psにして搭載してあるためエンジンもよく回る。ツーリングバイクの格好をしているが紛れもなくスーパーバイクだ。こいつの前輪周りの剛性を味わったら、50mm径のフロントフォークが頼りなく思えてくる。ブレーキングの快感は未知の物。ただし、少しでも傾けるとハンドルが切れ込み立ちゴケとなる。すでに5,6回はこかした。私の体力では支え切れません。フレームと呼べる物がなく、前後輪はエンジンに張り付いているアルミプレートによって支えられている。とにかく、見かけとは裏腹にひらりひらりとコーナーリングするとんでもないバイクである。残念ながら2000年で生産中止となった。 GTS1000のマニュアルをみられるホームページへのリンク |
52 |
1989年 HONDA VFR400R NC30*Q |
会社の同僚が処分に困って「もらってほしい」と言って来た、当時最速の4耐レーサーレプリカ。前に持っていたNC24と違い、純粋なレーサーレプリカである。NC24はプロアームなのにマフラーが右にあったので、タイヤがはずれなかったが、NC30はマフラーがスイングアーム側にあるため、タイヤが簡単にはずれる。しかもセンターロック。これもレースのため。 ただし程度は悪い。カウルはばりばりに割れてるし。どうやって走れるようにしようか。(いつの話?by弟) | 53 |
1987年 ヤマハ TY250R *R |
ネットオークションで魔が差し、せり落としてしまった、13年前の競技用トライアルバイク。目から鱗、のおもしろバイクである。バイアルスしか知らない世代にとっては、とんでもない高性能車。(今じゃもっとすごいことになっているけど。このバイクにはまだある、シートもタンクも今じゃどっか消えてしまってるものねえ。) | 54 |
1977年式 ヤマハDT250M 最終型 *S |
インターネットを通じて、ある日突然うちの子になってしまった3兄弟の1人。 ヤマハが誇ったDT250シリーズ最終型。この型を最後にヤマハのラインナップから、2ストロークスポーツは消え去った。この後1981年にRZ250が誕生するまで、2ストロークはレーサーとスクーターぐらいしか生産されなかったのである。 そして、今年、とうとう2ストロークは2度目の最後を迎えた。さびしいねー。 |
55 |
1982年式 ホンダVT250F 初期型*21台目 |
ほんとはうちにくるはずがなかったのだが、DT250MとGL400を引き取りに行ったら、倉庫の隅に静かに眠っていた。頂戴といったらほんとにくれた。ただ書類がない。乗りたいよー。 RZ250の売上を激減させた、ホンダVエンジンの元祖。数々の世界初を装備していた。 このバイクの成功がなきゃ、今のレプリカたちは存在しなかっただろう。(だってこのバイクの誕生以前には、カウルすら認可されてなかったもの。) |
56 |
ホンダ GL400カスタム *22台目 |
上のDT250Mを引き取ってくれたらおまけにつけます。と言われたが、こっちのほうが気に入ってしまった。CX400のご先祖様であるGL400を、当時はやった、ジャパニーズアメリカンに仕立てたもの。この手のバイクを発売当時は馬鹿にしていたものだが、今回初めてまたがったら妙にしっくりくる。歳をとったと言うことかなあ。 | 57 |
ホンダ TLR200 *23台目 |
これも上のうちにあったもの。ナンバーがついていたが乗った形跡がなかったため、いらなくなったらくださいと言っといたら、数週間後連絡がきた。 バイアルスと比較してもつくりがよく結構面白そうなバイクである。 |
58 |
1982年式 ホンダVT250F 初期型 *24台目 |
部品取り用にとオークションで購入し、2002年1月2日に引き取ってきた、2台目の初期型VT。が、8000km弱しか走っていないし、さびが非常に少ない極上品だったので、こちらが先に復活しそう。ほんとにいい買い物だった。(なぜか周りはそうは言わないが) ただ、普通のVTじゃない。 リアサスはプロアームがついている。当然、前後ディスクブレーキである。 前の持ち主を挫折させたチェーンラインの問題さえ解決すれば公道デビューだ。・・・て、チェ−ンラインの測定ってどうすりゃいいんだろ・・・。 |
59 |
1984年式 ホンダ VT250FE *25台目 |
これまたオークションで買った部品取り。サイドカバーと書類がない。 しかしさびがほとんどない。(タンク内もぴかぴかである) どっかで書類付の解体車を探して1台復活させ、昔これに乗っていた友人に押し付けようともくろんでいる。 |
60 |
年式不明 ホンダ CB250RS *26台目 |
オークションでXL500Sの部品を検索していたらなぜか引っかかった。 そう、XL400Rのエンジンが載っているのである。 これをもとに昔ながらのフレームがよじれるようなバイクをがんばって完成させたい。 |
61 |
2001年式 BMWR1150RT *27台目 |
弟が、子供が生まれるってえのに、200万円以上出して買った、BMWの最新バイク。ABS、ブレーキブースター付の前後連動ブレーキ(もう強力!たぶんこいつに乗った後ほかのバイクに乗ったら間違いなく前の車に追突する。)はすごいのひとこと。 | 62 |
1984年式 ホンダ VT250FE *28台目 |
インターネット上で突然、相模原の人からもらった、書類つきのさびさびバイク。 欠品無しで、さびさえなければすぐに登録できそうだったが、そこはそれ。 さびでタンクキャップは開かないは、ハンドルロックははずれないはで、車に積むまで数時間かかってしまった。しかし、これで1台登録できる。 ありがとう!**さん! (しかし相模原は遠かった。往復15時間かかった。) |
63 |
1981年式 ホンダ XL250S 3型 *29台目 |
ずっと昔上のXL250Rを売ってくれた人とネットで再会。 3月にXL250Sを買ってくれませんかというお言葉をいただき、4月の連休に東京大田区までとりに行ってきた、XL250Sの最終型。マフラーを交換してある。 久々に原形を保ったマフラーを拝ませてもらった。 今回は弟といったので楽だった。(これには理由あり。理由は下に) |
64 |
1994年式 ホンダ パンヨーロピアン ST1100 *30台目 |
ほとんど知っている人はいないと思うが、世界で唯一、DOHCV型4気筒を縦置きした、重量級ツアラー。ABS、トラクションコントロールを装備している。 XL250Sを取りにいくとき、弟がついてきたのは、東京の品川のピットイン2というお店にこのバイクを見に行くためだったのだ。(地図で見たら、XLのあるうちとこの店、偶然駅ひとつ分しかはなれていなかったので。) 弟は’87GSX−R1100を廃車して以来バイクを買ってなかったが、わたしがGTS、一番下の弟がBMWを買ったので我慢できなくなったらしい。 健闘を祈ろう。 |
65 |
*印のバイクは今も手元にあります。*のあとの番号は現在3人の兄弟全員で所有している台数です。
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サービスマニュアルがあるバイク |
2005年8月現在多忙を理由にコピーはお断りしておりますのでご了承ください |
HONDA |
XL250S | XL250R | XLX250R | XLR250RF | XL400R | XL500S |
フュージョン | GL400/500 | VFR750R | XLR250RG | CBR250F | CBR250RR |
CX400C | VT250FC | VT250FE | VT250FG | GB400,500 | XRV750アフリカツイン旧型 |
VFR400R NC30(二つ目) |
VFR400R プロリンク NC24 |
CBR400RR (NC29) |
CX400E | XLV750R | MVX250F |
YAMAHA |
TDR250 | SR400−1JR | FJ1100N |
SUZUKI |
87GSXR1100(英語) | GSXR250RK | DR250S | GSX1100S |
KAWASAKI |
88'KDX200 | KDX250R |
DUCATI |
81,900MHR | ヘインズDUCATIツイン(ベベル) |
BMW |
ヘインズBMW R−80,100TYPE |
BSA |
ヘインズBSA A7,A10ツイン |
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パーツリストがあるバイク |
HONDA |
XL250S | XL500SZ,A | XLR250RF,H MD16,20,22 | XL400RC | Z50J | XLX250R | GL400,500 | VFR400R NC30 |
TL125D JD06 | CRM250RK MD24 | TLM200RF | CBX250SF | VT250FG | NX250J MD21 |
GB250E | VT250FC、F2D MC08 |
CX400C NC10 | XL250M MD26 | CX500EC PC06 | TL125K1,K2 | XRV750 | CB250RS | CX400EC NC08 |
TLR200D |
NSR250RG MC16 |
NSR250R2J、4J MC18 |
NSR250R5K MC18 |
VT250FN MC25 |
CBR400RG NC23 |
VFR400R、Z NC21,24 |
NT400J,K NC25 |
NT650J,K RC31 |
VFR400R3K,L NC30 |
YAMAHA |
TX500 | TX750 | SRX400(1JL) | SRX600(1JK) | FZX750(3XF1) | DT250M | XT225(3RW4) |
SUZUKI |
TS400−1−4 | TS250−9−11 | RM125−5 | RMX250P,R | DR350LMN | DR250SH | LS400 | GSXR250RK |
GSX1100S | RG400EW | GSXR250RH |
DUCATI |
900MHR |
サービスマニュアルがある車 |
TOYOTA |
AW11MR2 | AW11MR2スーパーチャージャー | RN36ハイラックス | 18Rエンジン |
AW11新型車解説書 | RN36新型車解説書 | LN107新型車解説書 | 4AGエンジン修理書 |
パーツリストがある車 |
AW11MR2 |
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お友達の持ってる(乗せてもらったことのある)バイク |
kawasaki Z1000R R2 | いわずと知れたローソンレプリカの初期型。盗難にあい、エンジンをブローさせ(しかも宮崎から愛知までけむりはきながら戻ってきた)それでも懲りずに持っている。車はFJの鉄仮面スカイラインからロータリーのFCに乗り換えた物好き。カーカーの集合はDUCATIのコンチマフラーに匹敵するぐらいうるさくて、しかし、いい音だ。重い上、曲がらない、止まらない。エディローソンは、こんなのでレースをしていたのか、としみじみと感心してしまう。 |
BIMOTA DB1−J | DUCATIの400ccエンジンを積んだビモータ最小機種。車体は750ccのDB1と共通。プラグ1本換えるためにも一体式のフルカウルをはずさないといけない。カウルだけで100万円するため、絶対に、こけることが許されないバイク。もっとも、社外品のカーボンカウルが40万円で買えるけど。貧乏人は維持すら困難なバイクだ。持ち主は下の350も持っている。でも貧困生活者だ。私がこの世界へ引きずり込んでしまったので、申し訳なく思っている。 |
DUCATI 350F3 | あまりにもデザインの評判が悪かったパンタ600のエンジンを750ccにボアアップし、真っ赤なトラスフレームに積みなおした、DUCATI史上一番美しいF1系パンタ。その中免版。実はカジバ製である。このバイクがでた頃ドカティは深刻な経営難だったため、カジバに身売りし、ドカティブランドは消え去ろうとしていたのだ。パワーがないのにめちゃめちゃ早い。実はねらってる。540ccのボアアップが可能だし。(350は400ccとエンジンが違う?できないって?そういやこれって、エンジンもカジバ製だったっけ?400F3はドカティ製なのにね) |
YAMAHA TDR250輸出仕様 | 国内仕様とひと味違う50馬力エンジンを積んだTDR。スィングアームが鉄製なのが唯一の欠点。(国内仕様はアルミ。)下のFJとどっこいの加速(感だけかもしれない)だが、止まりません。持ち主は普段も軍服を着ているミリタリーおたく。 |
YAMAHA FJ1100 | 一時は国産最強の130馬力バイクだったのに、今では中古車最安値のリッターバイク。国産バイクで初めてエンジンの外を通るフレームを採用。それまでのバイクと比べ、フレームの剛性感は桁違いだった。プラグが1本はずれていたにもかかわらず、残りの3気筒で、メーター読みで260kmでた。くそ重たいがシートが低く、低い重心と相まって最初のリッターバイクとして一番のおすすめ。今なら20万円以下のもあるし。エンジンはXJRと同じ系列。 |
YAMAHA XJ750 | スポーツなのにシャフトドライブ。斜めにそぎ落とされたエンジンフィンが美しい。いままでの750ccのなかで一番かっこいいと思う。 |
HONDA CBR400RR | VFRを買うとき、どっちにしようか迷ったバイク。あとで友人が買い、今も大事にしている最初期型。噂によるとこの型は59馬力以上でてたらしい。排気音がいいもんなあ。 |
KAWASAKI KR−1 250 |
不人気のタンデムツインのKR250Sの跡を継いだ、並列2気筒の超軽量車(120kgぐらい)。シリンダーがフレームと平行にデザインされているため、カウルをはずしても極太のフレームにかくれてエンジンがよく見えない。オーナーは事故で1台めをつぶし、とっくに生産中止されていたKRを探しだし、保険で同じバイクを買ってしまった大馬鹿者である。しかし結構名車かもしれない。タイヤが250CCとはおもえないほど平たくてぶっとい。高速道路でタイヤを溶かしてしまうハイパワー車。もし買うんなら、SP仕様のKR−1Rが欲しい。 |
HONDA CBR400 | ヘッドライトの下にオイルクーラーを吊したデザイン。ホンダのVTECエンジンの元祖に当たる可変バルブのREVエンジン。かっこいいNSコムスターホイール。REVがすぐ壊れて引退した。暴走族には好評だったねえ。 |
YAMAHA FZR250 | 4気筒最小エンジンを積む、ヤマハフェーザーの後継車。当時はこんなに回るエンジンは他になかった。フェーザーのスタイルは好き嫌いがあったが、この機種で、FZRシリーズ共通のレプリカスタイルに統一された。タンクが小さく12リッターしか入らないため150KMごとに給油していた。燃費も悪かったなあ。 |
HONDA CB750FA | うちの会社の同僚は、1機種に300KMぐらいしか乗らずに売ってしまう。これも同じ運命をたどった。1度しか見ていない。乗せてもらったが、重く曲がらず、とまらない。ローソンレプリカと同世代だということがはっきりわかるバイクだった。かっこは好きだが、いかんせん、でかすぎ、重過ぎである。 |
KAWASAKI GPX250R | 弟の彼女が買ったバッタの次のモデル。(バッタとは、あのライダー号みたいなやつだ。この型で、400と共通デザインの普通のバイクとなった。前の型もいいと思うけどねー。)まあ、かろうじて走る、当時の250CCの典型だ。おもしろさとは無縁のバイクだった。彼女と別れたとき、我家に置いていったことでもわかる。 |
SUZUKI SAVAGE400 |
アメリカン唯一のビッグ単搭載車。アメリカン嫌いの私が唯一認める、正当なジャパニーズアメリカンである。 ただし本当に遅いし、疲れる。作りつづけてほしかった。 |
SUZUKI DR250S | 油冷エンジンを搭載した、結構速いオフロード車。倒立フォーク、接着式スイングアーム(溶接がない)、等エンデュロにも対応している。ただ、この持ち主は、こんなの速すぎて詰まらん!といって10年も古いホンダXLX250Rを林道走行のために購入した大ばかものである。(わたしのまわりにはこんなのばっか) |
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大昔のレーサー達の写真 |
瀬戸康一のKAWASAKIKX250 | まだ2本サスしかなかった頃のKX250。たぶんワークスです。今豊田で店開いてます。弟の同級生らしい。 |
YAMAHA YZ250M | 空飛ぶサスペンションとよばれたモノクロスサスを装備し、鈴木忠男のライディングが世間を大騒ぎさせたモトクロッサー。だって見える範囲にサスペンションがないんだもん。HONDAからプロリンクがでるまで他のメーカーはその後もしばらく2本サスのままだった。カンチレバーサスペンションともよばれたっけ。 |
HONDA WORKS CR250 | これは完全にワークスレーサー。最初期の2本サスのCR250(RC250?)です。80年くらい。 |
昔の8耐レーサー | 78年から始まった鈴鹿8時間。最初はがらがらで、ピットにも入れた。フレディスペンサー、エディローソン、グレームクロスビー、ウェスクーリー、ワインガードナー、みんなここからデビューしたんだよ。 |
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自転車バンザイ |
私の愛車達 | ||
片倉シルク27S | 28年前、高専にうかったお祝いで買ってもらった初めてのマイ自転車。当時のはやりでハンドドリルで穴だらけにして軽量化した。今も持ってる。ばらばらだけど。この自転車をみてると、貧乏だったのに、こんな高価なものを買ってくれた親に感謝せざるを得ない。あのころの親の年を越えてしまったけど、家族も持たない今の自分が恥ずかしい。当時5万円。時給が330円だったから、今の貨幣価値なら10万円ぐらいかな。 | 1 |
1972年 ズノウ ランドナー |
その2年後、アルバイトした金でフレームを買い、さらに1年かけて部品を買い集めて自分で組んだセミオーダー車。これもレストアしながら持ってます。当時15万円。250ccが買えた。時給330円の頃。つらかったなー | 2 |
ブリジストンマッドロック | 旧車会の部品交換会でつい買ってしまったぼろぼろのマウンテンバイク。足で使ってる。レストアしない。だって乗れなくなるもの(自転車好きの人だったらわかりますよね)4000円。 | 3 |
ミヤタロードレーサー スプライン5500 |
シャカリキという漫画に影響されて買ってしまった最新型。浦島太郎の気持ちを味わった。ブレーキレバーがチェンジレバーを兼ねてるなんて・・。変速が16段もあるなんて。サイドプルのブレーキがあんなに利くなんて。 車重 11kg。10万円。 でも20年前に買った弟の自転車より重い。あっちゃ10kgしかない。 20年前のミヤタのロードって、いい自転車だったのね。 2003年現在700Cのタイヤに換装して毎週100qの通勤に使っている。 |
4 |
正体不明のWサスペンションMTB | 同僚がフロントサスペンションを丸ごと盗まれたため私にくれたもの。オークションでフロントを手に入れたら形式が違ったため、今度はフレームを交換する羽目になった。この辺でやめとこうと思っている。だって、ホームセンターで売ってるような安物なのに、結局フロントフォークを買ったためすべての部品を新規購入することになりそうだから。(最近アルミフレームを買ってしまった。・・・無限地獄が始まってしまった) | 5 |
カンパニョロをはじめとする1970年代のいろいろな部品たち | yahooオークションの存在を知ってしまい、今、20年以上前のあのころの部品たち(しかも新品!)が集まり始めた。(素直に買ったといえないのはなぜ?) しかし、すでに20万円以上投資しているのに、1台分集まらない。 だって、デローサのフレームなんて、旧いほうが高いんだもの。あと,10年はかかりそう。 |
6 |
パナソニックMTB アルミフレーム |
yahooオークションでつい買ってしまった。どうしようちゅうんだろーね、わたしは。 これで、部品をそろえる理由ができてしまった。また今日も・・・。 2003年8月。とうとう夏休みを利用して、完成車になってしまった。18番参照。 |
7 |
ロイヤルノートン クロモリロードフレーム |
これまたyahooオークションでつい買ってしまった20年前のノートン工業製オーダーロードフレーム。 丹下NO2フルセット。むちゃくちゃ軽い。4900円で買ったのだが、きてみてびっくり。クローシートステイだ。多分7,8万はしただろう。同時にこの人からホイールも買ったのだが4000円で買ったとは思えない、ラジアル組み、バテッドスポーク、シュパーブのハブ、アラヤのブラックリムというもの。本当に得した気分だった。 早速、これもオークションで手にいれた20年前の新品パーツ、カンパニョロのブレーキ、マイティコンペのチェンホイール、栄ロイヤルのピラー等組み込んだ。 かっこいいーーーー。(病気だな、これは・・・。) |
8 |
山王 クロモリロードフレーム |
・・・・。また買ってしまった。だって中学生の頃の憧れだったんだよ。山王のロードは。 約30年前のものだがフルメッキの上に塗装がしてあるため、痛みは少ない。 もう、ラグの肉抜きなんか、芸術だよ。・・・(さらに病気が悪化したようだ・・・。) |
9 |
2003年式 完全自作 ヒルクライムレーサー |
最近ノスタルジーだけで古い部品を集めていたが、こいつは純粋に目的達成のためだけに最新技術を寄せ集めた自転車。 純粋なレーシングマシンである。 オークションでの部品集めに3ヶ月。組み立ては1日でやった。 後は自分を鍛えなおすだけなのだが、多分これが一番厄介である。 ただいまページを製作中。 |
10 |
トモダ オーダーキャンピング |
上のレーサー用の部品を物色中偶然見つけ、大阪までとりに行ったもの。 あんな値段で落札したのが申しわけけないぐらいの高級車(だった)。 今のところはただのポンコツにしか見えないが、フェラーリは鉄くず同然でもフェラーリである。さあ、がんばってレストアだ!。 |
11 |
ズノウ 15年前のオーダー ロードレーサー |
静岡の人が友人からの代理出品でオークションに出していたもの。 どう見てもオーダー車だったので迷いもせず入札。もう何人も私を止められない 旧型デュラエースで固めた、当時だったら超がつく高級車である。 |
12 |
ヴィクトリーブランド ロードフレーム |
オークションで購入した、多分イタリア製だと思うが何も情報がないフレーム。 すばらしい工作がしてあるが残念ながらヘッド部分にパイプのつぶれがあった。 正面衝突したらしい。とりあえずカンパのグランスポーツを組んで飾ってある。 |
13 |
ホルクス これまた70年代の ロードレーサー |
もう言い訳はすまい。 70年代製作のカンパニョロスーパーレコードで固めた、オーダーロードレーサー。 この自転車を買ったことから、旧車のレストア販売を決意した。 がんばって自転車の活動基地「喫茶 茶々姫」を実現しよう。 |
14 |
名古屋 イシハラサイクル オリジナルロード |
これもオークションで一目ぼれ。 アウターワイヤーをパイプ表面に埋め込むというコロンバスの特殊なトップチューブを使用している。パーツは限定発売されたブラウンカラーのシュパーブ。 この持ち主からはすばらしいおまけをいただいた。 |
15 |
ツノダサターン ランドナー |
上のロードを引き取りに行ったときおまけでいただいたのだがまっさら新車。 しかもパーツは今の私にも手が出ないものが使ってある。(クランクなんかストロングライト49Dの新品!)後悔しませんか?大野さん。 |
16 |
シクロウネ 3連勝ロード |
滋賀まで行って引き取ってきた、これまたオークション出身。 落札金額以下で売っていただいた。 銀行残高がなくなったためこれで打ち止めである。 いつかレストアして喫茶店の前にずらっと並べるつもり。 |
17 |
TOEI スポルティーフ |
舌の根が乾かないうちにこれだもの。 フレームだけだが念願のTOEIを手に入れることができた。 毎日にやにやしながら眺めている。 |
18 |
上のナショナルのフレームで作った MTBベース通勤スペシャル |
2003年8月に入って始めた自転車通勤。ミヤタのロードに700Cのタイヤをつけてはじめたが、歩道の継ぎ目でタイヤがギブアップ。太いタイヤの必要性を感じて作った大嫌いなMTB。でも作ってみたらこれがいい。ランドナーをこれで作ろうともくろみ始めた。 | 19 |
恒例の自転車用語辞典 | ||
ストロングライト | 現在でもあるようだが、20年以上前には高級車にしか使われなかったフランスのパーツメーカー。 特にギア、クランクは今見ても芸術品の香りが漂う。 |
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ユーレー | これまたフランスの変速機メーカー。ジュビリーは、同社がロードレース用に威信をかけて開発した宝石のような変速機だった。 しかし性能面でイタリアのカンパニョロには到底及ばず、撤退。 まさか日本のシマノがカンパニョロを追い落とすなんて当時は誰も想像してなかったよねえ。 |
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サンプレックス | これもフランスのパーツメーカー。当時、他社に先駆けデルリンという樹脂で変速機を作り、しかも安値で提供したため、われわれのような貧乏サイクリストにはとってもありがたかった。 今となってはやはり骨董品なのだが、樹脂をジュラルミンに置き換えたスーパーLJシリーズは今でも十分通用する。。 |
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マファック | うーん、これもフランスだ。よく考えたら中学生が購入できる値段で部品を提供していた海外メーカーってすごかったんだなあ。 こちらは主にブレーキを作っていた。今見ると仕上げ等お世辞にもいいといえないが、コストパフォーマンスは優秀だった。 |
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オーダーシート | 今もまだまだ敷居が高いが、自分の思ったとおりに自転車のフレームや部品を作ってもらうために提出する、寸法表。 パイプのメーカーや材質に始まり、クランク軸からサドルまでの高さや、ハンドルまでの距離、ホイールベースのような寸法から、ブレーキワイヤーの内蔵処理、電気コードの内蔵、めっきや塗装まで指定する。 特に当時はパイプにこだわった。石渡の019、丹下のプレステージ、コロンバスなどいろいろあったね。 特に中でもレイノルズ社のマンガンモリブデン鋼製のパイプ「531」は今でもステッカーが売られているぐらいの高嶺の花だった。 |
整備箇所 | 整備内容 |
STIレバーの不調 | シフトダウン(大きいギアへの変速)はできるのに小さいほうへの変速ができなくなったためレバーを分解整備 |
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えーい、ついでに4輪も紹介しとこう。ただし4輪の場合、詳しくないので年式不明です。
家族の歴代の車達 |
ダイハツ コンパーノ バン | 子供のころ家が商売やっていた関係で、比較的早くから車があった。エアコンなんてものはどんな高級車にもついてなかったころだ。ヘッドライトの切り替えを足元のスィッチでやっていた。家業が倒産したとき手放し、以来家に車はなかった。 |
日産ローレル 2000GX |
うちが貧乏だったため、弟が就職しこの車を買うまで家に乗用車はなかった。高級車のイメージが強いローレルは最初はスポーツカーだったのだ。今じゃ笑える6個のブレーキランプが流れるウィンカー、SUツインキャブ、近所でうわさになった暴走車ブルーの再塗装。185サイズのぶっといタイヤ(笑・当時はこれでも違法だったので何度も警察につかまった。)今見るとかっこいいだろうなあ。 |
三菱ランサー セレステ1600 |
これも弟。当時はやりのオレンジ色のマークT(?) の7JJホイールをはき、195をぶち込み、しょっちゅう警察につかまっていた。でも確かにかっこよかったねえ。ただ今思えばトレッドが狭すぎ。 |
ホンダ ステップバン |
真中の弟が何を思ったのか買った今でも有名な車。ただし1年のうち7ヶ月は修理工場に入っていた。どこがいいのかいまだにわからない。ほんとにかっこだけの車である。あまりにもおそまつだった。 |
スズキフロンテ 360 |
2サイクル3気筒などという、いまじゃ考えられないエンジンを搭載していた360ccの軽4輪。決して速くはなかったが、リアエンジンリアドライブは味があった。ただ、すぐオーバーヒートした。 |
日産グロリア ワゴン2000 |
L型6気筒をつんだ高級ワゴン。(当時はだ)NAPS何ぞという排気ガス対策が施されていたせいか、まともに走らなかった。このころはキャブのほうが性能よかったねえ。 |
トヨタ カムリ 2000GT |
FRセリカのシャーシーを利用して4ドアボディを架装し18RGを積んだ、羊の皮をかぶったダックスフンド(狼とは恥ずかしくていえない)。145馬力、4輪ディスクは確かにすごかったのだけど。うちの車で唯一180km振り切った車。当時トヨタ2000GT以来初めてT型グリルを採用したと大見得を切っていたっけ。そういや この車、サイドピラーに小さく恥ずかしそうに「セリカカムリ」とかいてあった。どっちやねん。 |
トヨタ ランドクルーザー70 | 弟がしばらく乗っていた、最後の無骨なランクル。3.5リッターも有るとは思えないほど非力で、リアシートは人間が座れない、荷室に自転車が載らない等、RVとしてまったく使えない車だった。たが、燃費がよかったため、遠出するのは苦にならなかった。ただし2人までという限定付きである。 |
マツダ カペラワゴン 2000GT |
DOHC140馬力、ABS、オートエアコン、電子制御オートマチック、フルタイム4WDと、トヨタ車だったら300万円ぐらいしそうな装備がついて200万円を切った、超お買い得車。ただし、下取りもびっくりするぐらいたたかれる。そのせいで、真中の弟は買い替えできずずっと乗っていた。よく壊れた。プラグホールがオイルづけになった事もある。だから所詮マツダだといわれる。ハイオク+7KM/Lの燃費がX。最終的に下取りは4万円となり、弟はとんでもない車を買ってしまった。(一番下の欄へ続く) |
ダイハツ シャレード |
1リッターのガソリンで20km以上走った超経済車。35リッターのタンクで名古屋ー青森間を走ってしまったのには驚いた。 しかし故障も多く、出費は多かった。(なんと次のモデルまでポイント点火だったのだ。何度も交差点でポイントがいかれ、トヨタのディーラーに助けてもらった。)でも、あまりの燃費のよさに、この車を廃車しても2台続けてシャレードを買ってしまった。しかしこのあとダイハツは馬鹿なことに1300cc、1600ccと排気量アップ。1000ccが無くなり消滅した。 |
トヨタ コルサ 1300* |
2代目のシャレードも10万km超えたため30万円で購入。シャレードと比べると同じクラスの車だとは思えないほどできがいい。この値段でEFIの車に乗れるとは思わなかった。トヨタはすごい。ただ燃費はとても及ばない。12km/l。 |
トヨタハイエース スーパーGL 4WD* |
つい先日まで弟の愛車だった、超便利な車。車に関して飽きっぽい弟が10年12万km乗ったことでも良さがわかる。日本中をオートバイをつんで旅して回った。99年2月の、念願のキャンピングカーの納車でお役ごめんとなるはずだったが、12月に居眠り運転で石垣に突っ込みその生涯を終えた。(車が、です。弟は2月の納車まで貸してねと言って、私のMR2を奪っていった。今もぴんぴんしている)今もオートバイの車庫として活用中。 |
トヨタハイエース キャンピングカー 4WD 3000 ターボディーゼル* |
この、車が売れないご時世に、弟がよりによって450万円もする車を買おうとは。家を買ったばかりだっちゅうのに。ただ、ベース車両が、この世に存在しないはずの3000ccのターボエンジンを積んだ鼻無しバンなので高くても当然か。この車両は救急車などのベース車両らしい。救急車のほうは今はレジアスベースになったので、ほとんどキャンピングカー専用のボディだ。さすがにパワーがある。160km巡航をなんなくこなす。ただし燃費もそれなり(6km)。重いので止まらないのが唯一の欠点か。 |
BMW Z3 ロードスター* |
弟がとうとうカペラに見切りをつけ、マツダのロードスターを買った・・はずだったが、うちにきたのはBMW。カペラの下取りのひどさに、国産車と縁を切ったのだ。確かに外車は腐っても値段つくものなあ。40すぎて真っ赤なドイツ製オープンカー。かっこいいぞお。定価350万円。3万kmで、200万円。トラクションコントロールを始め、フル装備。安さに裏がありそうなところがとってもナイス。音がいまいちだけど、それ以外は値段分の価値あり。 |
私の車歴 |
ブルーバードU 1600GL |
おやじから譲ってもらった、はじめてのマイカー。SSSだったら最高だったけどね。しかもおやじ色のベージュに全塗装されていたのが若かった分悲しかった。車を見せたとたんに女の子に振られた苦い思い出がある。それ以来、車に興味がもてなくなった。(車じゃなく自分が悪いということは棚に上げていたねー) |
トヨタカリーナ 1800ST(丸目4灯) |
カリーナの2代目。丸目4灯のマスクをもった最後のトヨタ車である。1800ccの3TEUのEFIエンジンはカッコよく、性能もよかった。色は当時はやりのモスグリーン。ワックスをかけるたびに色がはげた。今の塗装はすばらしいね。おやじのお気に入りで、最後まで自分の物にはならなかった。最近見たことがないなあ。セダンのGTが欲しい。 |
ニッサンキャラバン 2000 |
モトクロスをやっていた弟から、譲ってもらった問題児。H20エンジンが弱く、いろんな故障を起こしずいぶん人様に迷惑をかけた。しかし、この車以来ずっと貨物(4ナンバー)を乗り継ぐこととなった。便利な車です。 |
トヨタハイラックス4WD RN36 |
これも弟から。日本初の4WDピックアップ。この頃は改造パーツなんて物、なにもなかった。タイヤなんか輸入品しかなかったもんなあ。ただあまりにも燃費が悪く(3KM/L)ほとんど乗れなかった。廃車後、東南アジアを走ってるらしい。私の友人(故人)は18RGを積んだやつを乗っていてうらやましかった。 |
トヨタハイエース 2000DX |
ハイラックスがあまりにも燃費がひどいので泣く泣く手放し、会社が廃車にする予定だった車を借りたもの。リッター14kmも走ったので随分助かった。3Yエンジンはすばらしいっす。 |
トヨタハイラックス4WD 2800 アクティブベース LN107* |
上のハイエースが廃車されたため(自分のじゃないからなあ)考えた末はじめて新車を購入。クレーンがついたアクティブベースと言う特殊車両。もちろん、バイクを吊り上げてます。トラックなのに250万円もした。洗ったこともないのに、そこそこきれいなのはすごい。燃費は10km/L。売りたいのだがクレーンが故障しているため躊躇している。 |
85’トヨタMR2 AW11 1600G LIMITED* |
9年11月23日運命の出会い。19万円で12年落ち、12万km走行。待望のスポーツカー(とはとても呼べない事はあとから知った)。ふたりのための2シーターミッドシップ。しかしいまだ、犬しか乗せてない。しくしく。生まれてはじめて車に惚れた。(ある漫画の影響だといわれるが・・・。AE86はいやだったし)買ってから、中古車が値上がりし始めた。いいときに買ったのかも。 実は・・・・・、2台目がきてしまった。今度のはスーパーチャージャー付きの部品取りだ。(・・はずだったが・・下の欄へ。)燃費はコンスタントに10KM/L。あれだけぶん回してだ。すごいぞ。 |
88’トヨタMR2 AW11 1600G スーパーチャージャー LIMITED * |
ミイラ取りがミイラに。部品取りのはずが・・・。5万円でエンジンだけという話が8万円でまるごとになってしまった。しかも廃車証がついてきた。上のやつより程度がいい。廃車の原因はスーパーチャージャーのベルトが切れていただけである。今、まともに買えば40万ぐらいするらしい。フル装備だし。 |
平成3年 トヨタ ライトエースワゴン FXV 4WD スカイライトルーフ ディーゼルターボ* |
バイクのおまけとして手に入れた、回転対座シートのついた高級(当時)ワンボックス。屋根はガラス製だ。なんといっても4WDである。市場価格を下回るお金と引き替えた。小さな車なのにシートを畳むだけで、VFR400がすっぽり乗ったのには驚いた。ただ10万km走ってセルモーターやラジエター交換が必要な上、車検が6月に切れる。税金もくる。しばらく破産状態が続く原因となりそうだ。私の歴史で初めてのオートマ車となる。初回の燃費は鈴鹿サーキットまでの往復で11km。意外な高燃費に満足満足。 |
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カメラ、カメラ、カメラ |
日本とアメリカの戦争が終わってわずか11年。昭和31年生まれの私の子供時代、写真は白黒しかなく、しかもカメラも高価なものだったため(月給1か月分ぐらい)子供が写真をとるなんてことは夢の夢。で、初めて自分で写真をとったのは中学の修学旅行。友人が持ってきたオリンパスペンEE。今じゃ珍しいハーフサイズのカメラでした。 さて、うちの親父が写真好きだったため、カメラそのものは早くからありました。 今は京セラに吸収されてしまった、ヤシカのリンクス5000に始まり、ヤシカエレクトロ35、キャノンの110カメラ、初の1眼レフであるヤシカエレクトロX、コーワの1眼レフ。 でも高価なカメラを触らせてもらえるわけがありません。 結局20歳を過ぎ自分で働くようになって初めてマイカメラを持ったのでした。 あの頃は自分で現像もしてましたねー。 さて、いまでも持っているカメラたちをご紹介しましょうかね。 |
1975年製 キャノンA−1 |
日本初の5つの露出モードを搭載し、ロボットカメラのキャッチフレーズで登場した、全自動カメラ。といっても露出だけなんだけどね。初給料で頭金を出し、ズームレンズ1本とともに新品で購入。しかし、売り物の電子シャッターになじめず、半年でまったく正反対のフルマニュアル機ニコンFMと交換した。 |
1975年製 ニコンFM |
上のA−1と等価交換した、フルマニュアル機。中古品。このカメラで初めて、写真の楽しさを満喫した。職場にニコンFを持っている人がいたためレンズを借りることができたし。質屋に何度か入ったり、私の生活を名実ともに支えてくれた1台だ。20年使い、巻上げがロックしてしまい引退したが今でも大事に持っている。 ただ、このカメラのためニコンレンズをそろえてしまったため、この後ニコンしか買えなくなってしまったのがね・・・。 |
年式不明 ニコン F3 |
上のFMでそろえてしまったレンズ群を生かすために、またFM2−T(チタン製)を購入しようとカメラ店へ。 そこの中古品コーナーにあったF3。FM2−Tの新品と同じ値段。1時間ほど迷って購入してしまった。 同時に105mmの純正レンズを購入。この組み合わせでとった写真に感動。今までとったことがないほどのすばらしい出来だった。光と影のコントラストのいいこと。このとき初めて、道具のよしあしも必要なことだと痛感した。 すでに2000年に製造中止になったが、昨年オーバーホールし、いまだに私のメイン機である。 |
アサヒペンタックス オート110 |
ある日行った中古カメラ展で出会ってしまった、世界最小の1眼レフ。カメラ本体、ストロボ、レンズ3本、ワインダーがセットになって4万円。これまた迷いに迷って購入。もうフィルムがほとんど手に入らないため、実用機としては使えないが、見ているだけで楽しくなるカメラだ。ペンタックスでは6x7版の世界最大の1眼レフも作っている。(こっちは現役)これと並べてみたいと思うのは私だけ? |
ミノルタ ヴェクティス S-1 |
40過ぎて、老眼か、F3でとった写真の9割がピンぼけとなるという事態になり必要に迫られてオートフォーカス機を探していたが、どれもおもちゃみたいでいまいち。そんな時これまた中古カメラ展で一目ぼれしてしまった、APSフィルム用1眼レフ。結局APSが思ったほど普及せず、すぐに生産中止してしまい、しかも中古で買った値段(34000円)より、新品のほうが実は安くなっていたという悲しいカメラ。新品だとボディだけで8万円した。しかしそこは最新一眼レフ。写りはかなりのものである。レースの写真をとるのに予備として持っていく。最近中古レンズを見つけ、やっとシステムらしくなってきた。防滴仕様なので手荒くあつかえるところがいい。 |
72年式 キャノン F−1 |
オークションに出すため預かっていたのを、成り行きで購入してしまった。あまり見かけることがない初期型。ほとんど使わずしまいこまれていたため、程度はいいのだが、レンズはカビにやられて悲惨な状況だった。 FDレンズ3本(28mm、55mm、135mm)、ストロボ、顕微鏡用アダプター、テレコン、それと極めつけ、AE−1のボディ付き。ただ、電池が今はない水銀電池で、輸入品しかない。 さらにオークションでワインダーを買い、飾って楽しんでいる。(そんな金銭的余裕ないくせに・・・) オーバーホールは、部品がないという理由でメーカーに断られた。 で、自分でやろうかと思っている。(レンズはすでにやってしまった) |
年式不明 キャノン AE−1 |
上のF−1におまけとして付いてきた、当時一眼レフ普及に一役買った、自動露出普及型一眼レフ。電池を入れたらすぐに動いた。ひょっとしてこっちがメインになるかも。 |
年式不明 キャノン 110 |
110フィルム全盛のときに親父が買った自動露出のコンパクトカメラ。卒業論文を書くとき(つまり25年前)に借りた覚えがある。今でも動くがフィルムがないし、あっても現像焼付けがむちゃ高い。 |
年式不明 ヤシカ エレクトロX |
ヤシカが世界で初めて手がけた、電子制御自動露出の1眼レフ。当時珍しかったブラックボディはかっこよかった。 レンズは今はなきスクリュー式のプラクチカマウント。当時ペンタックスのレンズが使えた。このレンズが意外と味のある描写をするため、時々引っ張り出しては使っている。ただ、露出が正しいのかどうかは不明だ。 |
キャノン パワーショット350 |
35万画素全盛の時代に購入した、ホームページ作成用デジタルカメラ。 300dpiのスキャナーのあまりの使い勝手の悪さに辟易し、かなり無理して買ったものである。 ただし、オートフォーカスじゃないし、ズームも無いためかなり使い勝手が悪い。 しかし、このカメラが無かったら、このホームページは存在しなかったといっていいぐらい活躍した。 良くも悪くも私の最初期のデジタル生活を支えてくれたグッズである。 |
富士フィルム ファインピクス1700Z |
150万画素、オートフォーカス、64分割平均測光、光学3倍ズーム等々、パワーショットとは月とすっぽんの高性能機。レンズも非球面だ。しかし購入時、世の中はすでに400万画素の時代だったため、最低レベルの性能でしかない。もうおぢさんは進歩についていけない・・・。とほほ。 |
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