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本番開始まで、後一時間ちょい。
落ち着かなくて、後体をほぐすために、そこらじゅうを歩き回って、ついでですから、とオーストリアに頼まれて伝言を全員に伝えてまわっていた。

伝えてないのは、後一人。
イタリアだ。

彼女は本番前になるとふらふらし出すから、探し当てるのはなかなか大変なのだが、何故だろう。ここにいる、と直感がしてその部屋をのぞくと必ずいる。…慣れか。それとも。
「…愛の成せる技か、とか、フランスなら言うんだろうな…。」

ため息をついて、直感、のした部屋を覗き込む。…ほら。鏡を見つめる、ドレス姿の。
鏡越しに見える顔は、ちょっとケバい。当たり前なんだが。舞台用のメイクは、濃くするのが普通だから。…俺も自分がすごい顔になっているのはわかっているし。というかそれ以前に、イタリアはノーメイクの方が美人だ。絶対。…じゃ、なくて。伝言を伝えなければ。そう思うのだけれど、目を閉じたイタリアには、とても声をかけづらかった。

どうしていなくなるんだおまえは、と前に聞いたら、精神集中をしたいのだと、言っていた。役になりきってから、本番に臨みたいのだと。
ぴんと伸びた背。何も言わず、目を閉じたままの、鏡越しの彼女の表情。
イタリア、そう声をかけるつもりだったのだけれど。

「…姫。」
口から零れ落ちた言葉に、こっちが驚いた。
す、と目が開き、琥珀が鏡越しに俺を見る。くる、と振り返る。
ふわり、と微笑んだ。いつものイタリアの、明るくて華やかな笑顔とは少し違い…上品で美しい、ひまわり姫の笑顔。

「お迎えにあがりました。…そろそろお時間です。」
「はい。」
す、と手を差し出せば、重ねられる、白い手袋をした細い手。…考えてした行動ではなかった。まるで、自分の中の白騎士が勝手に動き出すような。
ドアを開け、彼女を先に通し、自分はその後ろを歩く。いつもなら、隣を歩くが、自然と、そこを歩いていた。白騎士の、定位置。つかず、離れず。邪魔にならないように、けれど、何かあればすぐに守れるように。
小さく、微笑む。

何故だろう。すとん、と『白騎士』、という役が、どういうものかわかった気がした。
…後悔、しないように。演じきれる。そういう気が、した。
胸を張ればいい。姫の身を守るのが、自分の宿命。姫の名前こそ自分の誇り。
そう思えば、足を前へ踏み出すのも、怖くは無かった。

これが、彼女のそばで過ごす最後の一日だとしても。



『この3ヶ月やってきた自分を信じなさい。そして、共に練習してきた仲間を信じなさい。…今日のできが最高のものであることを祈っていますよ。』

オーストリアはそう笑った。元気のいい返事を、全員一斉にして。


本番の幕が、開く。


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