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「…ドイツ。」
オーストリアに深く深く、ため息をつかれて、すまない、と小さく呟いた。
「ヴェ。ドイツこのシーン苦手だねえ」
おまえのせいだ!
…と言えたら本当に楽なんだが…。

好きだと、愛している、と。…そのセリフだけがどうしても、言えなくて。何度練習しても、そこだけが。つまってしまって、言えなく、なる。
「…イタリア、ちょっと、向こうで練習していてください。」
はあい、とぱたぱた走っていくイタリアを見送って、オーストリアと二人残されて、ため息。
「…悪い。」
自分の事情だけで、みんなに迷惑をかけている。…情けないし、自分でも悔しいのだけれど…。
「…ほかのところはほぼセリフ覚えは完璧でしたし、指定したことを指定したとおりにしてくれるあなたの演技は、とても助かるのですが…」
「すまない…」
「……そんなに嫌なら、言わなくても、いいですよ。このセリフ。」
「!」
顔を跳ね上げた。まっすぐに見つめてくる、眼鏡越しの瞳。
「あなたを愛しているからです。…あのセリフがなくても、劇自体に問題はありませんから。」
「…しかし」
「イタリアに気持ちを伝える気は、ないんでしょう?」

…ない。言うつもりは、ない、のだ。彼女と付き合いたいとか。そう言う気持ちではないから。ただ、彼女に幸せであって欲しい。それだけ、だから。

「…いいチャンスだと思いますけど。」
こんなことでもなければ、言えないくせに。お馬鹿さんですねえ。言われて、ほっとけ、と呟いた。…ふられて、仲が気まずくなるよりは、今のままの方がずっとずっといい。

「まあ、言わなくても、というのは最終手段なんですけど。」
だから、言えないからこの役降りるとかそういうことを言い出さないでくださいね。
…俺がそんなこと言わないってわかってるくせに。一度引き受けたことを、放り出すような性格ではない。
けれど、言わなくてもいい。その言葉で、かなり気が楽になったのは本当だった。
「…ありがとう」
「お礼は、演技で返してください。」
しれ、と言われて、手厳しい、と苦笑した。





「ドイツドイツー!」

次の日の昼休み、道を歩いているとがばり、と後ろから抱きつかれた。倒れるようなことはしないけれど。慣れているから。
「…イタリア…」
呼べば、何何?と首に抱きついたイタリアに顔をのぞき込まれた。
「…不意打ちは、やめてくれ…」
抱きつくのも、顔をのぞき込むのも、だ。高鳴る鼓動をごまかすのに、ひどく苦労するから。
明るい空の下で目をきらきらさせるイタリアは、まぶしすぎるのだ。くらくらぐらぐら、心を揺さぶる。

「そんなことよりドイツ、今から暇?」
そんなことか、そうか…
「ねードイツひまー?」
よじよじと登ってくるな、足を腰に絡めるな!
「まあ授業は終わったが…」
「俺も次休講になったんだーだから練習しない?」
それとも、装置作業とかある?
言われて、いいや、と首を横に振った。
「後は色を塗るだけだからな。スウェーデンたちにまかせてある。」
「ヴェ、仕事はやーい、すごーい…」
「おまえ、チラシのデザインは?」
「ええっと…」
視線が逸らされる。…まったく…。
「締め切りは?」
「明日ー…」
「終わりそうなのか?」
毎回締め切りを守らないのが問題なのだ。…デザイン的には、とても鮮やかで見やすくて、すごいと素直に感嘆できるものなのに…
「だ、だいじょぶ!ポーランドと話してもうだいたい決まったから、後は色塗るだけだし…」
「遅れたらオーストリアにどやされるぞ。」
「わかってるよ、オーストリアさん怖いもん…」

それにポーランドいないと仕事できないから、今は練習すーるーのー。
ぎゅうぎゅうと締め付けられて、息が詰まった。肉体的に苦しいのではなく、精神的に、苦しい。
「わかった、わかったから…」
「わーい!じゃあれっつごー!」
「その前に降りろ!」
「えー、このまま連れてってよ」
「却下!」

ぎゃいぎゃいと騒ぎながら、じゃれ合う時間。…いつも、の、時間。……失いたくはない、時間。苦しいけれど、甘やかな、毒のよう、で。やめられない、中毒。
…だから、告白なんて、したくないのだ。
「ドイツ号ゴーっ!」
「だから降りろと言ってるだろう!」


この関係を壊すことなんてできないから。






部室へ行けば、作業中の日本がいて、自主練手伝って〜、とイタリアが声をかけると、では少しだけ、と出てきてくれた。
「悪いな」
「いえいえ、いい息抜きになります。」

音響チーフである彼は、効果音からBGMまで、必要な音をそろえて、流すのが仕事だ。
まだその音を探している段階らしく、練習にも現れずにCD屋をめぐっていることもよくある。
「音どんな感じだ?」
「そうですね…オーストリアさんですから…」
数は少ないんですけど要求は厳しい、ですかね。そう苦笑する日本に、そうか。と呟く。

オーストリアは、高いクオリティを要求してくる。キャストにも、スタッフにも。
それは厳しいし、その要求をひとつひとつクリアしていくのはもうしんどくなってしまうのだが、それを達成できた時の、爽快感を知っている。
だから、あいつの演出は、やりがいがあるんだ、と、小さく笑いあって。

「じゃあ、オーストリアさんに怒られないよーに練習!」
元気なイタリアの声に、うなずいた。

日本に、いない役者のセリフを読んでもらいながら、しばらく練習して、休憩ーと、買ってきたジュースを飲みながら他愛のない話をする。
この部に入って初めてした劇の中で、3人で仲のよい友人の役をやってからというもの、学部も出身も性格もまったく違うけれど、よくつるんでいるメンバーだ。なんとなく、居心地がいい。イタリアならば、『ドイツも日本も大好きだから一緒にいたいんだ!』と笑うのだろう。

「そういえばさー、どういうときにドイツは、好きって言う?」
ぶ、と思わず飲んでいた缶ジュースを噴き出した。
「な、な!?」
何だいきなり!と怒鳴りつけると、え、あ、だ、だって、ドイツ、とびっくりしたような怯えたような表情。
「ドイツさんが、どうしたんですか?」

やんわりとなだめるような日本の声と、肩を支える優しい手に、安心したらしい。表情をすぐに明るくして、だって、と言うイタリア。…その瞬間に、じり、と心の底でくすぶった、醜い嫉妬心には、気づかないふり。

「ドイツ、あのシーン苦手でしょ?」
だからね、好きって言うとこを思い出して、そのときだと思ってやったらどうかなって。
「…あー。」
あくまで明るいイタリアの声に、日本が気まずそうにちら、とこっちを見た。…すまない。日本は俺の気持ちを知っている。イタリアの言うあのシーン、が告白のシーンであることも。

「それに俺、ドイツが、好き、なんて言ってるの聞いたことないから。どんなときかなって。」
ねえ、ドイツ。明るい瞳がきらきら輝く。純粋な好奇心。…他意はない。だからこそ、たちが悪い。悪すぎる。

「…言った時か…覚えてないな。」
小さく呟いたら、え!何で!と驚かれた。…何でと聞かれても。
「だってさだってさ、好きな食べ物とか動物とか、人とか、えっと、ほら、授業とか、先生とか、好きって、言わないの?」
「…あまり。」
「私もそうですが、直接的には言わない人も多いんじゃないですか?イタリアくんは、たくさん言いますけど。」
フォローするような日本の言葉に、イタリアは目を丸くした。
「だ…だって、言いたくならない?好きって。俺は言いたいよ!」
「人には人の考え方がある。例えば、おまえの姉だって、あまりそういうことを言わないだろう?」
同じ部活内に恋人を持つロマーノのことを例にあげてやれば、そうだけど、とまだ納得していないような表情。

「じゃあ、ドイツは一生、好きって言わないの?」
「…それは極端だが。」
苦笑して、ぐらぐらとゆれだす心を押さえつけて、平静を装う。…慣れた作業。外からは普通に見えるはずだ。敏い日本は、心配そうにこっちを見ているけれど。
「…そうだな。好き、というとき、か。……あえて挙げるならば。」
目を閉じる。あえて、だ。…こんなシチュエーション、有り得ない現実か、遠い未来か、どちらか、だろうが。


「誰よりも愛しい人に、想いを告げるとき、だろうな。」


その相手が、イタリアであるときは、きっとこないだろうけれど。自嘲するように笑って、この話は終わりだ、と呟いた。


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