ぎいーん、と電気ノコギリ特有のうるさい音があたりに響きわたる。 耳がやられそうなその音の中、ドイツは木材を、半分に切り、電源を落とした。 「…これで、材料は揃った、か。」 ふう、と手に持ったそれを下ろしたところで、ドイツさん、と後ろから呼ぶ声。 「何だ?」 「携帯光ってますよ」 言われて、振り返ると、…本当だ。作業台の上の携帯をとる。メールだ。オーストリアの、名前。すぐに来なさい。一言のメールに眉をしかめ、近くで作業をしていた二人にちょっと行ってくる、と声をかける。 「その作業終わったら休憩しておいてくれ。すぐに戻る」 「ん。」 「いってらっしゃい。」 その声を聞きながら、何があったんだ、まあいいこと、ではないだろうな、とため息をついて、オーストリアがいるはずの練習室へ急いだ。 「不慮な、事故だったんです。」 「……その話の切り出し方やめてくれないか…誰か死んだみたいだぞ…」 従兄のオーストリアにそう言うと、そうですか?とオーストリアは首を傾げた。 「用件を単刀直入に言ってくれ。」 装置のチーフである自分を呼び出したのだ。また、演技でここの構造物が必要になったとかそういう相談だろう。これまでにもたびたびあった。 さあ、今度はどこのデザインを変えろと言ってくるんだ、この頑固者の演出は。と身構えると、わかりました。と彼はうなずいて。 「白騎士役を、してください。」 予想もしない言葉を言った。 「…は?」 「ですから白騎士、」 「いや、頼む。理由を話してくれ」 そう頼み込めば、単刀直入にと言ったのはあなたでしょうに、とため息をつかれ、そして口を開いた。 「練習中にプロイセンが腰を痛めました。今病院なのですが…」 「おい!そっちを先に言え!」 兄の怪我を今知らされて、思わず怒鳴ったら、大事ありません。ただのぎっくり腰です。と一言。 「ただ、一つ問題が。」 「…殺陣か。」 うなずかれて、ため息。それは問題だ。 今回の劇で、プロイセンはメインキャストの一人である白騎士を演じる。一番、立ち回りの多い役だ。ケガをおして練習を続けて悪化でもしたら、それこそ問題だ。 「完治までは3週間。…本番は、一ヶ月後。本人も、迷惑かかるから、代役を立てろと言っています。」 「…で?なぜ俺なんだ。」 白騎士を誰かがやらなければならない、というのはわかる。…けれど、俺はここしばらく役者をやっていない。 「台本を覚えていて裏方専任だからです。」 …なるほど。単純明快だ。 「それに、白騎士のイメージにも合いますので」 「しかし、それだと装置はどうなる?まだ完成していないのに。」 チーフである自分がいなくなるわけにはいかない、と言えば、小さく笑われた。 「…あなたなら、二つともやり遂げてくれると思うからお願いしているんですよ、ドイツ。」 あなた以外にいないんです。そう言われて、ため息。 「…そう言われて断れる性格だと思うのか?」 「いいえ。…だから、頼んだんですよ」 厳しくいきますので、よろしくお願いします、と笑った策士の従兄に、やられた、と思った。 「うわあ!ドイツが役者!ドイツの役者が見れるの、ねえ!」 目をきらきらさせて食いついてきたイタリアに、とりあえず頷いた。 今日は授業で遅刻だったイタリアに、プロイセンの怪我と、代役を務めることになったと話したら、この反応だ。 「わはー!やったあ、ドイツと一緒に役者なんて久しぶり!」 いつぶりだっけ、と聞かれて、思い出すな、と眉をしかめた。あまり思い出したくない記憶だ。がっちがちに緊張した、役者として舞台に立った記憶。…一年以上前のことだ。 「はあい。」 にこにこと笑いながら、イタリアは返事をして。 その笑顔に、思わず見とれてしまった。 イタリアは本当に綺麗だ。細い茶色の髪に、琥珀色の瞳。ぱっと笑うと、まるで花が咲いたようで。 どくん、と心臓が高鳴ってしまうのだ。 好きだ。ずっと。彼女のことが。一目惚れだった。初めて出会ったときの、俺イタリア!よろしくね、という笑顔に、今みたいにみとれて。 …この気持ちを伝えるつもりは、ないのだけれど。 まるで、白騎士のようだ、と苦笑して、じゃあ今まで練習で決まったこと確認しながら台本読もうか、というイタリアの声にうなずいて、台本を出す。きっちり製本されたそれに対して、イタリアの台本はコピーして渡されたそのままを重ねただけだ。しかもぐちゃぐちゃに。 「…なくすぞ」 「そうなんだよね〜いっつもそれで困るんだ。」 けろっとした声に、ため息。 「製本してやろうか。」 つい、甘やかしてしまうのは、惚れた弱みだろうか… 「ほんとー!?やったあ!ドイツ大好き!」 がばり、と抱きつかれて、動揺してしまった。いやいやいや落ち着け落ち着けこいつは誰にでもそうだ知ってるだろう!誰にだって好きだハグしてー!と抱きついて。だから。…俺が、俺だけが特別なわけでは、ない。 深く息を吸い込んで、深く深く、息を吐く。 やっとなんとか、心臓がだいぶ元に戻った。 「…今は無理だから、また後でな。」 平然とした声を、できるだけ出す。 「はあい!」 元気な返事に息を吐く。…やっかいな相手に惚れたものだ。こいつを好きでいるのは、疲れる。本当に本当に疲れる。 「じゃあ、とりあえず第一場からね〜」 「ああ。」 ちら、と見上げる。イタリアが目を閉じる。そのまま深呼吸。…スイッチが、入る。 「お城の外はどうしてこんなにきらきらして見えるのかしら?」 口調が、声が、…人格が、変わる。 役者としての才能、とでもいうのだろうか。イタリアはすごい。一度芝居に入ってしまえば、もう別人のようだ。 「姫、あまり気軽に外に出られないように。」 セリフを読み上げる。…読み上げる、なのがまずいんだろうな。やはり役者は苦手だ。…苦手だけれど、任されたからには、やりきるしかない。 台本をめくりながら、出てくるタイミング、場所、指定された演技などを教えてもらいながら(イタリアのそれは、とても感情的というか表現が独特で、理解するまでだいぶかかった。)、クライマックスあたりまで読み進めた。 イタリア演じるひまわり姫が狙われ、逃がすために敵に一騎打ちを申し込むシーン。 ここまでは普通にしていたのだが、次のページをめくって、思わず息を飲んだ。 …しまった。白騎士は、そうだ。ひまわり姫に恋をしている。伝えるつもりのない、身分違いの恋。…それでも、ひとりでは逃げないという姫を説得するため、想いを告げるシーンがあるのを、すっっっかり忘れていた…! 「どうして、そこまでしてくれるんですか?」 あなたを愛しているからです。 そのセリフを口に出せなくて、口を閉ざす。 「?ドイツ?」 「…ああ、いや。…もうそろそろ、練習終わりだろう。」 あ、ほんとだ。じゃあ片付けしようか。そう言って、へにゃ、と笑う彼に、自分が情けなくなった。…これは、逃げだ。今だけ乗り切るための。…逃げたって、何も変わらないのに。 …けれど。 言えない。愛している、なんて。…例え劇であっても、言うことが、できない! …それでも、もう引き受けてしまったのだから。 …言わなくてはならないのか。イタリアに。しかも、たくさんの観客の前で。 そう思って、深くため息をついた。 次へ メニューへ |