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とーん、ときれいな音が、した。
「…あ。」

思わず掃除の手を、止める。
耳を澄ませて、集中して。
少しして流れ出す、旋律。よどみのない流れる水のようなそれに、聞き入る。
綺麗な音、だ。ときに優しくて、ときに力強くて。きっとあの綺麗な指が紡いで、いる。
ピアノに触れるのは彼の日課だから。それをこっそり聞いて、ほう、とため息をつく。それだけ。
元の、オーストリアさん、なら。後ろとか横から、じっくり見ることもできるんだけど…。
ちら、とうかがう。ピアノのある彼の部屋はすぐそこ、だ。…その扉は、きっちりと閉められたまま。開いてたらこっそりのぞいたりとか…
いやいや、聞けるだけで幸せ。そうでしょう?自分に言い聞かせて。
そこは彼の聖域だから。入っちゃいけない。この部屋の掃除は自分でしますから。そう言われている、し。こっそり入ったり、とか。そんなことをしたらきっと彼は怒る。だから、部屋の外からそっと、聞く。それで十分。
曲をひとつ。最後まで聞いて、そしたら掃除を再開する。それが、…とても幸せ、で。

「単純よね、私。」
くす。笑って、耳を澄ませて。
「あ。」
珍しい。彼が歌詞のある曲を弾く、のは。しかも、これは恋の歌、だ。
思わず、口からこぼれる、歌。あなたが好き。そう歌うそれに、小さく笑って。
次どうだっけ。記憶の奥底から歌詞を拾い集めながら歌っていると、ふ、と気づいた。
あれ。ピアノの音、止んでる?
気づくと同時に、がちゃり、とドアが開いた。開けたのはもちろん。

「…オーストリア、さん…。」
じっと見つめられて、あ!やっば歌ってたの聞こえた!?と思って慌てて。
「す、すみません!掃除に戻りま、」
「…ハンガリー。」
「はい!」
呼ばれて即答。びし、と思わず背筋を伸ばすと、来なさい。と一言。
へ。と瞬くと、そのままつかつかと部屋の中へ戻っていってしまった。

え…入って、いいの、かな?


入らない
入る