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ほう、と息をはいて、ソファに座り込む。ネクタイを緩めて深くため息。
…どきどき、した。一生のうちにもうないってほど!心臓が壊れそうだ!

イタリアが、コンサートのチケットの代金を受け取ってくれなかったから、じゃあ、とコンサートの終わった後、今度一緒に、と彼女をお茶に誘ったのだ。もう必死だった。電話するだけで必死、で。年下の少女にこんな必死になっているのは、馬鹿なんじゃないかと、か。思うけれど。

「…好きなんだよな…」
馬鹿みたいに好きなのだ、もうちょっとした時間も一緒にいたい。おいしいものとか食べると、彼女にも、と思ってしまう、し。
恋ってやつはそんなもんだ。なんて。…金髪の変態な同僚なら言うのだろう。きっと。
ため息をひとつ。彼なら、こんなこと大人の余裕でどうにかできるんだろう、な。無駄に経験値だけは高そうだし。
…俺の方はまだ、指折りで数えるほど、だ。笑えるほどの恋愛初心者。年齢も人生経験も、彼女よりだいぶ上のはずなのに!

「…しかし、それにしては、がんばった、だろ。うん。」
努力は認めてもいいはず。そう、呟いて、携帯を開く。
スケジュール表に、映画、の文字。
イタリアが、行きたいのだけれど一緒に行く人がいないのだ、と。言っていたから、俺でよければ、と。内心もう心臓が壊れそうなくらいにどきどきばくばく音を立てていたのをなんとか押さえ込んで、言った、言えたのだ!

それに対してイタリアが黙るから、嫌だったか!?とはらはらしていると、だんだんと目が丸くなっていって。
いいんですか、とうれしそうに、叫んだ表情は、本当に可愛らしかった!
その大声で少し、喫茶店の中で居心地の悪い思いをしたけれど、喫茶店の店長で大学時代の友人がおかしそうに笑っていたりしたけれど、そんなのどうでもいいくらい!

次の約束。また会える。…それだけで充分だった。今は、まだ。





「うわあ、うわー…」
化粧室で、鏡をのぞき込んで、心底へこんだ。
ない。この顔はない。マジで、ない。
「私の馬鹿…」
思いながらため息。…涙でぐちゃぐちゃのメイク。…お世辞にもかわいいとはいえない。
こんな顔を彼にさらすことになるなんて!
「もー…ショック…」
はああ、と深くため息をついた。

前から見たかった映画があるのだと言ったら、一緒に行くか、と言ってくれた彼と、映画館デート。…いや、まだつきあってないし、もしかしたら彼にとっては、妹と出かける、くらいなのかもしれないけど。
でも!私にとってはデート!
服も完璧にして、メイクも髪もおっけー!と勢い込んできたはずなのに。

…つい、泣いてしまったのだ。だってああいう映画には弱いんだもん仕方ない!
クライマックスから泣きっぱなしで、ぼろぼろで、ああもうメイクが、とか思っても止まらなくて。
終わっても泣き止まない私に、ドイツさんがす、と隣から差し出してくれたハンカチを受け取ったら、その手でよしよしと頭を撫でてくれた、それでびっくりしてやっと泣きやんで。

…ひどい顔してるだろうなとは思ってた。ハンカチから顔あんまり上げられなくて、でも危ないから顔上げて歩け、って優しく言われた。
でも、メイクひどいし、って言ったら、大丈夫だ、もともとかわいいからって!
びっくりして見上げたら、ほら、かわいい。ってほっぺたむに、って引っ張られた。
からかってます?って聞いたら、まさか、って言った声が笑ってる!もう!

それから、映画館から出てすぐに化粧室に駆け込んだことまで思い出しながら、化粧をしなおした。朝みたいにばっちりとはもういかないけど、仕方ない。
一通り直して、チェック。…うん。大丈夫、さっきよりまし。

確認が終わって外に出ると、彼が待っててくれた。
「遅くなってごめん」
「いや。…行こうか。どこ行きたい?」
「ちょっと何か飲みたいかも。」
そう言ったら、ああ。と言って彼は笑った。

「ずっと泣いてたもんな?」
「!!っもう笑わないでよ意地悪〜!」
顔を真っ赤にしたら、おかしそうな笑い声!ドイツさんの意地悪!
ああもう、と一気に熱くなった頬を手で押さえる。
と、その手を、そっと取られた。
…ためらいがちに、つながれる手。
まるで、恋人同士のように。

「行こう。」
柔らかくて甘い声に、ただ、うなずいた。


ドイツさんが好き。
思いは、ほんとうにつのるばかり、で。

お茶したり、映画見たり、買い物いったり。何度もつきあってくれた。メールも、電話も、仕事忙しいかなとか思って、回数はできるだけ少なめにしてるけど。(だって本当は四六時中、ずっとずっとメールしたいし電話したいし会いたいし!)
やりとりしたメールは、全部保護してある。授業中とか見て、にやにやしてたり、して。
友達にも、年上の恋人でしょとか言われるけど、まだ告白はしてなくて、仲のいい友達、のはずで。
優しいところとか、大人っぽいエスコートの仕方とか、でも恥ずかしがりで、ちょっとからかっただけで困ったように照れてるところとか、もう自分でもなんでこんなに、ってくらい。好きで。
その背中を見たらはぐしたいし、その白い頬にキス、もしたいし。でも、そんなことする勇気はないから、我慢して。


すき、すき、すき。
ノートの端に書いてはたまっていく、その言葉は、心の中の思いをそのまま、表していた。



彼と待ち合わせをするときは、ここの喫茶店で、ってことが多い。
大学からも、パパの会社からも近いここは、ドイツさんの友人という、黒髪の綺麗な女の人が店長をつとめている。
最初、恋人かなって思ったりしたけど、すぐ、既婚者で、大学のときからつきあってたの、ドイツさんも知ってたって、教えてもらって、ほっとした。
日本さんって名前の店長さんは、料理がとっても上手な、素敵な優しいお姉さんだ。

「こんにちは、」
「おや、いらっしゃいませ。もう来てますよ?」
優しい笑顔でそう言われて、え、と店内を見回せば。
愛しい金髪の後ろ姿。振り向いて、手を振る彼に、また負けた…と内心がっかりする。
いつ来てるんだろ…ほんとに。一回も彼より先に来たことない。いつも、ああやっていつもの席で座ってて。
ああもう、けどそれはおいといて!

「ごめん!待った?」
声をかければ、いや。今来たところだ。って…うそつき。もうコーヒー、2杯目のくせに。
こないだ一人できたときに日本さんにそう言ったら、男の人はかっこつけたいものですから。気づかないふりしてあげなさいって。
だから、気づかないふりして、笑う。椅子に座れば、すぐ、日本さんがカプチーノを持ってきてくれた。

「ありがとう。」
「ごゆっくりどうぞ。」
そう言って、カウンターの中に戻っていく彼女を見送って、カプチーノを口に運ぶ。ここのカプチーノはなんでこんなにおいしいんだろう!
「おいしい。」
思わずほころぶ頬。じっとそれを見る視線に気づいてなんだか恥ずかしくて、首をすくめる。

「…何?」
「いや、いつもおいしそうに飲むな、と。」
「え、そ、そう、かな?」
「ああ。」
幸せそうだ、と言われて、でもその彼の、笑顔の方が綺麗で。きらきらしてて。

「…え、と、その、それで、えっと、あ。メールで言ってた『聞きたいこと』ってなあに?」
「!あ、ああ…。」
言いづらいこと、なのか、咳払いひとつ。…え、なんだろう。ちょっと真剣な雰囲気に、不安になる。
例えば。いつまでこんなこと続けるのか、とか。…嫌だったら、でも私、社長の娘だから仕方なくつきあってた、とか、だったら…
どうしよう。怖い。自分の想像が、もしほんと、だったら。
どきどきと心臓が締め付けられるように、鳴りだす。怖い。なん、だろ。

「…その、だな…。」
返事を、聞いてないな、と思って。
そう言われ、返事?とおそるおそる、尋ねる。
彼のメールには必ず返信書いてるし、こないだ会ったときも、…返事が必要そうなことは、なかったはず。

「……その。……お見合いの。」
「!!!」

え、何で、何で?だって、会うだけ、ってドイツさんだって、わかってたはずで。もしかして、知らなかった?
なんて言ったらいいのかわからなくて、口を閉ざしていると、イタリアの口から聞きたいんだ、と言われた。

「…俺のこと、どう思ってるのか…。」
…ねえ、ドイツ、さん。なんで、目をそらすの。耳まで赤く、なってるの。
どうしてそんなこと、聞くの。
まるで、私のこと、好き、みたいじゃない!

期待していいの、かなあ。ねえ、ドイツさん。私。あなたのこと本当に好き、だから。
そんな風に言われたら、とっても期待しちゃうのに!!
もし勘違いだったら、怖い。けど。でも。
でも、こんなチャンス、もうない!
「ドイツさん!」
がたん、と立ち上がって、息を吸い込んで。



「結婚してください!」


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