ばたん、とドアを閉じて、ベッドに飛び込む。 ばふん、といつもと変わらないベッドが迎え入れて、くれた。 ふわふわのシーツに触れ、小さく呟く。 「ドイツ、さん…」 名前だ。彼の、名前。彼の。彼の! 「〜っ!」 そう思うだけでかああ、と体温があがっていくのを止められなかった。彼の! 思い出すのは、大人な、優しい笑み。柔らかい光を宿した青い瞳、オールバックに固められた、太陽の光の束みたいな金髪!最初に見たときは、怖そうな人だなって思ったんだけど、次の瞬間にふ、と笑ってくれたのがもう本当に!今まで生きてきて見た人の中で一番!かっこよかった! 思い出すだけで、胸がきゅう、と締め付けられる。目の前にいたときはもっとひどくて、心臓ばくばくで。彼の姿が、声がほんとにくらくらしちゃうくらいかっこよくて。 なにを話したか、なんて覚えてない。彼の低い声と、優しい笑顔、しか。ああ変な顔してなかったかな、変なこと言わなかったかな!こんなことならママに任せっきりにしないで自分でコーディネートするんだった! 『とても可愛らしい、と思います』 そういえば夢のような中で、そんなふうに、言ってもらえたことを思い出して、どきどき、と心臓が高鳴る。ああもう、なんであんなに、かっこいいんだろう、あの人! 一目惚れなんて、お話の中だけだと思ってた、のに。 「…でも」 思い出して、ため息。 …私が、言ったんだけど、さ。『会うだけ』って…。 「あああもう〜!メアド聞いとけばよかった〜!」 それをする余裕も、全然なくて。 …もしかしたら、彼の方は会うだけ、だから、優しかったのかも、しれない、し。…もう一回、会うのも、できないかも、しれない。 思うだけで切なくて。 「…初恋、って叶わないっていうもんなあ…」 …やだなあ…。ばたばたばた、と暴れて、でも、あんな大人の人には、私は似合わないだろうなあ。そう思って、ばったり倒れ込んで、深くため息をついた。 そんなことを思っても、時間は流れていくもので。 お見合いから、一週間が、早々と過ぎていった。 「はあ…遅くなっちゃったなあ…」 窓の外を見上げる。…真っ暗な空。それは当たり前だ。もう日付が変わる、直前。 本番が近いからどうしても部活が長引いてしまうのだ。 一人で帰るのはちょっと怖いけれど、部活をするときに決めたパパママとの約束、部活についてはできるだけ迷惑をかけない、と言うのを思い出す。…うん。まだ今日はマシなほうだから。歩いて帰ろう、と駅の階段を下りて。 ふと、視界の端に映った、金髪。 「…あれ?」 振り返る、と、そこには間違いようもない姿…! 「ど、ドイツ、さん!」 思わず呼びかけると、振り返るスーツの男の人。間違いない、ドイツさんだ! こんばんは!と声を上げると、こんばんは。と笑ってくれた! 「イタリアさんも、今帰りですか?」 「はい!部活が長引いちゃって…」 そうなんですか。と低い声。ああ、また会えるなんて全然思ってなかった! ていうか同じ駅使ってたなんて! 「イタリアさんは、家はどちら、ですか?」 「えっと、郵便局の方、なんですけど。」 わかります?あっちの方なんですけど、と指さすと、じゃあ送っていきましょう、と言われた。え、えっ!? 「でもそんな…」 「俺も同じ方向なんで。」 行きましょう、と言われて、とにかくこくこく、とうなずいた。こんなチャンスもうない!! 歩き出すと、その身長の高さに驚いた。10センチ以上違うんじゃないかな。おっきいなあ、かっこいいなあ! 「イタリアさん、部活って、何をしてるんですか?」 「合唱部です。あ、もうすぐ本番なんですよ。」 鞄を開けて、チラシを探し出す。 よかったらどうぞ、と差し出すと、ありがとうございます、と受け取ってくれた! 「…ああ、この日なら見に行けます」 「えっ!ほほほほほんとですか!?」 ああもうどもりすぎ!落ち着け私! 「はい。必ず行きます。」 「ありがとうございます!がんばります!!」 そう言ってから気づいた。ここここれチャンスだよね!よし、がんばれ、私! 「あの、じゃあ、チケットとっておくので、連絡教えてもらってもいいですか!?」 「もちろん」 やったあ! 赤外線通信でゲットしたアドレスの名前欄に、こっそりハートマークをつけてみた。い、いいよね?うん! やった、と携帯にキスしたい気分を、なんとか押さえて笑った。 よし。 内心ガッツポーズ。彼女のアドレスをゲットできるとは、思ってなかった。それを、あまり人数のいないプライベート用のグループに保存して。 うれしそうに隣で笑うイタリアさんは本当にかわいらしい。 また会えるとも、思ってなかった。社長の家が同じ市内にあるのは知っていたけれど。まさか、駅で会えるなんて。 送り届けるなんて、ただの口実。ただ、少しでもいいからそばにいたいだけ、だ。ただ、ただ。 自分が話し下手なのはわかっている。けれど、彼女とは、少しでも楽しい時間を、過ごしたくて、楽しいと思ってもらいたくて。 「あの、イタリアさん、は、」 「あの!」 声を上げられて、瞬く。隣を見る。自分より小さな彼女は、思ったより大きな声が出てしまったのか、あの、その、とおろおろして。かわいい。 「はい。」 できるだけ優しい声を出すと、おそるおそる、と見上げてくる大きな瞳。 ああ抱きしめたい!力一杯抱きしめたい!…しないけれど。できないけれど。 「あの、敬語、でなくても、いいですよ?」 「、しかし…」 「だって私、年下、だし、イタリアさんとか、呼ばれ慣れてないし…」 だめ、ですか?不安げな声。ああ、そんな声を出さないで欲しい、のに。 「それに…もっと、仲良く、なりたいなって思ったり…」 そう言い掛けて、迷惑かもしれませんね、すみません、と笑う彼女に、どきん、と心臓が高鳴って。 「…イタ、リア?」 呼んで、みると、目がくるりと丸くなった後、ぱあ、と表情が輝いた! 「はい!」 「そんなに、うれしい、のか?」 言ってみると、はい!とうきうきした返事。 「敬語だとなんか、パパと話してるみたいで。」 ああ。そうあえば社長、常に敬語だな… それにしてもパパ、か…改めて彼女との、年の差について考えてしまった。 彼女は二十歳、自分は三十路前、だ。…恋の相手というより、年の離れた兄、くらいの感覚だろうか。 …いや。それでも。 少しでも、彼女のそばにいたい。 「じゃあ、交換条件だ。イタリアも、敬語禁止」 「、えっ!で、でも…」 「嫌か?」 尋ねれば、うつむいて少し、沈黙して。…困ってる。ああ、そんな顔をさせたい訳じゃなくて! 「あ、いやその、」 「…わかった。でも、ドイツさん、って呼ぶのは許してね?」 …不意打ちに上目遣いでお願い、はズルすぎないか! 思わず立ち止まって、深呼吸数回。そうでもしないとこのままお持ち帰りしてしまいそうだ。 「ドイツさん?」 「…何でもない。」 行こう、ともう一度歩き出して。 楽しい時間というのは、ほんとすぐに去っていくものだ。ゆっくり歩いたってダメ。あーあ、もうすぐそこが家! でもこんな時間じゃ、ちょっとお茶でもとかいうわけにはいかない、よね…明日も平日だし。お仕事だろうし。 こっそりため息をついて、よし、と気合いを入れて、先へと、ととと走って振り返る。 不思議そうな顔をした彼に、にこ、と笑ってみせる。とびきりの笑顔! 「ここまででいいよ。私の家、そこ曲がったとこだから。」 視線で振り返れば、そうか、と声。 「こんな時間にごめんね、ありがとう。」 「いや。女の子をこんな夜中に一人で歩かせるわけにはいかないからな。」 きゃー!いやー!なんでそんな風にかっこよく笑うの!?ずるいもう、こっちは笑顔保つのさえいっぱいいっぱいなのに! 「帰ったらメール、くれるか?」 「ほんとにすぐそこなのに?」 「、一応、な。」 苦笑して言うから、はあい、とうなずいた。でも、一瞬言葉に詰まってたのは何でなんだろう? 思いながら、じゃあ、と声を上げた彼に、うん、と言って。 「おやすみ、ドイツさん」 「ああ、おやすみ。」 そう言って、そこにいたいと立ち止まる足をなんとか動かして、家へと向かった。曲がり角を曲がったら、全速力で走る。 ばたん!と家に入ってドアを閉めたら、おや、お帰りなさい、とパパが顔を出した。 「どうしたんですか?そんなに慌てて。」 「っもうパパ!なんでドイツさんの家近所だって教えてくれなかったの!?」 言えば、は?とパパは目を丸くして言って。 「そんなはずは…彼の家は、……どうして急にそんな話を?」 言われて、駅で会って、近くまで送ってもらったのだと話すと、ほう。と感心したような顔。 「やりますねえ。」 「それで、パパ、ドイツさんの家は?」 言い掛けて止めないでよ、と言ったら、いえ、勘違いでした、だって。 「へ?」 「…せっかく格好付けたのに、邪魔をするのは無粋でしょうから。」 くすくすと笑うパパに、首を傾げた。 夢のような時間は、すぐに終わりを告げる。けれど、本当に幸せな時間だった! …わざわざ家と逆方向まで歩いてきたから、帰るのにはおそらくいつもの倍かかってしまうが。そんなことはまったく気にもならない! ただ、彼女に嘘をついてしまったのが申し訳なくはある。…彼女のそばにいたかったのだ。 ああもう、今の俺は彼女のためなら、何でもしてしまいそうだ、と苦笑。 歩き出す道は、さっきまで彼女が隣にいたと思えば、一人でも楽しくて、………。 「…俺は変態か?」 夜道をにやにやしながら歩いている成人男性。…うん、怪しいな。十分。 そう思って、口元を押さえて、なんとかもとに戻して。 そこに、バイブ音。携帯だ。ポケットから取り出して、名前を見る。 「っ!」 さきほど登録したばかりの、彼女の名前。そうだ、さっきメールを送って欲しいと言ったんだった! 思い出した途端にどきどきと高鳴り出す心臓をおさめるために深呼吸。吸って、はいて。 そして、まあそうしても何も変わりはしないとわかってはいるのだが、そうっと、ボタンを操作して、メールを開く。 『ちゃんと帰ったよ〜今日は本当にありがとう!ドイツさんと話できて、すっごく楽しかった! では、おやすみなさい。明日もお仕事がんばってね!』 最後の鮮やかな赤いハートマークに、深く深く、ため息一つ。 「あー…」 やばい。本当に。顔が、にやける。 明日。明日?ああ、そう言えばやっかいな案件がいくつかあったはず。 「…よし、がんばろう。」 彼女の言葉ひとつで、どんな困難だってどうにかできそうな自分が、新発見すぎて少し、不思議だった。 次へ 前へ 戻る |