56 時代劇へのオマージュ──「多十郎殉愛記」を見て

 

2019.5.2

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 映画が始まってすぐに、真っ黒な画面に縦に一行「伊藤大輔監督の霊に捧ぐ」とでる。これだけでもうしびれた。なぜか。

 話は1994年に遡る。京都に住んでいた友人の関係で、日本映像学会関西支部の「第16回夏期映画ゼミナール」に参加することができた。

 1994年の8月1日から3日までの三日間、京都の京北町にある府立ゼミナール・ハウスに泊まり込み、テーマに沿った映画をなんと9本を見るというものだ。食事以外はほとんど映画をみることに費やす「映画漬け」の三日間で、映画好きにはたまらない会だった。参加者は、映画監督、大学教授、そして学生といった面々でおよそ50人ほどが参加したのだろうか、その人数はよく覚えていない。映写は、すべてフィルムで、講堂にはった大きなスクリーンに映し出された。このゼミナールにはその後、数年にわたって参加したのだったが、ぼくが最初に参加したゼミナールが第16回だったわけで、その時のテーマが「伊藤大輔と時代劇の情念」というものだったのだ。

 参考までにそのときの上映作品を挙げてみる。

8月1日 
「下郎の首」伊藤大輔監督 主演:田崎潤 新東宝
「切腹」小林正樹監督 主演:仲代達矢 松竹京都
「血槍富士」内田吐夢監督 主演:片岡千恵蔵 東映京都
8月2日
「四十八人目」伊藤大輔監督 主演:山田五十鈴・板東好太郎 第一映画
「東海道四谷怪談」中川信夫監督 主演:天知茂 新東宝
「薄桜記」森一生監督 主演:市川雷蔵 大映京都
「修羅」松本俊夫監督 主演:中村賀津雄 松本プロ=ATG
「暗殺」篠田正浩監督 主演:丹波哲郎 松竹京都
8月3日
「反逆児」伊藤大輔監督 主演:中村錦之助 東映京都
《シンポジウム》パネリスト:杉山平一、山田幸平、吉岡敏夫

 

 とまあこんな具合で、まさにめくるめくような贅沢な時間だったわけだ。今これらの作品の一本でも見ようとしたら、それこそ大変な苦労がいるだろうし、見ることも叶わないものも多くあるだろう。

 それに、映画をこれほどの密度で集中して見て、見終わるたびに、知人たちと感想を述べあい、夜には徹夜もしかねない勢いで酒を飲みながら映画談義をするなんて、今では夢のまた夢である。ほんとうにいい時間だった。

 「伊藤大輔監督の霊に捧ぐ」に一行を目にしたとき、まっさきに心に浮かんだのは、このゼミナールのことだったのだ。あの映画ゼミナールも伊藤大輔という「時代劇の神様」へにオマージュに他ならなかった。あれから25年の歳月を経て、中島貞夫監督によってもうひとつのオマージュが捧げられたのだ。しびれないわけがないではないか。

 このゼミナールで上映された映画の一本一本の内容を全部覚えているわけではないが、いやそれどころかほとんど忘れているが、それでも、それらの映画に共通するのはテーマにあったように「情念」の深さだったのだ。その意味で、今回の『多十郎殉愛記』も、まさに「時代劇の情念」そのものの表出だった。

 どこから語ればよいか分からないほど、この映画は多くの「語るべきこと」に満ちあふれているが、この「情念」ということでいえば、映画を見ている途中でなんどか落涙しそうになったということがある。最近はやりの「泣ける映画」なんかではまったくないが、見ていると急につんと胸に迫ってくるものがある。

 「孤立無援」という言葉がそのとき、頭に浮かんだ。多十郎はたった一人で戦う。そして最後まで「援軍」も「仲間」も来ない。多十郎は徹頭徹尾孤独であり、「孤立無援」なのだ。もちろん、この「孤立無援」という言葉は、ぼくが大学時代に熱心に読んだわけではなかったけれどその題名に深く惹かれた高橋和巳の「孤立無援の思想」を想起させるものだ。

 多十郎が長屋のなかで、竹林の中で、「多勢に無勢」を戦うとき、ああ、中島さんも一人で戦っているんだなあと、ふと思った。最初から援軍を期待しない。あるいは「援軍」を擁する集団(ここでは長州藩)のために戦うわけでもない。ただ多十郎は戦うことを選ぶ。理由は後付けでくる。女への愛だ。けれども、その愛は、なんの果実も期待できない愛だ。おとよと多十郎を待っているのは死しかないのだ。

 ひるがえって僕らの生を考えてみる。ぼくらは日ごろ、何かのために生きていると思っている。家族のため、友人のため、あるいは国のため、あるいは神のため。でも、生きる究極の段階では、どこからも「援軍」はこない。一人で戦うしかないのだ。そしてその戦いが、果実をもたらす保証はどこにもない。

 そんなことを思っているとき、ぼくはまた、この「孤立無援」の戦いが、この映画そのものの戦いのようにも見えてきた。陸続と生み出されてきた時代劇映画は、もはやこれから生きる道を見出し得ないのではないかという監督の断念のようなものが感じられたのだ。時代劇によってしか表しようもない「情念」そのものが、いまや時代の中にない。25年前に京都の山奥で上映された映画が溢れるばかりに語っていた「情念」は、もう跡形もない。そんな時代に「時代劇」をどうして作るのか。監督は、深い断念の中に、一筋の希望を持っているのだろう。最後に、縄でがんじがらめに縛られた多十郎が遙か彼方にいるおとよに向かって叫んだように(映画では実際に叫んでいない。おとよに聞こえただけだ。)、どこかにこの思いを受け止めてくれる人がいる、それを信じたかったのではなかろうか。

 この映画はそのどこをとっても美しい。そしてどこをとっても懐かしい。みなどこかで見た光景だ。記憶力のいい映画ファンなら、ここはあの映画、ここはあの映画と、その「出自」を明らかにしていく楽しみを味わえるだろう。記憶力の弱いぼくでも、なんどか、ああ、と笑った。たとえば、多十郎を長屋の中を追いかけるシーンでは、長屋の入口から多十郎や追っ手が飛び込み、そのまま裏に逃げていくという「貫通シーン」、中にいる住人はただただうろたえるばかりというこのシーンは、時代劇の「お約束」だ。あるいは、追っ手の三枚目的なギャグも、古きよき時代劇の定番だ。そんな遊びをふんだんにちりばめ、ラストの「ちゃんばら」へと突入していく流れは、もうため息がでるくらい美しい。

 最初は竹ミツで、おとよを落胆させる多十郎の刀が、カチャリと抜いた瞬間、キラリと光る。それをみるおとよの目。その驚きの表情。さあ、ここからが本番だ! という監督のはずんだ声が聞こえてきそうだ。

 カメラもいいし、音楽もいい。御用提灯が川面を流れるシーンの美しさ。御用提灯が左下から右上へと流れ行くように写すカメラは、「鬼平」みたいだし、長屋の一角から突如として多十郎の刀だけが姿を現すと、突然流れる音楽は「必殺仕掛人」そのものだし。数え上げればキリがないくらい楽しい。そして竹藪の中での殺陣の見事さ。この殺陣を完成させるのに、どれほどの練習が必要だったことだろう。敬服するばかりだ。

 高良健吾と多部未華子も、こんなにいい役者とは思わなかった。特に多部未華子は、可愛すぎるのが難点だと思っていたけれど、その可愛さを鋭い眼光で深い精神性にまで高めたように思える。それは高良健吾にも言えることで、イケメンすぎる高良は、この一作で、もっともっと大きな役者に成長していくきっかけを得たのではなかろうか。

 中島監督の美意識と遊び心あふれる演出で、もっともっと映画を楽しみたいものだ。どうか、次回作をよろしくお願い致します。

 


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